ベストショット
EOS-1D X +EF600mm f/4L IS II USM、F4.0、1/1250sec、ISO6400
©A.Mizutani/MySport
文・野口美恵(スポーツライター)
日本のスポーツ写真家の草分的存在として、アスリートの肉体と精神に迫る迫力ある一瞬を捉え続けてきた水谷章人氏。約50年にわたるこれまでの歩み、そしてどんな目線でアスリートを切り取ってきたのかを聞いた。
写真を撮り始めてから約50年。何をきっかけに写真家を目指したのでしょう?
もともとは東京の大学の経済学部にいたんですけれどね、勉強が嫌いで進級できそうにないので、何か手に職をつけようって考えたんです。それで、中学時代の女友達の家が写真屋さんでよく留守番してるのを見てたものですから、そうだ写真家になろうって。それだけの理由で専門学校に入ったんです。写真学校の先生にキヤノン7型という機種を勧められて買い、22歳で初めてカメラを持ちました。
最初に撮ったのがスポーツだったのですか?
専門学校時代の1年目に、東京中日新聞のアルバイト試験を受けたら受かっちゃったんです。新人で体力もパワーもあるってことで。そこで野球のナイターの担当になって後楽園球場に行ってました。
そのままスポーツ分野へ進んだのでしょうか?
いえ私は長野県飯田市、中央アルプスと南アルプスに挟まれた所で育ったので、山岳写真家を目指したんです。それで山の写真を撮っている途中で、スキーと出会いました。その迫力に魅せられて、元五輪選手の杉山進さんが開講していたスキー学校に写真部を作ったんです。そこでプロスキーヤーたちのカッコイイ写真を3年間、撮り続けました。とにかく自分だけにしか撮れない写真を撮ろうと、自分の作風を築いていきました。
どんな作風を築いたのでしょう?
とにかく汚い写真です。綺麗な写真はみんなが撮るし、迫力が出ない。それまでのスキー写真は、稜線とシュプールの美しさを撮る山岳写真のひとつ。それをスポーツとして捉えて、選手に肉薄する写真を撮ったんです。すごいクローズアップで撮るので、こっちも雪を被って衝突されるのもしょっちゅう。まさにスキーヤーとカメラマンの格闘。とにかく人の真似をしたくないという一心でたどり着いた絵柄です。
迫力を大事にしたということですね。
最初の写真展でも、やはり迫力を考えました。1970年、30歳の時に東京で初の個展「極限に挑むスキー」を開いたのですが、ここで打ち出したのは、汚い粗い写真の迫力です。昼間の撮影でも増感して、わざと粒子を粗くする。そうすると粒子のブツブツがいっぱい出るような汚い写真になり、引き伸ばしてパネルにすると迫力が出るんです。当時はそんな感覚が斬新で、急にスポンサーが付き、日の出の勢いで雑誌の仕事が殺到しました。
どんな雑誌がありましたか?
まず1975年から「毎日グラフ」での連載「パワー&スピリッツ」です。1年間約60回続けました。ちょうど1976年の札幌五輪を毎日新聞のカメラマンとして撮影することになり、スキー以外にもジャネット・リンなどフィギュアスケートを撮り、スポーツ写真というジャンルに遭遇して、そのまま夏のモントリオール五輪、という具合にチャンスに恵まれてきました。
当時、撮影に苦労したことは?
カメラは今に比べたら性能は全然高くなかったですね。でも関係ない。とにかく汚いイメージでガンガン撮る。いつも見開きで1枚だけ。あらゆるスポーツの写真を撮り、ここでスキー写真の手法を持ち込んだんです。それまで報道写真だった分野に、衝撃的なアップの写真を紹介していって「アップの水谷」と呼ばれました。水谷といえば汚いアップの写真。それが私の写真のカタチ。そこが崩れたら私の写真じゃないと。
それは当時、すごいインパクトだったのでしょうね。
そうなんでしょうね。毎日グラフの連載をまとめて日本初のスポーツ写真集「極限の形象」を発表して、さらに1980年からはNumber(文藝春秋)で「THE SCENE」という連載をやりました。観音開きで4ページ横長に使って1枚だけ。5年間で100回です。自由に撮らせてくれて、あらゆるスポーツをモノクロで撮りました。
フィギュアスケートも撮りましたか?
原点はスキー写真だけれど、フィギュアは好きだったからかなり撮りました。私は極端なので、格闘技か美しいものが好き。一番印象に残るのは、やっぱりサラエボ五輪で見た『ボレロ』(ジェーン・トービル&クリストファー・ディーン/英国)だね。あれは最も印象的なシーンだった。あと女子のカタリーナ・ビットの美しさも感動的でした。日本人も撮りましたよ。渡部絵美の若くて可憐だった頃も、伊藤みどりの小さい頃もね。あとスイスのデニス・ビールマン。彼女のスピンは衝撃的。あんな形になっちゃって良いの?って思って、スピンばっかり撮ってました。すごい訓練をして、究極の技としてやるんだから!あの衝撃に比べたら今は驚くことはないです。
若い選手も撮りますか?
今でこそトップ選手ばかり頼まれるけれど、原点はスキー学校の生徒ですから、どんな選手でも撮りたいです。トップだけがスポーツじゃない。その人間の価値が現れる瞬間を私は撮ってみたいと思う。ジュニア選手は将来性を見出して撮るのが楽しいです。庄司理紗なんかは良い雰囲気をもってる子でしたね。あと今井遥のような、華やかさや女のいい雰囲気がある選手は絵になるので大事にしていきたいですね。
今は女子の撮影が中心ですか?
昔はアイスダンスが本当に好きでした。昔は男と女がもっと密着して色気があって華やな雰囲気だったんですよ。今は技ばかり詰め込んでてペアと変わらない感じがします。トービル&ディーンなどは本当に素晴らしかった。撮る側としては、ルールが変わってもアイスダンスのいい部分は残して欲しいんだけど、まあ我々が言う話じゃないですね。カルガリー五輪ごろのアイスダンスが一番素晴らしかったなと思います。
フィギュアスケートは報道カメラマンが急増しました。報道写真とはどういった差を付けていますか?
記録とアートの違いでしょうね。私の場合は、技が先ではなく絵作りが先行。私が選んだ、美しい絵を作れる場所で待つ。そこにうまく選手を呼びこんで良い技が出ればいい。だめならその試合は諦める。撮れないことはザラだけど、その1枚のために待つ。絵柄としては絶対に看板をバックにしないで、白い氷の上にどう選手が浮かび上がるかをイメージする。構図とか造形美とかが大事なんです。私だけの構図に意味があるので、他の人と違うポジションを探して撮るから、いつも私の周りには誰もいないよね。会場にきてるメディアは報道発表することが義務付けられているから、リンクサイドで記録写真を撮る。私たち写真家は1枚を撮る。でもそれじゃ会場に入れてもらえない時代になっちゃったから若手写真家は大変だよね。
そうなると若手の育成が急務です。プロカメラマン育成の「水谷塾」にも尽力されていますね。
いままで弟子は9人、水谷塾の卒業生は50人。若手の育成をしないと将来、スポーツ写真家というジャンルが残らないから。報道写真ではなくプロの写真家を育成したい。お金稼ぐには報道写真に走りやすいけど、本当の職人を育てたいんです。だから若い子もどんどん写真展をやるべき。最近のスポーツは一般は撮影禁止だから、色々と自分で撮って勉強するチャンスが無いのは淋しいこと。写真家を目指すには難しい時代を迎えています。私はいい時代に写真家人生を送れたなと痛感しています。
約50年の間に、写真の表現などの変化はありましたか?
表現力ではなく、捉え方やテーマが変わりました。昔は一瞬だけを切り取れば良かったのですが、今は人間の内面、その人を撮ろうとしています。未熟な私なりに成長して、他の人がだんだん見えてきたってことです。スポーツにはその人間が現れるので、そのすべてをカメラを通して表現したい、その子のドラマを描きたいなと。苦労して世界チャンピオンをつかんだ髙橋大輔なら一瞬の表情の曇り、めきめき成長している羽生結弦の勢い、いろんな表情がある。
いま目を付けて撮影している選手はいますか?
羽生は面白いね、歌舞伎の坂東玉三郎みたいで。表現力とか体つきとか、久しくあんなにいいニュアンスのある男子選手はいなかった。仕草もいいし、体の芯から表現しているのが技ににじみ出ている。メダルをとれる要素を完全に持っているスターですね。
今回の四大陸選手権ではやはり羽生を撮りますか?
会場の一番上の誰もいないところから、キヤノンのEOS-1D Xで、600ミリでね。羽生の顔だけ、表情だけ撮りたいです。胸から上くらいの横位置で、ちょっと空間を持たせた絵づくりを今考えています。そうやってイメージから入るんですよ。果たして成功するかはわかりませんけれどね。撮影に集中するためにギリギリまでは会場に入らないで記者室などで休んでおきます。(この後、見事にイメージ通りの「ベストショット」を撮影した)
ずっとキヤノンのカメラを使ってきましたか?
最初の個展をやる前のまだ名もない若造だったころに、キヤノンが拾ってくれたんですよ。以来ずっとキヤノンです。開発された新しい機種をすべてテストとして使ってきました。レンズも昔は300ミリが一番長かったのが、ロサンゼルス五輪の時に400ミリの100万円以上するのが出たんですけど、テストで持って行ったら初日に落として壊しちゃって……。それでもキヤノンは怒らずに新しいのを作り直してくれました。今でこそ、こんなジジイにはテストさせてくれませんけどね。だから水谷のスポーツ写真はキヤノンと共にある。このカメラが世界最高でないと、最高の一瞬は撮れないんです。
(2013年2月8日、四大陸選手権会場にて取材)
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水谷 章人氏 「かわいい!アイドルのような可愛らしさが出ていた。それを表現したかった!」