国政に異議あり!参議院 埼玉県総支部長 西みゆか

西にしみゆかの政策

消費税廃止、
ガソリン税ゼロ

今、日本では、国外の戦争、エネルギー価格上昇の影響で、私たちの賃金は上がらないのに生活必需品の価格のみがあがる、悪い物価上昇(インフレ)が急速に進んでいます。この生活物価の上昇から、私たちの生活を守るためには、私たちが日々に支払っている「消費税」をなくし、過重な「ガソリン税」についても暫定的措置として「ゼロ」にする政策が必要です。

昔、日本が経済成長を続けていた時、1989年まで、消費税は、ありませんでした。それが、竹下内閣の時に税制改革の名目で「3%」で導入され、橋本内閣の時に「5%」、安倍政権の時に「8%」、「10%」といつの間にか上がってしまいました。そして、来年10月から、国は、消費税を国に納税する事業者に対して「インボイス制度」を導入する計画です。これは中小零細事業者に過重な事務負担と実質負担を押し付け、年間売上1000万円以下の事業者に対する免税措置さえ実質的に選択できないようにするものです。このような消費税増税の一方で、大企業は法人税減税の恩恵を受け、この格差拡大が是正されなければ、消費財は、今後、経済同友会が主張するように「19%」となる可能性が高いと言わざるを得ません(財政安定には消費税19% コロナ対策財源を視野に 経済同友会が提言 『中部経済新聞』2021年5月12日)。

消費税収は、政府が触れ込むように、必ずしも社会保障の充実のみに使われているわけではありません。この点は安倍首相が過去に「消費税増税の大部分が国の借金返しに使われている」等と国会で演説(2019/01/28 総理施政方針演説)したことからも明らかです。税収の増減の推移をみれば、消費税の増税分は、大企業の法人税の減税分にあてられてしまっています。そして、大企業が減税により得た利益は、外国株主を含めた株式配当という形で配分され国外に流出してしまいます。消費税が5%に増税されてから、日本の経済は長期停滞を始めました。増税を行った橋本首相自らがあの時の緊縮政策(「増税」も当然含むと解されます)を謝罪する弁を述べています(2001年自民党総裁選で 朝日新聞2001年04月13日 )。

消費税の税率が引き上げられるのと連動し、大企業向けの法人税の税率が引き下げられてきました。一方で、増税による税収は社会保障の充実にはあくまで一部しか充てられていません。大企業が減税により得た利益は、外国資本家への配当という形で国外に流出しています。今こそ、税の在り方を昔に戻しましょう。物価高騰で私たちの暮らしが痛めつけられている今、「消費税」を廃止することで、私たちの生活費負担を減らし、消費を活発にし、景気を回復することが、最も合理性ある政策です。日本は、自分たちのことは自分たちで決める「民主主義」国家なのです。国民みんなが「消費税廃止、ガソリン税ゼロ」との意思を持てば、そうなるのです。諦めないで下さい。

積極財政

この25年日本が経済成長を失った原因は、自民党政権が、対外的に「日本国」の貸借対照表(バランスシート)をきれいに見せようとするばかりに、対内的に、私たち国民に、増税や節約を強いる「緊縮財政」政策をとり続けたことに他なりません。それにもかかわらず、自民党は、プライマリーバランス黒字化目標という形で「緊縮財政/財政再建」を志向しています。

また、自民党のホームページに現在も掲載されている「自由民主党 日本国憲法改正草案」(2012年)には、83条2項として「財政の健全性は、法律の定めるところにより、確保されなければならない。」と規定されており、この失われた25年の失態を反省するどころか、憲法という国の最高法規において「緊縮財政」を正当化しているのです。

国は、国民のために、災害対策、医療、福祉、教育、その他生存権の保障に必要なお金を積極的に出していくべきです。この25年間外国資本家や一部の利権に流れ続けていたお金を、公共投資という形で、私たちの命、生活に充てるべきなのです。現場の声に基づく適切な公共投資により、賃金と労働環境の良い雇用機会を増やし、公務員の賃金を上げ、それを呼び水に民間の賃金が上がる。その対象は、これまでのような建設工事だけではなく、介護、教育、環境投資を含みます。そのことで、国にお金が巡りはじめ、消費活動が活発になり、景気が上昇し、日本全体が体力を回復する、その好循環を作ることが今日本に一番必要な政策です。

真なる反戦

ウクライナとロシアとの戦争が続いています。私たちは、この戦争について、ウクライナ市民の方々が苦しんでいる状況や、砲撃により荒廃した建物を、テレビやネットで見せつけられています。戦争は人々の暮らしを容赦なく破壊します。この戦争に至るまで両国の間で様々な外交政策上の相違がありましたが、ロシアがウクライナの領土に侵攻したことは、国連憲章に違反した侵略行為です。今もなお、ウクライナの方々や戦地に派兵されたロシアの若者の大切な命が失われています。

私たちは、プーチン大統領が軍事進攻を始めたことをまず批判し、一刻も早い停戦を求めます。ただ、それと同時に、ウクライナにおいて、戒厳令が敷かれ、18歳から60歳までの男性が国外に出ることを禁じられ、国内で一部政党の政治活動が禁止されてしまっている現実を直視し、戦争という極限状態では、市民の権利が国に簡単に制限されてしまうということに懸念を持っています。自公政権は、私たちにその是非を問うこともなく、「国際社会と協調して」といって、ウクライナに130億円を支払い、ドローンなど攻撃に使うことができる物資を送り、戦争がながびくことに、協力してしまっています。

日本は、第二次世界大戦で大変な思いをしました。そのため、国は、私たち国民に、もう戦争はしない、戦争を永久に放棄すると、憲法で、約束したのです。だから、戦後約80年間、私たちは、戦争に巻き込まれないで済んだのです(『昭和の三傑―憲法九条は救国のトリックだった』堤堯・著 集英社文庫)。

今こそ、日本は、平和憲法のもと、中立な立場で、冷静に立ち止まって真なる国際社会における日本の在り方を考えるべき時だと思います。G7で唯一NATO加盟国ではない立場を活かし、一刻も早く戦争を終わらせられるようにするのが、平和を希求する私たちの役割だと思います。このようなことを言うと「おまえは安全保障が分かっていない」と批判されます。しかし、国連による安全保障が機能不全の中、今日本は、国際社会の緊張を高める方向に労力を費やすのではなく、戦争を回避する方向に知恵を尽くすべきです。「抑止力を高め、敵基地攻撃能力を持ち、核共有をすべきだ。」という声もあります。

しかし、軍備増強や同盟締結により自国の安全を高めようとする国家の行動は、別の国家に類似の措置を促し、結果、双方とも欲していないはずの衝突に繋がる緊張を増長してしまうのです(グレアム・アリソン ハーヴァード大学教授の「安全保障のジレンマ」論)。そもそも「核戦争」となれば、私たち人類、地球が滅びてしまうことは皆知っているはずです。日本は、愚直に平和外交を唱え続け、国連の改善に向けてリーダーシップを取ることで真なる国際社会の一員として貢献すべきです。

憲法改悪の阻止

自民党のホームページに「今も」掲載されている「自由民主党 日本国憲法改正草案」99条には、緊急事態条項が設けられています。そして、コロナ禍を機に再びこの「緊急事態条項の創設」について憲法審査会などで、自民党は強くアピールするようになっています。この草案によれば、内閣総理大臣と閣議決定で、私たちの自由は、何の補償もなく制限され得ることになります。

コロナ禍で休業要請の際に、私たちの経済活動の自由を制限することに対する補償の必要性が議論になりましたが、自民党の緊急事態条項が憲法で定められれば、時の内閣が「緊急事態」と言って命令を出せば、多数決の法律の手続によることもなく、私たちはその指揮に従わなければならず、補償なく自由を制限され得るのです。この緊急事態条項により、私たちが国内外の戦争に駆り出されてしまう可能性も否定し得ません。

自民党は、日々一生懸命災害対策にあたって下さっている自衛隊を憲法上認める必要があるから憲法を改正する、というような説明をしています。しかし、これは立法事実、立法趣旨といえるのでしょうか?自民党の説明は、違法なものを適法にするために法を改正すると言っているに等しいです。国民を愚弄しています。自民党の憲法改正草案9条2項は、「国の交戦権は、これを認めない」という現憲法の規定を削除しています。つまり、戦争をする、ということです。9条の2は、「国防軍を保持する」「国防軍の組織は法律で定める」と規定しています。9条の3は、「国は、国民と協力して、領土・領海・領空を保全しその資源を確保しなければならない」と規定しています。第二次世界大戦時のように、国民は、お国のために戦い、お国に鍋窯等の資源も提供する協力義務を負わされかねません。これが、自民党が進めようとしている憲法改正の実態です。

加えて、自民党の憲法改正草案24条には、「家族は、社会の自然且つ基礎的な単位として、尊重される。」という一文が追加されています。この規定は、「家族制度」の名の下に、「男女が結婚して子を産むべき」との価値観を、私たちに押し付けるものです。私たち個人が、自分の性をどう自認しようと、誰を好きになろうとなかろうと、結婚しようとしまいと、こどもを産もうと産むまいと、すべて自由なのです。そんな基本的な自由まで奪おうとするのが自民党の改正憲法草案なのです。また、この規定は、LGBTや家族なき者への差別を助長するものと言わざるを得ません。自民党の改憲草案は、人権意識において明らかにグローバルスタンダートから逸脱しています。国会における子ども政策などの審議でもその価値観が垣間見える瞬間がありました。

また、自民党の憲法改正草案25条の2、「国は、国民と協力して、環境の保全に努めなければならない。」との規定は、「政府が、環境保全の名の下に、例えば、原発再開、原発拡大を進めれば、私たち国民はそれに協力する責務を負うので原発反対の声をあげることすらできなくなる」と解釈できる、この解釈は決して飛躍ではないと私は考えます。日本及びNYの弁護士資格を持ち25年余り国内外の契約書その他法律文書の解釈に携わってきた私からすれば、この条文は、国民に協力義務を課すためのものとしか読めません。

そして、自民党の憲法改正草案102条には「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。」と追加されています。憲法は、国家権力の暴走を抑えるために、国の義務を定め、国民の自由・平等・人権を保障するものです。憲法は、国民に義務を課すものではありません。権力者が従わなければならない「国民の基本的人権を守るための約束」なのです。ところが、自民党の憲法改正草案では、時の政権が定め得る「公の秩序・公益」を根拠に民主主義の根幹である私たちの思想良心の自由・表現の自由さえ制限されることになります。法曹として25年の経験を持つ私からすれば、自民党の憲法改正草案の中身は現憲法に反するものと言わざるを得ないものです。自民党の改憲案は、戦争を肯定し、個人の尊厳を否定し、 家族制度の名の下に価値多様性を排し、私たちに市民に国家に奉仕せよと義務を課すものです。今度の参議院選挙が終われば3年間国政選挙はありません。その間に自民党の改憲草案のような、緊急事態条項を含む、国民の権利を侵害する憲法改悪がなされぬよう、私たち市民はしっかりと声をあげていかなければなりません。

日本国憲法改正草案を読み解く(解説)[PDF]