【連載②】『障害者の私』が自ら命を絶つ前に皆さんにお聞きしたいこと | 東山凛太朗のブログ

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なぜ「被害者の私」が「14年もの長きに渡」り「苦しみ」「もがき」そして『障害者』になり、その方が劇団四季『マンマ・ミーア!』の会場で私とばったり会ったとき「みんなの前で謝罪する」「自首する」と「約束」してくれたことを信じ、結局は逃げられ、国内でも国外でも「その方」は「私を批判」しまくり、私も「我慢の限界」と思い、SNS上でその方に「謝罪」を求めただけで「学習院大学前にあるM警察刑事組織犯罪対策課知能犯捜査第2係」に家宅捜索され、逮捕を今か今かと毎日恐れながら待っていなければならないのでしょうか?

 

中央線に何度か飛び込もうとし、駅員や同じホームにいたお客さんに助けられました。

 

毎日「ノイローゼ」、「生きる気力」さえありません。

 

なぜ「警察」はその方ばかりに「味方」をし「守り」裁判所は『障害者の私宅の家宅捜索』を認めたのでしょうか?

 

これが「民主主義国家」の方のあり様なのでしょうか?

 

弁護士は「面倒な裁判になるから」と何人も断られています。

 

私は『一人』なのでしょうか?

 

『真実』を訴えても、訴えても、誰からも助けてもらえないのでしょうか?

 

あまりにも悲しすぎます、本当に悲しいです……。

 

 

最初に「その方」に嫌がらせを受けたのは、私が「ガンで余命宣告」され、苦しんでいた2009年1月のことです。

 

私は2009年1月に上映を開始した『マンマ・ミーア!ザ・ムービー』の「字幕作成」「プロモーション」をT東和、D通と共に『ガンで入院前』おこなっていました。

 

しかし!この時、既に「ガンは進行」しており、毎日「38度5分」の熱で会社に行き、仕事を終えた後、汐留のD通に行き、『マンマ・ミーア!ザ・ムービー』の業務を『無償』で頑張っていました。

 

D通にもT東和にも誰にも「私がガン」である旨、伝えませんでした。

 

そして2018年10月に『マンマ・ミーア!ザ・ムービー』の試写会があり、同時にK大学病院の「血液内科」の医師から「ドクターストップ」がかかり、「余命宣告」されたのち、2008年10月27日月曜日、K大学病院血液内科に入院しました。

 

その間、Uミュージック、D通から「『マンマ・ミーア!ザ・ムービー』のプロモーション会議がありますから参加してくださいよ」と何度も何度も電話をもらいましたが、「検査入院で行けないのです」と「ウソ」をつき、結局、本格的なプロモーションができないまま、年を越し、2009年1月『マンマ・ミーア!・ザ・ムービー』のロードショーは始まりました。

 

いつもなら、ABBAオフィシャルファンクラブのホームページやFACEBOOKやブログで『マンマ・ミーア!ザ・ムービー』の情報を皆さんに伝えていたことでしょうが、この時は全く何もできず、『マンマ・ミーア!ザ・ムービー』初日の日はK大学病院のベッドで布団をかぶり、涙を流し、自分の運命を呪いました。

 

その方は「私がガンで死ぬ」ことを既に喜んでおり、にわか『マンマ・ミーア!』ファンからは『神』とあがめられ、日本中で人気者になったそうです(退院後、『マンマ・ミーア!ザ・ムービー』ファンの代表(S県公務員Y氏)に聞きました)。

 

しかし!私は『奇跡』が起き、「ガンが全部消え」て、2009年3月7日にK大学病院を退院しました。

『ガンが消えた』のはK大学病院始まって以来『初』とのことでした。

なぜ私から『ガン』が消えたのかはK大学病院の主治医でもわからなかったようです。

「神の手が働いたと言わざるを得ない」。

 

私のガンが完治し、退院したことはゆっくりゆっくり、世間に流れていきました。

S県公務員Y氏の話によると「その方」は以下のようにおっしゃったようです。

 

「なんで、あいつ、死なないの?」

 

ここから、その方のいじめが始まりました。

 

最初はSNS上にこんなことを書かれました。

ABBAのウィキペディアに『日本におけるABBAの第一人者はX(私)だ』と書いているけど、みんな、どう思う?

「あいつ(私のこと)は自分のことを第一人者と書く『頭のおかしい奴』。こんなやつ、許せないので、全員で叩いて、ABBAファン界から追放しましょう!

 

しかし、専門家はこのように証言しています。

「Xさん(私のこと)が入院していた時にXさんが『日本におけるABBAの第一人者はXだ』と書いたと『その方』は主張していますが、それは100%無理なんです」

「なぜかと言うと、当時(2008年~2009年)、ウィキペディアは有線LANのPCのみでしか『書き込み』はできませんでした」

Xさん(私のこと)は入院中、『無線LAN』を使っていました。残念ながら『無線LAN』ではウィキペディアの書き込みはできなかったのです」

「では、誰が書き込んだか?考えられるのは2つ。1つは『その方』がXさんになりすまして書いた。もう1つはXさんのことを心の底から『日本におけるABBAの第一人者』だと思って書いた(人がいる)」。

 

ですが、日本中の(元)ABBAファン、一部の『マンマ・ミーア!』ファンは「その方」に扇動され、私を攻撃してきました。

 

日本ではこのように「被害者を叩く」風習が昔からあるようです。

2009年から現在までの「その方の心理」と「その方の僅かなお友達」、その方を疑わず、『障害者』の私宅を無理やり「家宅捜索」し、逮捕を目論んでいる「警察、検察、裁判所の心理」こそ、昔から日本人にある『村八分的要素』なのではないかと思います。

その謎を【メンタルの教科書2018/4/29】では以下のように記載しておりますので、本日はこちらの文章をご紹介します。

 

被害者叩きをしてしまう人の心理について

◆強盗や殺人などの犯罪、セクハラ・パワハラ・モラハラなどの各種ハラスメントやいじめ等の被害に遭った人に対して、

・犯罪に巻き込まれるような状況(例えば金の貸し借り、犯罪への加担)を自分から足を踏み入れていたのではないか?

・人から嫌がらせを受けても仕方がないような態度を日頃からとっていたのではないか?

・嫌がらせを受けていたのにどうして拒否しなかったのか?

などの、被害者を更に追い込むような言葉、つまり「被害者叩き」をする人はよくいるものです。

被害者叩きは自分の立場を明かさず匿名で話せるSNSやネット掲示板などで盛んになる傾向が多く、ただ被害者を深く傷つけるだけで済まず、被害者に関するデマの情報を流されてしまうことがあります。

また、そのデマがまとめサイトやSNSで拡散され、デマの情報なのに真実だと思い込んだ人たちが更に被害者叩きに加わり被害者叩きがエスカレートすることもあります。

もちろん、どんなケースであっても「被害者に何一つ落ち度が無い」というケースがあるわけではありませんが、被害者に対する憶測や噂が一人歩きするのはSNSやブログなどのネット上でも、リアルの人間関係やTVや雑誌などのマスメディアでも同じです。

今回は被害者叩きの心理について、お話いたします。

◆被害者叩きの心理と公正世界仮説

被害者叩きに関する心理学用語として「公正世界仮説」という言葉があります。

公正世界仮説は

★「努力は報われる」などの良い行いをすれば良いことが起きるという、この世は公正であるという考え方に基づいた人間の心理を指す★

ことであり、言い換えれば因果応報の価値観を信じている人に見られる心理です。

そのため、公正世界仮説を元に何かの被害者になった人を見ると

・犯罪に巻き込まれても仕方がない環境で育っていたに違いない。(例:貧困・家庭内不和など)

・普段から何かしら恨みや妬みを買うようなことをしていたに違いない。

と、被害者が被害者になってしまう妥当な理由を見つけ、被害者になるのはある意味仕方がないことだと考えてしまうのです。

実際に被害者に関する情報は今やネット上で簡単にわかりますし、(デマを含む)拡散のスピードもネットのない時代と比較したら格段に早くなっています。

また、被害者本人のSNSアカウントなどの個人情報を特定して情報を掘り起こせば、被害者叩きにふさわしい理由が簡単に見つかることもあり、ネット上では被害者叩きがエスカレートしやすい状況が整っている考えることもできます。

◆被害者を叩くのは自分の不安を払拭するため

公正世界仮説のような、「世界はこうあるべき、正しくあるべき」という価値観を持っている人は、もしも被害者が自分と同じごく平凡な人間だと認めたら、何かの拍子で「平凡な自分も被害者になってしまうでは?」という恐怖を抱いて過ごすことになります。

何の落ち度もない人がいきなり犯罪の被害者になるという、物騒な世の中を自分も生きていると考えれば、さすがに精神的にも落ち着かず強い不安を感じるのは無理はありません。

その不安を回避するために「被害者は被害者になる特別な理由があるはずだ」と考えて、自分が抱く公正で因果応報な世界の見方を保とうとしているのです。

外を歩くだけで自分の身体・財産・社会的地位が脅かされるような世界で生きることは、できれば避けたいことですし、平和で公正な世の中を臨むことはなんら間違ったことではありません。

しかし、その平和で公正な世の中を切に願うあまりに、無意識のうちに何らかの犯罪に巻き込まれた被害者や社会の歪みによって生まれた犠牲者に対して、そうなるべき妥当な理由を見つけ辛辣な言葉を投げかけてしまっていないか、振り返ってみることが大事だと思います。

◆被害者叩きの例セクハラの被害者を責める

セクハラの被害に遭った人に対して

・本当は自分から誘っていたのではないのか?

・擦り寄るのが失敗したから、その腹いせにセクハラを訴えたのではないのか?

などの、被害者を責めるコメントはリアルでもネット上でもよく見られます。

また、被害者本人がこれらのコメントの根拠となるコメントを何も言っていないのに、セクハラ騒動をニュースやSNSで見聞きした第三者が憶測や偏見で被害者を責めるだけにとどまらず、加害者を擁護する声も出てくることもあります。

とくにセクハラのように、比較的な馴染みのある(と書くと、なんだかげんなりしますが…)事柄に対しては、第三者も口を挟みやすく、被害者叩きがエスカレートしやすい傾向があります。

 

◆いじめの被害者を非難する

学校や職場でいじめの被害に遭った人に対して

・いじめられても仕方がない事をしてたのではないか?(例:集団の和を乱す、孤立している、人付き合いが悪い等)

・本当に被害者が悪いと言い切れるだけの根拠はあるのか?

・実はいじめではなく、親しみを込めていじったり、からかっているだけではないか?

などの、言葉でいじめ被害者を叩くことがあります。

また、言葉のニュアンスの面でも「いじめ」と「いじる・からかう」の境界線は曖昧です。

その場の雰囲気や相手との関係によっては、攻撃するという意味ではなく、仲の良い者同士でのコミュニケーションとしていじったり、からかうことがあり、被害者にも落ち度がある理由としても、それなりに説得力を持つ傾向があります。

なお、学校におけるいじめで被害者を叩く場合には、関係者が事態を大きくするのを避けたい、学校の評判やマスコミに情報が知れ渡るのを避けたいという思惑や、いじめられる子が大人しい性格ならば「少し強く迫ればいじめはなかったというコメントが得られ隠蔽できるのでは?」という隠蔽ありきで話を進めようとするケースもあります。

また、いじめの被害者自身も何かしらいじめを受ける心当たりを感じており、「いじめはやめて欲しいけれど、自分にも反省しなければいけない点はある」という責任感や罪悪感から、被害者叩きにより自分の非を認めて更に叩かれてしまうこともあります。

もちろん、非を認めずにあくまでも被害者であることを主張することもありますが、そうすると今度はその頑として落ち度があることを認めない姿勢そのものが非難の材料となり、さらに被害者叩きがエスカレートすることもあります。

いじめの被害を周囲に訴えにくいのは、

・被害者叩きに屈して叩かれる

・被害者叩きに屈しなくても叩かれる

という、どっちに転んでも叩かれる場面は避けられないことが予想されることが影響していると考えることもできます。

なお、いじめに関しては公正世界仮説の他にも、「傍観者効果」や「集団心理(群集心理)」などの心理学用語も参照するといいでしょう。

 

今日の最後に【読売オンライン2021/01/31】の記事をご紹介しましょう。

 

◎「泣き寝入りしない」と誓った少女、声震わせて法廷で証言 [見えない被害]<下>

わいせつ行為で処分される教員が増えている。立場を利用し、言葉巧みに言い寄り、その言動で児童や生徒の心と体に深い傷を負わせる。公表されている被害は「氷山の一角」とされ、教員との力関係から「泣き寝入り」している児童生徒も多いとされる。過去に、教員を告訴し、震える声で刑事裁判で訴えた被害者の一人は、18年たって弁護士になった。被害を受けた時の悔しさ、つらさを胸に、「被害者に寄り添いたい」と心に誓う。

 

母も教わった先生…大好きだったのに

「先生という人は尊敬できて大好きだったのに、もう信用できない。ただのおっさんです」

関西地方の裁判所で2003年1月、当時、中学1年生の女子生徒は、強制わいせつ罪に問われた担任の男性教員の刑事裁判で、勇気を振り絞って訴えた。

女子生徒が当時50代の担任から、わいせつな行為を受けるようになったのは02年夏。1対1で向き合う形で受けていた個別指導で、突然、太ももを触られるようになった。「まさか、先生が嫌なことをするはずがない」。母親にも友人にも打ち明けられずに耐えていたが、犯行はエスカレートしていった。

秋になると、始業前に誰もいない教室に連れて行かれた。胸を触られ、驚いて抵抗できずにいると、手をつかまれ、担任の下半身を触らされた。

担任は優しそうな風貌で生徒から人気があった。女子生徒の母親も中学時代に教わった教員だった。

それでも、「私が泣き寝入りしたら、先生は同じようなことをする」と考え、母親と相談し、翌日、刑事告訴に踏み切った。

担任はその日のうちに強制わいせつ容疑で逮捕された。校長は当初、その事実を全校生徒に伝えなかったが、女子生徒からの訴えで数日後に公表した。

 

◆「胸を触られたぐらいで」…中傷のメール出回る

<先生の人生をめちゃくちゃにした><あの親子、胸を触られたぐらいで何騒いでいるの?>――。担任の逮捕が明らかになると、批判の矛先は親子に向けられ、保護者やクラスメートには中傷メールも出回った。

寛大な処置を求める嘆願書には前任校の教員ら46人が署名し、当時、勤務していた学校でも教員らが同調しようとした。

女子生徒は深刻な学校不信に陥り、一時、登校できなくなった。「急性ストレス障害」の診断も受けた。そんな時、被害を相談していた弁護士が、被害者の権利や担任の公判で意見陳述ができることを教えてくれた。勇気を出して立った法廷で、担任から受けた被害を克明に訴えた。

世間的にも大きな注目が集まる中、担任には、懲役2年6月、執行猶予3年の有罪判決が言い渡された。

 

◆「100万円払うから誰にも言わないで」

担任の刑事裁判に出廷し、被害を訴えるという同じ出来事が昨年もあった。

大阪府の中学2年生の女子生徒(14)は20年3月、小学校時代の担任教員による強制わいせつ事件で、被害者参加制度を利用して意見を述べた。

被告の教員は小学6年時の担任で、授業が抜群にうまかった。卒業式では「人の気持ちに寄り添える先生のような人になりたい」と話すほど信頼していた。

LINEを交換し、中学進学後も小学校に呼び出され、勉強したノートにアドバイスをもらうことが続き、数か月後には教員から告白をされた。

しばらくすると、自宅に送り届ける際の車内などで体を触られ、キスをされるようになり、逃げると怒ったり、力ずくで体をつかまれたりした。数か月後、「もう会わない」と告げると、LINEには、「メッセージ消して」「プリクラ返して」などのメッセージが届いた。

ある時は、「俺は絶大な信頼がある。教育委員会へ言ったら、あなたが困ったことになるよ」と、教委への通報も口止めされた。応じないでいると、自宅に訪ねてきて、「自分の子供を犯罪者の子供にするわけにはいかない」「100万円払うから誰にも言わないでほしい」「給料がいいので先生を続けさせてほしい」と懇願してきた。

女子生徒は母親と相談して学校に被害を届け出て、教員は19年11月に強制わいせつ容疑で大阪府警に逮捕された。その後、懲戒免職になり、懲役3年、執行猶予4年の有罪判決を受けた。

 

◆「すてきな先生だった頃は面白い授業」…将来は教師目指す

女子生徒は、現在も、異性が近くにいると怖くなり、声が出なくなる。心の傷は癒えていない。

女子生徒は「裁判でも反省が感じられず、先生を人として許すことはできません」と語る。その上で、「でも、私は将来、小学校の先生を目指すことを決めました。すてきな先生だった頃、先生がしてくれたような面白い授業を、私が代わりに子供たちにしてあげたいと思う」と話す。

 

◆5度の挑戦で司法試験合格…寄り添ってくれた弁護士の姿支えに

冒頭の女子生徒は昨年12月、弁護士となった。

司法試験に合格するまで5度チャレンジし、時にはくじけそうになった。だが、中学校時代にわいせつ被害を受け、中傷され、折れそうになった心に弁護士が寄り添い、裁判制度が救ってくれたという体験が気持ちを支えてくれた。

当時について、「法廷で裁判官の目を見て、自分がされたこと、苦しみを自分の言葉で話して、自分に胸を張れるようになった」と振り返る。

読売新聞の全国調査では、2019年度までの5年間にわいせつ・セクハラ行為で懲戒処分を受けた教員から被害を受けた児童生徒は、少なくとも945人に上ることがわかっている。

弁護士になった女子生徒は、過去を振り返り、いま、自分と同じように悩む子供たちがたくさんいるという現状にこんなメッセージを送る。「私は第三者の立場で寄り添い、同じような被害に苦しむ子たちを助けてあげたい。被害に苦しんでいる子も、少しの勇気を持って行動に移してほしい」

 

(続く)