【連載⑨】『障害者の私』が自ら命を絶つ前に皆さんにお聞きしたいこと | 東山凛太朗のブログ
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日本にはいかにも日本人らしい伝統的なスポーツがあります。「柔道」です。柔道の大会では仮に1回戦で負けても「敗者復活戦」があり、『2回目のチャンス』が与えられます。

 

「敗者復活戦」とはとても日本人らしい「優しい配慮」だと思います。しかしこれを実際の人生に当てはめてみたらどうでしょうか?

まあ35歳くらいまでは本人がその気になれば「人生の敗者復活」もできるでしょうが、それ以上の年齢になると多くの人は「負け組」つまり「敗者復活」できません!

 

特に「弱者」「障害者」は「そうなった時点で既に試合終了」であり、よほどのことがない限り、残りの人生でのし上がることはできません。

 

【PREDIDENT ONLINE】では東大祝辞の核心「日本は世界一冷たい国」というタイトルで日本の現状をズバリ解説しています。

東京大学入学式での上野千鶴子名誉教授の祝辞が話題を呼んでいる。コミュニケーションストラテジストの岡本純子氏は「上野氏は『自分が勝ち抜くことだけを目指すな』と訴えた。多くのデータは、日本が敗者や弱者を排除する『世界一冷たい国』であることを示している。上野氏のメッセージはその危機感の表れだろう」と指摘する――。

上野千鶴子氏のメッセージに耳を貸さない冷酷日本。

4月12日に行われた東京大学の入学式での上野千鶴子名誉教授の祝辞が「刺激的」「奥深い」と話題になっている。

 

祝辞の全文を読み、筆者もかつて「ワセジョ」(早稲田大学の女子学生)時代、女子大との合同サークルの活動中に他大の女子ばかりをチヤホヤするワセダの男子たちに腹を立てていたことを思い出した。

女性差別についての論考については、受け取り方はさまざまあるだろうなと感じつつも、筆者の心に最もガツンときたのは、以下の部分だ。

《世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと……たちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください》

日本のエリートの卵たちに投げかけられたのは、勝ち抜くことだけを目指すのではなく、恵まれない人々を助けることに目を向けろ、というメッセージだった。

「失敗する人間は徹底的にたたくべし」「何もかもが自己責任。迷惑はかけないが、かけられるのはもってのほか」「人は自分の成功や人生に責任を持てばよく、他人のことにかまう暇はない」――。

そんな声ばかりが勢いを増しているように感じるこの国で、「利己の目的ばかりを追うのではなく、ほかの誰かの幸せを考え、支えあって生きていくべきだ」という、人間としてまっとうなメッセージが、こうして声高に叫ばれ、そして、多くの共感を集めていることに少しの安堵を覚えた。

 

◆「国は貧しい人々の面倒を見るべき」とはあまり考えない

というのも、最近とみに「日本は世界一、冷たい国ではないか」と思えてならないからだ。この感覚は、筆者個人の印象ではない。海外の国々と比較したデータでも裏付けられている。


◆弱者を見殺しにする日本の冷酷すぎるデータ

「貧しい人々の面倒を見るべき」とは答えなかった4割の日本人は「そもそも、貧困とは、貧しくなる人たちのせいなのだから、国として助けるべきではない」という考えなのだろうか。

 

上野氏が指摘したように、「たまたま恵まれた環境と能力と運」によって、分かれ道ができただけであり、いつ自分が向こう側の人間になるかなど、わからない。離婚、不登校、引きこもり、虐待、介護、死別、病気、事故、加齢など、誰もが、あっという間に「弱者」になるのに、その痛みを分かつ「想像力」を持たない人たちが世界のどの国よりも多くいる、これは悲しい事実だ。

 

◆日本が「きわめて他人に冷たい国」であることを示すデータはまだまだある。

イギリスのチャリティー団体Charities Aid Foundation(CAF)が、人助け、寄付、ボランティアの3項目についての評価を各国別にまとめて発表する世界寄付指数(World Giving Index)。その2018年の調査では日本は144カ国中、128位だった。項目別でみると、

●Helping a stranger(他人を助けたか)が142位!!(つまり下から3番目)

●Donatingmoney(寄付をしたか)が99位

●Volunteering time(ボランティアをしたか)が56位

恐ろしいぐらいに他人に無関心で、冷淡な国民ということになる。

他人の失敗に対するすさまじいネット上のバッシングや渦巻く自己責任論。母親が子供を乗せたベビーカーを一人で持ち、階段を上がっているのに、手を差しのべない人々お年寄りが目の前に立っていても、スマホに気を取られ、お構いなしに座っている人。もしくは、手を差しのべる人に対して、「余計なお世話」とキレる人……。ことほどさように、日々、ギスギスとした世知辛い話題に満ちあふれ、潤滑油が必要な古い機械のように世の中全体が悲鳴を上げている。

 

◆なぜ善行が「カッコつけてる」と散々にたたかれるのか

かといって、個々の日本人がことさら冷たく思いやりがないかというと、決してそういうことではない。ほとんどは礼儀正しく、まじめで正直、思慮深い。財布や携帯をなくしても、誰かが警察に親切に届けてくれる国などそうそうない。

しかし、他者との関係性において、「やさしさの示し方」がわからない、いや、「表立ってやさしさを示してはならん」といった変な因習に縛りつけられているかのようなところがある。「陰徳」などという言葉で代表されるように、善意は人前で見せてはならないというやつだ。

「人が誰かのために役に立ちたい」と思っても、その善意を善意として素直に受け取らず「感動ポルノ」「ブラックボランティア」と揶揄する。目立たないようにこっそりとやるのはいいが、目立ってしまえば、「カッコつけてる」とか「売名行為」「自己満足」とか言われてネット上で散々にたたかれかねない

 

◆おせっかいを焼く「お隣さん」的なセーフティーネットの欠如

人は誰かに善行を施すために生きるもの――。海外に行くと、こう考えている人が本当に多いことに驚かされる。

イギリスでもアメリカでも、若者からお年寄りまで、男性でも女性でも移民でも、自分の体と頭が動くうちに、その力を惜しみなく他者のために使うべきだという考えで、ボランティアや寄付、社会貢献といったものが、通勤電車に乗るように日常に組み込まれている。

その支えあいの仕組みは、宗教的価値観などから来るところもあるだろうし、国家の福祉の脆弱さを補う形で生まれてきたところもあるかもしれない。

ある意味、日本は制度的に見れば、医療、保育、教育、社会福祉、児童福祉など、どれをとっても、北欧など一部の国を除いた多くの国々より充実している。そうした施策が手厚いからこそ、国や家庭に代わる市民同士の支えあいの仕組みが育ってこなかったという側面はあるかもしれない。だから、助けの必要な人々に手を差しのべ、おせっかいを焼いてくれる非営利の市民団体などの「お隣さん」的なセーフティーネットが圧倒的に不足している。

例えば、アメリカでは離婚、DV、ホームレス、ありとあらゆる問題に対応する民間団体の動きが活発で、その数は150万にも上る。NGOは1230万人、つまり、全労働者10人中1人の雇用を生み出す一大産業でもある。そうした活動を通して、他人を支えるために、多くの市民が自分の時間や力を喜んで差し出す。そして、自分が弱者になったときには、遠慮なく支えてもらう。そういった「支えあい」の意識が根付いている。

 

◆世の中で最も成功するのは「Giver(人に惜しみなく与える人)」

一方の日本は、税金を払っているのだから、何かあったら国が何とかしてくれるべきである、もしくは、家族に頼るという発想だが、国の借金が膨れ上がる中で、この先、どこまで面倒を見てくれるのかはわからない。単身世帯も激増している。現行の福祉制度が立ち行かなるのは火を見るより明らかだ。

 

ニッセイ基礎研究所の会長だった故細見卓さんはエッセイでこうつづっている。

「日本の温かさとか紐帯というものは、非常に限られたいわゆるタテ社会に存在するものであって、そこに属していない人に対しては非常に冷たいというか極端に無関心という面を持っているように思われる。(中略)色々な条件で環境に打ち勝つことができずに敗者となったものでも、何回かの再挑戦をさせる機会を与えているかいないかが温かい社会と冷たい社会を分けるのであって、その意味では日本の社会は冷たいと言わざるを得ない」

弱者を見殺しにする冷たさ、多様性を認めぬ冷たさ敗者を排除する冷たさ。人と人とのつながりが希薄化する中で、凍り付いていく社会。今、ここで、大きく舵を切らなければ、日本は氷河期へまっしぐらだ。

アメリカのペンシルバニア大学ウォートン校のアダム・グラント教授によれば、人は3つのタイプに分かれるという。

「Giver(人に惜しみなく与える人)」

「Taker(真っ先に自分の利益を優先させる人)」
「Matcher(損得のバランスを考える人)」

このうち、最も成功を収めるのはほかならぬGiverなのだそうだ。日本に足りないのはこの「Give」の発想なのかもしれない。多くの人が持っている、人の役に立ちたいという「Give」の思いが行き場を失っている。閉じ込められた思いを解き放ち、生かし、活力に変える教育や仕組みづくりを急ぐべきではないだろうか。

 

2020年コロナが流行し、「雇止め」「内定取り消し」「会社倒産」など一気に「敗者」があふれ出ました。

 

普段であれば「最後の手段」である「生活保護」を受けることは到底できませんが、この時は「世論の後押し」もあり、すぐに「生活保護」が支給され、多くの「敗者」は救われました。

 

周知の通り、過去には小田原市役所が「生活保護なめんなよ」というTシャツを着て、大問題になりました。

 

【YAHOONEWS】「「生活保護なめんな」ジャンパー問題から1年半、小田原市が進めた生保改革」

◆「生活保護なめんな」ジャンパー問題から1年半、小田原市が進めた生保改革

「保護なめんな」「生活保護悪撲滅チーム」――。ローマ字と英語で書かれたジャンパーを羽織って、生活保護受給者宅を訪問する。2007年から約10年にわたって神奈川県小田原市の職員が着用していたものだ。

2017年1月に問題が発覚し、職員の対応は「受給者を威圧する」と批判された。市は改善を宣言する。あれから1年半、小田原市の生活保護行政は大きな変化を遂げていた。

 

◆小田原市職員「取り組みを話すのは初めて」

7月14日、東京。生活保護問題に取り組んできた弁護士らが開いたシンポジウムで、小田原市の職員2人がやや緊張した面持ちで報告を始めた。

「小田原市の取り組みを報告するのはこれが初めてです」と市企画政策課の加藤和永さんは語る。ジャンパー問題が発覚してから、市の対応は早かった。

対応を振り返っておこう。市の生活保護担当の職員らが「保護なめんな」「SHAT(※生活保護悪撲滅チームの頭文字をとった略称)」と書かれた黒いジャンパーを作り、受給者宅を訪問していた。

 

2007年に生活保護の支給が停止された男性が、小田原市役所の職員を切りつけるという事件が起きたことを契機に作ったものだという。

ジャンパーには「私たちは正義」「不正受給者はクズだ」といった趣旨の英文もプリントされていた。

市は「職員がモチベーションをあげるために作成した」と弁明したが、すぐに加藤憲一市長が「生活保護受給者の気持ちを傷つけた」と謝罪した。

加藤市長は一連の問題を「組織的な問題」と位置づけ、「生活保護行政のあり方検討会」を設置する。

財政学者の井手英策・慶応大教授、社会政策に精通した猪飼周平・一橋大教授ら有識者に加え、市職員、そして実際に生活保護を利用した経験がある和久井みちるさんを加えた。

検討会は原則として公開で進められ、小田原市の何が問題だったのか、何を変えなければいけないのがオープンに話し合われた。

 

◆「受給者」から「利用者」へ

最初に進めたのは言葉の改革だった。生活保護「受給者」から生活保護「利用者」へ。生活保護は市民の権利と位置づけ、利用することは卑下することでも批判されることでも、バッシングされるものでもないという趣旨だ。

改革は4点に集約できる。第一に職員数の増加。第二に申請から決定までの時間短縮、第三に生活保護のしおりの見直し、第四に自立支援への動きだ。

生活保護行政に取り組んでいる市福祉政策課の塚田崇さんは語る。

「まず社会福祉士の数も拡充し、ケースワーカーの数を増員しました。これまでケースワーカー1人で91.3世帯担当していたのを、81.3世帯まで減らし、女性職員の数も増やしました。

これまで保護申請から決定まで7割が2週間以上かかっていたのを改善しました。今では約90%が申請から2週間以内に決定を出しています。

まず申請を受けて保護をしてから、細かい状況を調べればいいという方針になりました」

まず困っている人を保護し、「市民の不幸を最小化するためにどうしたらいいか」(加藤さん)を一義的に考える方針だ。

この日、職員と一緒に登壇していた和久井さんはこう語る。

「私はこれまでメディアの取材を受けてきても、『生活保護の悲惨な実態』は聞かれても、生活保護行政がどうあってほしいと話してほしいと言われることはありませんでした。

『保護のしおり』についてかなりきつい発言もしましたが、聞いてもらえて良かったと思っています」

しおりは「利用者目線」を最大の目標に、全面的に見直され、イラストを増やし、漢字にもすべてルビをふった。

 

◆重要な自立支援

重要だったのは自立支援だ。組織目標としてこれを掲げ、地域と協力して、利用者の状況に応じて農作業などに参加できる仕組みを整えた。自宅以外に社会との接点を作ることも、社会参加に向けた重要な「支援」だ。

シンポジウムで印象に残る発言があった。元世田谷区職員で生活保護ケースワーカーを務めていた田川英信さんの発言だ。彼は言う。

この社会では福祉行政にあたっている人も含めて、『見えないジャンパー』を着ている人がいる

事実、小田原市のジャンパーには今でもネット上で「何が問題なのか」「むしろ当たり前のことを言っている」という声があふれている。生活保護バッシングも強まっている

小田原市が賢明だったのは、こうした擁護論に乗らなかったことにある。

参加者からの声にもあったが、生活保護には「誤解・デマ・偏見」がついてまわる。「不正受給」という言葉には特に過剰な反応がある。

読売新聞で社会保障を中心に取材を続ける原昌平記者も指摘するように不正受給は金額ベースで0.5%に過ぎない。

さらに「不正受給とされた中には細々した案件が多数あり、必ずしも悪意のない『申告漏れ』レベルのものも、行政運用の厳格化によって不正と扱われている」のが現状だ。

生活保護の重要な課題は不正受給ではなく、本当に必要な人に生活保護という制度が行き届いていないことにあるのは多くの専門家が指摘するところだ。

行政が「保護なめんな」などと圧力をかけて利用のハードルを上げるのではなく、「権利」と位置付け、自立支援に取り組むことは、課題解決に向けた一歩になるだろう。

もちろん課題も残っている。和久井さんは「利用者のアンケートを実現してほしい」と要望していた。行政の改革が表向きのきれいごとに終わっていないか。本当に利用者の便益になっているか。必要なものに届いているかという視点を持ってほしいということだ。

小田原市はスピード感を持って改革に取り組んだ。他の自治体は続くことができるだろうか。「見えないジャンパー」を着ている自治体ばかりでなければいいのだが……。

 

◆【自治体問題研究所】「【論文】小田原市「保護なめんな」ジャンパー問題の検証」

はじめに

神奈川県小田原市の生活保護担当職員が不適切な表記のあるジャンパーを作製・着用していたことが今年1月に発覚しました。問題を重くみた小田原市は、有識者による検討会を設置して、抜本的改善のための検証を行いました。その精力的な検証で明らかになったことは、問題の根が深いということでした。

東京都内の生活保護職場で長年働いてきた者として、この問題の本質と背景について考察します。

 

 

◎小田原市ジャンパー問題とは

このジャンパー問題が明らかになったのは、読売新聞からの指摘でした。市職員が「保護なめんな」などとプリントしたジャンパーを10年も前から自費で作製し、訪問時にも着用しているとの指摘でした。ジャンパーの背面には「生活保護悪撲滅チーム」を意味する「SHAT」(「生活」「保護」「悪撲滅」「チーム」の頭文字)の文字とともに、「わたしたちは正義だ。不正受給してわれわれを欺くのであれば、あえていう。そのような人はクズだ」という内容の英文がつづられていました。また、正面の左胸には「HOGO NAMENNA(保護なめんな)」と記されたエンブレムも付いていました。

その後、ジャンパーだけでなく、「SHAT」などをプリントしたポロシャツやTシャツ、携帯ストラップ、マグカップなども作製していたことが明らかになりました。

 

◎SHATとプリントされたTシャツ

問題のジャンパーは、生活保護を廃止された住民が2007年に市役所内で職員2人をカッターナイフで切りつけた事件を機に、当時の保護担当係長の発案で作製したそうです。市当局の説明では、職場の一体感を高める狙いで作ったものであり、あくまで内部に向けたものであった。ただ、住民に対し不快感を与える文言であり、すべての関連グッズの使用を禁止した。小田原市の管理職もジャンパーなどの存在には気づいていたものの、ロゴなどについては確認していなかったと説明しています。

 

 

◎問題の本質はどこにあるのか

この社会問題ともなった事件の基本的な問題点として、次の3点を指摘します。

第一に、利用者(保護受給者)を蔑視する表現です。憲法第25条に定められた人権である生存権の根幹を成すものは生活保護制度です。福祉事務所の職員としては、憲法を尊重し、生活保護法のもと、寄り添う支援をすることが求められています。ところが、あたかもすべてが不正受給者であるかのような表現をとり、受給者への差別と敵意丸出しの姿勢では、利用者や申請者に高圧的と受け取られても仕方ありません。当然、自らの「正義」を振りかざす姿勢では、利用者が進んで相談したいとは思いにくく、萎縮効果を生んでしまいます。本来あるべき「寄り添う支援」など望めなくなります。

第二に、利用者の人権・プライバシーへの配慮の不足です。地方自治体と厚労省との間の疑義照会を問答にした「生活保護手帳別冊問答集」では、わざわざ項を起こして、生活保護の利用の「秘密保持」について留意を求めています。担当職員が保護世帯を訪問する際は、利用者のプライバシーに配慮して、服装や言動には細心の注意を払うのが当たり前になっています。たとえば自転車で訪問しても、すぐそばではなく、少し離れた所に停めて歩いて行くとか、名乗る際も役所の職員、ましてや福祉事務所の職員だとは分からないようにしています。ところが、小田原市ではロゴ入りのジャンパーを着用して日常的に訪問していたということです。これでは、利用者が生活保護世帯であることを公にしていることになり、守秘義務に反しています。

第三に、10年もの間、内部での見直しがされず受け継がれていたことです。本来なら、後任の管理職なり係長・職員が、問題に気づき軌道修正すべきでした。それなのに、だれも異論や疑問を唱えることがありませんでした。市のホームページや「保護のしおり」の内容も、生活保護について誤解を招くものであり、それがずっと続いていたことにも業務に対する認識の低さ、意識の低さを感じます(なお、すでにホームページは修正されています)。

 

◎検証委員会で明らかになったこと

小田原市は問題発覚後、全職員アンケートを実施し、人権研修を行うとともに、「生活保護行政のあり方検討会」を設置し、今年3月末までの4回の公開検討会で検証を行いました。特筆すべきことは、検討会委員に生活保護利用者の権利擁護に取り組んできた森川清弁護士(東京)と、元生活保護利用当事者である和久井みちる氏を選任したことです。また、検討会の資料や議事録もホームページに掲載されています。小田原市が積極的に問題の改善に取り組もうとする姿勢の表れだと思います。

ただ、検討会で明らかになったのは、小田原市の生活保護法についての誤った理解や、違法ともいえる法運用の数々でした。申請から決定まで原則の14日以内を守れず30日以内の決定が多いこと、市のホームページの記載や「保護のしおり」の記述に誤りや誤解を招く表現が多く、かつ分かりにくいこと、市民全体の母子世帯の割合が高いにもかかわらず利用者のなかに占める母子世帯の割合が低いこと(稼働能力のある世帯をはじいている可能性がある)、辞退廃止が多いこと、親族の引き取りによる廃止が多いこと(圧力をかけて扶養義務の履行を求めている可能性がある)、ホームレスは「居住先が確保できる見通しがついてから保護申請」などの違法な運用があること。また職員配置では女性が2人しかおらず、圧倒的に若手男性で構成されていること(住民を威圧するため?)などの指摘が委員からなされました。

なお市当局は、生活保護担当職員の平均在籍年は4年以上であり、経験も蓄積されていること、研修についても県や外部の研修にも積極的に参加しているとの説明を検討会でしていました。にもかかわらず、違法な運用や問題が起き、ジャンパーが10年間も継続して使用されてきたのです。ここに、問題の根の深さがあります。

 

 

◎不正受給の実態はどういうものか

小田原市の職員が問題視した不正受給の実態はどうでしょうか。確かに不正受給は許されるものではありませんし、極めて悪質な場合には刑事罰も必要でしょう。

厚生労働省は今年1月に2015年度の生活保護費の不正受給が4万3983件と、過去最多を更新したと公表しています。ただし金額ベースで見ると支給総額の0.5%程度となっており、不正額自体は2012年度から減少を続けています。不正受給とされる件数が増えたのは、課税データとの突き合せが着実に行われるようになったためだと思われます。そして、細かなミスが早期に発見されるようになったことで、不正額そのものは減少しているようです。

実は、世間が想像するような悪質な不正受給は、それほど多くありません。なかには利用者の単純ミスもあり、また職員の説明不足が背景にある場合があります。たとえば、毎月の給与を申告しているのに、うっかりひと月だけ申告を忘れた、年1回の企業年金の受け取りを保護開始の際に申告しているから、毎年役所が収入認定しているのだろうと勘違いした、などというものも含まれます。また、高校生の子どものアルバイト代を申告しなかったというのも「不正受給」の代表例です。高校生に制度や収入申告の必要性を説明しようとしても、親子の仲がよい家庭ばかりではありませんし、保護の利用を子どもに隠している世帯もあります。そのため、子どもにきちんと制度の説明が伝わらないことが多く、未申告が起きてしまうのです(※ この点に関し、高校生の未申告のアルバイト収入を不正受給として福祉事務所が返還を命じた事件で、裁判所が「アルバイト収入の申告義務をケースワーカーが説明していなかった」として、処分取り消しを命じた確定判決があります。横浜地裁判決=2015年3月11日)。

 

 

◎生活保護「バッシング」の根の深さ

報道を受けて小田原市には電話やメールが殺到しました。寄せられた意見のうち過半数は批判的な内容でしたが、他方で、「不正を許さない気持ちは大事」など、職員らに賛同する意見も4割以上も寄せられました。このように、「応援」の声が寄せられたということに、日本における生活保護バッシングの根の深さを感じています。

生活保護は憲法上の権利であるはずなのに、恩恵や慈悲のように感じている住民は少なくありません。生活保護職場で働いてきて、しばしば耳にしたのが「保護だけは利用したくない」「保護を利用していることは絶対に知られたくない」という住民や利用者の思いです。

ことさら不正を強調して生活保護を圧迫すれば、保護が必要な状態の人が制度からこぼれ落ちることになります。もともと、日本の生活保護は捕捉率(本来、生活保護を利用できる人のうち、利用している割合)が低く、2~3割程度といわれています。行政側が窓口で申請を受け付けない「水際作戦」が未だに横行しており、そのためもあって捕捉率が低いことこそ、改善が求められています。福祉においての正義とは、不正受給を許さないことではなく、必要とする一人でも多くの人に生活保護を届けることにあるはずです。

 

◎改善のために何が必要か

それでは、改善するために何が必要でしょうか。

この問題は小田原市で起きましたが、全国どこの自治体で起きても不思議ではないと思っています。なぜなら、生活保護の実施体制が非常に脆弱だからです。これを改める必要があります。

第一に、職員の質の担保ができていないことです。そもそも、社会福祉法では「福祉事務所には『社会福祉主事』を置く」としています(法18条)。そして、「社会福祉主事」とは「年齢20歳以上、人格が高潔で、思慮が円熟し、社会福祉の増進に熱意があり、下記各号にいずれかに該当するもの」と定めています(法19条)

①大学・専門学校等で、社会福祉に関する科目を修め卒業した者

②知事の指定する養成機関・講演会の課程を修了した者

③社会福祉士

④社会福祉事業従事者試験に合格した者

⑤上記と同等以上の能力を有すると認められる者として省令で定める者

第二に、研修体制の不備です。生活保護の業務は、医療・介護・障害・年金など他の法律や制度に精通していることが求められています。また、面接技法や福祉的視点について身に着けていることも必要です。ところが、研修体制が十分ではなく、先輩が実地で指導することが中心となっています。福祉のことが分かっていない人が、後輩を指導するため、誤った認識が受け継がれているのです。

第三に、異動年限が短いことです。自治体によっては、新採用者を保護職場に配置し、1年で異動させるところもあります。全国的な平均でも3年程度で異動していきます。専門性があり、経験が求められる業務でありながら、このような短期間で異動していくと、経験が蓄積されず、制度について正しい理解ができないままの体制が続くことになってしまいかねません。

第四に、自治体職員の総定数抑制という国の方針もあって、生活保護の職員数が都市部を中心に足りていないことです。都市部では標準数は一人80世帯とされていますが、それを守っていない自治体が多く、一人で百数十世帯を担当することすらあります。これでは、日常業務に追われて、利用者の相談を十分に聴き取ることもできません。慢性的な人員不足と過重労働、改善されない労働環境など厳しい状況のなか、メンタルヘルス不全を起こす職員が多いのです。

このような脆弱な実施体制を強化すること抜きに、正しい生活保護制度の実施と運用を期待することは困難です。

 

◎最後に

十分な研修を受けずに配置されるために、利用者を「財政を浪費する不届き者」だとして、彼らに保護を利用させないようにすることを「正義」だと考えてしまう保護担当職員もいます。小田原市はジャンパーというはっきりした形があるため問題が発覚しましたが、目に見えないジャンパーをまとっている職員は全国各地にいるのではないでしょうか。

生存権を本当の権利にするためには、福祉事務所の実施体制の強化が必要です。いまこそ、すべての自治体に抜本的な改善を求めていく時ではないでしょうか。小田原市が抜本的な改善に踏み出したことを注視していきたいと思います。

 

(続く)