日本警察には、これ以上はない“黒歴史”がある。大幹部から末端の巡査まで、組織の大半が関与した組織的裏金づくりだ。2004年にその実態を実名で明かし、大きな衝撃を与えた北海道警察元釧路方面本部長の原田宏二氏が亡くなった。今月末には札幌で「しのぶ会」も開かれる。
ノンキャリアながら「警視長(警視総監、警視監に次ぐ階級)」という階級まで上り詰めた原田氏は、いったいなぜ、実名告発に至ったのか。組織の悪弊を正すには、どうしたらいいのか。18年前の原田証言はそれを今も教えてくれる。
「実名・顔出し」で大幹部が内部告発
原田氏の内部告発については、Frontline Pressを主宰する筆者が2021年2月に2本の記事を書いた(『「警察の裏金」暴露した男が語る内部告発の苦悩』『悪事暴いても「裏切り者」内部告発の悲しい現実』)。これら2本をお読みいただくと、裏金告発と原田氏の関係、告発後の様子などを実感していただけると思う。
原田氏は裏金告発後も適正な警察活動を求めて、「明るい警察を実現する全国ネットワーク」を立ち上げたり、同趣旨の団体「市民の目・北海道フォーラム」を組織して代表に就いたりした。
犯罪捜査の問題や冤罪などが生じる都度、メディアでも積極的に発言を続けていたが、メディアの本格的なインタビューに答えたのは上記の2本が最後だったのではないかと思われる。
北海道警察の裏金問題が発覚した2003年11月当時、筆者は地元紙・北海道新聞のデスクとして、裏金取材チームで指揮をとる立場にあった。警察関係者の証言などをベースに文字どおり連日報道を続けたが、道警側は「裏金は存在しない」との立場を崩さない。
そこに登場したのが、2004年2月の原田証言である。これがきっかけとなって、北海道警察(道警)は組織的裏金づくりを全国で初めて認めざるをえなくなり、道警本部長は北海道議会で謝罪した。
最終的には、使徒不明金約3億9000万円を含む約9億6000万円を国と北海道に返還し、関係した計3235人の警察官・職員が処分される事態になった。当時の道警職員は1万人あまりだったから、その規模の大きさがイメージできよう。
懲戒処分は98人(停職1人、減給86人、戒告11人)、所属長訓戒など内規に基づく処分が本部長ら137人、口頭注意が2750人だった。このほか、会計文書を保存期限内に廃棄したとして、副署長ら文書管理責任者計32人が処分されている。刑事訴追された者が1人もいなかったものの、日本警察始まって以来の大量処分であり、裏金問題は全国各地に飛び火していく。
そのきっかけが原田証言である。「実名・顔出し」という稀有な告発会見だった。
末端の者に悪弊の責任を取らせるのは筋違い
では、なぜ、原田氏は実名告発に至ったのか。20年近くになる付き合いの中で、原田氏はしばしば、こんなことを語っていた。
「慣習として組織に染みついた悪弊は、その組織を生き抜き、職責が上になった者は熟知している。悪弊をつくった責任はないにしても、それを見過ごしてきた責任がある。そういった組織の中で末端の者に悪弊の責任を取らせるのは筋違いだし、酷ではないか。責任は上の者、組織のトップが背負うべきだ」
その言葉のとおり、原田氏は2005年2月、突然開いた記者会見の席上、マスコミ各社を前にして「自分が警察官になった昭和30年代から裏金は存在していた」と明言し、幹部になってからは会計検査院の検査をごまかすために警察組織を挙げて対応していた実態を赤裸々に語った。そのうえで、こう言っている。
「私はこの問題が出てから、(道警)本部長が議会で質問に顔をそむける姿をテレビで見て正視できませんでした。総務部長はかつて、ともに仕事をした仲間ですが、立場上、彼が世間の常識では通用しない答弁をしているのを聞き、気の毒で、先輩として申し訳なく思いました」
「かつて、こうした問題を内部に抱えながらも、道警では毎年重点目標を決めていました。その基本は『道民の期待と信頼に応える』ことにありました。しかし、現在は空々しいものに感じます。4月には、新人が警察学校の門をくぐります。時代は変わっても警察官を志す若者は『社会正義のため』と希望に燃えていることでしょう。かつて、私もそうでしたように。しかし、38年の間に手を汚してしまいました」
「過去にこうした行為が組織的に行われていたのは事実で、それが今回明るみに出た以上、私たちOBと現職幹部は事実を認め、道民に謝罪しなければならないでしょう。組織に人格はありませんが、構成員あるいは構成員であったわれわれにはあります。私に続いてくれる人が1人でも多いことを願っています」
原田氏はこの会見やその後の道議会で、自らも裏金の差配に関与し、裏金からヤミ給与を受け取っていたことなどにも言及した。そして、内部調査に着手するとした道警の上層部たち、つまり後輩幹部に向かって、「そんな必要はないだろう。組織の構成員に改めて聞くまでもなく、裏金の実態は幹部全員が知っている事実じゃないか」と語りかけたのである。
「報道でヒーロー扱いしないでほしい」
ただし、原田氏が実名で裏金を告発したのは、現職時代のことではない。警察改革の必要性を感じつつも、現職時代にはついぞ組織内部できちんとした形で問題提起できなかった。
「おれも裏金をもらっていた人間だよ。内部告発はしたが、正義の味方じゃない。報道でヒーロー扱いしないでほしい」「なぜ告発したかと言えば、信頼回復へ向けた道警の最後のチャンスと思ったからだ。ここで建て直さないと、警察は法の遵守なき、倫理観なき組織に転落してしまう。その危機感があった」
原田氏はそんな内容も語り続けていた。
階級社会の警察組織は、上意下達の規律を何よりも重んじている。完全な縦社会、完全な官僚組織だ。結束は強固で、組織内に不正・不祥事・不作為があったとしても、(末端警察官の破廉恥行為などを除けば)めったに表に出ない。
全国で約29万人いる警察官のうち、原田氏の最終階級だった「警視長」は上から3番目。警視長以上の者は、全国に0.1%あまりしかいない。それほどの大物でありながら、なぜ、在職中に裏金根絶に動けなかったのか。
実は「きちんとした形で問題提起」できなかったものの、原田氏は道警の釧路方面本部長時代、裏金問題をなんとかしたいと部下の幹部に向かって一度だけ水を向けたことがあるという。
「そしたら、『本部長、本気ですか』と。いくら本部長だからと言っても、一幹部だけで対処できる問題ではないし、そんなことしたら組織はガタガタになる、と。だから、めったなことではそんなことを口にするものではありません、と言うんだよ」
組織的裏金づくりは、組織を挙げての違法行為だ。捜査協力者に渡してもいない捜査費を協力者に渡したことにするため、会計書類を偽造し、架空の協力者や事件を書類上で作り上げる。出張もしていないのに、捜査で出張したことにする。そんな行為を山ほど積み重ねた。
捜査費、旅費など数多の費目が偽造書類によって警察組織内でマネーロンダリングされ、幹部へのヤミ手当や飲食費などに化けた。公文書偽造・同行使、詐欺、横領。罪状はいくつも思い浮かぶ。しかも、ほぼすべての警察官が関わっていた事案である。議会での追及が始まると、会計書類は“誤って”次々と廃棄された。
「組織にまとわりついた、骨絡みの犯罪」と表現した人がいた。その根深さをわかっていたからこそ、現職時代、自ら積極的に動くことができなかったのだろう。
世論という“外圧”を使って、改革に道筋
「警視長」といっても、原田氏は道警採用のいわゆるノンキャリだ。警察庁採用のキャリア組が牛耳るピラミッド組織においては多勢に無勢。裏金システム廃止という正論を打ち出しても、組織の中では疎んじられて終わったに違いない。
だから退職後に裏金追及の報道が始まり、道民が一斉に注視したタイミングこそが大きなチャンスだった。世論という“外圧”を使って、改革に道筋をつけるのだ。
かつての実名・顔出しの記者会見で、原田氏はこう言っている。
「それなりの立場にいた者が真実を話すべきときがきたと判断しました。皆さんからは、その無責任さを指摘されるでしょう。昔の仲間からも裏切り者とのそしりを受けるでしょう。ずいぶん、ちゅうちょもしましたが、どんどん道警の信頼が失われていくなかで、現場の警察官やその家族の人はさぞ、肩身の狭い思いをしているのではないでしょうか。1日も早く現場の警察官が誇りを持って仕事ができるようになってもらいたいと思うのです。今回が、道警が更生できる最後のチャンスだと思います」
社会の不正・不作為が内部告発によって明らかになるケースは、しばしばある。しかし、告発者を組織の裏切り者呼ばわりし、村八分にする文化は消えない。原田氏も激しいバッシングを浴びた。
それを十分に予測したうえで、原田氏は堂々と顔と名前をさらして報道陣の前に進み出て、カメラの向こうにいる道民に向かって真実を語った。その勇気は並大抵のものではなかっただろう。
組織内で何か問題が起きた際、多くの人は首をすくめて嵐が過ぎ去るのを待つか、火の粉が降りかからぬよう逃げ回るか、あるいは改善に動こうとする人を批難する側に回る。組織人としての人生は、表面上、それでまっとうできるだろう。
道警を退職した後だったとはいえ、原田氏は実名告発に際し、天下り先だった保険会社を辞め、OB組織・北海道警友会からも脱退した。いわば、組織との関係をすべて断ち切って、1人で会見に臨んだのである。
正しい警察のあり方を求めて活動を続けた
組織の不正や悪弊を知ったら、あなたはどうするだろうか? 上司の不正を目の当たりにした際はどうだろうか? 原田氏の実名会見は、そういったことを社会の1人ひとりに問いかけていたのだと思う。
「退職後にいい格好をするな」「もらった裏金を返してから会見をしろ」といった罵声を浴びながら、原田氏は会見後も正しい警察のあり方を求めて活動を続けた。そんな警察幹部は「元」を含めても誰もいなかった。ほかの官僚機構でも、原田氏のような人物はめったにお目にかかれない。
「ヒーロー扱いするなよ」と叱られそうだが、筆者の中では紛れもなく、不世出の正義漢だった。
高田昌幸=フロントラインプレス(Frontline Press)所属