アルベドになったモモンガさんの一人旅   作:三上テンセイ

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2.狂気

 

 

 

 

 

 

「いやぁ、心配しちゃったよ。何日も帰ってこないんだもの。ずぅっと待ってたんだから」

 

 

 猫目の女はそう言って、外套のフードを脱いだ。

 ゆらめく燭台の灯りが、女の端正な顔立ちを照らし出す。金髪のボブカット。歳は二十前後くらいか。軽薄な笑みを浮かべた女は捕食者の様な瞳で、ンフィーレアを捉えている。仄立つ、只者ではない気配。

 

 

「あ、あの……どなたなんですか……?」

 

 

 ンフィーレアが、恐る恐ると問う。

 どうやら彼の知り合いではないらしい。女はクスクスと笑んで、明け透けにこう言った。

 

 

「私はクレマンティーヌ。君を攫いにきた怖くて、可愛くて、そんでもって、とっ──ても強いお姉さんだよん」

 

 

 猫目の女──クレマンティーヌの瞳が、ンフィーレアを射竦めた。その瞳の恐ろしさに、彼の喉から悲鳴が弾ける。蛇に睨まれたカエルとは、まさにこのことだった。

 

 

「ンフィーレアさん、下がって!」

 

 

 ペテル、ダイン、ルクルットが武器を構えて、ンフィーレアを庇う様に前へ出る。しかしクレマンティーヌは臆さない。大の男三人に武器を突きつけられても、彼女は鼻歌でも交えそうな楽観さを保ちながら、唇をべろりと舐めた。

 

 

「君のさぁ、どんなアイテムでも使えるっていう『生まれながらの異能(タレント)』で、アンデッドの大軍を召喚(サモン)して欲しいのよ」

 

「え……」

 

「私達の道具になって、『叡者の額冠』ってやつを使ってくれなぁい? ね、お姉さんの……お・ね・が・い」

 

 

 妖艶という言葉が果たして似合うのだろうか。

 拐かす様な口振りだが、クレマンティーヌの発音一つ一つに危険な香りが付き纏う。

 

 突如の誘拐宣言に、室内の空気がはっきりと硬質化していった。少なくともンフィーレアは、足元から這ってくる夥しい恐怖の影響で大量の汗を額に浮かべていた。

 

 

(……なるほどな)

 

 

 混乱の最中、モモンガだけが得心した様に浅く息を吐いた。彼が違和感を覚えたのはバレアレ薬品店の外装を見たときからだった。店全体に、防音系統の魔法が張り巡らされていたのに彼は気づいていた。前に店に立ち寄った時は、確かこんなものはなかった筈だ、と。

 

 しかしまあ、防音効果という特に害を成すような魔法ではなかった為にモモンガはこれについてンフィーレアに言及はしなかった。ポーションを作る為に何か物凄い大きな音を立てる必要があるのかもしれないし、夜中はそういう魔法を行使する可能性もあったからだ。

 

 

(見た感じこのクレマンなんとかは戦士系統……。魔法を使える伏兵は警戒しておくべきだな。それにしてもよく喋る……もう少し泳がせてみるか)

 

 

 ユグドラシル基準であればこの程度の魔法、魔法詠唱者でなくとも低級のマジックアイテムで幾らでも再現可能だが、警戒にこしたことはない。モモンガは半分鎌をかけるつもりで、沈黙を破った。

 

 

「何だか随分と強者ぶっているようですが、お仲間は伏せておくつもりですか。やはりその振る舞いはハリボテ? 本当は弱いのだけれど伏兵を悟られない様にする為のブラフ、とか」

 

「……あー、活きがいいのが一匹いるねー」

 

 

 ワントーン、クレマンティーヌの声色が落ちる。彼女は癪に障った、という表情を隠すことなく、モモンガを睨みつけた。彼はなるほどそっちが本性かと思うだけで、一切その眼光に怯まない。

 

 

「……ふーん」

 

 

 クレマンティーヌは自らの殺意を叩きつけられても何の反応も示さないモモンガに興味を抱いた。下から上へ、嬲る様に見定める。胸元に下がる冒険者プレートの色は銅。強靭な心臓の持ち主なのか、または自分の殺気にすら気づかぬ弱者か。彼女の予想は後者だ。

 

 

(大層な鎧着てるけど、銅級の冒険者(ザコ)が受けられる程度の依頼でよくもまああんなにボロボロに破損できる……。鎧の力だけでタンクの役割をこなしてきただけのデクの棒って感じか)

 

 

 アイテムの力を自分の力だと過信する馬鹿をクレマンティーヌは大勢見てきた。そしてそんな馬鹿の一人が、目の前にもいる。

 

 クレマンティーヌの瞳が残虐な色に濁る。

 そういった勘違い野郎を完膚なきまでに叩きのめして命乞いさせるのが、彼女にとっては至上の悦びだ。殺気にすら気づかずのほほんと突っ立ってる鎧女がどういう悲鳴を上げるのか、今から楽しみで仕方がない。

 

 食事を平らげる前の時間を楽しむ様に、クレマンティーヌは先の質問に答えた。

 

 

「ここにいるのは私だけだよー。君達の掃除くらい、私一人でわけないしね」

 

「それではこの家に張り巡らされた防音の魔法は? 戦士である貴女がやったわけではないでしょう」

 

「あら……そんなナリして魔法も分かる感じ? それともマジックアイテムでも使った? いやぁ、目ざといねー。でもカジっちゃんはもうここにはいないよ。あなた達がくるのがあんまりにも遅いから、先に帰らせちゃった」

 

 

 先程から行使してる探知系の魔法に引っ掛からないことを鑑みるに、その言に偽りはなさそうだとモモンガは内心で思う。

 

 

「だいぶ長い間退屈させてたようですね」

 

「そだよー。だからさ……その分愉しませてよね」

 

 

 クレマンティーヌの口が、三日月の形へ変わる。獰猛な笑顔を浮かべた彼女は、フード付きの外套を脱いでパサリと床に落とした。そして露になる彼女の装備に、一同の目が見開かれる。

 

 

「……狂ってやがる」

 

 

 ルクルットが、眉を顰めた。

 晒されたクレマンティーヌの軽鎧。ビキニアーマーを思わせるほど露出の多いそれには、いくつもの冒険者プレートが打ちつけられていた。まるで鱗と見紛うほど、何枚も、何十枚も。銅からミスリルから、種々様々なプレートが。

 

 

「ハンティングトロフィー……であるか」

 

 

 ダインの語気に、怒りが宿る。

 あのプレートの一枚一枚が光を照り返す度に、クレマンティーヌに命を玩具にされた者達の怨嗟が聞こえる様だ。

 

 そんな『漆黒の剣』の反応にクレマンティーヌは満足を得たのか、ニタリと粘り気のある笑みを浮かべた。

 

 

「君達もさー、ここに加えてあげるよ。ちょうど銀色が数枚欲しかったところなんだよね」

 

 

 そう言って、一歩前へ出る。

 

 体が揺れる。

 クレマンティーヌの輪郭が陽炎の様に淡く揺らめいた。手を伸ばしてもスルリと肉体を透り抜けてしまいそうな隙の無さは、まさに戦士として完成されている。

 

 ペテルは思わず息を呑んだ。

 剣を握る手が、ぶるぶると震えてしまう。

 

 

(まだ武器も構えてないのに、このプレッシャー……!)

 

 

 強い、と確信する。

 それも途方もなく強いと。自分では間違いなく何の抵抗もできずに殺されるくらい、実力の差に開きがある。

 

 

「みなさん、下がっていてください」

 

 

 そんな『漆黒の剣』の横を悠々と抜けて、モモンガは事もなげにそう言い放つ。英雄の頼もしい姿に『漆黒の剣』の緊張が僅かに綻んだ。クレマンティーヌはその様子を見て、怪訝な顔をした。

 

 

 

「おんやぁ……? 銅級(カッパー)のあなたが一番手ってワケ?」

 

「……先輩達の手を煩わせるわけにはいきませんからね」

 

「やめといた方がいいと思うよー? そこのお兄さん達を盾にしてさぁ、さっさと尻尾巻いて逃げなよ」

 

「逃がしてくれるほど貴女は優しくはなさそうですが?」

 

「せーいかーい。仲間を捨てて逃げる人間の背中をドスッッッ!! ……と突き刺すのが最っ高に面白いんだけどなぁ、残念」

 

 

 クレマンティーヌは猫目を歪めてクスクスと笑う。

 

 

「まあさーお姉さん優しいから。みんな一斉にかかってきなよ。そうすれば一秒くらいは寿命が延びるんじゃない?」

 

「それには及びません」

 

「……ん?」

 

「貴女程度なら私一人で問題はない、ということです」

 

 

 剣も盾も構えず直立するモモンガの姿に、クレマンティーヌの額に青筋が走った。

 

 

「誰に喧嘩売ってんのか分かってんのかテメェ」

 

 

 ドスの効いた声に、『漆黒の剣』とンフィーレアが震えあがった。間違いなく、このクレマンティーヌという女の凄みは人間として一線を画している。

 

 しかしモモンガは涼しげに答えた。

 

 

「私は別に、事実を言ったまでで──」

 

 

 モモンガの言葉の途中。

 

 クレマンティーヌの体が消えた──様に、『漆黒の剣』の目には見えた。

 

 肉体の脱力と緊張。

 ふらりと体を落としたクレマンティーヌの加速に、凡人の目は追いつけない。彼女の猫目に灯るテールランプの様な赤い残光のみが、微かに認知できるほどだ。

 

 まさに、電光石火。

 クレマンティーヌは恐るべき速度でモモンガの懐へ潜り込むと、刺突武器──彼女の戦闘スタイル象徴するスティレットをホルスターから引き抜いた。ここまで、一秒すら掛かっていない。

 

 刹那、交錯する翡翠の瞳と赤い瞳。

 翡翠は冷ややかに赤を捉え、赤は嗜虐の色をありありと浮かべた。

 

 

「モモンさん!」

 

 

 ニニャの声が飛ぶ。それと同時に、銀光が鋭くモモンガの頭を穿った。強烈な火花が散り、聞くも悍ましい甲高い金属音が弾ける。

 

 人の身で成せる究極の刺突を受けたモモンガの首が──飛んだ。

 

 宙に浮かぶモモンガの頭部に『漆黒の剣』が絶望の悲鳴を上げる。暗い室内に落ちたそれは、ガラゴロと重たい……空っぽの金属の音を立てて転がった。

 

 ……やがて静寂が場を支配する頃、クレマンティーヌはゆるりと上体を起こした。

 

 

「……あら、中身は別嬪さんだったかぁ」

 

 

 べろり、とクレマンティーヌの長い舌が薄い唇を舐めずる。彼女はモモンガの『兜のみ』を弾き飛ばしたスティレットをくるりと手の中で弄んで、くつくつと笑った。

 

 晒されたモモンガの顔は、相変わらずだった。何の感情に揺れることなく、天上の美を戴いた顔を変化させることはない。燭台に揺らめく橙の灯を受ける彼は、何も言わずに今もクレマンティーヌを見ている。

 

 対するクレマンティーヌは肩を竦めて戯けて見せた。顔には軽薄な笑みが張りついている。

 

 

「……なーんか大層なこと言ってたけど、サ。この程度の攻撃にも微動だにできないんじゃ、肩透かしもいいところだよねー」

 

「当てる気がない攻撃を避ける必要がありますか?」

 

「……まあ、強がりの理由としては上々ってとこ?」

 

 

 反論に皮肉で返す。

 クレマンティーヌはニヤニヤとしながら、腹の中では苛立ちを覚えていた。先程の軽い攻撃に何の反応も見せられなかった弱者の癖に、口だけはよく回る。

 

 

(……このクレマンティーヌ様を前にしてよくもまあ、強気でいられるなこいつ。……いや、そうか。なるほどね。こいつ、『生まれながらの異能(タレント)』持ちか)

 

 

 狂気に満ちたクレマンティーヌという女は、しかし戦士としては冷静(クレバー)だ。彼女はモモンガの態度にはカラクリがあると考えた。確かに自分の攻撃に微動だにできなかった癖に、なぜ恐怖しないのか。それは恐らく『恐怖を感じない、又は恐怖を大幅に軽減できる』というタレント持ちだからと踏んだ。

 

 そうでなければ説明がつかない。

 このクレマンティーヌ様の刺突をものともしない人間などいるはずがないのだから、と。

 

 

(カラクリは見当ついたけど、大見得切ってる意味はなんだ? ハッタリを使って時間稼ぎ……? そんなに後ろのお仲間が大事ってわけ?)

 

 

 クレマンティーヌはこう考える。

 弱者の最期の抵抗なのだと。確かに恐怖に震えているより、ハッタリでも自分を強く見せて注目を集めたほうが数倍時間稼ぎにはなり得るだろう。彼女から見たモモンガの行動の全ては、どうにも『虚勢をはって自分に注目を集め、そのうちに仲間を逃げさせようとしている』ように思えてくる。

 

 

(涙ぐましいねぇ)

 

 

 結論は出た。

 クレマンティーヌの口内から、笑いが零れた。ああ、なんて愚かで可愛いんだ、と。その努力を彼女はぐちゃぐちゃに潰したい。『漆黒の剣』を使ったグロテスクな公開処刑を演じ、その後に絶望に顔を歪めたモモンガをゆっくりと甚振りたい。殺さず、あの端正な顔をスティレットを使ってハチの巣にしてやるのもいい。顔の皮を剥ぎ、焼きゴテを押し付け、二度と男に振り返ってもらえない顔にしてやるのも最高だ。

 

 

「う、ふっ……くふ……」

 

 

 想像するだけで笑いが止まらない。涎が止まらない。

 

 クレマンティーヌは自分の体を掻き抱いて、自ら溢れてくる笑いを止める努力をした。だが、笑いが止まらない。やはり人を殺すのって最高だと、思わずにはいられないかった。

 

 

「私の顔に何か面白い物でもついていましたか?」

 

 

 驚くほど優しい声音でモモンガに問われ、クレマンティーヌは首を横へ振った。

 

 

「いやいや、ごめんねー。くふっ……それじゃあ時間も勿体ないし、いっきますよー」

 

「……いつでもどうぞ」

 

 

 モモンガはそう言って、得物を握らない。

 ただ両手をゆるりと広げて構えるのみだった。

 

 クレマンティーヌの眉が一瞬ぴくりと震えたが、彼女はそれを意識の外へ追いやった。追い込まれた雑魚の考えることなど、彼女には理解ができないことなのだから。

 

 クレマンティーヌはゆるりと腰を落とした。

 それだけのことで、辺りに異常な緊張感が張り巡らされる。彼女はくるりとスティレットを掌で弄んで──床を蹴った。

 

 瞬間、またクレマンティーヌの体が消える。

 常人の目では追いつけない。彼女は再びモモンガの懐へ入り込み、瞳にスティレットを突き立てようとして──その横を抜けていく。

 

 お楽しみ(デザート)は最後に取っておく。

 まずは後ろの仲間達を殺戮して、モモンガに自分の無力さ、そして自分の恐ろしさを叩きつける。

 

 きっとモモンガの顔は絶望に歪むはず。

 クレマンティーヌは笑いを堪えながら、ペテルの喉元に狙いを定めた。喉にスティレットを突き立てるあの感触を予感し、興奮が焔の様に猛る。

 

 

 

「まずは一匹貰っ──」

 

 

 ──まさにペテルの喉元にスティレットの先端が触れる、その直前。

 

 クレマンティーヌの顔を、金属の塊が柔らかく受け止めた。一瞬、彼女の思考に余白ができる。手甲を着けたモモンガの手だと理解できたのは、少し遅れてのことだった。

 

 

 ──寝てろ。

 

 

 鼓膜を揺する、囁き程度の低い声。

 クレマンティーヌの目が見開く──と同時に、世界が吹っ飛んだ。否、吹っ飛んだのは彼女自身。

 

 クレマンティーヌの体が、硬球の様に飛ぶ。

 余りの速度に、彼女は骨から肉と皮が剥がれそうな感覚を覚えた。

 

 理解できない。

 何が起こっているか分からない。

 

 クレマンティーヌの痩躰は彼女の理解が及ばないまま、薬瓶が積まれた棚を破壊して、壁に激突した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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