えいくそ、役に立たないなあ、もう。まともにディルタイ批判を掲げる者はをらんのか。ディルタイの例の體驗−表出−了解といふ解釋學の概念三點セットや、歴史認識論における自敍傳重視なんかは、その儘だと煎じ詰めれば、例へば文學史を作家論に還元することにしかならぬだらうが。さうではなくて、學問的な歴史學にさへ意圖の忖度や目的論や價値判斷が入ってきてしまふことを事實問題として剔抉し、我々の認識にそのやうに仕向ける制約があることをカントのカテゴリー論の要領で明らかにし、そこから逆に權利問題として歴史認識の可能性の條件を問ふこと、歴史的理性批判乃至歴史的判斷力批判があり得るとしたらその線でやるしかないだらうに。
ところで、各論の執筆者名を目次にのみ記し、本文に署名がないのはなぜだ?
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- 感想投稿日 : 2010年10月10日
- 読了日 : 2010年10月10日
- 本棚登録日 : 2010年10月10日
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