信州大学特任教授であり、法学博士・ニューヨーク州弁護士である山口真由さん。東大卒の才女として様々なメディアで活躍するが、Twitterでのつぶやきはコミカルで飾らないものが多い。そんな意外な「素顔」を率直に綴っていただく連載。今回は華麗なキャリアを持ち、“挫折知らず”に見える山口さんの挫折にまつわるエピソードです。数々のキャリアが、実は「挫折の歴史」だという、その理由とは。

蛹から蝶への脱皮の失敗

私の経歴は長い。元財務官僚、元弁護士……。

そして、この“元”が並ぶ経歴というのは、とりもなおさず、私の挫折の歴史でもある。

財務省を辞めたときには、まだ自分で選んでやめたと思うだけの余裕があった。だが、法律事務所を辞めざるをえなかったとき、30代前半で私は自分の人生に軽く絶望していた。

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要は、私は期待された成果を発揮できなかったのだ。弁護士1、2年目は極めて順調だった。その頃、任された仕事は判例や法律のリサーチで、必要とされる能力は、大学の勉強にも通じる。膨大な資料を短時間で読み込み、要点を手際よくまとめる。読み込むのが速いという私の能力は、ここでも重宝される。

だが、年次があがるにつれて、手足を動かすよりも頭で考えることが求められるようになる。そこで、私は蛹から蝶への脱皮に失敗したのだ。大容量のハードディスクに依存して、CPUを開発してこなかった人間が、行き詰まるのは速かった。超速の読解力という最大の強みに頼り切るあまり、熟考に熟考を重ねるプロセスを軽視していたのだから。

大手の法律事務所には数百人規模で弁護士が在籍する。その弁護士は、アソシエイトと呼ばれる雇われる側の弁護士と、パートナーと呼ばれる雇う側の弁護士で構成される。ピラミッドの底辺は手を動かすが、頂上へと登っていく過程で頭を使うパーセンテージが増していく。

求められる能力の変化に気づかぬまま、私は、前と同じようにちゃちゃっとやっつけて、ばばっと片づけるスタイルを変えられなかった。いや、周囲の期待に応えられていないと感じるほどに、「もっと速くしなきゃ、もっともっと」と、ずれた方向へと傾斜がかかる。