昨日、安倍元総理が銃弾に倒れた。
突然のことで言葉がでなかった。
まだまだ活躍していただきたかっただけに悔しい思いでならない。
謹んでお悔やみ申し上げます。
しかし、一国の元総理が亡くなったのに、各党の党首の発言は何という浅はかな発言なのだろうと思った方もいるのではないか?
「これは民主主義への挑戦である」
「排除しなければならない」
毎日ウクライナでは戦士が亡くなっている。
プーチンのワガママでやむなく戦場にでざるをえなかったロシア軍兵士も不運な死を遂げている。
この戦争での兵士の戦士(の死)も「民主主義への挑戦」なのか?
いくら国政選挙の戦い中であっても「総理の死=民主主義への挑戦=排除」という言葉は国会議員以外は使っていない。
昨日書いた「行政の生活保護者をバカにした」こと、それに今回の安倍元総理の逝去後の党首の発言にしろ、「行政」「立法」の方々は我々国民の感覚とはやはりずれている。
以前にも書いたが、「司法」「立法」「行政」に携わる人たちは「憲法を遵守しなけばならない義務」を負う。
「憲法を遵守する」という自覚がないことが、このような軽率な発言・行動を生むのではないだろうか?
話題を昨日の話に戻そう。
私は明らかに「弱者」だ、皆様はいかがだろうか?
私が「健常者」の頃はまさか自分が「弱者」しかも「障害者」になるとは夢にも思っていなかった。
しかも一度「障害者」になってから這い上がってここまで来るのに「14年」かかった。
だが私を「障害者」にした「その方」は全く反省もしていなければ、私の「自業自得」と笑っている。
いくら人生100年だからと言って、44歳の時に「障害者」になり、今の58歳の私が社会で生きていくのは並大抵のことではない。
このことはM警察に「私宅の家宅捜索を指示」した「司法」、「その方」にそそのかされて私宅を「家宅捜索」し、M警察に出頭させた「警察」には全く理解する余地もないだろう。
メディアも国会議員も「SNS上で誹謗中傷した人は重い罰を受けるべきだ」と豪語しているが、だったら「被害者が加害者をSNS上で謝罪を求めた」場合も「誹謗中傷」にあたるのか?
だとしたら、被害者が救われる道はないではないか!
なぜいつも「弱者(被害者)」は「泣き寝入り」を強いられなければならないのか?
ある人がこんなことを私に言ったことがある。
「仕事は健常者に任せて、障がい者は生活保護受けて、じっとしていてくれ。へたに外に出られても迷惑するだけだ」。
人間は「平等」ではないのか?
「障害者」はもはや「人間」ではないのか?
小田原市役所の職員の一部は未だに「生活保護を差別したことが正しい」と思っているようだ(筆者取材による)。
恐らく、小田原市のケースは「氷山の一角」であり、他にも多くの自治体が同じようなことを思っているのかもしれない。
【DAIAMONDONLINE】「生活保護なめんな」ジャンパーだけじゃない、という記事が掲載されていた。
小田原市の福祉不毛地帯ぶり
「保護なめんな」は氷山の一角?「またか」と悪評高い小田原市の実態
2017年1月17日に明らかになった、小田原市「保護なめんな」ジャンパー問題は、3週間が経過した現在も話題になり続けている。
これは、神奈川県小田原市の生活保護担当職員が、ローマ字および英文で「保護なめんな」「我々は正義だ」「(不正受給しようとする人々に)あえて言おう。クズであると」などと書かれた揃いのジャンパーを着て、生活保護受給者の自宅への訪問を含む業務を行っていたというものだ(参照:現代ビジネス/大西連氏記事『「生活保護なめんな」ジャンパーが冒涜したもの』)。
その後、「ジャンパーは2007年からつくられていた」「当初は福祉事務所内だけで着用するつもりだった」「夏向けにTシャツもあった」「携帯ストラップもマグカップも」といった事実も明らかにされている。
翌1月18日、社会運動家の稲葉剛氏は、小田原市ホームページにあった生活保護制度の解説が誤っており、利用できない可能性ばかりが列挙されていて、違法性が高いことを自身のブログで指摘した。小田原市は、問題のあった記述を同日中に修正した。
翌週の1月24日には、生活保護問題対策全国会議のメンバーら7名が小田原市役所を訪問し、事前に送付していた公開質問状に基づく申し入れと意見交換を行った(参照:ハフィントンポスト/雨宮処凛氏記事)。小田原市は、ホームページに「お詫び」を掲載した。また、1月24日の記者会見で、第三者も含めた検証・不足していたケースワーカーの増員を行う考えを明らかにした(参照:日経新聞記事)。
検証委員会には、生活保護を必要とする人々の権利擁護に取り組んできた弁護士・森川清氏、および生活保護受給経験を持つ和久井みちる氏(参照記事)が参加する予定である(生活保護問題対策会議による)。当事者目線・当事者経験を持つ人々による生活保護制度運用の検証には、大いに期待できそうだ。
それにしても、正直なところ「また?」という印象だった。小田原市に限らず全国で、生活保護の申請に行った人々や、生活保護を受給している人々から、「生活保護ケースワーカーや相談員に困らされ、泣かされ、屈辱を味わわされている」という話を、私はあまりにも度々耳にしているからだ。年に最低2回と定められている訪問調査のときに土足で上がりこまれたとか、ズカズカと屋内に入り込まれて冷蔵庫やタンスを勝手に開けられたとか、精神の不調を抱えている人が気絶するまで罵倒を続けたとか……。
小田原市ジャンパー問題が明るみに出た頃、私の周辺ではそういう事例が同時多発的に持ち上がっていた。小田原市に行く時間を取れなかった私は、近所のスーパーでスイーツのデコレーションに使うチョコペンを購入し、毎日、おやつのクッキーや饅頭に「生活保護」と書き、「ナメたら甘い生活保護」を味わって一息ついていた。「保護なめんな」というジャンパーの文言へのささやかな抵抗だ。
それにしても、小田原市の問題点は生活保護だけなのだろうか。生活保護で何か問題が起こる自治体は、福祉全般に問題を抱えていることが多い。そこで、神奈川県内・小田原市の近くにある精神科病院で、長年ソーシャルワーカーとして働く友人のカオル(47)に「小田原市って、どう?」と尋ねてみた。
◆あまりにも不親切な小田原市ホームページの障害福祉情報
カオルは「あの『保護なめんな』ジャンパーの報道を見たとき、『ああ、小田原だからなあ』と思ったよ」と、話を切り出した。
「小田原市は、いわゆる『福祉不毛地帯』なんだよ。入院している患者さんの住所が小田原市だとわかると、『ああ、残念だなあ』と思うよ。障害福祉も児童福祉もとにかく福祉が貧弱だから、退院してからが大変。実際、暮らしていけなくて、病状が悪化して、またすぐ入院しなきゃいけなかったりすることもあるし」
その患者さんは、入院する前も「健康で文化的」と言える生活はできていなかったのだろう。しかし入院は、病院のスタッフの支援のもと、普段の生活を立て直すきっかけともなり得る。退院後の病状を安定させるためにも、何か異変や不調を感じたら気軽に医療機関を受診できることや、ヘルパー派遣などの支援を受けられることは重要だ。
しかし、「でも小田原市は本当に、あれもない、これもないという、使えない感じなんだよ」とカオルは言う。そこで私は、改めて小田原市のホームページを確認してみた。
まず、「障害者支援」ページを見てみると、障害者福祉に関する各種メニューが列挙されているだけだ。誰が何を利用できるのか、さっぱりわからない。それでもメゲずに、目を皿のようにして「障害者支援」ページを見てみると、下の方に「障害福祉サービスについて」とある。ここを見れば良さそうだ。
ところがクリックしてみると、「利用するまでの流れについては、厚生労働省監修のパンフレット(略)ご覧ください」「利用を希望される場合は、まず、障がい福祉課または相談支援事業者にご相談ください」と淡々と書かれているだけだ。
「困ったときに頼ってほしい」と思っているのなら、情報提供ページをこんなつくりにはしないだろう。もしかすると、「ご相談」に行かざるを得ないようにウェブページをつくっておき、うかうか1人で「ご相談」に来た障害者や家族を、聞き取りや対話の中で、利用を断念せざるを得ない状況に追い込もうということなのかもしれない。
小田原市が実際にはそうではないことを願いたいが、生活保護で「水際作戦」として知られる利用抑制・申請妨害は、障害者福祉にもある。周囲には経験者が少なからずいるし、私自身も経験した。少なくとも、このウェブページのつくりから、「小田原市では、障害福祉の“水際作戦““硫黄島作戦“はなさそうだ」と確信することはできない。
◆神奈川県内で堂々のブービー賞「20万都市」精神保健福祉の貧しさ
さて、精神障害者福祉に関する情報はどこだろうか。探しに探してやっと、「精神保健福祉ガイドブック」を発見できた。精神障害だけなら、このガイドブックで必要な情報が得られるかもしれない。でも重複障害の場合はどうか。まず、どこに相談に行けばいいのだろうか。
昨日まで障害者でも障害者家族でもなかった人々が、このどこまでも不親切な小田原市ホームページから、必要な障害者福祉情報にたどり着けるとは、とても思えない。
では、小田原市の精神保健福祉は、実際のところどうなのだろうか。地域で生活する精神障害者の生活や病状の安定は、不調のときに病院に行くことができるかどうかで、大きく左右される。このため、貧困状態でも通院できるように、様々な助成制度が設けられている。精神疾患による通院であれば、国の制度である「自立支援医療」による医療費助成が受けられる。
しかし、精神障害者が必要とする医療は、精神科だけで事足りるわけではない。虫歯にもなれば、インフルエンザにも罹る。精神障害者の精神疾患以外の病気をカバーするため、「重度障害者医療費助成制度」が存在し、都道府県単位で実施されている。ところが地域によっては、同じ障害でも適用対象となったりならなかったりするのだ。なんと東京都では、精神障害者が対象とされていない。
◆では、神奈川県内の各市区町村ではどうなっているのだろうか。
「いい医療.com」の「重度障害者医療費助成制度 市町村別一覧」を見てみると、市町村によって大きな差がある。まず神奈川県基準では、精神障害者保健福祉手帳1級(以下、精神障害1級)では通院のみ対象、精神障害2級では対象とならない。各自治体は、独自の判断で県基準の一部負担金をなくしたり、対象者を拡大したりするなど若干は充実させている。
この内容を整理したのが以下の表だ。神奈川県基準よりも充実している部分を黄色で示し、「幸福の黄色いセル」が多い市町村を左側に、少ない市町村を右側に配置した。
並べて眺めてみると、精神障害者に対する医療費助成の充実ぶりには、若干は自治体の財政的体力が関係しているようだ。とはいえ、「自治体が豊かなら、精神障害者福祉も豊か」と言い切れるほど明確な関係性は見えない。財政体力の問題というよりは、取り組み姿勢が表れている観がある。小田原市は全12ランクのうち、充実している方から11ランク目、堂々のブービー賞だ。
◆県の基準に違反してはいないが……。市町村裁量の「充実度」はほぼゼロ
小田原市の精神障害者は、障害等級が1級なら精神疾患以外の病気でも通院だけは無料になる。しかし入院まではカバーされない。2級なら、通院を含めて精神疾患以外の病気に対する医療費助成が存在しない状態だ。また、在宅重度障害者等手当(年間6万円)も、小田原市の場合、精神障害だけでは対象にならない。重度身体障害との重複、重度知的障害との重複、身体+知的+精神の重複障害でないと対象にならないのだ。
この現状にカオルは怒る。
「小田原市は、市町村裁量の部分がゼロに近いだけ。神奈川県の基準に違反しているわけではないんだけどさ、小さい町ならともかく小田原市レベルの中都市では、あ・り・え・ない! だよ」
その現状は、どのような問題をもたらすだろうか。「小田原市では、入院が必要な人が入院できなかったりするんだよ。児童福祉も障害福祉も貧弱すぎ、社会資源が足りなさすぎるから」とカオルは言うが、どういうことだろうか。
◆全体が「残念」な小田原市の福祉何もかもが機能していないのか?
「小田原市は、障害があっても障害者手帳を持ってないとか、障害者手帳を持っててもヘルパー派遣などの支援を受けるための『障害支援区分』の認定を受けてないので利用できる制度がないとか、認定を受けてても期限が切れたままそれっきりとか、本当によくあるんだ。生活全般に支援が必要なお宅でも、支援を受けるために必要な前提となるものがないわけ」(カオル)
それでは、生活が成り立たないではないか。
「精神障害などの障害があっても、ヘルパーさんに家事援助に入ってもらったり、相談支援(介護保険のケアマネに該当)の担当者に日常の金銭管理の相談に乗ってもらったりしていれば、それなりに暮らせるはずなんだよ。でも、病院に来た小田原市の患者さんが日常生活に困ってるから聞いてみたら、相談支援の担当者もいない状態でね。小田原市の福祉課に電話で問い合わせてみたら、福祉課はその患者さんの状況を把握してなかった」(カオル)
その家庭に子どもがいたら、いったいどうなるのだろうか。
「もし、生活全体に支援が必要な家庭で、血縁者の協力が得られない状況だったら、親の病状が悪化したら、すぐ、子どもの生活全体に影響が出るからね。でも、障害者福祉と児童福祉とか他部署との連携、小田原市の場合は、こちらが言って初めてやってくれる感じ」(カオル)
障害者福祉、児童福祉、生活保護。もちろん、小田原市にも、それぞれを担当する部署がある。県の児童相談所もある。でも、カオルによれば、小田原市役所内の連携は全くスムーズではないし、そもそも福祉に使える資源の総量が不足している感じだ。
「結局、社会資源があまりにも足りないと、ちょっとやそっとの周囲のフォローがあっても、どうにもならないね」(カオル)
そうは言っても、地域には民生委員がいるだろう。困難を抱えた家庭や人々のSOSを何らかの形で行政に届ける方法は、ありそうな気がする。民生委員も福祉職員も含めて、小田原市では何もかも機能していないのだろうか。
「でもさ、『支援が必要だ』と発信する能力の低い世帯には、自治体福祉のシステムは介入できないからね。そこに介入するのが福祉課だと思うけど、そういうシステムになってないから、現場を責める気はしない。それに、行政のヒューマン・リソースも足りてないんじゃないかな」(カオル)
◆問題は人員の不足ではなく「気持ち」にあるのでは?
ジャンパー問題で、小田原市の生活保護ケースワーカーは若干不足していることが明らかになった。でも、それほど大きな不足ではない。問題は、人数ではないどこかにありそうだ。
「まだ、小田原市の生活保護担当とやりとりしたことはないけど、あのジャンパー着てた時点で『全体が残念な役所なんだろうな』と思った。障害者福祉が脆弱ってことは、もちろん生活保護とも連動するはずだからさ」(カオル)
今、お住まいの自治体の福祉サービスを利用していないあなたが、明日障害者にならないという保障はない。そのときに初めて、「この地域では生きていけない」と気づいたら大変すぎる。もしも同時に生活保護を必要とする状態になったら、他自治体への転居も簡単にはできない。
「自治体によって、『障害福祉は悪くないけど生活保護はイマイチ』とか、その逆とか、色々あるね。小さすぎる自治体で福祉が貧弱になるのは、内情を考えると無理もないし、担当者の当たり外れもあるし。でも公務員だったら、せめて最低レベルはクリアして欲しいよ」とカオルは言う。私も同感だ。どこに住んでも「大ハズレ」だけは引かないという安心は、私も欲しい。「そんな安心、別に欲しくない」という人はいないだろう。
「保護なめんな」ジャンパーで話題になり、反省と方針転換を迫られている小田原市の福祉の今後に、「期待しすぎないように」と自分に言い聞かせながら、少しだけ期待したい。
他方【東洋経済】若い貧困者が「生活保護はズルい」と思うワケと題して以下に持論を展開しています。
◆若い貧困者が「生活保護はズルい」と思うワケ生活保護者は、働かずに飲んだくれている?
「もし食い物万引きしちゃいけないって言うなら、3日間公園の水だけ飲んで暮らしてみればいいんすよ」と言う青年K君は、なぜ生活保護を「ズルい」と言うのか?
「でも生活保護とかズルくないっすか?」
この質問は、取材活動の中でも端々で聞かれる。しかも、貧困の中で育った若者や、貧困者に近しい環境にいた者からも聞かれる。
たとえば前回の冒頭で「もし食い物万引きしちゃいけないって言うなら、3日間公園の水だけ飲んで暮らしてみればいいんすよ。非行少年なんか、親が3日飯食わせなかったら誰だってなるんすよ」と発言した青年もそうだった。
取材時に25歳だったK君は、まさにかつて子どもの貧困の当事者だった青年だ。母親と父親のなれそめは、母親がキャバクラでバイトをしながら専門学校に通っていたときで、父親は年の離れた元客だった。父の仕事は不動産の営業だったが、バブルの崩壊で父親は借金を抱えて失職し、母親へのDVもあったために離婚。
小学校に上がったばかりだったK君は母親とともに、某県の公営住宅で独り暮らしをしていた母の父親のところに身を寄せたという。
◆働かず毎日ワンカップを飲んでる祖父
「それで、ジジイが生活保護(受給者)だったんですけど、初めて部屋入ったときの臭いは忘れられない。リアルにうんこ。汚物の臭いで、俺、絶対こんなとこじゃ寝れないって思った。ばあちゃんはもう死んでて、ジジイは働かないで生活保護受けて、毎日ワンカップ飲んでるんですよ。母親は美容師の専門学校を途中でやめちゃった人なんで資格とか特になくて、地元に戻ったのはもともと付き合ってた男が狙いだったみたいで、ジジイの生活保護の金をむしって遊んでました。あとからわかったことですけど。でも当然、俺、母親の代わりにジジイに殴られますよね。金返せって」
殴られるのが嫌だから、祖父の部屋には帰りたくない。そう母親に言ったのは小学3年生の夏休み中。すると母親はK君に千円を渡して自力で何とかしろと言った。
「そっから母親は1週間帰ってきませんでした。夏休み中だったから給食もなくて、小学3年でホームレスですよ、俺は。千円なんか駄菓子食ってるだけで4日でなくなりましたよね。そのころは地元の友達もあんまりいなかったし、むしろ俺はジジイの部屋の臭いが服に移って、臭いって言われてたし。それで、母ちゃんいつ帰ってくるんだろうって、母親が帰ってきたらすぐにわかる団地の近くの公園でブラブラして、夜だけジジイの部屋の超臭い玄関で寝て、ジジイが起きる前に部屋逃げ出すんですよ」
◆祖父を頼らず、食べ物を万引き
渡された千円がなくなり、3日空腹に耐えたが母親は帰ってこなかった。母親は、さすがに金がなくなれば祖父が飯を食わすと思ったのだろうか。だがK君は祖父を頼らず、近くの食材店で食べ物を万引きして、その場で店員に保護されたのだという。
「母親じゃなくてジジイが迎えに来て、歯が1本しかねえ汚ねぇ口で『今度やるときは酒盗んで来いや』って言われた。母親にはあとからフルタコ(ぼこぼこ)にされました」
その後のK君は、一時的に児童養護施設に預けられたり母親の友人女性宅に置き去りにされたりしつつ、中学生のときにはしっかり鬼剃りパンチ(こめかみを極端に剃り込んだパンチパーマ)の不良少年のできあがり。
度重なる補導に少年院を経験し、その少年院人脈を頼って17歳で上京独立。それからは振り込め詐欺界隈で「仕事」をし、現在では飲食店の共同経営者をしているという。
「中学校のころは、同じ団地の友達でやっぱ親とかジジイとかが生活保護受けてる奴がけっこういて、生活保護の受給日になるとジジイ捕まえてフルタコにして、金奪って地元の先輩への納金とかカンパとかに当ててましたね。そうしたらジジイ、無駄に体力あるんで“その金持ってかれたら酒が飲めねえだろ、パチンコ行けねえだろ”ってえれえ形相で追っかけてくるんですよ。そんとき俺は思いましたよね。ジジイてめえ、そんだけフルタコ食って走れる元気あるなら働けよって。母親も結局まともに仕事しないで生活保護受けてたときありましたしね。鈴木さん、これでも生活保護受けてる奴ってズルくないって思いますか?」
やばい。これは強敵である。
実は、昨今、生活保護制度に対して強い偏見や差別感情を持つ者には2種類あって、一方はネット情報鵜呑みで生活保護受給者など一度も見たことがない空想世界のお兄さんたち。もう一方で少なくないのは、K君のようにそれまでの人生の中で実際に身近に受給者が居た者だ。当然のことながら、後者に生活保護制度の必要性を説くほうが難題。
だが僕はこれまでの取材の中で、貧困者を差別し攻撃する元貧困者や貧困当事者との対話も重ねてきた中で、ちょっとしたズルい物語を考えてきた。
それが「連れションと月イチ生理の謎」だ。
◆なぜ人は「連れション」するのか
「K君は、女の人が集団生活を始めると、なぜか生理の周期がそろうようになるって話を聞いたことある?」
「ないっすね」
「じゃあK君は、友達と連れションしたことある? なんで人は、連れションするんだと思う」
「どっちが遠くに飛ぶか競うため?」
ちげーよ。だがK君は少し興味をひかれたようだ。
「じゃあK君は、人類の発祥がアフリカだって話は知ってる?」
「まあ、らしいっすね。それと連れション関係あるんすか?」
それが超関係あるんだよ、と言うと、K君は身を乗り出してきた。
「人類はアフリカで生まれて、そこから世界中に広まった。けどそれは当然原始時代の話だから、みんな足で移動したわけ。そう考えると、人類はそもそも『集団で旅をする生き物』だった。でも集団で移動するとき、誰かが小便したくなるたびに全体の足を止めてたら、全然旅が進まないでしょ? 女の人が生理になるたびに止まれないでしょ。だから人類はこうした旅を止めなければいけない生理現象はみんなで一緒にする。連れションするし、女性の生理は共同生活をしているとペースがそろってくるわけ」
「ほおおおおおおお」
実はこの情報のソースは僕の記憶にもうっすらで、たぶんSF小説の大家である故半村良氏の作品だった気がするが、ソースの信憑性はどうあれ、こうしたたとえは若者、特に知的好奇心の強い男子にはすこぶる引きが強い。
「で、それと生活保護と何の関係が?」
「人が群で移動する理由は、同じ場所に定住していると人口が増えて、自然採取の食物が足りなくなって、そこで争いが起きるから。だからより長く安定して暮らせる場所を求めて人類は旅をしてきたし、安定して同じ場所に暮らすために農耕を発達させてきた。となると、農耕発祥以前の旅する人類の目的は、安住の地にたどりついて、そこで社会を築くことなわけ。でも、その旅の途中で群の誰かが怪我して倒れたらどうしよう? 放っておく? 実はここでその怪我人を乗せて旅を続ける担架が、生活保護なんだ」
「ちょっと意味わかんないっすね」
「じゃその先を考えてみようか。旅する人類の目標は、旅の目的地に到達して、そこで安定した社会を築くこと。でも社会を作るには、働き手が沢山必要になる。木を切って井戸を掘って家を建てて畑を作って道路を整備して、そういう社会基盤を作るためには、働き手が必要でしょ? でも、辛い旅の途中で怪我した人をみんな置き去りにして来たら、せっかく安住の地に辿り着いても人手が足りない!ってなって困るわけ。だから、一時的に怪我をして働いたり歩いたりできなくなっている人は、まだ歩ける人が担架に乗っけて目的地まで運ぶ」
「でも日本人はもう旅なんかしてないっすけど。先祖は朝鮮とかモンゴルとかとのミックスなんですよね」
◆なぜ年中あちこちで道路工事をやるのか
よし、完全に食いついた。というか、元詐欺犯のK君は日本人のルーツに興味があるのか。
「確かにそうだよ。いまの日本は民族移動してるわけじゃないけれど、1カ所に定住した後に集団が発展していくのは、旅と同じことだとも考えられるだろ。それに一度作った社会基盤を維持存続させていく段階でも働き手は必要。たとえばK君ってクルマ好きだよね。K君のヴェルファイアが普段走ってる道路のアスファルト舗装って、何年持つか知ってる?」
「ん~、50年ぐらいですかね?」
「いや、基本設計では10年の耐久性ってことになってる。10年で壊れてくるから、年中あちこちで道路工事ってやってるわけだ。道路だけじゃなく、ガスも電気も水道も建物も、人が作って社会のために役立てているモノには全部寿命があって、作り続ける人手がないと、社会っていうのは維持ができないものなわけ」
「なるほど……そういえばこの間久しぶりに地元に戻ったら、団地の近くの道がボッコボコにヒビとか入って穴も開いてて、車が通れる道なのに普通にコンクリから雑草生えてましたね」
それはまた相当に貧しい自治体だな……などという僕の驚きは隠して、ここからがズルい物語の締めだ。
「となると、やっぱり担架があったほうがいいよね。みんながヒイヒイ言って歩いてる横を担架に乗ってる人がいたらズルいって思うかもしれないけど、集団の最終目的のためには彼らも必要な人材なんだ。そのためにあるのが、生活保護って制度なわけ」
さあ、反応はどうだ? 基本的にはこのロジックで、大体の若者は「なるほど!」となってくれる。結果ありきで誘導的な説話だが、1日のうち数時間をまとめサイトの閲覧に費やしているようなタイプの若者には、その後の考察の端緒を与えることはできる。だがK君の場合はどうだろうか。
「でも鈴木さん」
ヤバい。やっぱり彼は強敵だった。
「その考えでいったら、目的地に到着した先でも、その組織のために働けない人は、担架に乗せる必要はないですよね。たとえば障害者とか、高齢者とか……。保護したところで、あとから道路工事する人になれないっすよね」
集団ではなく組織ときたか……。さて困った。実際に生活保護の受給者は近年とみに高齢者、母子世帯、障害・傷病者に集中する傾向にある。その大半は働「か」ない人たちではなく、働「け」ない人たち。彼らを担架に乗せる理由は何だろう。
そもそも生活保護法の根拠は憲法25条の国民の「生存権」にあるが、そうした法解釈は非常に専門的な議論で肌感覚が薄く、前段の連れション理論のほうがよほど説得力をもつ。
◆「詐欺犯罪」で洗脳される若者
まして、これまでの僕の著書にも書いてきたことだが、ことに特殊詐欺犯罪の界隈では有資産の高齢者から金を奪うことを正当化する洗脳的研修が日常的になっている。日本の金融資産の大半を高齢者が保有していることや若者の貧困をソースにして、「大金を持つ高齢者から多少の金を奪うことは最悪の犯罪ではないし、金のない若者からさらにむしろうとする行為よりはマシ」「むしろ高齢者をターゲットにした詐欺は、非合法の再分配である」といった理屈の刷り込みが行われている。
K君もまさにこうした洗脳を受けているから、連れションの説話は簡単に「やっぱ老人騙す詐欺は悪くない。金抱えてもう働かない奴から金取るのは悪いことじゃない」というロジックの裏付けにされてしまいかねない。
だがここで僕が思うのはどうやってその先を説諭すればいいのかではない。あふれるのは、なんてもったいないんだろうという、ため息だ。
K君は明らかに、かつて子どもの貧困の当事者であって、今も貧困の生い立ちの被害者だ。今はかつての犯罪収益金を種銭に飲食経営事業などやっているが、元詐欺犯の飲食経営が何年もうまく続いたケースを見たことなんてない。落ち目になればまた裏稼業の世界に戻り、生き馬の目を抜く裏社会の中で時代の趨(すう)勢についていけなければ、いつか逮捕されて出所後には自らが大人の貧困の当事者になりかねない。
カラッとした快活な性格で、よく笑い、友達思いで、なによりすこぶる頭の回転が早くて、こんなK君が中卒の院卒(少年院卒)なのだ。もし環境が違ったら、彼はどんな人材になっていたのだろう。そう思うと、その社会の喪失感がなによりも悔しいが、実はこうした反応は、昨今のブラック企業でバリバリ働いてしまっている若者にも少なくないものだ。
ともあれ必要なのは、この働「け」なくなっている人たちを社会がケアする根拠と方法について、連れション理論と同じぐらいの肌感覚で。
確かに「生活保護」の中にはどうしようもない人がいる。
だが「そこだけをデフォルメ」して、「生活保護者全体を軽視する姿勢」は完全に間違っている。
私がこのブログで主張したいのは、懸命に頑張っている人たちに「救いの手を」なぜ誰もさしのばさないのか?
なぜ「司法」も「立法」も「行政」も引っ張ってあげようとしないのか?
ということだ。
しかも前述した「カオル」さんの会話でもわかるように、「司法」「行政」は「弱者」を救うどころか「ダニ」のように扱い、「人間」として扱わない。
「弱者」が社会で活躍すれば、国には所得税が増えるわけだし、消費も増え、消費税も増すだろう。
だが「懸命に這い上がろうとしている弱者」を「逮捕」したり、「いじめ」たり、あるいは「いじめられる」するのを見て見ぬふりするのでは、「弱者」は永遠に「弱者」のままにするだけだ。
だから日本は海外から「冷たい国」とバカにされるのだ。
日本が成長する時代は終わった。
今後は人口が減り続け、西暦2100年には「純日本人」の人口は6500万人、3200年には「純日本人の人口」は2000人になり、やがて「絶滅」する。
生活保護の中にも、生活保護を受けていない無職な人の中にも、優秀、真面目な人がいることを忘れてもらいたくない。
その為には我々が「法律」を守るのと同じに、「司法」「立法」「行政」及び「検察」「警察」は「日本国憲法を遵守」する必要があるのではないか?
彼ら(「司法」「立法」「行政」に携わっている人)は「強者」であるが、世の中には「何かの拍子でレールから外れて」しまい「弱者」になった人はたくさんいる。
また私のように「言葉の暴力」を受け「弱者(障害者)」になったり、事件事故、パワハラ、セクハラに巻き込まれ、自宅に引きこもりしている人もいる(東京、名古屋、大阪で計100万人!!)
どうか、真面目な「弱者」を救ってください。
いじめないでください。
見て見ぬふりしないでください。
逮捕をちらつかせないでください。
何度もいうが「憲法」は我々国民が守る決まりではなく、「司法」「立法」「行政」が遵守するものだ!!
「憲法」を遵守し、もう一度「憲法の意義」をしっかりとかみしめてほしいと思う。
人間に「上下」はない!!
日本ではこのような議論が全くないのが何とも悲しい……
(続く)