遠く、そして近く  essay no,1

海は、大きいな・・・目の前に広がるスミニャックの海を眺めながら、
私は胸いっぱいに潮風を吸い込んだ。
気のせいか南国の果実の匂いがする。
陽が、のぼりはじめた頃から水平線の彼方に沈むまで、
海と雲を見つめながら過ごす一日。
あちこちと動き回る旅の多かった私には、はじめての新鮮な体験だった。

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昨年末からお正月にかけてのバリ島2週間の休日である。
考えが急に変わって、11月に予定していた膝の手術を中止したこともあり、
デッキチェアでカクテルを手にしている我が身が信じられない思いだった。
"終わりなき水の流れ"と名付けられたプールは、
海辺を囲むように長く伸びやかに水をたたえている。
白い石に刻まれた白鳥や蓮花の噴水から、透きとおった水が空にむかって弧を描いている。
プールサイドに寄りかかって眺める海はおだやかで、"母"のようにやさしかった。
そういえば、チュニスからローマへ飛ぶ空の上から見た地中海は、
ブルーの鏡のように光っていた。
ノルマンディーの海といえば、夏の嵐に見舞われて、猛々しく波打ち白い泡を吹いていた。
そして、沖縄や伊豆の海は・・・
旅で出会った海の表情があれこれと浮かんでくる。
─── 念願の三陸海岸を訪れたのは何年前だったか。
久慈から小さな電車に乗って普代で下車し北山崎へ・・・
その展望台から見た絶景が思い出される。船で訪れた奇岩の並ぶ浄土ヶ浜も忘れられない。
大海の荒波に削られた複雑な海岸線。入り江は静かに漁船を休ませていた。
しかし、思い出の美しいシーンは"黒い波"で破られてしまう。
東日本大震災3月11日の大津波だ。
旅先で見た、見上げるように高くて頑丈な堤防を越えてしまうとは・・・
濁流がものすごいスピードで村や町をのみ込んでゆく光景に、
言葉を失ってしまったのは私だけではないだろう。
去年の3月11日といえば、千葉で私の個展が開かれている最中だった。
初日を終えた私は、親友のジュンコさんと一緒に房総半島九十九里の小旅行に出かけた。
その数日後、屏風ヶ浦を見るために立ち寄った飯岡の港も、あの津波で流されてしまったという。
太平洋に向かって二人で深呼吸したことが夢のようだ。
浜辺への近道を教えてくれたミニバンのおじさんは無事だったろうか。
海沿いの街道にあったソバ屋さんはどうなったろうか。
3月11日の地震は、千年に一度の規模だったと聞く。
昔の人たちは、どのようにして生き抜く勇気を持てたのだろうか。
───「スラマッ・パギ おはよう!」レンちゃんの
元気な声とともにアッコさんとグスさんが迎えに来た。
「今日は天気も良いし、コウモリのお寺に行きましょう」
亡き親友の娘さんがバリの男性と結婚し、レンちゃんは一人息子の小学一年生である。
海辺の洞窟を背にゴア・ラワ寺院は建っていた。暗い洞にコウモリの姿が見える。
「このお寺は、亡くなった方の魂を神様の元へ送る儀式の際に必ず参拝するお寺です」
と聞かされる。
信心深いグスさんから聖水をいただき、レン少年と並んで祭壇の前に立った。
・・・「でも、いったい何を祈ればいいのだろう」頭をよぎったのは、
我が町にも近々必ずやってくるという大震災への不安だった。
───スミニャックは夕暮れて、ちぎれた雲が黄金色の魚のように空を泳いでいる。
「ターナーの絵のようね」隣に座るサチエさんにささやく。
ほほを撫でる海風が、"ケ・セラ・セラ なるようにしかならない"と歌っているようだ。
旅の中で、日本の寒空が懐かしく、いとおしく思われたのだった。

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