三国同盟(読み)さんごくどうめい(英語表記)Triple Alliance

翻訳|Triple Alliance

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「三国同盟」の解説

三国同盟
さんごくどうめい
Triple Alliance

1882~1915年のドイツオーストリアイタリア3国間の秘密防御同盟イギリス,フランス,ロシア三国協商とともに第1次世界大戦を誘導するヨーロッパの帝国主義的国際対立の一陣営であった。三国同盟締結の直接的動機は 1881年4月のフランスのチュニジア占領で,これによってイタリアはオーストリア,ドイツに接近,イタリアとフランスとの接近を恐れるドイツが,翌年オーストリアを説得し同盟条約を結んだもの。しかしオーストリアとの領土をめぐる利害対立からイタリアは 1902年以降三国協商に接近し,フランスとの間に相互中立協定を結び,第1次世界大戦勃発に際しては中立を宣言,翌 15年4月ロンドン密約に基づき5月3日条約廃棄を宣言して三国同盟は解体した。

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旺文社世界史事典 三訂版「三国同盟」の解説

三国同盟
さんごくどうめい
Triple Alliance

フランスを対象として,1882年5月20日に結ばれたドイツ・オーストリア・イタリアの秘密軍事同盟
1879年に独墺同盟が結ばれたが,81年にフランスがチュニジアを占領したことがイタリアを刺激し,ドイツ・オーストリアにこの同盟を提議背後ビスマルク画策があった。ビスマルク体制一環をなし,三国協商に対抗したが,第一次世界大戦中の1915年,イタリアの離脱で崩壊した。

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百科事典マイペディア「三国同盟」の解説

三国同盟【さんごくどうめい】

独・伊・オーストリア間の軍事同盟。1882年条約成立,以後4度更新。英・仏・露の三国協商との対立によって,第1次世界大戦前の国際的緊張の一因となった。しかしイタリアは次第に同盟から離反,大戦に際しては同盟国を援助せず,1915年ロンドン密約により協商国側に立って参戦,同盟は崩壊。
→関連項目英露協商ドイツ革命ビスマルク露仏同盟

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精選版 日本国語大辞典「三国同盟」の解説

さんごく‐どうめい【三国同盟】

① ドイツ・オーストリア・イタリアの三国間の秘密軍事同盟。一八八二年三国協商に対抗して成立。一九一五年イタリアの連合国側参戦により廃棄。〔袖珍新聞語辞典(1919)〕
② 日本・ドイツ・イタリアの三国間の軍事同盟。一九四〇年(昭和一五)成立。→日独伊三国同盟

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旺文社日本史事典 三訂版「三国同盟」の解説

三国同盟
さんごくどうめい
Triple Alliance

①第一次世界大戦前,ドイツ・オーストリア・イタリアの間に結ばれた同盟
フランスに対抗するために1882年成立。三国協商と対抗した。イタリアのイギリス・フランス接近により第一次世界大戦中の1915年に崩壊した。
② ⇨ 日独伊三国同盟

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世界大百科事典 第2版「三国同盟」の解説

さんごくどうめい【三国同盟 Triple Alliance】

1882年から1915年まで存続したドイツ,オーストリア・ハンガリー,イタリア間の秘密軍事防御同盟。英仏露三国協商と対立し,第1次世界大戦の一方の陣営を形成した。ドイツ帝国成立後のビスマルク外交の目標は,フランスを孤立させ,その対独復讐戦争を防止することにあった。ビスマルクは1881年にドイツ,オーストリア・ハンガリー,ロシアの間に三帝同盟を成立させたが,イタリアがチロル,トリエステをめぐってオーストリア・ハンガリーと不和であったことから,フランスに接近するのを恐れていた。

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