韓国宗教が日本の政界と癒着。
それも武器を作り、銃を大量に日本に持ち込もうとしていたような団体を、日本の政治家が擁護・支援するとは・・・。
清和会のメンバーはほとんど統一教会の勝共連合に無償奉仕の秘書を送られている議員ばかりです。
安倍晋三首相(清和会)が統一教会に祝電を送ったのはあまりにも有名。
(文鮮明教祖と岸信介元首相(清和会)、左から李相軒(36家庭)・文鮮明・岸信介・韓鶴子教祖夫人・金栄輝(36家庭)・久保木修己(430家庭))
※久保木修己は日本統一教会と国際勝共連合の初代会長
※岸信介元首相は、安倍晋三首相の祖父
(文鮮明教祖と岸信介元首相(清和会))
(文鮮明教祖と福田赳夫元首相(清和会))
(文鮮明教祖と金丸信(経世会))
(文鮮明教祖と三笠宮殿下(昭和天皇の弟))
※前列左から文鮮明教祖、三笠宮崇仁親王殿下、崔元福女史(文教祖の妾)、後列右から三番目は常陸宮妃華子様?、四番目は高松宮妃喜久子様?、五番目は三笠宮妃百合子様?
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<1970年4月9日 岸元首相が渋谷の統一教会本部を訪問>
『(4)岸信介元首相、来教(1970. 4. 9)
1970年4月9日、岸信介元首相が本部教会を訪れ、集まった300名の教会員たちに、国際情勢を含めた内容の話をされました。』
(「日本統一運動史」より)
<1970年8月11日 岸元首相が渋谷の統一教会本部を訪問>
『1970年8月11日に岸信介元首相が、日本の松涛町にある日本統一協会を訪問し、反共産主義運動の映画を見て、次のように演説を行いました。
「私は2回本部に呼ばれました。私は去る5月11日の日本東京でのWACLの国民集会の映画を見に招待されたとき。私はそれを見るだけでなく、日本のスケジュールでは来る9月に、あなたのように、この本部にすることが好ましいです。』
(統一教会機関紙「The Way of the World」1970年9月号より(機械訳))
(原文)
On August 11th, 1970, ex-premier Kishi Nobusuke in Japan paid a visit to Japanese Holy Spirit Association at Shotocho, and saw the movies of Anti-Communist movement and delivered speech as follows;
"I called at this headquarters twice. When I was invited to see the movies of the national rally on May 11th in preparation of WACl. conference in Tokyo, Japan scheduled in coming September at any time and place, I was anxious to see it, but I preferred to see it as well as you at this headquarters.”
http://www.chojin.com/history/kishi700409.htm
『南平台(渋谷区)の教会は、岸信介先生の首相時代の公邸でした。』
(増田勝(777双)の証し)
『1964年11月1日、本部教会を、約1年間住んだ世田谷区代沢から、渋谷区の南平台町45番地に移転しました。かつては、この家に西郷隆盛の弟が住んでいました。そして兄の隆盛もしばしばここを訪れ、時の明治天皇拝謁の日には、身を清めるために井戸の水でみそぎをしたといわれます。その後、転々と人手に渡り、戦後の岸内閣の時代に、首相公邸として使用されました。』
(「日本統一運動史」より)
『統一教会の本部が南平台から現在の渋谷区松涛町に移ってからのことです。岸先生がこの松涛本部に来られたことがありました。韓国から国会議員数名と大学教授数名をお迎えした時でした。その時、韓国の国会議員も大学教授も驚いてしまいました。当時の統一教会本部は[しもた屋]みたいなところで、こんな所に天下の岸元首相が来る、ということに大変驚いたのです。』
(久保木修己著『愛天愛国愛人 ─母性国家、日本のゆくえ─』(世界日報社 1996年発行))
『60年代の中ごろ、太田郁恵(旧姓福井)さんが山口県に開拓伝道に行った時、「踊る宗教」の教祖に会ったのです。この教祖は、20年以上も前から岸先生のことを「岸は必ず総理大臣になる」と予言していました。そうしたら本当になってしまいました。
そのころ、統一教会の本部は渋谷区南平台にあって、実は岸先生のお宅の隣でした。それで太田郁恵さんがその教祖の紹介もあって、岸先生宅に通うようになりました。(中略)
岸先生は、信念の政治家でした。国家と国民にとって必要であるという確信を持てば、それに向かってあらゆる勢力を結集し、果敢に押し進めていく。60年の日米安保改定作業がその顕著な例です。
岸先生にとって、大切なことは、政治家として何をなすかという明確な目標でした。政治家であることは、目標達成の手段に過ぎないのです。今日政治家の多くが政治家になること自体が目標となり、何をなすかという明確なビジョンを持ち合わせていないことは、寒心にたえないところです。(中略)
岸先生は、しばしば統一教会の本部や勝共連合の本部に足を運んでくださいました。隣同士のよしみということもあったのかもしれません。しかし、それはあくまできっかけに過ぎません。日本の現状を憂うる気持ちと日本の将来に対する夢において、先生と私たちには共有できる精神的連帯感がありました。
今思えば、先生は大変懐の広い政治家でした。私たちは当時、まだ信者が数千人の弱小団体でありましたし、教祖が韓国人ということも一般の日本人にとってマイナスのイメージとなっていました。(中略)
しかし、岸先生はそういうことには一切関心がありませんでした。世間の評価とかマスコミの情報というものがいかに薄っぺらなものであるかを自分自身がよくよく体験してこられていたのです。先生は自分の心に感じた真実を評価の基準に置いてくれました。世間が見る統一教会ではなく、先生の心に直接映る統一教会を見てくれたことが、私たち青年にとって大変ありがたいことでした。
岸先生に懇意にしていただいたことが、勝共運動を飛躍させる大きなきっかけになったことは間違いありません。国内においても国外においてもそれは言えることです。』
(久保木修己著『愛天愛国愛人 ─母性国家、日本のゆくえ─』(世界日報社 1996年発行))
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■統一教会とはどういう団体か
創始者である文教祖の説教を見れば反日団体だということが一目瞭然でしょう。
日本の中枢である国会議員に韓国ナイズされた工作員(統一教会員)を秘書として送り込み、選挙応援をしながら国会議員に反日思想を吹き込み、国会議員の弱みを握ってコントロールしようとし、現在も進行中・・・。
<日本の衆議院内に統一教会を作れ!そのために国会議員に秘書を送り込め!>
http://ameblo.jp/chanu1/entry-11751201354.html
『(日本の)国会議員との関係強化です。そのようにして国会内に(統一)教会を作るのです。国会内の教会ですよ。衆議員教会・・・先生(文教祖)が指示していることが何なのか?・・・国会議員たちを120人以上束ねことのできる名簿を作成するように言っただろう? 今からそのようにして、それ(日本の国会議員)が教会の組織になるようにするのです。そこで原理を教育するだとか・・・すべてのことが可能になるのです。
二番目は、秘書です、秘書。(統一教会から)国会議員の秘書を排出するのです。三番目は、国会内の組織体制を形成するのです。
・・・それで自民党の安倍派などを中心にして、(勝共の)久保木を中心として、超党派的に、その議員を結成して、その(勝共議員の)数を徐々に増やして行かなければならないのです。わかりますか?』
(「文鮮明先生御言選集」192巻より 1989年7月4日 韓国・一和修練院)
(スクープ! 公安の極秘資料入手現職国会議員128人の「勝共連合・統一教会」関係度リスト(週刊現代, 99年2月27日号)
http://www.asyura2.com/07/senkyo36/msg/411.html
『岸首相から私が手をつけたのです。福田から中曽根・・・中曽根の時は(勝共議員が)13人しかいなかったのが、130人の国会議員を当選させて国会の分科委員会が20部署なのですが13部署は私が立てた人がいます。それを掴み殺すことができますか(潰せますか)? 日本政府の軍隊が何ですか? 自衛隊?(「自衛隊です」)今、自衛隊の秘密組織最高の地位にまで接触されていることを知っていますか? 皆さんは知らないでしょう?
日本の特殊要員たちを連れて行ってその南方では今、ゲリラ戦訓練していることを知っていますか?』
(「文鮮明先生御言選集」486巻より)
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