2022/6/2
伝教大師最澄(でんぎょうだいしさいちょう)と言えば比叡山延暦寺でも知られていると思います。
最澄さんの「三家学生式/さんげがくしょうしき」に国宝とはなにか?ということが記されている。
国宝とは「道」を求める心である。
「道」を求める心を持つ人を「国宝」という。
金品や財宝のことを言うのではなく、
世の一隅を照らす人が国宝である。
このようにあります。
道とは人としての「在り方」です。
つまり、向上心を持ち、学び続け、世のため人のために貢献できることを探求していく人、こういった人が国宝であると最澄さんは説きます。
さらに、一隅を照らす人。
自分の身近なところから、コツコツと取り組む人、また、実践していく人も国宝であると説きます。
何か大きなことをしようなんて思わなくてもいい。
ただ、日々の生活で、人としての在り方を考え、実践していることが貴重な存在であり、重要なことであります。
僕は30代半ばに安岡正篤先生の言葉に心を打たれました。
それは「有名無力、無名有力」です。
以下、安岡正篤先生の言葉を引用します。
「若いときには誰もがひとかどの人物になりたい、立派な会社を作り上げたいと一所懸命努力をします。だんだん頭角を現し、人々の評価もいただけるようになって、名が上がって有名になってきます。
会社の規模も大きくなってきます。そうなるとちょっとした名士になり、講演を頼まれたり、新聞に原稿を書いたり、テレビに出演したりして、だんだん忙しくなってきます。
そしていつのまにか自分を掘り下げる時間すらなくなって、有名ではあるけれども無力な人間になり下がることが多いものです。
しかし、世の中には、新聞、雑誌に名前が載るわけではない、テレビのスポットライトがあたるわけでもないけれども、頭が下がる生き方をしている方がいらっしゃる。
無名だけれども有力な生き方をしていらっしゃる。私は時間がなくなって自分を失ってしまうよりも、無名のままでいい、自分を高め、磨く時間を持てる者でありたいのです」
無名有力も一隅を照らす生き方ではないでしょうか。
どのような立場になろうとも、この教えを忘れずに生きていきます。
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ニイクラ テツロウ/43歳/男
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