七つなのになぜ五蓋?

『五蓋』とは、貪・瞋・惛眠・掉悔・疑の五つの煩悩のことですが、

このうち、惛眠は、惛沈と睡眠 の2つです。

掉悔は、掉挙と悪作 の2つです。

つまり、五蓋は、貪・瞋・惛沈・睡眠・掉挙・悪作・疑の七つなのです。

しかも、掉挙と悪作の掉挙とは心の浮つきのことで、悪作とは後悔のことです。

普通に考えて、心の浮つきと後悔とは全く違うものです。

それを掉悔と一つにまとめています。

何故でしょうか。

これは、wikiを見たのではわかりません。自らの瞑想が必要となります。

分かる人はいるでしょうか。

 

 

 

『五蓋』というのは煩悩のことですが、仏教において極めて重要な語です。

なぜかというと、

仏陀は、

不善の法を捨離⇒五蓋の捨断⇒四禅定⇒三明  

と進んで、解脱したからです。

このことは、何度も何度も仏典で説かれます。

五蓋の捨断と四禅定の間に、喜と軽安が入ることも多いです。

つまり、

不善の法を捨離⇒五蓋の捨断⇒喜⇒軽安⇒四禅定⇒三明

です。

七覚支はここから来ています。

 

さて、仏陀は、五蓋を捨断する方法について詳しく説いています。

 

〈慚愧をそなえる〉

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〈身の行為を清浄にする〉

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〈語の行為を清浄にする〉

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〈意の行為を清浄にする〉

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〈生活を清浄にする〉

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〈感官の門を護る〉

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〈食べ物に量を知る〉

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〈覚醒に努める〉

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〈念と正智をそなえる〉

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〈五蓋を断つ〉

 

 

〈五蓋を断つ〉については次のように詳しく説かれています。

 

 

1、世界に対する貪欲を捨て、貪欲の消え失せた心をもって住み、貪欲から心を浄めます。

 

2、怒りと憎しみを捨て、怒りのない心をもち、すべての生き物を益し、同情して住み、怒りと憎しみから心を浄めます。

 

3、沈鬱と眠気を捨て、沈鬱と眠気が消え失せ、明るい想いを持ち、念と正念をそなえて住み、沈鬱と眠気から心を浄めます。

 

4、浮つきと後悔を捨て、浮つきがなく、内に静まった心をもって住み、浮つきと後悔から心を浄めます。

 

5、疑いを捨て、疑いを脱し、もろもろの善法に対して疑惑をもつことなく住み、疑いから心を浄めます。

 

 

ここで重要なのは、五蓋の反対が示されていることです。

これによって、五蓋の意味が浮かび上がってきます。

貪欲には、反対の言葉が示されていませんが、貪欲は他の説法でよく説明されているので、意味はわかると思います。

 

〈怒りと憎しみ〉に対して、〈すべての生き物を益し〉と〈同情〉が挙げられています。

慈悲の心をもつことによって消えるとされています。

 

〈沈鬱と眠気〉に対しては、〈明るい想い〉〈念と正念〉が挙げられます。

〈浮つきと後悔〉に対しては、〈静まった心〉が挙げられます。

そして、〈疑い〉とは、〈もろもろの善法に対しての疑惑〉のことだとわかります。

 

この説法によって、五蓋の性質がかなりはっきりと示されたと思います。

 

そして、さらに次の喩えで重要なことを言っています。

 

五蓋とは五つの障害であり、

1、負債

2、病気

3、牢獄

4、奴隷

5、荒野の道

に喩えられています。

 

【慧を弱めるもの】という定義です。

 

つまり、仏陀が、煩悩といい、不善法といい、五蓋というのもすべて、慧を弱めるもの、慧に蓋をしてしまうもの、慧に覆いかぶさるもの、という意味で、それを取り除けば慧が輝きだすということです。