「将来のために今は我慢する」という考え方は間違っている…哲学者が説く「本当に幸せな人生」の過ごし方
※本稿は、岸見一郎『孤独の哲学 「生きる勇気」を持つために』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。
写真=iStock.com/Andrii Zorii
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Andrii Zorii
■これから先のことは誰にもわからない
「人生100年時代」といっても、長生きできるとは限りません。たしかに平均寿命は延びましたが、それは統計上の話でしかありません。今後、長生きする人が増えていくというのは一般論としては本当だとしても、他ならぬ自分が何歳まで生きることになるかは誰にもわかりません。
そんなに長生きするのかと思うとゾッとするという人もいますが、長生きしたい、したくない以前に、そもそも長生きできるという保証はどこにもないのですから、100歳を前提に人生設計をすることは、私にはあまり意味があるとは思えません。
そうであれば、直近のことであれ、(長生きをするとすればの話ですが)遠い先のことであれ、こないかもしれない未来のことを今、思い煩って恐れたり、不安になったりすることには意味がありません。『老後に備えない生き方』という題名の本を書いたことがあります。もちろん、備えておかなければならないことは多々あります。しかし、老後に備えるために「今」生きることの喜びをふいにしては意味がないと、私は書きました。
■「未来に本当の人生がある」と思い込まされている
若い人であれば、今の人生をきたるべき本番の日のためのリハーサルだと考える人はいるでしょう。そのような人は、子どもの頃から、「将来成功するためには、今はしたいことがあっても我慢して勉強しなさい。今、頑張っておけば後で楽ができるから」というようなことを大人からいわれ、未来に本当の人生があると思い込まされてきたのです。
自分でもそう信じて疑わず、成功者として生きられると信じて、今の喜びを犠牲にしてまで一心不乱に勉強しても、その努力が報われるとは限りません。行きたいと思っていた大学に入れなかったり、大学に入ったのにコロナ禍で講義を満足に受けられなかったりというような思いがけない出来事に遭遇し、輝かしい本番の人生などどこにもなかったと気づくことがあります。
たとえ首尾よく希望する大学に入れたとしても、受験勉強の苦労は、その後の人生で経験する苦労と比べれば、大したものではありません。
■「終活」に励む人は今を生きる喜びを犠牲にしている
この先何があろうと、今が本番です。先の人生のために今を楽しまない生き方を、私は好ましいとは思いません。「終活」をする人も同様です。今楽しめるのに、最期のために今生きる喜びを犠牲にしているように私には思えるのです。
誰もが死を免れることはできませんが、いつどこでどんなふうに死ぬのかは自分で決めることはできません。家族と暮らしていても、一人で死ぬことになるかもしれませんし、看取られて死ねるとしても、死ぬのは自分であって、他の人が一緒に死んでくれるわけではありません。
未来は「未だ来ていない」というより、「ない」のです。未来があるという保証はどこにもありません。少なくとも、自分が思い描いている人生になるという保証はまったくありません。
そうであれば、徒にこれから起こることを恐れるよりも、今できることに専念する。これが「今を生きる」ということの意味です。
■「未来は悪い」と考える人は今を改善する努力をしない
これから先を考えて恐れたり、不安になったりするのにはわけがあります。「孤独死するかもしれない」という恐れに囚われている人は少なくありません。家族に頼らず、死んでからの諸々のことは友人に任せようという人もいますが、煩瑣(はんさ)な手続きを引き受けてくれるような友人がいなければどうするのかという問題があります。そのようなこれから起こるであろうこと、死んでからのことを思うと不安でならない気持ちはわかります。
しかし、「不安や恐れに囚われているので、前向きに生きられない」のではありません。むしろ、「前向きに生きないために、孤独死するかもしれないというような不安に囚われている」と考えた方が、不安に囚われる真実に近づけます。
私は「未来に向けた原因論」という言葉を使うことがあります。本来、原因は過去にあるので、未来について「原因」という言葉を使うのはもちろんおかしいのですが、未来に起こることが、今の人生、そしてこれからの人生のあり方を決める原因となると考えるという意味です。
これからよいことは決して起こらないとか、今いいことがあってもどうせ長続きしない、最後には必ず何か悪いことが起こると考える人は大抵、今の状況を改善する努力をしないことを決心しています。そのように考えることで、今幸福である人は今の幸福にブレーキをかけますし、今不幸であると感じている人は、不幸の原因は未来に起きる悪しき出来事だと考えるからです。
写真=iStock.com/Masafumi_Nakanishi
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■「人生が思うようにならないのは自分のせいではない」
実際には、未来に何が起こるかはわからないので、これから起こる出来事を今の人生を前向きに生きられない原因にすることはできません。これからどうなるかもわからない人生を切り拓いていけるのは自分だけなのですが、どんな努力もしないでおこうと思う人は、これから起こる出来事はよくないことだと決めておけば、人生が思うようにはならなくても、その原因を自分のせいにしなくてすみます。
もちろん、どんなに努力しても人生が思い通りになるわけではありません。思いもかけない事態が訪れて、人生の行く手を阻むことがあるからです。
それでも、何もしないより、できることをしていけば、人生は必ず変わっていきます。たとえ不幸な出来事に遭遇したとしても、悲しみにただうちひしがれているのでなく、悲しみを梃子(てこ)にして人生を生き抜く勇気を持つのと持たないのとでは、大きな違いがあります。
■起こった出来事が本当に不幸かはわからない
不幸な出来事と書きましたが、起こった出来事が本当に不幸なのかどうかは、少なくともその時点ではわかりません。
これから人生を共にしようと思える人と出会うことなく、一人で生き、最後には孤独死するかもしれないという不安を持った人でも、誰かと出会い結婚するかもしれません(もっとも、そのことが幸福であるかもわからないのですが)。
初めから誰とも結婚しないと決めている人であれば、たとえ誰かと出会っても、その人を恋愛対象と見ないでしょうから、その人と恋愛し結婚することはないでしょう。
そうであれば、その人が誰とも出会わないとしても、それは自分で決めていることなので、それを不幸であるとはいえないでしょう。
反対に、結婚し幸福の絶頂にあると思っている人が、ある日パートナーと大喧嘩をして離婚を決心することになるかもしれません。もちろん、そんな事態は起こらないかもしれません。どんな出来事、体験もそれ自体では幸福であるとも不幸であるともいえません。結婚すれば必ず幸福になれるのでも、結婚しなければ必ず不幸になるわけでもないということです。
■未来がすべてわかっていたら生きる喜びはない
この先起こる出来事が何かわからないということは不安なものですが、もしもこれから起きることのすべてがわかっていれば、生きる喜びすら感じられません。時には不幸のどん底に沈むような出来事が起こるかもしれませんが、それでも今見たようにそれが必ず不幸であるというわけではないのです。
とはいえ、起こった出来事が不幸であるとは限らないというのは、不幸の渦中にある人にいえることではありません。
私は病気になって仕事を失う経験をしましたが、病気になったおかげで学んだことは多々ありました。その意味で、病気もよい経験になったと今はいえますが、他の人に対しては病気をしてよかったとはいえません。
自分でも病気になったことをなかなか受け入れられない時に、見舞いにやってきた人から、ずっと働き詰めだったのだからゆっくり休んだらいいといわれると嬉しくはありません。
■亡くなった人の人生をその最期だけで判断してはいけない
さらに深刻なケースになりますが、カウンセリングの場で自ら命を絶った人の家族と話すことがよくありました。私がいつもいうのは、亡くなった人の人生をその最期だけで判断してはいけないということです。
岸見一郎『孤独の哲学 「生きる勇気」を持つために』(中公新書ラクレ)
たしかに、家族は自殺を止められなかったことを後悔しないわけにはいきません。長く悩んでいたのに力になれなかったということはあります。相談もしてもらえないこともあるでしょうし、相談に乗ったとしても本人の決心を覆すのは困難です。まして突然の死であれば、家族といえども防ぎようがありません。そのような家族に起きた出来事に対してよかったとはいえません。
しかし、そのように亡くなった人が生涯ずっと不幸だったかといえば、そうとはいえないという話はしました。それでも、起きた結果を受け入れるためには長い時間が必要です。
事故や災害に遭った時も同じです。何もかも失うような出来事を経験すれば、それを受け入れられるまでには時間がかかります。そうできるようになる前に当事者ではないまわりの人から、起きた出来事には意味があるというような話をいわれたくはありません。
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岸見 一郎(きしみ・いちろう)
哲学者
1956年京都生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学(西洋古代哲学史専攻)。ミリオンセラー『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(以上、古賀史健氏との共著)をはじめ、『困った時のアドラー心理学』『人生を変える勇気』『アドラーをじっくり読む』など著書多数。
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(哲学者 岸見 一郎)