310 醤油? 刺繍ヨシ!
オレはようやく自分を信じられるようになった――。
キュベロの頭の中で、クラウスの言葉が何度も何度も繰り返される。
彼の変化と成長は、喜ぶべきことだ。そう、切り離して考えられるはずだった。あれはもう過去のことだと、受け流せるはずだった。
だが、現に今、キュベロはこうしてセカンドの従者としての務めすら忘れてしまうほどに平静を失っている。
「馬鹿野郎が……!」
手のひらから血が出るほどに強く拳を握り締め、キュベロは口にした。
その煮え滾るような怒りの殆どは、不甲斐ない自分自身へと向けられている。
覚悟はできていた。義賊とは、決して善人ではない。悪人を殺す悪人。悪の道は、いつ自分が
親分リームスマの盃を受けた時、キュベロはその覚悟を決めたのだ。同じR6の仲間たちも、きっと同じ覚悟であった。
しかし……父親代わりだった親分が、苦楽を共にした仲間たちが、次々と騙し討ちで殺されていった光景が、酷く鮮明に瞼の裏に焼き付いている。
ケジメはつけた。命懸けでセカンドに挑み、決着まで筋を通した。
そして今は、命懸けでセカンドへの恩を返し、セカンドへと食らいついている。
もう二度と、あの光景だけは見たくないのだ。たとえ覚悟ができていようとも。
……だというのに。
「何が……これほど私を……!」
わからない。
言いようのない怒りが沸々と込み上げてくる。
キュベロはそれを情けのない自分に対する怒りだと考えた。
守れたはずなのだ。あの時、クラウスよりも力があれば、第一騎士団の攻撃から仲間たちを守れたはずなのだ。
次こそはという一心で、今まで己を磨いてきた。血の滲むような努力を続けてきた。
しかし、その自信は揺らいだ。たったの一言で、これほどまでに心を掻き乱された自分に驚いているのだ。
「セカンド様、私はどうすれば……」
このままスタンピードを迎えることが、不安で仕方ない。
キュベロは縋るように、己の最も敬愛する主人の名前を呟いた。
誰かに相談できるような性格ではない。誰よりも早く起き、誰よりも遅く寝て、生来の不器用を努力と根性で器用に見せる男である。自分の弱い部分など、誰にも見せられるわけがなかった。
生粋の侠客である。腕一本でここまでやってきた。だが、あの日、腕一本ではどうにもならないものがあることを知った。
また、仲間を守れないかもしれない。それが途轍もなく怖いのだ。
自信を失い守るべきものを守れない怖さに震える男と、やっと守るべきものを見つけ自信を取り戻した男。
この二人をどうにかできる者がいるならば、それは、やはり――。
◇ ◇ ◇
一日の仕事を終えて布団に寝転がり、クラウスは一人考える。浴場での出来事だ。
マインの従者となってから毎晩、こうして考え事をするのが彼の日課である。
それは反省でもあり、後悔でもある。しかし、過去はどう足掻いても変えられない。
クラウスは愚直ながらに前を向いている。過去の自分がそうだったように、口ではなんとでも言える。それが嫌だと思えるからこそ、時間をかけて行動で示すことしか今の彼にはできない。
他人のせいにすることはできた。しかし、そうはしない。
物心ついた頃から周りの尽くが敵だと教えられて育ち、次期国王以外に人生の選択肢を与えられず、常に誰かの傀儡としてしか生きてこなかった。
クラウスは、自分の意志で何かを成したことなど一つもない。そう錯覚することはあったが、その背後には必ず母親や宰相の思惑があった。
母親も、宰相も、クラウスに味方する者の尽くが、彼を担ぎ上げ、利用しようと企んでいた。
誰からも愛されていないことなど、彼自身が一番よくわかっていた。
それでも、次期国王を目指すしか、彼には生きる道がなかったのだ。
彼が愛されるには、もう、それしかなかったのだ。
……だからこそ、全てを失ったクラウスは、フロンに惹かれていることを認め、マインに心から忠誠を誓えた。
キャスタル王国で、この二人だけが、決してクラウスを見捨てなかったのだ。
彼の最大の敵だったはずの、この二人だけが。
ゆえにクラウスは、過去から絶対に目を背けず、他人のせいにはしない。己の罪を受け入れ、この二人のために誠心誠意尽くし、前を向くと決めた。
他人のせいだと開き直れば、二人が見捨てずに救ってくれた己も、救われて変わった今の己のどちらもを否定することになるからだ。
クラウスは、そうして愚かな己を自覚し前を向いて藻掻く姿をキュベロたちに見せることが、今の自分にできる唯一の贖罪だと、そう考えている。
償いきれるとは思っていない。だが、利用されるだけの愚か者のままでいるよりは千倍マシだと思えた。
自分が愚かであるならば、せめて、二人の役に立ちたいと、愛しい人たちの盾となりたいと思ったのだ。
それは、クラウスが人生において初めて持った確固たる意志だった。
「オレは、この
マインを、この国の人々を、護れるだろうか?
クラウスはそう呟いて、傍らに置いた剣に手を添えると、静かに震えた。
スタンピードが近付くにつれ、そのようなことを頻繁に考えるようになった。
剣術は、彼が長らく培ってきた、たった一つの確かなものだ。
第一王子として当然のように身に付けさせられた剣術は、やはり彼の意志とは無関係のものであったが、それでも体に染み付いたその技術だけは裏切らない。
彼の中に存在する、彼が王宮で過ごした二十年が丸っきり無駄ではなかったと証明するものは、今やそれしかないのである。
「セカンド……もし、オレが……」
恐怖を押し殺すように、尊敬する師の名前を呼んだ。
万に一つのことがあっても、安心して任せられる男がいる。
そう考えると、少し、震えが収まったような気がした。
* * *
「――ご主人様! やぁ~っと!
スタンピードまで残り三日。
早朝、俺のもとをシャンパーニ率いるメイド隊が訪れた。
「例のって、アレが間に合ったのか!」
「そうですの!」
「ナイスだ! よくやったぞ、シャンパーニ」
「おぉーっほっほ! ご主人様、折角のお言葉とっても嬉しいのですけれど、仰っていただく相手が間違っておりますわ。わたくしの部下たちが作ったんですのよ?」
それもそうか。
俺はシャンパーニの後ろに並んでいるシャンパーニ隊のメイドたちに向き直ると、改めてお礼を口にする。
「皆、ありがとう。よくやってくれた。俺たちが
「は、はいっ……!」
シャンパーニ隊のメイドたちは、感激したような表情で頷いてくれた。皆「やりきった」という顔をしている。きっと何日か夜なべをして作ってくれたんだな。
「ご主人様、今ここには七着ありますの。ご主人様、シルビア様、エコ様、ラズベリーベル様、レンコ様、アカネコ様、アルファ様の七人分ですわ。あとはファーステスト家以外の皆様用のものを、当日までに間に合わせる予定ですわ」
「なるほど、身内とそれ以外でデザインを分けてくれたのか」
「そうですわ。中でもご主人様のものは特に気合が入っておりますのよ……!」
フンスと鼻息荒く顔を近付けてくるシャンパーニ。女装の時もそうだったが、ファッション関連のこととなると彼女はパッションが凄いな。
「そんなに言うなら、試しにちょっと着てみようかな」
「!」
俺がそう言うと、シャンパーニたちはぴくりと反応して期待に満ちた表情をする。なるほど、これは相当な自信作だな?
さて、俺が彼女たちに何を頼んでいたかというと……これだ。
純白のローブ――いや、ローブというよりは羽織のようでもあり、後ろから見ると“特攻服”のようでもある。
うひゃあ、真っ白だ。こりゃ醤油とか跳ねてシミになったらヤベーな。
それにしても、着てみてわかった、流石の仕事である。
そして背中には――ドでかく「 世 界 一 位 」の刺繍。
……ワーオ、素晴らしい。これは目立つわ、間違いなく。
「お気に召していただけましたかしら……?」
俺が鏡の前に黙って立ったままだったからか、シャンパーニが少し不安そうな顔で尋ねてきた。
「超気に入った。最高だ」
「本当ですの!? やりましたわ~っ! 嬉しいですわ~っ!」
俺がビッと親指を立ててそう答えると、シャンパーニは部下たちと一緒になってぴょこぴょこ跳ねながら喜んだ。
その喜びようで、この服のデザインがシャンパーニによるものなのだとすぐにわかった。
「皆の分も、こんな感じのデザインなのか?」
ふと気になり、聞いてみる。
「ええ、そうですわ。けれど刺繍入りは、ご主人様とシルビア様とエコ様だけですの」
「ほほう? なるほど」
わかった、タイトル保持者か。
つまり、シルビアの背中には「鬼穿将」の刺繍が、エコの背中には「金剛」の刺繍が入っているわけだ。
そりゃあ……カッチェ~な!
「気合入っててイイぜ」
「ありがとうございますわ、ご主人様っ」
スタンピードイベントは目立ってナンボだ。少なくともメヴィオンではそうだった。今回も、目立って損はないだろう。
そもそも最初は、皆に配る予定の付与装備をどうにかして隠そうという発想から始まった。
急遽作製したせいで装備品のシリーズを統一できず、ガッチャガチャの不揃いでかなりカッコ悪いから、それを隠すために羽織るローブか何かを用意してやろうというアイデアだ。
それがシャンパーニと打ち合わせをしていると、いつの間にやら「如何にカッコ良くて目立つ衣装にできるか」という話になっていて……結果、今に至る。
あの時の俺を褒めてやりたい気分だ。シャンパーニに相談してよかった。
「よし、大変だと思うが、この調子で皆の分も頼むぞ」
「畏まりましたわっ!」
今回の参加者は、正直何人いるか数えていないが、かなりの大人数だ。
前半は国家戦力で押さえ込むらしいが、後半はファーステストの面々や使用人、タイトル戦出場者たちの個々の戦力が頼りになってくる。
せめて前半の指揮官たちと、後半の全員の分は、この純白の羽織を用意したい。
そしてできれば、世界各国の人々が、この羽織を見るだけで震え上がるような……間違えた、目を輝かせるような、そんなシンボルマークにしたい。
かつて皆が、白銀の長髪を目にして、そうであったように。
さあ、いよいよ大詰めだ。
ユカリの方は、間に合っただろうか――?
お読みいただき、ありがとうございます。
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