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■ プリウス、トヨタの挫折と豊田社長の涙!トヨタが開けたパンドラの箱とは?第一回目

2010年03月12日 | Weblog
■ プリウス、トヨタの挫折と豊田社長の涙!トヨタが開けたパンドラの箱とは?

今週、来週の2回連載分の一回目です。

豊田社長が泣いた。
アメリカ議会、公聴会での証言後のトヨタ関連の会合でのことである。

おとこの涙。
欧米諸国では、真のリーダーとしては失格といわれる。
しかし、今回はそのような評価はあまり無く、
頑張っている社長というアピールにつながった感じもあるようだ。
今までのトヨタファンからも、今回のリコール事件は騒ぎ過ぎ、
トヨタはよくやってきてるし、
今後も頑張るであろうと評価されているらしい。

しかし、トヨタの今後は茨の道であることは間違いが無い。
イメージの回復は一朝一夕には出来ないからだ。

A.はじめに/問題提起として:

プリウスはトヨタの目玉商品、エコの最先端をいく環境車である。
それが、実に世界で40万台以上のリコールになった。

トヨタは「ザ・日本品質」である。
日本の製造業のシンボルである。

今回のトヨタリコール事件(?)、
そのイメージの毀損の影響たるや半端ではない、
じわじわと日本の経済活動に影響を与えることになるだろう、
日本が、どんどんダメになる、
いや、ダメにはならないだろうが普通になる、
という論調が多い。

しかし、日本経済の奥深さ、幅の広さを考えたら、
そのような大袈裟で、短絡的な話にはならないと思う。

トヨタ、日本の製造業の潜在力、復活への再現力を考えたら杞憂となるだろう。
(現実として、プリウスのリコール処置は早期に終わりそうと報道されている
/但し、北米でのトヨタの販売は、
しばらくは苦戦が続き、特に中古車販売も苦しい状況が続くことは間違いはない)

トヨタ問題は、実は、もっと大きな意味を持っている。
それは何か?というと、
「産業革新」への警鐘・警告である。

世界的な、産業革命的な社会・産業構造、概念のパラダイムシフトの最中に起きた、
きわめて不安定ではあるが、将来の高い潜在性を予期させる現象と捕らえるべきである。
今後のグローバルに起こる「21世紀型の産業革命」の
光と影を予感させるものとして受け止める必要があるように思う。

トヨタ問題は、
トヨタが、日本が???というような小さな話ではないように思う。

以下、トヨタが開けてしまった「パンドラの箱」の中身を順次紹介していく。

B.車産業のパラダイムシフトとトヨタ問題/パンドラの箱・その1

まず、車ということに範囲を限定して考えると、
今回のトヨタ問題は3つの課題を提起している。

課題1.車のITをどう考えるか?

車はITのかたまりである。
30%以上がITであり、実は、トヨタはIT産業である。
そのIT技術者の採用数も半端ではない。
一説には日本一のIT企業という話もある。

ITということはバグが生じる、ということである。
それが社会の通念であるが、車はそれでは困るということになってくる。
故障・事故の確率は限りなく0に近いことが求められる。
(特に安全性については)

車の安全性の確保とは、命を守るということである。
バグによる事故がおこり、それではバグを修正します的な、
IT業界的な方法論は許されない。
いままでのパーツのアセンブルとは違う品質管理が求められている。

しかし、現実はITにバグはつきものである。
これが問題の根源となる。

ITについては、
トヨタの生産過程のカンバン方式による品質管理では対応できない。
カンバン方式は基本的には、
高品質のものを早く安く供給するための生産性向上を目的としたものである。
結果として、企業にも収益向上をもたらすものである。

IT周りの品質管理については、
カンバン方式とは異なる別の次元の手法が求められている。
これはトヨタにとっても未知の領域かもしれない。

今回のアメリカの公聴会で追求された、
車の暴走には電子制御のバグが関係しているのでは?!
との指摘はいろいろな意味で注目に値する。
トヨタは何回も、様々な切り口のテストをして問題はないと主張している。
いずれにしても、
電子制御は、今や車の生命線になっている。

トヨタ問題は、
バグのないIT研究開発という新たな大難問を産業界に突きつけてしまった。
これは病気の無い体、体質を完璧につくれ、産めというに等しい超難問である。

課題2.車の複雑化をどう考えるか?

筆者の車ライフを改めて振り返ってみると、昔は車は機械であった。

機械好きなものにとっては、構造、整備は楽しかった。
エンジンを分解してみたりもした。
運転免許をとるのにマシンとしての構造の試験もあった位である。

車は、正に部品を組み立てるアセンブリー産業として、
サプライバリューチェーンの頂点に君臨した産業であった。
(機械産業の頂点にあった)

しかし、社会の成熟とともに、
車へのニーズは多様化、個性化し、
その結果、材料の種類も、部品数も半端でなく多種多様になった。
前述のIT化もその流れの中ででてきたことである。

また、コスト削減の過程で、低コスト化、低手間化、軽量化を目指し、
材料から、設計から、組み立てまでどんどん無駄を省いてきた、

車は際限なく複雑、かつ精緻になっていく宿命を背負っている。
今や、車づくりはナローパスをわたるがごとくの、
ぎりぎりの線のマネジメントが要求されるようにになってしまった。

車は消費財の王様である。
生活者のニーズは当然エスカレートする。
燃費、運転性能、静粛性、居住性、運転容易性、収納性、デザイン性、
・・・・・・・・と際限がなくなってくる。
メーカーはいろいろなことを考えなくてはならない。

昔のように単純ではない。
それでいて、開発期間は3-5年と短くなっている。
プロトタイプのテスト期間も車が複雑、精緻に進化した割には短くなっている。
即ち、車産業そのものに、
潜在的に、リスクがおきやすい、また発見されにくい土壌が生じてきている、
と考えるべきである。

ここで問題になるのは、
車においては、超マストの要素である安全性への時間、金銭、人財の資源投下が、
相対的に少なくなってしまったのではないか!という指摘である。
生活者に、受けて、売れる車ということに目を奪われて、
安全性へのエネルギーの傾斜配分が小さくなったとも言われてもいる?

課題3.急速なスケールUP(規模拡大)をどう考えるか?

今、車産業は合従連衡が進み、企業レベルの戦略単位がどんどんスケールアップしている。
特に、トヨタの場合は、
そのグローバル化戦略でスケールが極大化した。
ついにはGMを抜いて世界一の生産量を達成してしまった。
規模の経済性を十分謳歌できるところまできた?!ところで、
大きな陥穽が待ち受けていた。

この高成長の間に、
いい車をつくるマネジメントの品質が減耗してきてしまったことは容易に想像がつく。
人財、ノウハウ・技術が追いつかなくなっていたといわれている。
お金は間違いなく潤沢に用意されていたのであろうが。

成長は、量と質の両面が伴ってこそ意味があり、
それがサステナブルな経営につながり、
結果社会に貢献できる、
という基本的なセオリーがある。、
トヨタは、このセオリーから程遠い状況になってしまっていたのかもしれない。

以上の3点が、
トヨタ問題が提起した、車・車産業における大きな課題でなる。

C.安全性への根本的な対応とは?/パンドラの箱・その2

米国のトヨタでは、
電子制御の不具合でエンジンが急加速する、
という問題が問われ、
以前から、アクセルペダルが戻らないという原始的な問題も起こっている。

安全性は車の機能の中でも、超マストな課題である。

電子制御の不具合問題は今後の推移を見るしかないが、
アクセルペダルがシートに引っかかって戻らない、
という問題は、あまりにも原始的過ぎてにわかには信じられない話ではある。

今までの車では、
アクセルペダルそのものの機械的性能、床の傾斜角・床のカーブ(形状)とペダルの関係、
床とペダルの距離はどうなっていたのだろうか?
今回のトヨタのプリウスだけの特有の問題なのだろうか?
と思ってしまう。

話を戻す。

今回のトヨタの安全性の確保、確認については、
6つのミスが指摘されている。

・過去の経験から、車の基本設計において何をすると安全性を損なうのか、
 事前にわからなかったのか?技術屋の、トヨタマンの勘は働かなかったのか?

・生産過程(カンバン方式)の中で、安全性のチェックも合わせてできなかったのか?

・プロトの安全性テストをきちんとやれば、事前にわかったことなのではなかったのか?

・プロトを車を使う立場に立ってチェックすれば、何となく感ずいたことではなかったのか?

・百歩譲って、上市してしまったとして、このクレームが出始めたときに、
 もっと感度よく最優先で対応するべきではなかったのか?
 (実はこの点で現経営陣の責任が強く問われている)

・また、安全性をチェックする人財、マネジメントのセンス、感度が鈍くなっているのではないか?

今後、安全性を具体的にどう確保していくべきだろうか。

ポイントは2つになる。

ポイント1.新しい品質管理マネジメントの手法の確立:

車の開発期間は今は3-5年ぐらいに短縮されているという。
コンピューターで設計できる部分が多いからだが、
ここに無理があるのではないかと指摘されている。
人の手を離れた設計の落とし穴がまだ正確には判明してないのではないか?
また、出来た実車のテストはそう簡単にはすまないのではないか?
等々の情緒的だが、何となく説得性のある指摘がある。

期間が短縮された分、
リスクは逆に増大するという概念での
「新しいマネジメントシステム」の構築が必須になる。

最近は、あまりにも車がよく出来過ぎていて、
安全性が空気のように当たり前化してしまっている?
メーカーも、ディーラーも、生活者も普段は安全性は意に介しない風潮がある。

安全性は空気のような存在なのだから仕方の無いことではあるが、
改めて、車の安全性は車の会社の生命線である、
ということが今回のトヨタの件で証明されたかっこうになってしまった。

ポイント2.新しいチェックシステムの確立:

安全性をどうチェックすればよいのか?
永遠のテーマである。

別の業種の話をする。
味覚官能が優れている人を使って、食品会社が味をチェックするように、
嗅覚が優れた人を使って、芳香剤の会社が匂いをチェックするように、
最終的には、人の力が不可欠なのではないだろうか。

車の場合、絶対にミスをおかしてはならない安全性。
そのリスクについて、机上の設計、シミュレーションである程度はわかる時代かもしれないが、
最後は人の職人芸的な勘を使う必要があるのかもしれない、
ということである。

車のチェックでも、
上記の別の業種のように、
官能的に優れた人の起用が求められているのでは?

・車を見た瞬間に、
・運転席に座った瞬間に、
・アクセルペダルをふんでみた瞬間に、
・運転で加速をして見たときに、
等々
様々な局面で直感的に感じることを徹底的にチェックするのである。

神経質なくらいナーバスな人、悲観的にものを見れる人、音、匂い、ゆれ等に敏感な人・・・・
を社内・外から採用して、
設計当初からのコンセプト段階から、開発現場で、また試乗現場でもチェックさせる。
何かを感じさせるのである。
ちょっとした些細なことをあげつらうようにつまびらかにする。
重箱の隅をつつくような感覚で些細なことを引っ張りだす。

また、走行距離、年式経過ごとの中古車についても同様のチェックをする。

これは粗探しというネガなことではなく、
事前にリスクを回避する建設的なメソッドと考えるのである。
当然、今後の車開発のリスクを除去するというポジの視点も含んでいる。

人の感性を借りて、
安全性を毀損する要素を、
いい意味で想像的、かつ妄想的、神経質的に浮かび上がらせるのである。

この鋭敏な人財のマネジメントはどうするか。

チェックの継続的なノウハウ蓄積のために、
同じ人を継続的に活用しベテラン化する。
と同時に、
常に素人的な人を混在させることで、
チェックがマンネリにならないようにすることが求められている。

いずれにしても、安全性を追求すればコストがかかる。
人、時間、もの・・・・・への予算配分という経営的な、財政的な担保が不可欠である。

車の乗り心地、居住性満足度・・・・・
等々の車の心理的ベネフィット確保への投資にかける時間・手間の
一部を安全性対策にまわせば、今回の事故は防げたのではないか?
という論もある。

地味ではあるが、安全性というマスト事項への投資は、
経営の最重要マターであり、リスクマネジメントそのものであると考えるべきである。

車の最もベーシックな使命は高速でのドアツードアの移動、運搬である。
そこには完璧な安全性の確保が求められている。
ひとたび、安全性が脅かされて、ユーザーの生命が失われ、
そのダメージが企業に及んだときの損失は半端ではないことを考えると、
安全性への投資判断・基準は、通常の短期的なROIのようなマネジメントで管理してはいけない、
ということになる。

改めて、
三菱自動車がいい教訓になる。
三菱自動車は、
当時、ブレーキを踏んでも止まらないという安全性とは真逆の事故を起こし、
リコール対応に失敗し(リコール隠しをし)、
その後塗炭の苦しみを味わい存亡の危機に立たされた。

D.品質マネジメントの本質とは?/パンドラの箱・その3

世界的な車戦争でコスト削減は不可避のマネジメントである。
そこで部品の共通化、ノウハウの共有化が必要になる。
しかし、ひとたび問題が起これば、
その問題は瞬く間に車種間に、全世界に連鎖する、
という危険性をはらんでいる。

車は総合的な耐久消費財である。
全体の部品の集合としてみてはいけない。
部品が相互に有機的に組み合わさって初めて全体の総合品質が生じてくる。

人間の体全体と個々の臓器の関係と同じである。
個々の臓器は重要なミッションを担っている。
しかし全体のバランス、総合的な上位概念の機能は別に存在している。

車の安全性も同様である。

従って、車の安全性についての品質管理の追求においては、
部品を製造している系列部品メーカーと、
全体を司どるアセンブリーメーカーの関係を避けて通ることが出来ない。
つまり、系列問題を避けて通ることができないことになる。

今までは、
・1次、2次・・・の部品メーカーと最終アセンブルメーカー間のあうんの呼吸、
・品質への取り組み感性、
・ノウハウの共有化、
が不可欠とされ、
日本車の品質はそれで確保されてきた。

海外生産が進むと、最終アセンブリーメーカーを頂点とした産業連鎖の価値観がドライになる。
品質管理もドライなバリューチェーンの中でしか行えなくなり、
ウェットでないことのデメリットが生じてくる。

文化、社会の価値の違いを乗り越えて、
グローバルな品質マネジメントをどう構築するかが問われている。

また、繰り返しになるが、
ITの安全性という新たな課題が突きつけられていることも、
再認識しなければならない。


トヨタ問題の第一回目、終わり 二回目(完結編)は来週へ

完結編では、もっと本質的な問題提起をします。
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