「女性はケア労働が向いている、だから看護師は女ばかり」と言われて考えたこと

文=原宿なつき
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GettyImagesより

 昨日、男友達のSとご飯をべに行きました。Sとは学生時代からの友人で、親友と言ってもいいくらいお互いのことをよく知っています。

 一週間ぶりに会ったSは、いつになく浮かれていました。新しくできた大学院生の彼女に夢中な様子で、最初は恋バナで盛り上がっていたのですが、いつのまにか話題は、「男女の生物学的違い」という、バトる予感しか感じないトピックにうつっていました。

 Sいわく、「男女の平等が進んでいる国ですら、看護師は女性が圧倒的に多い。ということは、看護師みたいな他人をケアする仕事は、女性がやりたがるってこと。女性の方がケア労働は向いている。男性は、テストステロンがあるから、もっと競争的な仕事に向いているけど」。

 私はケア労働を好むかどうかは、男女差よりも個人差の問題だと認識しているため、当然、彼の意見には賛成できませんでした。看護師に男性が少ないのは、「看護師は女性の仕事だ」というステレオタイプがあり、「男らしさからの逸脱」の恐怖によって、男性がその仕事を選びにくいことも大きな要因だと考えます。つまり、生物学的な問題ではなく、社会化(集団において制度化されている知識や技能、行動様式、価値観、常識とされているもの、などを学び、適応すること)によって、看護師の女性比率は男性よりも高くなりがちなのだ……と私は主張しましたが、彼の考えは変わらないようでした。

ステレオタイプは認知、偏見は感情、差別は行動

 彼のように、「女性にはケアが向いている」と考える人は男女関わらず存在します。「女性の活躍」について書いているの中で、「我が社の女子社員は、女性らしい気遣いを発揮してくれて…」と語っている経営者の言葉を見つけたこともあります。この経営者は、「気遣い」「サポート」「ケア」は、女性の特質だと考えているようでした。

 サポート部門、ケア労働で働きたい女性にとって、「女性にはケアが向いている」というステレオタイプはありがたいものにもなり得ます。その仕事に向いていると思われて、仕事をゲットするチャンスに恵まれることになりますから。ですが、ステレオタイプは、ときには脅威にもなります。

 スタンフォード大学の心理学教授クロード・スティールは、「ステレオタイプは認知、偏見は感情、差別は行動」だと、わかりやすく言い表しています。

 一見ポジティブなステレオタイプには、「日本人は勤勉」「男性は理数系が得意」「女性は国語が得意」「黒人はスポーツやダンスの能力が高い」といったものもあります。しかし、その認知が、偏見という感情や、差別という行動につながることは多々あるのです。

 たとえば、「男性の方がリーダーシップがあるから、女性は補佐で男性をリーダーにしよう」「男性は保育士に向いていないから、男性保育士は雇わないでおこう」といった直接的な差別につながるケースもあります。

差別がなくても「ステレオタイプ脅威」はある

 クロード・スティールは著書『ステレオタイプの科学』(英治出版)のなかで、さらに踏み込んだ「ステレオタイプの弊害」を「ステレオタイプ脅威」という言葉で表しています。

 いわく、「周りからの偏見や差別がたとえなかったとしても、本人が〇〇というステレオタイプがあるから…と周囲の視線を意識するだけで、脅威にさらされ、重要な事柄に大きな影響を与えることがある」というのです。重要な事柄とは、学校の成績や、記憶力、運動能力、人生の選択などを指します。

 ステレオタイプを内面化することによって、自身の可能性を狭めてしまう。これは本人にとっても周囲にとっても、残念なことです。

 クロード・スティールは、社会心理学者ゴードン・オルポートの言葉「自分に関する評判が当たっていようが、そうでなかろうが、何度も、何度も、何度も頭に叩き込まれれば、それが本人の性質に影響を与えないわけがない」を引用し、「ネガティブなイメージの内面化が、低い自尊心、低い期待値、低いモチベーション、自己不信などを引き起こして、性格にまでダメージを与える」ことを指摘しています。

 さらに恐ろしいことに、ステレオタイプは、「自分はそのステレオタイプとは違う」という結果や自負心を伴うときでさえ、当人に悪影響を及ぼすことがあるというのです。

 たとえば、理数系の上位成績者を対象に行われた実験。テスト前に、「このテスト結果には性差がある(男性の方が理数系が得意だというステレオタイプを強化するもの)」と言われた女子学生の点数は、同等の基礎学力の男子学生よりも下がったと言います。しかし、「このテストの結果に性差はない」と事前に説明を受けた場合、女子学生も男子学生と同等の点数だったのです。

 この場合、対象者は理数系が得意な人ばかりでした。つまり、この女子学生は「自分の数学の成績に対する期待値が低いため、低い点数を出してしまった」のではなく、「自分は数学ができる、という期待値が高いからこそ、無意識にステレオタイプをはねのけたいという余計なプレッシャーがかかってしまった」ために、テストに集中できず結果がふるわなくなってしまった、というわけです。

<本書の狙いは、人間の機能に関する理解を拡大するとともに、特に複数のアイデンティティが混在する状況で、人は目の前のタスクに対処するだけでなく、脅威を評価し、ネガティブに判断されたり扱われたりするリスクから自分を守ろうと必死であることを、常に思い起こしてもらうことだ。ひょっとすると、わたしたちの研究で最大の発見は、人間の自己防衛的な側面が、ネガティブなステレオタイプを当てはめられる見通しだけで喚起され、その人の知的機能を乗っ取り、実際のタスクに費やすべき能力を奪い取ってしまうことかもしれえない>(P.272-273)

 ほとんどの人は、自分自身がそういったステレイタイプ脅威にさらされていることや葛藤には気がついていません。しかし、確実に影響を受けているのです。

人間はどこまで自律的な存在でありうるのか

 本書で繰り返し述べられているのは、「私たちは社会の一員として、同じ社会の人たちが特定のアイデンティティについてどんなステレオタイプを持っているかよく知っていて、自分を自律的な存在だと思いながらも、実のところステレオタイプ脅威によって友人や仕事の選択、成果、学校の成績まで大きな影響を受けている」ということです。

 また、ステレオタイプ脅威の影響を少なくするための具体的な方法についても複数紹介されています。

 たとえば、前述の理数系は男性の方が苦手だ、というステレオタイプ脅威は、「テストの直前に、ポジティブな女性ロールモデルを想起させる」ことで、劇的に低下させることができたと言います。テスト前に想起させるアイデンティティを変えるだけで、正答率が10%以上も変わった、という実験結果もあるとか……とここまで書いたところで、友人のSから「生物学的、心理学的な男女差は必然である」という内容のweb記事のURLが送られてきました。

 目を通しましたが、そこには社会化やステレオタイプの影響についての言及は見られませんでした。Sの主張はやはり、人間が受ける社会からの影響を軽視しすぎている、と感じます。そこで私は、『ステレオタイプの科学』をアマゾンでポチってSの誕生日(今週末)にプレゼントすることにしました。お互いの意見が一致することは永遠にないのかもしれない、と思いつつ。

(原宿なつき)

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