これから起こるジレンマは、個人の身を守るために、個人の自由を阻害せざるを得ないということだと思います。もう少し踏み込むなら個人の人権を守るために、その人権を守る機能を持つ国家を維持する必要があり、その国家の維持のために個人の人権を制限する必要が出てくる必要があります。
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途上国に行ったことがある方は、個人の人権が侵害される局面を見かけて苦しんだことがあると思います。本来市民の身を守る側である警察の汚職、軍の暴走、政治の圧政です。そしてそれは単独で起きているものではなく他国との関係の中で起きていて、一国だけ切り離して考えられるものでもありません。
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私たちが身を守るときそれを構成する安全の仕組みは年輪のように広がっています。まず自分で身を守り、家族で身を守り、集落で身を守り、グループで身を守り、国家で身を守ります。身を守るためにある程度の抑止力が必要で最大単位である国家が暴力装置を必要とするのもそこに理由があります。
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ウクライナは戦争が仕掛けられると戦力になる18-60歳の男性の国外退避を制限しました。市民一人にフォーカスすれば国家による人権侵害です。でも引いてみればロシアが現在も行い、また今後も行うであろう人権侵害から身を守る一つの方法でもあります。
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自由な状態では個人個人が安全を担保できないから、個人が自由と力を明け渡し集約させ全体で身を守ることが国家システムであるとホッブスは言い、それをリヴァイアサンと名づけました。リヴァイアサンは私たちの根本の安全を守ってくれますが、しかし同時に全体のために一定の自由を制限します。
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よく全体主義と自由主義で比較されますが、突き詰めれば「全体のために個人を犠牲にすること」「個人のために全体を緩めること」の間のグラデーションでしかありません。納税は私有財産の剥奪とも言えますがそもそもその財産を気づく基盤となったのは国家ですし、その国家の維持のためでもあります。
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これまで個人の自由が大事だという基本的な流れがあり、自己犠牲なんて昭和の概念だと言われていました。しかしウクライナを守っているのは市民がそれを受け入れているかどうかは別としてまさに国民の自己犠牲です。全体が脅かされた時、自己犠牲が全体を守っているという場面を私たちは目にしています
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全体のために個人が自分を犠牲にする。大変苦しいことですが、でも実際に起きていますし、日本にも起きえることです。このジレンマと向き合っておく必要があると私は思います。
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