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伊勢湾再生について

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 3月の一般質問に関して、大変遅くなりましたが少しづつ報告を上げて行こうと思う。 1つ目、伊勢湾再生について県土整備部長に質問した。 県土整備部長からは伊勢湾再生に向けてしっかり取り組む旨回答があり、十分性かを得たと感じている。 以下要約 我々人間は、港の造成ほか海の経済的な利活用と、災害から命を守る為の護岸整備やダムの建設を進めてきた事により、海の環境を大きく変えてしまった。 結果海は汚れ、赤潮や青潮が大量に発生した。 その対策として下水道を完備し、排水を徹底的に浄化した。 しかしその事によって、逆に海の栄養素を奪ってしまい、海苔の養殖や魚や貝などの漁獲高が激減する。 県や国の調査では、栄養塩の排出抑制よりも失われた藻場や干潟を再造成することによって、海自身のバクテリア分解能力を高めることが有効だという結論に至っている。 ところが現時点で、三重県の干潟造成は掲げた目標値を達成できていないことが判った。 漁業に関係がある農林水産部の事業だけでは無く 広く港湾整備などを担う、県土整備部にも伊勢湾再生に関しての事業実施を求めた。 1. ダムや河川などから発生した浚渫土を有効活用し、養浜やその先の藻場の再生を行う事が出来るか? 回答 生物との共生だとか、あるいは土砂の管理という観点から取組を強化していく必要があると考えている。 河川堆積土砂の撤去について、最近、大幅に撤去量を増加させている。こうした土砂についてふるい分けだとか、あるいは環境への影響の課題といったことも対応を検討しながら、養浜への活用について拡大を進めていきたい。 養浜以外についても、水産資源の保全などに関するニーズを農林水産部から聞き、さらなる土砂の活用の幅を広げ、伊勢湾再生に貢献できるよう検討を進める。 2. 港湾整備や護岸工事において、人口的に浅場を形成し、多様な生物が生息しやすい環境を作る、生物共生型の構造物を採用することは出来るか? 回答 港湾や海岸施設おいて、防災対策を加速するとともに、干潟や磯場などの生物の生息機能を併せ持つ生物共生型の構造物、グリーンインフラの整備を進めていくことが今後大切だと考えている。 県土整備部として、他県での効果、課題を積極的に研究し、防災や老朽化対策に合わせて、段階的に導入していく。  また、海岸法に基づいて、現在、県で策定する海岸保全基本計画の見直し作業を進めてい

「 みえ得トラベルクーポン 令和4年度第4 弾 )」 を実施 します

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 7月1日(金)から利用可能な旅行割引 「みえ得トラベルクーポン(令和4年度第4弾)」を実施します。予約受付は、6月22日(水)以降、準備の整った事業者から順次開始します。 今回も、平日の旅行需要を喚起するため、平日の宿泊旅行にかかる割引額を1,000円上乗せします。さらに、県内で連泊した方に「みえ得トラベル地域応援クーポン」を1,000円上乗せして配布します(旅行会社窓口での申込限定)。

[書評]ソヴィエト旅行記 ジッド著

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 事実は小説よりも奇なり これ程この本に適した言葉はない。 共産党員だったフランス人作家が、革命後およそ20年経ったソヴィエトを訪れた感想を綴った本。 1936年にオリジナルが発表され、当時の左派作家達から猛烈な反発を受け、裏切り者というレッテルを張られることになる。 世界中で有名になった本で、当時日本でも翻訳され日本の共産党員宮本顕治の妻で、作家の宮本百合子もジッドの主張に反論した文章を残している。 新たに翻訳されたこの本は2019年に出版され、確か産経の書評で見かけて手に取ったはず。 溌剌とした美しい若者たち ジッドを含めた視察団はソ連政府より熱烈な歓迎を受ける。 彼らが出会ったピオネール(共産少年団)やコムソモール(青年団)の子供達は溌剌とし、健康的で、まなざしは澄んでおり、自信にあふれていたという。 文化公園に集まる若者たちも、男女入り交じりながらも真面目さと礼儀正しさがあり、卑猥な話は聞こえてこない。(おそらく彼はフランスの当時の青年達と比較しているのだろう)ダンスを楽しんだり、スポーツを楽しんでいたり、チェスやチェッカーをしているものもいる。 男性も女性も体格も良く非常に美しかったと表現している。 革命後も搾取される労働者 しかし、それがごく一部の者達であり、多くの労働者は劣悪な環境で働かされ、住環境も酷く貧しく、食事も僅かしか支給されず、帝国時代と変わらないか、それより酷い環境に置かれていることを知る。労働者は特定の工場や農場に所属しており、職場を転ずる自由を剥奪されている。つまり居住地を変える自由をもっていない。 サナトリウム(温泉)や保養施設が多く建設されている。労働者達が新しい劇場建設のために働かされ、安い賃金しかもらえず、汚い仮設住宅に押し込まれているのを見ると、心が痛む。(そしてこの労働者はこの劇場に訪れることはおそらくないだろうという事をジッドは感じ取っている様だ) ジッドは革命により労働者を搾取するブルジョアを一掃したにもかかわらず「新たなブルジョア労働者階級というべきものが再生産されるのではないかと私は怖れる」と書いている。そしてそれはその通りになった事を我々は歴史として知っている。 後の続編でジッドは「プロレタリアに対する官僚の独裁」と表現している。 平等であるはずの共産主義国家の現実 モスクワで店が開く前から列を作る2-300人の達

令和04年度6月補正予算

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ウクライナ戦争を起因とする 原油価格高騰などの影響をうけて、経済支援等が盛り込まれた補正予算案が提案されました。 補正その1 生活困窮者を対象に、児童扶養手当受給者に1児童あたり5万円給付 1億1139万円 補正その2 中小企業の資金繰り 信用保証料の無償化 6億3816億円 再エネ導入支援 2/3助成  上限400万 4億1917 既存設備の高性能化 自己消費用再エネの設置 原材料の製造ロス削減、製造工程見直し 省エネ機器、再エネ導入支援 2/3助成 上限1000万 下限400万 2億13万 既存設備の高性能省エネ設備への更新 自己消費用再エネ設備及び蓄電池の設置 畜産農家への支援 10億9250万円 配合飼料高騰対策 粗飼料高騰対策 小麦生産支援 5900万円 ソフト事業 水田における湿害対策 排水対策機械などの設備導入 1/2助成 1機あたり25万以上2500円未満 県産小麦への切り替え支援 500万円 施設園芸農家支援 5300万円 省エネ設備導入 1/2助成 150万から300万以内 農業者経営改善支援 経営改善の為の長期かつ低金利融資の信用保証料無償化 297万円 普通公衆浴場施設支援 1092万円 重油のみの施設 7万円/月 その他 3万円/月 雇用維持 相談対応 349万円 給食費負担軽減 私立および認可外保育園の給食費一部助成 2943万円 事業継続・事業回復支援金 21億4272万円 中小法人30万 個人事業15万 22年1-3月 対過去3年度比 30%減以上 海外への県産品販路拡大 衛生管理の輸出可能基準へ高めるための施設導入 1/2または3/10助成 上限5億円

[書評]曠野の花:石光真清

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石光真清の手記2冊目 4冊シリーズで一番最初に読んだ本。 真清は日清戦争に加わり死線を越えて帰国するも、三国干渉により遼東半島を放棄せざるを得なかった。満州侵略を目論むロシアに対して、いずれ日本はこの国と一戦交えねばならぬ事になるかも知れないと感じた。 そして帰国後ほどなくしてロシア留学を志す。勿論軍人としての身分は隠してブラゴヴェヒチェンスクのロシア軍人宅に寄宿する事になる。そこで真清はカザック兵による清国人3000人の虐殺を目の当たりにする。川を挟んだ清国とロシアの船の行き来に関する僅かな交渉の決裂が切っ掛けで、清国が対岸に砲撃を開始、カザック兵はロシア側に在留していた清国人ことごとく殺害する。これを切っ掛けにロシアはブラゴヴェヒチェンスクに兵を結集し、北満へと侵攻を開始する。 真清は滞在期間中馬賊の長の妻になった元娼婦や、博打にうつつを抜かした壊れかけた日本人宿の店主、同じくしてスパイ任務を受けて僧侶を装っている軍人などにであう。真清も僧侶もお互いがスパイだろうと感じるのだが、自ら身分は明かさない。 壊れかけた日本人宿に僅かな資金を提供し、宿を建て直しねぐらにしたり、馬賊の長の日本人妻が切っ掛けで、馬賊と親密になる。 馬賊の長は自国が侵略されるのを目の当たりにし、復習を望むも時期尚早と考え力を蓄えるために潜伏する。 その後真清は更にロシアの行動を探る為、清国の苦力に成りすまし舟で川を渡ったり、ロシアに雇われた朝鮮人スパイを煙に巻き、馬賊の協力を得て身を隠したり、戦禍を逃れてきた日本人娼婦を保護し救済するなど、この本には007さながらのストーリーが書かれているのだが、これら全てが真清の手記、すなわち実話である事が面白い。 当時の清国の置かれた立場、ロシアの目論見、ほか当時大陸に身を置き生計を立てていた日本人の生活、多の民族との関係など見事に描写されている。 ロシア留学を隠れ蓑に始まった真清のスパイ活動は日露戦争勃発と共にその任を終え、帰国することになる。

みえ得トラベルクーポン(令和4年度第3弾)

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 第3弾 6月1日から実施です。 1000円上乗せです。 各種旅行代理店経由 およびオンラインでの申請も可能です。

[書評]城下の人:石光真清

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 石光真清(まきよ)の手記4冊の1冊 石光真清は明治元年、熊本に生まれ、昭和17年に没する。 その間、戊辰戦争、日清戦争、日露戦争、ロシア革命を体験する。 最初に手に取って読んだのは2冊目。日露戦争に至るまでの清国でのスパイ活動を綴った手記。 まるで日本版007の様な話が、石光真清の実体験である事がとても興味深く、4冊全てを手に入れて読んだ。 1冊目の城下の人は彼が生まれてから日清戦争を経てロシア留学を志すまでが書かれている。 石光家の兄は父が教育熱心で、先進的学問を学ぶべきだとして「先進教育」の塾に通い米国人から英語も学んだ、進歩派だった。 弟の真清と真臣は皇道精神を基調にし、結髪帯刀を塾則にもつ塾に通っていた。 世の中も守旧派を古いと嘲り散髪略服脱刀勝手たるべしとする者、日本を守らねばならぬと結髪帯刀を固持する者に分かれていった。 父の言葉 そんな中真清が8才の時の出来事が記されている。 敬神党(神風連)の先生に会い加藤清正の事を学んだ事を嬉しそうに父に話した真清を、洋学生の兄が「時代後れの教育を受けているので感心することも時代後れだ」と苦笑する。 そこに父親が割って入る。 とても興味深い内容で、150年経った今でも通用する内容なので少し長いがそのまま引用する。 以下引用 洋学をやるお前達とは学問の種類持ちがているし、時代に対する見透しも違うが、 日本の伝統を守りながら漸進しようとする神風連の熱意 と、 洋学の知識を取り入れて早く日本を世界の列強の中に安泰に置こうと心掛けるお前達 と、 国を思う心には少しも変わりがない 。前に言った林桜園先生はこの人達の精神の基を礎いた方だが、非常に博学な学者だった。実学派の人達からも敬意を献げられておられるのだが、先生が亡くなられてから、いつとはなしに先生を頑迷な国学者だ漢学者だと批判する人が多くなった。進歩を急ぐの余り、そのような事になったものと思う。桜園先生はご自身でもオランダ語に精通しておられ、その教えを受けた人達は二千人を超えているとのことだ。蘭書の講義もし、兵学、科学に力を入れておられた。ただただ神明の加護を願い、結髪帯刀を主義とする様な、そんなことは教えられなかった。その後、政府が世界の情勢を検討された結果、進歩を急ぐ政策を促進するにつれて、この一党がうとんじられるようになり、頑迷だ、固陋だと批判される始末となった