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◇◆◇兎、兎にあらず◇◆◇
「朝チュン」なるものをご存知だろうか? ワンナイトやらかした男女が迎える翌朝の風景からそう呼称されるようになったシチュエーションのひとつだ。 そう、ワンナイトやらかした男女が。 多くの場合、どちらかが酒に飲まれて一夜を共にした記憶がなく、そこからラブコメに発展するのが通例だが私は酒の飲まれた記憶も、そもそも男と出会った記憶はおろか、家の外に出た記憶もない。 あるのは休日の昼間に引きこもって映画を見ながら寝落ちした記憶だけだ。因みにもちろん一人。 それだと言うのに目を覚ました私はなんだかやけに肌触りの良いベッドに素っ裸で寝ていた。 声も出ないほど混乱し、そして横向きで眠る私の首に何かの息が定期的にかかっていることに気づいて混乱通り越して怯えた。 人間、心底怖い時に叫び声なんて出るものじゃない。 ヒィ、と情けない声がもれるだけで、あとはガタガタ震えるだけだ。状況を確かめたいけど怖くて後ろを見れない。 何がいるんだろう。指先ひとつ動かせない固まった私の限られた世界に映ったのはギリギリ人の腕だった。男だ。
そうしてようやく私の頭に現実逃避のように「朝チュン」の文字が浮かんできたのだがお察しの通りなんら把握できてないし解決にも至らない。 一体どうすればいいんだと焦るばかりで、恐怖のあまりいい歳して涙が浮かんできた。グスグス鼻をすすってたら眠ってい背後にいる人物がその音で目を覚ましたらしい。 モゾモゾと身動きして投げ出されていた腕がゆっくりと私の顔に伸びてきた。 殺される! とちょっと大袈裟に怯えた私はギュッと目を瞑った。
「目が覚めたか」
存外普通の声にピタリと涙が止まった。 あんまり感情の滲まない声色だったけど不思議と怖いとは感じなかった。 「何もしない」と言いながら私の頭をわしわしと撫でるその腕は優しかった。 ……何もしないと言われましても、ベッドに素っ裸で寝てた時点で事後だと思うんですが……いや、でも待てよ? ソウイウことした感覚はあんまりないな? 身体の違和感というか、なんと言うか。 「あ、あの……どういう状況なんでしょうか……?」 「……人の言葉を話すのか。思ったより力のある獣のようだ。そうは感じないんだがな……」 けもの? けものってなに? けもの……獣? 何が? 意味がわからなくて思わずふりかえって声の主を見て、目が潰れるかと思った。 い、いっけめぇぇぇん……この世のものとは思えない美形の登場に全思考が停止した。あたまままっしろ。おそらきれい。 「ん? どうした?」 相変わらずわしわしと私の頭を撫で続けるその男は、微かに目尻を下げて、私を見つめていた。 その眼のなんと優しいことよ……さながら初孫を抱くおじいちゃんだ。下心一切無し。 いやまぁこんな美形ならよりどりみどりだろうし私みたいな平々凡々な女見てもなんら反応出来ないんだろう。納得だわ。 「私、なんでこんなところで眠ってたんでしょうか?」 「昨夜の雷雨の中、外で倒れていたんだ」 「外で……? 私、家に居た……」 「変わった残滓を感じた。恐らくどこかしらかから飛ばされて来たんだろう。見たことの無い布に包まれていたが焼け焦げていたので剥いだんだが……」 妙齢の女の衣服を剥ぐとは躊躇無さすぎんかこのイケメン? いくら自分は反応せんと言ってもこっちは反応するんだぞ? 羞恥という名のもの筆頭に諸々と。 「すっかり冷えきっていたので湯で温めはしたが体温が上がらないので抱えていたんだが……その様子だともう大丈夫のようだな」 「助けてくれてありがとうございます。た、ただ、いくらなんでも素っ裸の女を抱えて夜を過ごすというのはちょっと、外聞が……」 そうしどろもどろに訴えれば、イケメンはぷっと吹き出したあと声を上げて笑いだした。 ちんくしゃが調子に乗るなって笑いかなこれ! 恥ずかしさで悶絶の唸り声を上げていたらイケメンは笑いながらすまないと言って私の頭をまたわしわし撫でた。 「人の言葉を話すということはそれだけ自我があるということだな。いやすまない。ついその外見で判断してしまった」 「外見……?」 思ったより胸が小さいとかか? セクハラじゃん。 「その子兎のような体躯で、男女の機微を……くくっ」 「こうさぎ」 「気を悪くしたのであれば謝る。兎ではないのはこちらも分かっているが、一番近い獣はそれだ」 「いちばんちかいけもの」 それは猿なのではなかろうか? いや猿って言われたら流石に怒るけども。 「……わたし、にんげん……」 「……どう見ても獣だが」 そう言ってイケメンは鏡を指さした。 そこに居たのはイケメンと、フワッフワのたいそう可愛らしい、大きな兎っぽい毛玉だった。 「…………うさぎだーーー!」 「なんだ、兎なのか」 「あっ、やっ、ちが……え、ええええええええ!」 どうなってんだこれ!
***
しくしくと泣き続ける私に鍾離と名乗ったイケメンは挙動不審だった。 分からなくもない。動物が目の前で泣いてたら自分は何も一切悪くなくても罪悪感で首吊りたくなるもん。 兎のようで兎じゃない、なんだか変わった獣の姿になった私は日本という国のOLだったことを話した所、鍾離さんは何も分からないと言ったふうに首を傾げるばかりだった。 何千年という歴史の中で日本という国や地があったことは無いのだと。 おそらく世界を超えてきたのだろうと言うけどなんのために? しかも違う世界から来たことは分かるのに行き来の仕方は分からないのだとか。 泣きたくもなるってもんだ。今までの私の生活全てなくなってオマケに兎もどきときた。お先真っ暗すぎる。 「泣くな、泣くな……お前に泣かれると、こう……」 眉間に皺をぎゅっと寄せてる鍾離さんは困っているというか、堪えている顔だ。 これは私が抱っこ拒否したから抱っこしたくてたまらない顔である。分かるよ分かる。この毛玉めちゃくちゃ可愛いもんね。大きさも腕にすっぽり収まるサイズだからいい感じだもんね。 でも例え外見がそうだったとしても私の気持ちは良識ある一般女性なのだ。イケメンに抱っこされるとかむず痒くて居心地悪すぎる。 でもまぁ心が弱ってると人肌恋しいと言うか、小動物になったからそうなのかイマイチ判断できないけどお膝に乗りたくてたまらないので泣きながら鍾離さんのお膝によじ登って丸まった。 頭上から息を飲む気配がした。私の身体の周りを触れない距離で両手がふよふよとさ迷っている。 この人もしかして小動物と触れ合ったことないのかもしれない。ぎこちない。 つい、と上を向けば無表情の鍾離さんが私を見下ろしていた。……デレデレしてないけど漂う雰囲気が圧倒的に緩んでるの、すごくシュールだな……。 「当面の間は俺が面倒を見よう。どんなものでも守るべき命だ」 イケメンは言うことがいちいちかっこいいな。オタクの言う「守りたい、この笑顔」とベクトルは一緒なのになんでこうも違うのか。煩悩か? 煩悩なのか……。 お膝の上でモゾモゾしながら黙り込んでしまった私の背中を、恐る恐る鍾離さんは撫でた。 ……今はたと気づいたけど、もしかして鍾離さん小動物だからじゃなくて私が女だって言ったことをきちんと尊重してくれているのでは……? すぐさま私が立ち上がると鍾離さんはギクリとしたような顔で諸手を上げて無害アピールを始めた。 「……やじゃないです」 自分の今の手が短く鍾離さんの手には全然届かないので、仕方なく目の前にあるお腹にすりすりしてみた。お腹カッチカチやな。洗濯板でも仕込んでんのかな? 鍾離さんからの返事はない。でもさっきよりもずっと柔らかく、優しくなった手で背中がゆっくり撫でられ始める。 ……………なでなでマスターか? めちゃくちゃ気持ちいい……。 この歳になって人に撫でられることもなかったし、これ、こんなに気持ちよかったんだな……。 そう思いながら次第にウトウトしだした私を鍾離さんは起こすことも無くただただ黙って膝に乗せたまま撫で続けるのだった。
どれくらい眠っていたのか分からないけど、ふっと意識を取り戻したら鍾離さんは私を撫でたまま片手て本を読んでいた。 この決して長くないであろう時間の間に鍾離さんは完全になでるツボを会得していたらしく、何もかもが心地いい。 この安定感ある太ももも最高だし、ちょっと体温低いのか、鍾離さんのお膝とても心地よい。好き。 もう私一生この膝の上で生きていく……なんてことを考えながらまどろんでいたら鍾離さんの手が止まった。 「やっ!」 思わず続けろと言わんばかりに不満を声に出して鍾離さんを見上げたら鍾離さんが何とも言い難い表情で固まっていた。 それ見てようやくぱちっと目が覚めた私は、己の発言を思い返して顔から火が出るほど猛烈に恥ずかしくなった。三歳児じゃあるまいに……! 「あああああああの! おはようございます! とてもいいお天気ですね!」 「あ、あぁ」 外は昨夜からの雨続きである。 「すみません寝ぼけてました……。もうちゃんと目が覚めました。起きます」 人間の身体だったら飛び起きる勢いで目が覚めましたよ。 しかしまぁ、こっからどうしよう? お膝から飛び降りる? ちょっと怖くない? でも机の上に登るのもお行儀悪いし……と机を見上げれば、机の上からいい匂いが漂ってくる。 鼻をヒクつかせて後ろ足だけで立ち上がってみるが私の身長(全長?)では机の上までは届かなかった。 「机の上に置いてあるの、なんですか?」 「机?」 「なんだか、あまくて、いいにおい」 「あぁ。甘露茶だな。少し冷めているだろうが……飲むか?」 「ちょっとだけ欲しいです」 寝起きでのどがカラカラだ。 机の上に本を伏せると、代わりに茶器を手に取って、鍾離さんは私のすぐ目の前まで降ろしてくれた。 いい匂い。緑茶ではないけど落ち着く香りだ……。 「…………どうやって飲めば……?」 「直接飲めばいいだろう」 いいのか? ちらりと見えるこの茶器、めちゃくちゃお高そうだが? 獣に使わせていいのか? 思わず不安になって鍾離さんを見上げたものの、鍾離さんはまったく気にしてない様子だった。 お堅そうな雰囲気だから、そう言うことは気にする人かと思ってたけどそうでもないらしい。 「では遠慮なく」 冷めたお茶は私には丁度良くて、ちろちろ舌を伸ばして懸命にお茶を飲む……と言うか、私の感覚から言えば舐め啜っていればなぜか頭上から鍾離さんの喉の奥から響くようなうめき声が聞こえてきた。 この人もしかして小動物好きなのではなかろうか? 動物好きな人に悪い人はいないって言うし、なんだか安心してしまう。 「……ありがとうございます、鍾離さん。もう大丈夫です」 「たったそれだけでいいのか?」 「この身体ですし、たぶん私の胃袋って鍾離さんの拳の半分もないと思うんですよね? このお茶全部飲んだからおなかたぷたぷで動けなくなっちゃいます」 感覚で言えばこのお茶煽って一気飲みしたいくらいなのだが如何せんそうもいかない。 本来の身体とのギャップが自分でもいまいち把握できていないので色々と様子見ながら過ごさないといけなさそうだ。 「とりあえず、まずはどのくらい動けるのかですね! 私考えたらこの身体になってから鍾離さんにだっこしかされてないのでほぼ自分で動いてないです」 「そう言われてみれば……」 「お手数ですが、床に一度降ろしてもらえませんか?」 「わかった」 鍾離さんは頷くと、恭しく丁寧に両手で私を掬った。そしてそんなに緊張しなくても……ってくらい恐る恐る床におろした。例えるなら今にもはち切れそうな水風船を扱うかのように。 床に降ろされた私は、まずは地面の堅さをあ確かめるように両手両足(正確には四本足なんだけど自分としては手足の感覚なのだ)をたしたしとぶつけてみた。 当たり前だけど、肉球なるものがついたのは初めての経験で、なるほどこの肉球ってすごいと思った。 上等なスニーカー履いてるみたいだ。全然足の裏痛くならなさそう。その代わり地面とダイレクトだから地面から入ってくる触覚情報が多い。 動物の五感が鋭いのか、人間の五感が退化しきっているのかは定かじゃないけど、なんだかとても言葉にできない感覚に密かに感動していた。
「あっ、とりあえず兎だから飛んだりできるのかな?」 あっちへひょこひょこ、こっちへひょこひょこ歩いて回って、ある程度体の動きに馴染んだところで、ふとそう思ったのだ。 兎ではないのかもしれないけど、後ろ脚はしっかりしていて完全に兎のそれだ。ちょっと力を込めてみると飛べそうな予感はある。 物は試しだと、足にぐっと力を込めて床を蹴る。ふわりと宙に浮く感覚は人間の身体では感じたことのないものだった。 床は予想よりも遠くて、ずいぶんな跳躍力があったようだ。誤算である。 「わっ、わっ、わっ!」 そんなに高く飛べるとも思ってなくて着地の想定してなかった。 地面にたどり着く前にとっさに両手を突き出して顔面激突は免れたものの、二本だけで自重を支えきれるわけもなく、また重力によって生じた衝撃と言う名の痛みに耐えられなくて私はそのままごろごろと転がっていった。慣性の法則と言うやつである。 「いったーい!」 手がびりびりする! とっさに立ち上がることもなく床に倒れたまま痛みに耐えていたら鍾離さんが慌てて抱き上げてくれた。 「大丈夫か? 骨に異常は……」 「そ、それは大丈夫みたいです……うぅ、足に比べてなんとこの二本の弱いことよ……全然支えられないけど着地の仕方分からない……」 動物がジャンプするときって前足で着地してるイメージだけどあれどうやってんの? もしかして皆この激痛に耐えてるの? 理解できない。 「もう二度と飛びません……」 「そうしてくれ。みているこちらも肝が冷える」 はぁ、とため息をつきながら鍾離さんは私を撫でながら歩き出した。……うん? 「鍾離さん……?」 「少し外に出よう。何か分かることがあるかもしれないからな」 「あぁうんそれは良いのですが、お……降ろして……?」 「駄目だ。お前は俺が抱いて歩く」 「だ、駄目ですか……」 「危なっかしくて見ていられない。生まれたばかりの小鹿でももう少しまともに歩くだろう」 つまりはたから見ていてジャンプ云々以前に歩行からかなり怪しかったんだろう。しょうがないじゃん、二足歩行しかしたことないんだもん。 でも……まぁ、いいか。 外は雨だからどの道歩けなかっただろうし、鍾離さんの腕の中居心地いいので甘んじて受けよう。 小動物としての地位をなんだか確立していっている気がしつつも、私はそれに気づかないふりをして鍾離さんのなでなでに目を細めるのだった。
◇◆◇兎、食事する◇◆◇
鍾離さんはどうやら「先生」と呼ばれる地位の人らしい。どんな人なのかは、聞いたけど良く分からなかった。 カッケイって、なに? そんな難しい言葉知らん。 人にいろんなこと教える人だから先生って呼ばれているらしい。 「……先生?」 「なんだ」 「私も先生って呼んでいいですか?」 「構わないが……」 「この口、しょーりって、ちょっと言いにくいんです」 なんか、もしょもしょするって言うか……私の言葉に先生は好きにするといいとほほ笑んで頭を撫でてくれた。 なんか……聖母像みたいな雰囲気醸し出してるけど、なんでそんな慈愛に満ちた顔してるんだろう……? まぶしすぎて目がつぶれそうだ。
先生は町の中を色々と案内してくれた。 ここは璃月と言う国で、港を中心に栄える国らしい。 港の近くはいろんな店でにぎわっていて、見ていて飽きなかった。 特に屋台のような出店では新鮮な魚を作った料理が数多く並んでいて、私にはそのどれもが美味しそうで始終鼻をヒクつかせては先生に笑われていた。 行く先々で声を掛けられる先生は、どうやらこの港町にはなくてはならない存在のようだった。 でも、あくまで教えるだけの人なのでまとめ役とか、そう言うわけではないらしい。
しゃべると色々と面倒なので私は黙って先生の腕の中にいて、先生はこの腕の中の小動物の飼い主を探している、と言う体で人々に話を聞いて回っていた。 ポイントは主に昨夜の雷雨だった。 昨夜、何か変わったことはなかったかと言う先生の問いに対して人々の多くが「ひと際大きな雷がすぐそばで落ちたような音がした」と口にした。 聞こえた方角を聞けば指さす先は大体私が落ちていた場所だった。
「つまり、お前は雷とともにこの地に落ちてきたのかもしれないな」 「雷……?」 私は雷獣だった? 「この世界にも雷獣っているんですか?」 「雷獣とはまた違うが……それに近いものはいる。あれは狐だな」 「狐……」 「…………そう言えば、お前の姿はあれに少し似ているな」 「あれ?」 「その雷の力を持つ狐の神子だ。まぁ、眷属なのだとしたらこの璃月に落ちる理由が分からないが」 「……と、言うと?」 「神子がいるのはここではない、稲妻と言う国だ」 「稲妻とな……」 もうめちゃくちゃ雷の国じゃん……。 「あれ? って言うか日本語だ?」 「日本語? あぁ、お前の国の言葉か」 「なんだか先生と当たり前に会話できててから違和感なかったですけど、私この世界の言語は分からないはずなんです。でもその稲妻って国の名前は私のいた世界でもなじみのある言葉です。国の名前じゃ……ないけど。文字通り雷って意味の言葉です」 「そうか……ならば、多少なりと縁のある国かもしれない。近いうちに訪ねてみるとしよう」 「はい! ……因みにどんな国なんですか?」 「雷電将軍と言う神の国だ。つい先日まで鎖国をしていて、国交が開いたばかりの国だ。俺が知るのはその鎖国以前の稲妻だからあまり参考にはならないだろう」 「鎖国? この世界でもその国はほかの神の信仰を受け入れないために鎖国してたりしましたか?」 「当たらずとも遠からずだな」 「……私の住んでいた日本と少し似ているかもしれません。でも、時代が全然違う。私の国が鎖国をしていたのは何百年も前の事だし……」 「何かしらかの共通点はあるかもしれないし、あるいは元の世界に帰る手立ても見つかるかもしれん。だが今は待てるか? ここ、璃月で調べることを済ませてからだ」 「はい、大丈夫です。ありがとうございます」 「いい。いくら引退した身だと言えども、この国の小さな異変一つとして見逃すことは俺の性分には合わない」 「引退って……先生まだまだ現役でしょう?」 「こう見えて爺なんだ、俺は」 「またまた……」 先生が爺なら老人は化石か? 「ではその老師の今後の方針教えてください」 「そうだな」 老師と言う呼称が少しだけお気に召したのか、くすくす笑いながら先生はとある店の扉を指さした。 「よい時間だ、食事にしよう」 いいですけどペット同伴不可だと思いますよ。
***
と思っていたら、なんだかすんなり通されてしまった。 しかも個室。なんだかVIP待遇で怖い。お財布に大打撃っぽくて怖い。そして何より、先生の服ポケットないけど手ぶらなのが一番怖い。 所持品兎のみで食事しに来る客とか、店側からしたらろくでもない客としか思えない。 それでも店主はにこにこと愛想よく先生の事を歓迎しており、私にはふっかふかのクッション用意してくれた。 神対応過ぎて泣ける。お店の対応に応えるべく、不肖兎もどき、立派におとなしくして見せますとも! ……と思っていたらマイペースな先生によってひょいっと抱え上げられて膝に乗せられてしまった。 「先生? 食事中に動物を膝に乗せるのはいささかお行儀悪いのでは?」 「しかしここ以外でお前はどうやって食事するつもりだ」 「ここ以外って……」 ……え? 食事? なにが? 食材寄りの私がここで食事? 「いやいやいや! お気持ちは嬉しいですけど、連れて来た小動物にご飯あげてるの見たらお店の人、気を悪くしますって!」 「その気遣いは素直に好ましいが、今この場では不要だ。店主には許可を取っている。大事な外からの客人だと」 「その説明でクッションまで用意してくれるお店の人に感動しかないんだけど……なんて素敵なお店なんだ……」 「ははっ! それならぜひ店主に直接礼を言ってやってほしい。きっと喜ぶ」 「……しゃべっていいんですか?」 「ここは、大丈夫だ。問題ない」 ふむ……何やら事情通な人のお店と見た。 この世界、ちょっと驚きだったのが誰も彼もが不思議な力の存在を当たり前に認識しているのに、使える事やそう言う類の超常現象には驚くことだ。 この私と言う不可思議生物がどのくらい許される存在なのかがいまいちよく分からない。
お店の人が部屋に入ってきて、先生のお膝の上の私を見て少しだけ目を丸くしていたが、動揺は瞬時にしまい込んでにっこりと笑って見せた。 「お待たせいたしました。そちらの小さなお客様にはこちらを」 「……ありがとう、ございます」 いやだ、緊張して鼻ヒクヒクしてしまった。ちょうはずかしい。 ことり、と小さな音を立てて長椅子の先に置かれた小さな皿にあったのは、先生の分として用意された点心の半分よりもう少し小さいサイズの点心だった。 可愛い……食べやすいように細く切られた野菜もありがたい。なんせお口ちっさい生き物になってしまったがために色々と口に入らないのだ。 綺麗に盛られた料理と野菜を見てひそかに感動していたら「お気に召しましたか?」と声を掛けられた。 「はい、あの、お手間かけてごめんなさい。一個人として扱っていただけてとっても嬉しいです。ありがとうございます」 「いいえ、鍾離先生のご紹介ですから。おもてなしするのはこの璃月の民であれば当然です」 先生ったら慕われてる……! なんだかすごい人に拾われちゃったな、と今更ながら少しばかり気後れを感じた。 先生はまるで「よかったな」と言わんばかりに私の事撫でてて、なんだか名実ともにおじいちゃんみたいなってきてるし、それ見て店の人はほんわか微笑んでるし、お二人とも癒されてて大変に結構ですけど私は割と居心地悪いです。 これ多分私食べ始めた方がいい感じなのよね? それ待ちな雰囲気ひしひしと感じますよ? 恐る恐る、先生の膝から降りて皿に近づき、点心の先っちょをちょっとだけかじった。よかった熱くなかった。もぐもぐしてみるも皮だけだったのでろくな味もしない。 この状況で美味しいですは白々しすぎるのでもう少し食べてからにしようと、さっきよりもう少し口を開けてかじりついたら、中に入ってたのはえび真丈っぽいものだった。 「おいひ……あっ、お、おいしいです!」 なにこれおいしーい! なんだろうレンコン? なんかしゃくしゃくしてるのおいしい。くぅっ……! もっと口いっぱいに入れて噛んで食べたい! 「お口にあったようでよかったです。では、ごゆるりと」 そう言って店の人は部屋から出て行ってしまった。 夢中になってもぐもぐしてたら点心はあっという間になくなってしまった。 「よかったぁ、味覚は人の時のままで……」 もしも野菜しか食べれなかったら栄養としては問題なくても、精神的にストレスだったと思う。 あ、そうだそうだ。ちゃんと野菜も食べよ。バランスよい食事、大事。 細長いにんじんを咥えようとして、ちょっと上手くいかずにてこずっていたら先生がつまんでくれたので遠慮なく手ずからいただいた。贅沢だ。……うん、何がとは聞くなかれですよ。 私がしゃくしゃくしてる間に先生は先生で静かに食事してた。 なんだかお手本みたいな動作でご飯食べる人だな……マナー講座とかの教材観てる気分だ。 背筋もまっすぐだし、動作が優雅できれいだし、ついでに食べた後のお皿も綺麗だ。眼福ぅ……。
しかし、どうやら眼福なのは先生も同じだったみたいで、この小動物の食事風景にいたく感動していたらしいことはずっと後になって知ることになる。
食事を終え、店を後にした私たちは(ちなみにお支払いという工程は最初から存在しないかのようだった。怖くて聞いてない)薄暗い街の中をゆっくり歩いて帰路についていた。 「先生、私どうなっちゃうんでしょうか……」 改めて聞くことでもないが、なんとなく口をついて出たのはそんな不安だった。 何もかも分からない土地に放り出されたにしては破格の待遇であることは分かっている。 でもこのまま何のヒントも得られないまま、元の姿に戻ることもなく、元の世界に戻ることもなく、ずっとこのままだったらどうなってしまうんだろうと、漠然とした不安はどうしてもぬぐえなかった。 このまま生きていこうと決意するのはちょっと無理があった。せめて人に戻れればもう少し違っていたのかもしれないけど。 この誰かに頼らなければ雨の中を歩くことすらままならない兎もどきとして生きていこう! とは到底思えなかった。 「…………あれ? そう言えば雨……」 ずっと雨降ってるのに、そう言えば濡れてないな? 先生傘なんか持ってませんけども? 「………………あれ? なんで……?」 「気にするな」 「いや、気になりますけど! なんで濡れないの? ……あれっ? なんかよく見たら薄い膜が……?」 「なんだ、見えていたのか。あまりにも無反応なものだから視認できないものかと思っていた」 「だって今気づいたんですもん……視野が狭いのでおおよそ先生の腕しか見てませんでした」 どうやらバリアみたいなものが私たちをずっと覆っていたらしい。先生の仕業なんだろう。仕組みは不明。 先生は岩の力が使える? とかなんとか言っていたので多分岩の属性の人はそう言う防御にたけた力の持ち主なんだろう。知らんけど。 「私にもそう言うの、使えたりしませんかね?」 「それは無理だろう。この世界では神の目と呼ばれる……そうだな、特別な魔力器官をもたないと元素力を使うことはできない」 「神の目?」 「俺の背中に下げられている石だ」 「み、みえない……!」 「神の目は強い願望を持つ者に授けられる。お前が何か強く望めば、あるいは……だが、難しいだろうな」 「そんな気はします」 異邦人にこの世界のルールが適用されるとも思えない。 「がしかし、お前から元素力を感じるのも事実だ。雷……だろうな。水もわずかには感じるが」 「そう言うの、分かるものなんですか?」 「多少の心得があれば分かる人間もいるだろう」 「その元素力が私から感じるのって、どうし手てかって心当たりありますか?」 「あるとすれば、その力で攻撃されたくらいだろう。加護と言うものでもないようだ。その力を帯びているというだけの事で、それ以上でも以下でもない」 「そう、ですか……そしたら、雷に打たれたら元の世界に戻ったり……」 「可能性は否定しないが勧めはしないな」 「……まぁそうですよね、九割九分九厘、死にますよね」 「焦るな焦るな。まだ何も分からない状態で考えても良い案が浮かぶはずもない」 「はい……」 しょぼんと先生の腕の中で項垂れていれば、慰める様に先生の手が私を優しくなでた。 「もしも一生兎もどきのままだったら、先生が死ぬまで面倒見てお墓も作ってくださいね」 「…………任されよう」 後々考えれば、結構残酷なお願いをしたものである。機会があれば謝りたい。
◇◆◇兎、求婚(?)される◇◆◇
この世界に来てからの一ヶ月はあっという間だった。 鍾離先生も決して暇ではないので、私が元に戻る方法を探してくれるとは言ったものの毎日毎日それだけをするわけにもいかず、でも時間を見つけては手を尽くしてくれた。 先生がいない間は私は私でできることをしようと意気込んだものの、出来る事なんてたかが知れているどころではなく何もなかった。 なんてったって歩行すらおぼつかない駄目兎もどきなのだ。 まずは先生に抱えてもらわずとも歩けるように! を目標に家の中をぴょこぴょこ歩くこと一週間。つまりただのリハビリ生活を送って一週間。 すっかりこの身体には慣れて、なんならジャンプだってちょっと上手くできるくらいになってドヤ顔で先生にお披露目したら先生はあまりお気に召さない様子で、その後調べに出た時は歩けると言ったにもかかわらずずっと抱えられていた。 気持ちは分からなくもないけどやっぱりこちとら成人済みの性別女である。大勢の前で、子どもに囲まれるといたたまれない。 いや子どもたちは単純に可愛い動物を触りたくて集まっているだけなのは分かっている。 一緒にいる親が微笑ましく見ているのも、我が子と動物の戯れる姿が愛らしくてほっこりしているんだろうということくらい分かっている。 分かってるけど! 恥も外聞もなく男に抱っこされて日中堂々と闊歩している女をプークスしているようにしか! 思えなくて! 憤死しそうなんです! そこを必死に訴えてだから自分で歩きたいと言えば先生は真面目くさった顔で「目を離した隙に連れ去られでもしたら大変だから、そうであれば綱でつないでおくか……」とのたまった。 全然わかっちゃいねぇ。 概念SMプレイより概念お姫様抱っこの方がほんの少しだけましなような気がしたので抱っこを甘んじて受けている。
閑話休題
ここの生活にも慣れてきて、この世界の常識や、先生のセオリーをなんとなく把握することに一生懸命でその後の二週間は本当にあっという間だった。 あっという間と言うことはイコール何もなしえていないということで、端的に言うと私は元に戻れる方法なんて微塵も見つけられていなかった。 手がかりすらないのだからほぼお手上げである。 唯一気になると言えば私がいまだに雷の元素力を帯びているということくらいで、ただそれがそうと言う事実でしかないのでこれまた何の手掛かりにもならなかった。 なので先生が今度まとまった時間を作るから一度稲妻へと行ってみようかとなり、それがようやく実現しようとしていた。 稲妻へは先生だけでなく、先生が旅人と呼ぶちょっとどこか浮世離れした雰囲気のある男の子と、なんだかチャラい男(失礼)が同行することになった。 ……いや、チャラいは正確じゃない。胡散臭いの方があってる。タル……なんだっけ? 一回じゃ長い横文字の名前覚えられないからそのタル何とかさんは今回の旅路の仲間と言うことになるのだが、空くんと言う男の子を相棒と呼び、先生の事はライバルだと言いながら先生と呼ぶ、私がこの世界に来る前に璃月にとんでもない大惨事を巻き起こした張本人なのだとか。 この三人の関係どうなってんだ? 私がおかしいのか? 何故談笑できる? 怖いのだが? 関わりたくなくて先生の腕の中で丸まってしゃべれないふりをしてやり過ごすことにした。 勿論そんなことで二人の関心が私から逸れるわけもなく、これは何だと尋ねる二人に先生は素知らぬ顔で「稲妻から流れ着いたペットのようなので飼い主に返してやりたい」と話していた。無理がある。そんな先生の戯言にも似た事情説明を信じたのは空くんの更に同行者のパイモンちゃんだけだった。 あれがいっちばん意味わかんないけど一番かわいいと思った。仲良くなるならパイモンちゃんがいい。 「不思議な感じの動物だ。先生はどこで拾ったの?」 空くんが聞けば先生は璃月のとある場所を説明した。 「飼い主が神の目を持つのかもしれない。雷の元素力を帯びているから少し変わったものに見えるのだろう」 「あぁ、そう言えば稲妻の神使は雷の狐じゃなかったかな?」 「そうだ」 「これは兎……に見えるけど?」 「俺にもそう見える」 「先生が拾った動物で、そこと無関係ってのも無理があると思うんだけどねぇ」 無理があると言う点においては私も同意するけど、「そこ」ってどういう言う意味だタル何とかさん……めんどくさい、タルさんでいいや。 「俺自身にはもはや何の関係もない。勿論、この兎にも」 「そう言い張るんならそれでもいいけど……まぁ確認くらいはさせてほしいね。一応、同行する身としては、自分の身の安全はある程度確証が欲しい」 お前が! いうな! と思った私は悪くないはず。 なにしたか分からないけどお前テロリストなんだろ? 先生に聞いたぞ! 最も先生は「俺が苦手なものを璃月に連れて来た」とかなんかいたずらっ子くらいな言い方してたけどそうじゃないことは薄々分かってるんだからな! 絶対タルさんが一番危ないよ! 私何なら箸で殺せるくらいよわよわだよ! なんだか雲行きが怪しくなってきたので私もうここらでお暇させていただきたいのだが、幸か不幸か、私をかばうように先生ががっちりホールドしてくれているので逃げ出せません!
タルさんは黒幕の悪役みたいな笑みを浮かべて自分の弓を手に取ると、二つに割った。 …………なんで割った! 武器だよ! 弓は割るものじゃないよ! って言うかどんだけ剛力なの! と、思っていたら割れたはずの弓はなくなってて、代わりに両手には水でできた短剣が握られていた。あっ、なるほど元素力と言うやつ。 タルさん水属性って似合うね。水遊び似合う似合う。……ってそんなことを考えている場合じゃない! 空くんとパイモンちゃんは慌てているが武器持ってる危ない人に近づいちゃいけませんよ! 逃げて!
先生は油断せずタルさんと間合いを取っている。……バリア、張らないんだろうか? とふと疑問に思っていたら、目の前で武器を構えていたタルさんがこらえきれないようにぷっと噴出して笑い始めた。 武器を構えたまま大笑いし始めるのは快楽殺人者のセオリーだよ! ホントに怖いなこの人! 先生の腕の中で思わず「ひょぇぇぇ……」と情けない悲鳴を上げながらビビり散らかしていたら、大笑いしていたタルさんが口を開いた。 「襲われると見れば迎撃態勢でもとってボロが出るかと思いきや……ホントにただの動物みたいだ。安心したよ。……まぁ、そんなことより先生の態度の方が面白かったけどね」 どうやら本当に襲い掛かるつもりはなかったらしい。……本当に? なんとなくだけど、私が何かしらかの力が使えて応戦していたらそれはそれで、これ幸いに戦い挑んでいた気がする。 まぁ今回は試すつもりだというのが先生も分かってたんだろう。だからこそバリア張らなかったんだろうし。 「何でもないけど、先生にとっては何かしら特別なものみたいだ……それが分かっただけでも良しとしよう」 「俺の弱みになると思っているのならお門違いだ」 「どうだろうねぇ……? ま、とりあえずはそれをどうかする予定もないから安心してよ」 安心できませんけれども! なんだこれ! やっぱりめちゃくちゃ怖い私がおかしいのか? なんで皆「フーやれやれまたこいつはっ(ふふっ)」みたいな感じなの? 危ないから牢屋にでもいれといたほうがいいと思うよ! お巡りさんこいつです! 「さて、改めて稲妻へと向かおうか」 そう言って満足げなタルさんは両手の短剣を振ってどこかに消してしまった。 不思議な力、仕組みマジで不可解で短剣はきれいさっぱり言えてしまったのに、短剣を振った後の斬撃で残った水は消えずに残っていて、その水はそのままこちらにまっすぐ向かってくる。 やだ濡れる! と思ったが先生のバリアもとっさには間に合わず、いい高さにいた私が頭の先から尻尾の先までぐっしょりとそれを浴びることになった。
その瞬間、ばちっと、何かが弾けた。 程度で言えばちょっとピカッと光る静電気くらいの強さだった。まぁなので致命傷にはなり得ないけど思わず吃驚するくらいには痛い。 「いたっ!」 なので思わず、しゃべれない振りしようと思ってたのにはっきりと声に出して、ぴりりとしびれる手を引いた。 怪我じゃないんだからさすっても何もならないんだけど、思わず右手の指先を左手ですりすりしてしまう。あーもー痛かった! 「………………………………あれ?」
私今、右手を、左手で、握れてるな?
呆然としたまま見下ろせば、視界には見慣れたサイズの手があった。思い通りに動きますね? 視界も心なしか高くなってるし、遠くまで見えますね? 目の前の空くんとタルさんはなぜか拒絶するかのように明後日方向向いてるけどどうし……? 「………………………………ぁ」 あれちょっとまてなんだかずいぶんとかいほうてきなきがするぞ? 認めたくない事実にようやく至った思考が脳みそを再起動させて、私の羞恥心を煽るのと、先生が切羽詰まった顔で見たことない巨大な柱をおったててそれと自分とで隠す様に私を挟み込んだのは同時だった。 「服ーーーーーーーーーーーーーーーーー!」 全裸の兎だった私は、全裸の人間の姿に戻ったのだ。三人の男の前で。
***
「うっ、うっ、うっ……しにたい……ころせ……いっそころせ……」 肌触りは全然よくない布に丸まって地面に突っ伏して泣き続ける私を先生をはじめとした男三人は私の周りでおろおろとするばかりだった。 因みに私が丸まっている布は野営用のテントだ。 フリーズする男三人をよそにパイモンちゃんが空くんの荷物から引っ張り出してかけてくれたのだ。ありがとう、本当にありがとう。 「な、もう泣くなって。皆忘れるし、誰にも言わないから……な? ほ、ほら、タルタリヤが責任取って璃月で一番上等な服を買ってくれるって……な、そうだろ?」 「も、勿論! お詫びに何でも買ってあげるよ!」 と言うか急いで買ってくる! とタルさんは走り去っていった。逃げたんじゃなかろうかあの男。末代まで祟るからな! 「一瞬の事だったし、鍾離の柱のおかげで隠れてたからオイラたちからは何も見えなかったし」 「でもせんせいはぜんぶみた……なんならさわった……!」 「お、おう……そ、それは……事故、っていうか……しょうがなかったというか……鍾離だって悪気があったわけじゃ……」 「わかっ……わがっで、る、けどぉっ……!」 もう何もかもが恥ずかしくて、こうして駄々こねてる事実も恥ずかしいんだけどそうでもして現実を無理やり見ないふりしておかないといたたまれないのだ。 わんわん泣きわめく私にパイモンちゃんは困り果てていて、空くんは初対面の女にかける言葉もなくおろおろするばかりで、そんな中、鍾離先生だけが静かに、意を決したようにゆっくりと私に近づいてきた。 「本当にすまない。油断したつもりはなかったが、俺のせいでお前に恥をかかせてしまった」 私の頭上からざりざりと布を擦り合わせるような音がする。多分これは先生が私という塊を撫でているんだろう。 「せん、せ……のせいじゃ……」 「俺のせいだ。面倒を見ると約束をした俺が、きちんと責任を果たせなかった。これは別の形で償いをさせてほしい」 「っ、ん……うぅっ……そ、そんなに真面目に、とらないで、だいじょぶです……」 先生が本気で申し訳ないと思っているのが分かったから、私もちょっと落ち着いてきた。 ごしごし目を擦って涙をぬぐって、恐る恐る布から顔だけ出して鍾離先生を見上げれば、先生はほっとしたように目を細めてほほ笑んだ。 「お前はそんな顔をしていたのだな」 「……ちょっと待て。鍾離、お前この人が人間だって知らなかったのか?」 「知っていたがこの姿を見るのは初めてだ。俺は彼女が元の姿に戻れる方法を探すために稲妻に行こうとしていた」 「そうだったのか……鍾離の目的が分からなかったんだけど……なるほどなー」 「ごめんなさい取り乱しました……償いなんて大丈夫です。その、記憶から抹消していただければそれで……」 「そう言うわけにもいかない。それは契約不履行だ」 「けー、やく……?」 そんなことした覚えないけど、どうやら先生は随分と義理堅い人間らしい。有言実行というやつなんだろうか。 頑なな様子の先生に、空くんとパイモンちゃんは慣れた様子だった。いつものことなんだね……? 「でも、償いって言っても……タル……なんとかさんが服は買ってきてくれるって言うし、それ以外にこの件に関しては……」 「人はこういう時どうするのは一般的なんだろうか」 真面目くさった顔で先生は助けを求める様に空くんたちを見た。 それに対して空くんは考えるようなそぶりを見せるばかりで、パイモンちゃんはこの場を和ませようと「そういう時は嫁に貰うんだよな」と笑いながら言った。 「嫁……?」 「もうお嫁にいけないー! とか、よく言うだろ?」 「……そうか、それほど……」 ………………な、なんか、パイモンちゃんと先生の温度差が……? 先生の様子が想像と違っていたことにパイモンちゃんも違和感を覚えたらしく「しょ……鍾離……?」と少し不安げだし、そのすぐ隣の空くんはやっちまったな! と頭を抱えている。 「わかった。お前を辱めた責任を取って、お前を嫁に貰おう」 「言い方! そこまでの事はないです! 先生落ち着いて! 事故の償いにしては過分すぎます!」 「しかしそれはお前の世界の話だろう?」 「いや万国共通だと思いますけど! ね、ねっ! 空くんもそうでしょ?」 「そ、そうそう! これはちょっとした冗談って言うか……」 「しかし旅人も異邦人だ」 先に言えよ! 同意を求める相手間違えた! あぁでもタルさんいないし! ホントにあの男は! 絶対末代まで祟ってやる!
***
すったもんだの末、全く聞く耳持たなかった鍾離先生と、疲れ切った私と空くんとパイモンちゃんに出迎えられたタルさんは大きな包みを抱えたまま首を傾げていた。 「……これは、どういう状況で……?」 「改めて紹介しよう。俺の妻となる女性だ」 「え?」 「つい今しがたそう契約した」 「え? 今?」 ぎょっとしたように聞き返したタルさんだが、先生からは納得いく答えが得られないと瞬時に察したらしく私と空くんの方を向いて説明を求める顔をした。 私だってなんでこうなったのか聞きたいわボケェ……。 「無体を働いた責任とって嫁に貰うんですって……」 「は?」 「ただし事故だし、ちょっと見て触っただけだから未遂なので、誰かほかのいい婿が見つかるまで、あるいは元の世界に帰るまでの期間限定嫁になることには成功しました……」 「それ、成功なのかい……?」 成功だとも。誰がなんと言おうとも、私と空くんとパイモンちゃんにとっては成功だとも。 「……花嫁衣裳買ってきた方が良かったかな?」 うっせぇわ諸悪の根源め。 「とりあえず、服、ください……」 「着方大丈夫?」 「大丈夫です。あっち向いててください。……って、ちょ、先生! なんでこっち来るんですか!」 「着替えを手伝おうかと」 「やめてだいじょうぶむりぜったいいやだひとりできがえさせて!」 「せ、先生? さすがのオレもそれは止めるよ?」 「しかし……」 「いいからこっちにこい! 相棒! 先生押さえつけて! その間にお嫁ちゃんは着替えて!」 「嫁って言うな!」 どうしてこうなった! 誰か納得いく説明してくれ! 落としどころでもいいから!
因みに稲妻行きはお察しの通り延期になった。
◇◆◇兎、詐欺にあう◇◆◇
なんかもう意味わかんないけど結婚してしまった。 全くもって理解できない。私の世界みたいな手続きもなければ結婚式というものも勿論ないので実感も湧かないが、なんかびっくりするくらい鍾離先生の嫁として認識されるまでの時間が秒だった。語彙力も消し飛んだ。 街を歩けば「鍾離先生によろしく」とあいさつされ、びくびくしながらそれに返し、買い物い言えば「これで精のつくものでも」なんて今時びっくりなおせっかいで食材を渡され顔が引きつらないように必死になって笑顔を浮かべた。 断っておくが鍾離という人間自体を嫌っているわけではない。 無条件に、何の得にもならない私を助けてくれた恩人だ。むしろ好感を抱くほどだ。でも結婚したかったと聞かれると答えはノーだ。 仮にこの世界には恋愛結婚というものが存在しないのだとしても、私と先生の結婚はあり合えないものだと思う。だってあの破天荒を体現するタルさんがドン引きしたくらいだから間違いない。 って言うかそもそも私もだけど、先生も結婚をしたかったわけではない。契約を履行したかっただけだ。 仕方なさそうに空くんとタルさんが話してくれたけど、先生は契約を重んじる人間で、もう何年もそうやって生きてきているからその「重んじる」の優先度がケタ違いなんだとか。 因みにここで先生が見た目の百倍くらいは長生きなのを知った。この世界にはそう言う長生きする存在も要るらしい。爺は冗談でもなんでもなかったらしい。
それで行けば結婚以上に公平な償いがあればそれでいいんじゃないかと聞いたんだけど、それに対して二人が返したのはため息だけだった。 「普通ならね……ただ今回はもう先生がそれが償いとして妥当だとして契約を履行してしまっているから、今更覆らないよ」 「なんて融通の利かない……!」 私の言葉に空くんは乾いた笑いをこぼすばかりだったけど、タルさんだけはちょっと気がかりな点があるらしかった。 聞けば「まぁ結婚をなかったことにできるようなものではないんだけど」と前置きして彼は言った。 「普段からはちょっと想像できないくらい、この件に関して言えば頑固だと思っただけだよ」 「頑固……?」 「性急と言うか……もっと熟慮して吟味するタイプだろ? あの先生は」 「確かに、鍾離にしてはえらく短絡的だったよな」 「……つまり……どういうこと……?」 「だから何でもないさ。ただ……この契約は先生にとってはもしかしすると償いでもなんでもないのかもってことさ」 意味わかんねーぞお前、と思ったけど口には出さなかった。偉いぞ私。ツッコミどころ満載だけどタルさんテロリスト(仮)らしいから怖いもんね!
まぁこの不毛な会話の結論としてはどうしようもないの一言に尽きるんだけど。
そうして私は結局、鍾離の妻(仮)をやっているのだが、さてこのあからさまな食材をどう調理してやろうか……。 そもそも鰻なんか持たされてもさばけないんだけど。後は牡蠣と山芋……。 「そう言えば山芋を塗って使うって聞いたことあるな……」 滑りが良くなるのと、痒みで云々。 もしそう言う意図でこの山芋渡されてたら嫌だな。この世界で山芋イコールラブグッズ(婉曲表現)なんだとしたらこれを堂々と抱えて歩いてた私とんだ痴女じゃん。 「っていやいや……料理屋でもらったんだから違うはず……多分、きっとそう」
「何かおかしなことでも?」
突然、耳元でいい声でささやかれて飛び上がらんばかりに驚いてしまった。 「し、鍾離せんせ……! 脅かさないでください!」 「先に声をかけたが、気づかなかったのはお前の方だろう?」 「気づくまで声をかけてから近づいてください!」 自分でも何理不尽ほざいてんだって思うけど、そうでも言っておかないと現在距離感バグってる鍾離先生は問答無用で距離を詰めてくるのだ。 そもそも兎の頃は常に腕に抱いていたせいか、その時の感覚をそのまま続けてるのでめちゃくちゃ距離が近い。具体的に言うとくっついている。スマートに腰を抱いてくれるな心臓もたん! 「わかったわかった。そう目くじら立ててくれるな」 「もう……ホント先生は心臓に良くない……」 兎の時と態度が微塵も変わらないのでおそらく鍾離先生から見れば私は孫みたいなもんなんだろうけど、こっちはさほどイケメンに免疫のない一般人だ。心臓止まったらお前のせいだからな! 「ところで、こんな往来で立ち止まって何を悩んでいたんだ?」 「あぁ、いえ……今夜何作ろうかと思って……おすそ分けいただいたんですけど、これでどうしようかと……」 「なにを…………鰻か……」 腕に下げた桶の中に入っているにゅるにゅると動き回るものを見て先生は眉間に皺を寄せていた。 「……嫌いなんですか?」 「苦手だ」 「……じゃぁしょうがないですね! どうしようもないから誰かにあげちゃいましょう!」 「なんでそんなに嬉しそうなんだ」 「いえ別に!」 先生の注意が鰻に向いている間に山芋と牡蠣と、あともう一つの小さな包みを籠の奥底に押し込んだ。 先生が察するかどうかは分からないけど、察したらいたたまれないからね。私が買ったわけじゃないのに! 「荷物は俺が持とう」 「だ、大丈夫です!」 「お前が荷物を持って、俺が手ぶらなのは良くない」 「いいんです、男女平等! それに荷物持ってる方が落ち着くので!」 何言ってんだ私と思いながら先生を見れば何言ってんだお前って顔されてた。えぇ、えぇ、そうでしょうとも。でも気にしないでほしい。 家に帰るまでに私にはこの鰻を大海原に解き放ち、ついでに籠の底の包みを大地に返すという大事なミッションがあるんだから……! 「よほど貰った香膏が大事らしい」 「……………………ナンデ、シッテ……?」 「春香窯の店員が良いものを渡しておいたと教えてくれた」 「ああああの! それが大事とか、欲しかったとかそんなことは特になくって! なんなら押し付けられただけだからちょっと困ってたって言うかあの……!」 「何を渡したのかは知らなかったが……お前の反応を見るに、大体の想像はついた」 おっと墓穴を掘ってしまったらしい。 こうなれば開き直って「これは不要なものだから捨てます!」と言ってしまおうそうしよう。 そう思って、籠の中を漁って、布に包まれた掌に収まるくらいの小さな包みを取り出した。 「夜に使ったらいいって、なんかすごい色っぽいお姉さんに貰ったんですが、私たちには不要なものですし、かと言って誰かにあげるのもはしたないし、これは捨てておきますね」 あはは、と笑いながらピンク色の入れ物を見せれば、先生は少し考えるようなそぶりを見せたあと、私の手からひょいとそれを取り上げてその蓋を開けた。 「ちょ、先生……!」 「これの使い方を知っているか?」 「し、しらないですけどっ……! さすがになんとなくわかります!」 これは山芋なんかと違って正真正銘、そう言う意図で作られた軟膏なんだろう。練り香水で、その香りに催淫効果があるとか、なんかそんな感じの。 「確かにいい香りですけど、香りだけでその気にって……あは、あはは……えへへへへ」 なんと続けたらよいものなのかもわからず、文字通り笑ってごまかしている私を先生は面白そうに見下ろしていた。 「ずいぶんとおぼこい反応をするものだ」 「おぼっ……!」 何言ってんだこの人! 往来だぞ分かってんのか! 「なるほど、店員がお前に渡した理由が良く分かる」 くつくつと笑う先生は、その香膏を渡した時の店員さんと同じ顔をしていた。つまり、 「からかわれてるってことですね……?」 じろりと下から睨みつければ、先生は可笑しそうに笑うばかりで、でも否定はしなかった。 「璃月港っていろんな意味で老獪してる人が多いから嫌になります!」 「まぁそう言うな。皆、お前の事を好く思っての事だ」 「先生が優しいだけの人じゃないことはよっく分かりましたよ。ったく、人が悪いんだから……それかしてください」 「どうするつもりだ?」 「だから捨てます。……まぁいい香りだし、高そうなのでもったいないけど、手元に置いたままにしておくと延々と先生にからかわれそうなのでっ!」 「捨てるくらいなら今夜にでも使い切ってしまおうか」 「……………………は?」 今、なんか、とんでもないこと、いいませんでしたか? 「さぁ帰ろう」 「いやいやいやちょっと待ってください? 先生? 返して? なんで懐に入れるの? 返して? ねぇ返して?」 袖を引いて必死に懇願するも、先生は聞く耳持たず、香膏は返ってこなかった。
***
………………怖い…………。
家に帰って料理を作った。 私の世界では有名な山芋鉄板を作ったらすごく喜んで食べてくれた。僥倖だ。先生はB級グルメもいける。 「……B級グルメもいけてしまうから私みたいなのでもいけてしまうのでは……?」 いや、全然関係ないし、別に自分の事卑下したいわけではない。そこまで自分の評価低くない。 ただなんでこう、急ハンドル切ってくるんだ? そして先生何事もなかったかのよう過ぎて怖い。 勘違いでなければ私多分「今夜お前を抱く」と言われたはずだ。多分。意味わからんけど多分。
なんか一周回って怖い。
先生はサイコパスかなんかなのでは? 人の気持ち理解できないというか、何事も散歩に行くくらいの関心しかないのでは? くらい常に凪いでて怖い。 さっきみたいにからかってる様子でもあればまだ理解できたけど何事もなさ過ぎて怖い。 今までになんかそんな色っぽい空気が流れたことあったかと思い返すも、十日ほど前まで兎だった私と先生の間に色っぽい展開なんてあるわけもなく。って言うかあったら怖すぎる。 「あぁあれか。この世界では結婚イコール子作りなのか。なるほどなるほど、それなら理解できる」 理解できても心の準備は微塵もできないけど。 どうにかこの良く分からないけど多分初夜になるであろう今夜を回避できないものか……これまでの経験上、先生に相談したとことで却下されるだけだ。 よくよく考えると私のお願い、一個も聞いてもらえてない。なんかのらくら交わされてて全然気づいてなかったけど、本気で一個も聞いてくれてない。 なんと言うことだ、と愕然とした。 尊重はされてるけど、先生の意見と合わなかったものは全部言いくるめられていることにたった今気づいてしまった。 結婚(仮)してからはそれが顕著な気がする。 おかしいな! 亭主関白ではない気がするんだけど結果的に亭主関白になってるな! 「はっ、そうか! 人になってチョロさがモロ分かりなのかもしれない!」 小動物相手に言いくるめてやろうなんて大人げない考え、罪悪感も生じるから出てこないけど、人間相手だとそうはならないとかそんな感じか? …………これで行くとまるで先生が詐欺師みたいな言い方になるけど、でもそんな気がしてきた! つまりこの場合の解決法として取れる手はただ一つ! 「兎もどきに戻りさえすれば……!」 よくわかんないけど、タルさんに水ぶっかけてもらったら兎に戻るかもしれない! それがいい! 兎になったら抱くもクソもないし! 因みに水かぶった後にもう一回かぶったら意味なくね? ってご意見は聞こえません。 逃げればよいのです! たとえその場しのぎだとしても時間の猶予ができるのであれば……!
問題はタルさんがここにいないことですね。
タルさんは噂によると黄金屋という……何の店か分からないけど名前から想像するにお金持ち御用達のお店? にいるらしいけど、まぁそんな店の場所は知らない。 「詰んだ……!」 イチかバチか外に出てさ迷ってみるのも一つの手だけど、くれぐれも行先も告げずに出歩くなと先生にしかと約束させられている。 あの、厳密に公平を、契約を重んじると言う先生との約束だ。不履行の場合のしっぺ返しが恐ろしい。無理だ。マジで詰んだ。 「ってぇ! ぐるぐる考えごとしてたら外がすっかり暗く!」 体内時計で行くとそろそろ就寝時間だ。 寝室は、実は一緒だ。部屋数がそんなに多くないのと、兎の時は同じベッドで寝ていたこともあって(だって先生あったかくて寝心地いいんだもん)一緒の部屋に寝ることにさほど違和感がなかったのだ。同衾はさすがに無理だったけど。 とりあえず苦肉の策だけど先に寝てしまえばいいのではないかという浅い考えの元、慌ただしく寝支度を整えた私は先生のベッドに背を向けて、自分のベッドにもぐりこんだ。
緊張と不安で眠気ははるかかなただけど狸寝入りでやり過ごそう。 今日は割と温かいので布団にもぐりこんでいると暑いんだけどそうも言ってられない。 兎の時みたいに鼓動を早くしながら様子をうかがっていれば、きぃっとドアが軋んで先生が寝室に入ってきた気配がした。 瞬間、びくりとしそうになったのをこらえられた私、今日はきっと世界一偉かったと思う。
ま、そんなの先生はお構いなしに私の上に覆いかぶさってくるんですけどねっ!
「うおおああああああああ! びっくりしたあああああ!」 「やはり眠っていなかったな」 「寝てたらどうするつもりだったんですか!」 「起こすまでだ」 やだー譲歩の二文字が存在しないー。 「せ、先生……どうしちゃったんですか急に……」 「夫婦が初夜を迎えるのは自然なことだろう? 遅いくらいだ」 「世間一般ではそうかもしれませんけど、私たち、ほら、夫婦(仮)ですし!」 「夫婦(仮)……?」 そ……そんな、初耳ですが? みたいな顔しなくても……。 「どうやら俺とお前の認識に齟齬があるらしい。ここで改めておこう」 「こ、ここで……?」 ベッドの上で認識改めるって、それって身体に言い聞かせアッー! みたいなエロ漫画みたいな展開になるのでは……? と恐れおののいていたら先生は真面目くさった顔で私のベッドの上に正座した。 あっそうですよね。先生はそうですよね。私が馬鹿でしたすみません。 先生に倣って私も布団から這い出て先生の前に正座した。……いやこれ三つ指ついて不束者ですがってする直前じゃないですか……いや、まぁ状況だけを端的に言ったらまさにそれなんだけど……。 「今回の結婚という契約、俺がお前に無体を働いた償いと、その責任において、お前に誰かほかのいい婿が見つかるまで、あるいは元の世界に帰るまでの間はお前を俺の嫁としてもらい受けると言うものだったな」 「あ、はい……」 うん確かに一言一句違わずその通りなんだけど……なんでだろうか……なんだかニュアンスがちょっと……違うような……? 「そう言う俺との契約の更新だった」 「うん……?」 あれ……? やっぱなんかちょっと……あれっ? 今更新って言った? 「こ、こうしん……?」 「そうだ。当面の間は面倒を見ると言ったにもかかわらずそれを履行できなかった俺が改めてできることを提示し、お前はそれに頷いた」 「そ、そうですけどなんか違くないですかそれ? あれ? な、なんかちょっと待って……!」 「契約は旅人とパイモンと言う第三者の立ち合いの元、なされたものだ。一方的でもなんでもない。俺とお前、双方による契約を、な」 「そうですけど……! あれ待ってそしたら確認ですけど、ちょっと前までは私が元に戻れるまでの当面の面倒を見るって約束だったのが、私が誰かと結婚するか元の世界に帰るまでは結婚しますって言う事実上ただの結婚しましょうねって話だった……?」 「因みに、この国では重婚は禁じられているし俺からその結婚という契約を破棄することはない。あぁそれから、元素力を持つ旅人ですら元の世界に戻る方法は全く見つけられていない」 「…………詐欺だ! 結婚詐欺だ!」 「お前が聞けば話した。俺は契約において嘘偽りを口にするつもりはない」 「事実を口にしないつもりは大いになるって話ですよね!」 騙されたー! めちゃくちゃ騙された! タルさんが言ってた違和感ってこの事だったんだ! タルさん! 先生は熟考してましたよ! した結果畳みかけるのがいいと思っただけでしたよ! この狸爺め! 思わずくらりとめまいがするようで、枕に突っ伏した。 そんな私に、先生は楽しそうに笑い声をこぼしながら再び覆いかぶさってきた。 「…………いつから、そのつもりだったんですか……?」 これを聞くのはなんだかものすごく恥ずかしい。恥ずかしいが今聞いておかなければ後々もっと恥ずかしい思いをして聞くことになりそうだったので、今聞くことにした。 「そのつもり、とはどのことだろうか。結婚か、はたまたこの初夜のことか」 「結婚、です。いくら何でも唐突すぎます。どういう意図があってなんですか?」 「結婚に愛情以外に何が? ……あぁ、まぁ政略結婚というものは勿論存在するが、お前との結婚にはそれはあてはならないだろう?」 「そ、それは分かってますけど、それじゃぁ……いつから……? まさか、兎の時から……?」 兎の時からこいつ娶ってやるぜ! と思ってたってこと? 怖くね? 小動物に懸想する男だと? 「違う、と言い切ってしまうのも語弊があるが……お前が欲しいと思ったのは人間に戻ったときだ」 「出会って十分で求婚って、電光石火にもほどがある……」 お前の人となりは十分に知っていた。凡人となり、人の中での営みに伴侶と言うものが必要なことも分かっていたから、お前が人間であれば連れ添うのも悪くないと思ってはいた」 あぁ、それで兎の時からではないとも言えないってことですか……あ、ありがたいけど恥ずかしい。嬉しい。憤死する。 「お前の泣き顔を見て、確信した」 「いや言ってることだいぶ酷いですからね?」 サディストなのか? マゾっぽくはないけども……。
頭がパンクしそうなほどの情報量でぶっこまれた事実に私はうなるばかりだが、悔しいかな、腑に落ちてしまった。 今まで不可解だった先生の行動と態度が、全部当たり前に結婚した夫婦のそれだと思えば、別に何らおかしくない。 妻の行動を制限したり、迎えに来たり、ちょっかい出したり、ただの愛妻家ってだけだ。 「うぅぅぅぅぅ……すぱだりはひきょう……」 「お前の使う言葉はたまに良く分からないが……あきらめがついたようだな?」 「はいぃ……」 諦めと言う言葉で言ってしまってよかったのか。 そう思いながら見上げた鍾離先生の顔は満足そうだったので、あぁもうこれはもろ手を挙げて降参するしかないなって。 「……元の世界に未練がないわけじゃないんですよ」 「あぁ分かっている。だから俺はその未練が消し飛ぶくらいにお前を大事にしよう」 いやもうなんだ! 私脳みそ爆発してないかな! 大丈夫かこれ! やっぱいつかこの人のせいで心臓止まって死ぬ気がする! 「お、お手柔らかにおねがいしましゅ……」 最悪だ、噛んだ。もう色々しにたい。 いっそ気を失ってしまえばなんか楽な気がするけど、私に唇を寄せてくる先生の壮絶な色気に心臓が活発過ぎて気を失えそうにもない。 唇が触れるのを合図に、私は観念したようにそっと目を閉じて先生の首に腕を回すのだった。
◇◆◇兎、名を偽る◇◆◇
諸般の事情により、ふかふかのソファが欲しかった私はある日鍾離先生にそれをおねだりした。 調度品にも並々ならぬこだわりのある先生はいい顔しなかったが、私の世界ではふかふかのソファが普通で、あれがないと困るとやんわり嘘をついたらしぶしぶ頷いてくれた。
「丁度いい荷馬車が借りられてよかったですね」 あくる日、ソファを買いに出かけることになったのだが大きさが大きさなので徒歩で買いに行けるはずもなく、人から荷馬車を借り、それにごとごと揺られながらちょっと遠出をしている。 と言うのも、璃月にあるのはどれも私には固いソファ(と言うか長椅子)ばかりで、気に入らず、そうしたらモンドになら要望通りの家具があると聞いたのでモンドまで足を延ばすことにしたのだ。 モンドまでの道中は絶対に安全とも言い切れないので護衛兼、荷物持ち兼、お財布のタルさんが同行している。 何でも結婚祝いにソファ買ってくれるんだとか。太っ腹!
ところでこの荷馬車、勿論荷台はあるにせよ、人が座れるのは二人分だけだ。馬を引く人と、その隣に。 最初荷台に乗ろうと思ったのだが、私の世界とは違って全く舗装されていない道に、ゴムで覆われていない車輪と言う相性最悪な二つがそりゃもうガッタガタに揺れた。痔になる! と慌てた私は、ちょうど同行するタルさんに頼んで、出立前に水ぶっかけてもらっていた。 数日ぶりの兎もどきである。 先生のお膝の上も久しぶりで、その心地よさにご満悦な私は荷馬車にごとごと揺られながら、先生のお膝の上でまどろんでいた。 「先生の嫁になるなんてどんな子かと思ったけど、おおらかだねぇ」 私の何をどうして「おおらか」と認めたのかは全くもって分からないけど、まぁ先生と生活するようになってからと言うもの先生の考え方に少し似てきた自覚はある。 「ちょっとした新婚旅行だろうに、同行者に俺を選ぶ当たり、肝が太いというか、なんと言うか」 「……しんこんりょこう?」 しんこんりょこう……新婚……旅行……新婚旅行! ホントだ! って言うかなんなら璃月から出るのこれが初めてだ。 やったー! 労せずしてソファが手に入るー! ってことしか頭になかった! ど、通りで先生が今朝からずっとご不満なわけだ……! 私有無を言わさず兎になっちゃったし……! 「せ、せんせ……? 怒ってますか?」 「なにに怒ることがある。お前が嬉しいのであればそれでいい」 ぐ、ぅ……! スパダリはあいかわらずだった……! しかも今兎の姿だから先生の眼差しがいつもの三倍くらい慈愛に満ち満ちていてなんかもういっそまぶしい……! 堪らなくなって先生のおなかにすりすりしてたら先生が私の背中を優しくなでてくれる。ふあぁきもちい……。 「せんせい、せかいいちすき……むり……」 もうすっかり身も心もぐずっぐずになるくらい懐柔されている私は先生の一挙手一投足に全面降伏する毎日である。 「あのー……もしもし? 俺の事お忘れでない?」 「タルさんは黙っててください」 「はいはい……」
***
「そう言えば風の噂に聞いたけど、稲妻の神子とひと悶着あったんだって?」 川沿いに進んでいれば、岩肌が目立っていた地面が青々としはじめ、ずいぶん様変わりしたころにタルさんが思い出したようにそう尋ねてきた。 「ひと悶着とは人聞きの悪い。言っときますけど、私はその神子さんには会ったことないですからね」 正確に言えば、稲妻の八重神子に使えるという巫女さんとひと悶着あったのだ。
鎖国のとけた稲妻との国交は徐々に増えてきていて、近頃は璃月の中でも私にはなじみのある和装の人間をちらほら見るようになっていた。 その和装がつい懐かしくてその人に声をかけ、稲妻と言う国について尋ねたのが、今思えば良くなかったのかもしれない。 詳細は長くなるから省くけど、鎖国してからの稲妻の事ばかり聞く、なんだか妙に稲妻らしき土地に詳しくて、かつての稲妻の事はまるで昨日の事のように語る、なんだか雷の元素力をほんのり宿した私を見て彼女ははっと何かに思い至ったらしくこう聞いてきたのだ。 「貴女はもしや獣の姿をとることもあるのではありませんか?」 と。びっくりしたよね。神通力ってやつ? 千里眼? さすが巫女! と興奮して、そうなんです! 兎みたいな動物の姿にもなるんです! と答えたら巫女さんはなぜかバチクソキレた。意味が分からなくてぽかんとしていたらこうしちゃいられない! 八重神子様の元へお連れしなければ! と何やら意気込んでいるご様子。もう訳が分からないよね?
「おち、落ち着いてください……! いったいどうしたんですか? 大変なことでもあったんですか?」 「当たり前です! 八重神子様の眷属がまさかこんな地に縛り付けられていたんて……!」 「何の話でしょうか!」 なんかピタゴラスイッチのごとく絶妙な感じに部分部分を切り取って解釈した彼女は、私の事を「かつて稲妻に住んでいた八重神子の眷属の神使」と盛大に勘違いしたらしい。 改めて言うけど稲妻なんて住むどころか行ったこともないし、八重神子なる人物は初耳でミリも知らない。 でもそう言えば私、先生が語って聞かせるままに数百年も前の事を「こんなこともあったんですってね」なんて昨日の話をするように話しちゃったね。そんなことがあったの? と巫女さん目ぇ真ん丸にしてたもんね。知らないことも知ってる人間なんて怪しいよね。 「あの、全てが誤解なんですが特にこの地に縛り付けられているって言うその誤解はいったいどこから……」 「貴女からは確かに雷の元素力を感じます。水も……これは感じると言うよりも天敵のように水に対する斥力のようなものを感じます。しかし……しかし! 問題はその岩の元素力です! なんですかその檻から出さないと言わんばかりに雁字搦めなそれは! この地に貴女を縛り付けるものです!」 「あ……あー……あぁ……それ、はー……その」 それはたぶん旦那さんのめちゃくちゃ大人げない加護と言う名の牽制なのだと思うのですが……。いっつもバリア張られてて急な雨でも安心っ! くらいにしか思ってなかったけど、そうか……これ、私が璃月から勝手に出てかないようになってたのか……。そんなつもり微塵もなかったから知りもしなかった。 元の世界に帰る方法はほぼ見つかるわけないと分かってるくせにそれでもなお縛り付けるんだ……ウン、なんか、その……。 「な、なぜそのように頬を染めるのですか……」 巫女さんはドン引きしていた。 「はっ! まさか……洗脳!」 「違いますが? って言うかあの、ちょっと落ち着いて……! 私ただちょっと兎もどきになる一般人ですから、そんな大層な方の眷属なんかじゃ……!」 「一般人の説明ではありません!」 「それはそうなんですけど!」 とまぁこんな感じで、兎にも角にも稲妻に連れて帰るウーマン巫女さんと、騒ぎを聞きつけてやってきて事情を理解した途端絶対に帰らせないマン鍾離先生の熾烈なる舌戦が繰り広げられ、最終的にらちが明かないと悟った先生が文をしたためて将軍と神子にこれを渡せと巫女さんに問答無用で押し付けて、ごり押しで勝ち逃げした。
後日すっかり恐縮しきった様子の巫女さんが……いや恐縮どころじゃないな? なんかもう恐怖でガッタガタに震えながら「こちらを、お預かりしてきました……」と二通の文を先生に差し出すと、土下座してありとあらゆる謝罪を並べ立てて、逃げるように稲妻へと帰っていった。 「……先生、なにしたんですか?」 「俺は何もしていない。向こうで彼女をしっかり説得してくれたのであろう」 お手紙出したの、将軍と神子でしたよね? その二人から説得されるってとんだ拷問じゃないの? 大丈夫? ひどいことされてない? そしてなんであの巫女さんはあんなにも鍾離先生に怯えてたんだ? そこが一番不思議で首を傾げていたら「お前は知らなくていい」と私のつむじに口付けていた。積極的にごまかされてあげましょう! そうして私は当事者なのにろくに事の顛末も分からないまま終えてしまったのだった。
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「とまぁこんないきさつで」 「神子からは面白そうだから近々つれて来いと言われただけだ」 「連れてったら返してもらえなくなるかもね?」 「そうなればこちらも相応の態度で臨むまでだ」 不穏な空気を感じたが気のせい気のせい。 「でも、私なんで雷の元素力がずっと消えないんでしょうね?」 「お前の元の世界で、何かしらの縁があったのかもしれない」 「縁?」 「そうだ。もっとも、知るすべはないが……」 「まぁ、うちの近く稲荷神社もあったしそのせいかな……?」 何にせよ、先生の言う通り知るすべはないんだから考えたってしょうがない。 神の目を持つことはないだろうけど、精々水の元素力を浴びたらばちっと静電気おこるくらいの元素力なんて元々あってないようなものだし気にするだけ無駄かもしれない。 あの巫女さんだって「それより岩の元素力の方が問題」って言ってたくらいだし。 「そう言えば、元素って雷と岩と水の他って、風、火、氷……」 「草」 「え? ……あ、あぁ、草」 そうだ、ここでいっつも「ポケモンじゃん!」て内心突っ込むんだった。 「その残りの四つの元素使う人、私見たことないです」 「もうすぐ着くモンドには風の元素が満ちている。あの国の神は風の神だ。風に攫われないよう気をつけろ。あれはふらふらと面白そうなものを見つければどこへでも漂っていくからな」 「は、い……?」 風の、話よね? 人の話? 何の話? 良く分からないけど知らない土地なので気を付けなければいけないのは当然の事なので素直に頷いておいた。まぁ今兎なので耳がそよそよ揺れただけなんだけど。
長い時間かけてようやくたどり着いたモンドと言う国は、ヨーロッパのような街並みで、これまた圧巻だった。 「お、お城だー」 「目的の店は向こうだよ」 「タルさんよく知ってるね」 「相棒とモンドには来るからね」 テロしに? まさかな……。相変わらずこのタルさんが何してる人なのか良く分からない。勝手にヤのつく自由業の方だと思っている。 荷馬車は邪魔になるので城外に置いて、ここからは徒歩だ。私以外は。私は勿論先生の腕の中である。 最近は肩に乗るのも覚えたのでよじ登って先生の肩に前足引っかけてぷらぷらとぶら下がった。ここの方が景色がいいんだ。それに何より小声でしゃべれるから人前での会話がしやすい。
少し歩いたところで角を曲がったときだった。 前方からなんか赤い塊が向かってくる。私の視界だとまん丸い赤が突撃してきてるようにしか見えない。 「こんにちは! タルタリヤお兄ちゃん! 鍾離せんせい!」 赤い真ん丸は、どうやら女の子のかぶっている帽子のようだ。近づいたその赤い丸の左右からぴょこんと可愛らしいおさげ髪が揺れている。 「やぁクレーちゃん、久しぶりだね」 「二人だけなんて珍しいね? 旅人さんは? パイモンちゃんは?」 「ごめんよ。今日はその二人は生憎お留守番なんだ」 タルさんが意外にも小さな子の相手に慣れていることに驚きつつ、やり取りをうかがっていれば、女の子は「そっかぁ……」とあからさまにがっかりしていた。 「パイモンちゃんと一緒に遊びたかったのに……」 「次は一緒に来るよ」 「クレー、今日はお城から出ちゃダメってジン団長に言われてるの……」 「またいたずらしたのかい?」 「してないもん! 今日は雨が降るからお城にいなさいって……」 お外に遊びに行きたかった、としょんぼりする幼女、なんか、可愛い。お顔見たい。でもこの高さからだと全然見えない。 「せんせ、せんせ。ちょっと降ろしてください。ご挨拶したいです」 「そうだな。クレー、パイモンはいないが代わりの遊び相手ならいるぞ」 「かわり……?」 肩にしがみついていた私にはどうやら気が付かなかったらしいクレーちゃんは(先生背ぇ高いもんね。見えないよね)先生が肩から掴んで降ろした私を見て、ぱぁっと表情を明るくした。あっ、むり可愛いまぶしい……! 「ドドコだぁ……!」 ……ど、どど……どどこ……? なん……? 「すごい! すごい! 先生もドドコが家族になったんだ!」 「ドドコではないが……家族だ」 「ふぅん……? でもそうだよね、ドドコはクレーのドドコだけだもん! 先生のとこの子は、お名前なんて言うの?」 名前……? あれこれ馬鹿正直に自分の名前いったら後々人間の姿で会った時に微妙なことにならないか? 奥さんの名前つけた兎を家族だって紹介する鍾離先生……人間関係に溝を作りそうだ。 「私の名前はミッフィーだよ」 著作権もここでは治外法権である。 「しゃべった! すごい!」 「そうだよ、私はおしゃべりできるよ」 「すごーい! 先生のドドコ……じゃなかった、ミッフィーすごい! おしゃべりできるの、いいなぁ……! クレーもドドコとおしゃべりしたい」 「クレーちゃんのドドコはどこ?」 「ドドコとはいつも一緒だよ。ほら、ここ!」 そう言ってクレーちゃんはランドセルにぶら下げた白いぬいぐるみを見せてくれた。なるほど兎っぽい……。 「ドドコはクレーちゃんといつも一緒ですごく嬉しそう」 「うん! クレーもドドコと一緒にいるのすごく楽しいよ。遊びに行くのも、冒険も、ずっとずーっと一緒なんだよ」 「いいね。ドドコが羨ましいな」 「じゃあミッフィーも一緒に冒険する?」 「でもクレーちゃん今日はお外に行けないんでしょう?」 「あ……そう、だった……」 「今日はね、鍾離先生のおうちに置くソファをみんなで買いに来たんだ。クレーちゃんも一緒に行く?」 「行くー」 「じゃぁ一緒に遊ぼう?」 「うん! ……あ、先生……クレー、ミッフィー抱っこしたい」 流石の先生も子どものお願いを無下にするほど大人げなくはなかった。 微笑ましそうにクレーちゃんを見下ろして、その腕の中に私を降ろした。 「……ふわふわぁ」 ぴこぴこ揺れるクレーちゃんのお耳も兎見たいだった。エルフ? 私をぎゅっと抱きしめて頬ずりするクレーちゃん。多分よそから見たらめっちゃ可愛いことなってると思うんだが如何せん私じゃそれを見れないのが心底悔やまれる。 どこのお店に行くの? というクレーちゃんの問いにタルさんが店の名前を言うと「クレーが案内してあげる!」と意気揚々と歩き出した。 何が楽しいのやら、こっちまでつられて心が弾んでくるようなクレーちゃんの足取りに知らず知らずのうちに笑い声がこぼれてしまう。 「ミッフィー楽しい?」 「うん、すごく楽しい」 「えへへ、クレーも楽しい。ドドコも一緒だし、お兄ちゃんも先生も一緒だし!」 もうこんなの天使じゃん。連れて帰りたい。
案内された店で四人(三人と一匹)でいろいろ吟味して回った結果、「このソファが一番ふかふか!」とクレーちゃん一押しのソファを購入することになった。 決め手はその後に続いた「ミッフィーの手触りにそっくり」である。鍾離先生が一も二もなくこれにしようと食い気味で決めた。 少し時間があるからと、帰り道にお茶してクレーちゃんにケーキの上のイチゴ分けてもらったり、クレーちゃんのランドセルの中身見せてもらって恐れおののいたりしつつ……楽しい時間はあっという間である。 赤くなり始めた空を見上げて先生が「そろそろ帰るとするか」と言った。 「…………やだ! まだ遊ぶ!」 薄々、そうなるのではないかと思っていました。 クレーちゃん天使のように可愛らしく、始終楽しそうだった。 喜んでいただけて何よりだが、喜ばせすぎたらしい。 「ミッフィーとまだ遊ぶの……」 大きな目に今にもこぼれそうな涙を浮かべて私を抱きしめるクレーちゃんの姿は基本的に保護者気質のタルさん先生の両名にクリティカルヒットした。 困り果てた顔であれやこれやとクレーちゃんをなだめるが、結局クレーちゃんはぽろぽろと泣き出してしまった。あぁん、罪悪感……! 私にもクリティカルヒットだ。 「あ、あのね、クレーちゃん……私もクレーちゃんも、暗くなる前に帰らないと……ジンだんちょ……さん? が心配するよ」 「ミッフィーもいっしょに、かえるの……!」 「また遊びに来るから……ね? 私も自分のおうちに帰らないといけないんだ」 「やだぁ……!」 これは困った……可哀想だが、じゃぁまだ遊びましょうというわけにもいかない。 大人がいるとは言え、子どもを遅くまで連れまわすものではない。それこそ保護者が心配するだろう。 「クレーちゃん、さよならって言えたらこんにちははまたちゃんとできるんだよ。さよならできない子にはこんにちはできなくなっちゃうよ。私はまたクレーちゃんにこんにちはしたいから、今日はちゃんとさようならしよう。ね?」 「………………」 「次はちゃんとお泊りするつもりで来るから」 「……つぎ……いつ……?」 「ん……と……」 いつ? いつなの? そこばっかりは先生に答えてもらわないと困る……! 助け舟を求めて先生を見上げれば、先生は少し考えこんだ後、クレーちゃんの頭を撫でてこういった。 「俺から代理団長殿に話そう。許可が出れば今度騎士団の誰かと一緒に璃月に遊びに来るといい」 その提案は、クレーちゃんにはすこぶる良いものだったらしい。そう言えば冒険行きたいって何度も言ってたもんな……。 「じゃぁそのためにもクレーちゃんはわがまま言わないでちゃんとさようならしないといけないね」 「わかった。クレー、ちゃんとおうち帰る」 「送っていこう。代理団長殿にも会わなければならないからな」 「鍾離先生、頑張ってね……!」 ぐっと拳を握るクレーちゃんの期待に応えるべく、先生はしっかりとうなづきクレーちゃんを連れて歩き出した。
クレーちゃんが晴れて璃月の地に遊びにくる話は、そう遠くないうちにできることだろう。
目が覚めたら兎もどきになってた夢主がイケメンこと鍾離先生と同衾していたラブコメ。
R18部分は本のみです。