pixivは2021年5月31日付けでプライバシーポリシーを改定しました。
うたうたう彼女が琴をつま弾き、翠風のライアーは龍を呼ぶ。 眠りに落ちた龍はうたに導かれ巨木のもとに現れるが、体を蝕む闇に囚われたままだ。 龍は彼女のうたに耳を傾け、好奇を抱く。うたを諳んじ、懐古に身を浸す。
けれど、眠りから蘇りしとき、知るものはそばにはいない。
「君はどこにいる」
翠風のライアーは答えない。 過去の苦悩に惑う東風はモンドに降り立つ。
「君の歌が聞きたい」
うたは沈黙し、腐敗は進む。 彼女のうたも、龍は聞こえなくなった。
彼と彼女の行く末を風は見守るが、風は彼らが何よりも自由であることを望んだ。
ライラは狩りが上手いと評判の娘だった。だが、モブもモブ。見た目がモブの容姿ではないがモンドのあちこちの森を走り回って、たまに魔物から逃げ回り両親を心配させ、それでも話をあまり聞かず遊び倒していた。どこにでもいそうなちょっと反抗心が強い人間の子ども。
いま思えば、この心を揺らすうたを探し回っていたんだと思う。
私はあの日、吟遊詩人に出会い、うたうたう猫の詩を聞いた。どこか元気のない彼が元気になれば、と思い、うたを歌った。 たったひとつ、産まれた時から知っていた、誰かに元気を分け与える旋律を。 両親は誰にも歌っちゃダメだと言ったけど、あちこち歩き回る私は森の中なら良いだろうと歌った事もある。そのときに、とても大きな狼に出会ったりもした。人間に失望していたが攻撃的ではない彼は出会ったときから優しくて、私のうたを聞きたがった。勝手にひとの領地に侵入した罰だと言って。彼の狼の家族は森の外まで私を見送ってくれるのでよく助けられた。
両親は何が何でも私に歌わせたくないようで楽器から私を遠ざけた。家にあったモンドの伝統楽器は私が旋律を奏でた日から無くなった。しかしそれでも私は諦めるということを知らず、弓の弦も使いようによっては奏でられることを知り、音が鳴ればそれはもう楽器だと開き直り肌身離さず持ち歩くものだから、弓の扱いが上達した。 “風の神の目を授った“、祝福のことは言わなかった。両親は髪の色が変わった私の肩を掴み、それは風神様がお前が望まれているに違いない、とヤベェ目で私を教会に預けた。私はあれほど遠ざけられた楽器に触れる機会と自由に歌うことが許されたのだ。神の目を授かっただけで、こんな簡単に。
胸が、落ちつかない。いいのかな、ほんとに。歌は神秘だ、愛であり、希望でもあり、命そのもの。元気を与えもするが、自由なもの。何度も心の中でおまじないのように唱えた、ヤベェほど情緒が不安定。何度も自分を励まして一人の時間をやっともぎ取った。やるべきことを真面目に学び、模範的な姿を見せまくり、信用を勝ち取り、弓の腕も見せ、軽い遠出を許されたともいう。城門前の警備の人に手を振り目指すのはあの、大きな木の下。魔物があまり近づいてこない場所。
風立ちの地、風が吹く野原、かつての英雄が残した巨木。 うんと気持ちのいい風が吹く。ここはモンドだ、風神バルバトスが自由であれと願った、自由の都。
「
狩りで使っていた弓とは違う楽器らしい楽器。モンドの楽器の弦をためしにつま弾く。 私のライアー、私のための竪琴。 この心は霧が晴れたように清々しい。 何度か指の動きを慣らすため、つめたてては鳴らす。旋律にもならない音の数々が風を揺らした。
うたうたう魔神リビカの記憶を思い出してしまえば、たくさんのうたを奏でたくなった。私はうたいたい、本能のまま。この世界にはもっと歌がなくちゃ。
「あのうたがいい」
ド ソ ソ ファ ミ レ ド レ ミ ド
つま弾くのは、ルーの歌。鶴観、霧深き島。雷鳥と少年が育んだ友情の歌。旅人が訪れなければ進まない時間の中のお話。誰かに届いて、誰かの心を癒す、うつくしい音。言葉のない音を、ちいさく口遊む。記憶の底から、うたの続きを引っ張り出すために。
「ら、ら、ら、らら────」
腰に飾りのようにつけている風の神の目が光る。風神の祝福を受けたせいで毛先に碧が混じる髪の毛も僅かに光を放つ。
わたしはめぶき、わたしはうたう。風を揺らして、風とともに。喜びと楽しみを賛えるうたうたい。
好きなように奏で、好きなときにやめる。もう自由なんだもの。すごくスッキリした気持ちで顔を上げたところ、見えてはいけないものがいた。
「────君はなぜ、我に歌いかける。」
いつのまに降り立っていたのか。まったく気づかなかった。曲に集中していたとき、大きく風は動かず、草木を揺らす音もしなかったように思える。 目は青い炎のように、六枚の翼の鱗は水色。ゲームで初めて見たときにどうしてか、蝶々みたいだと思った。翼を広げし龍、空を翔けるもの。
「君はなぜ、我を呼ぶ?」
苦しげに息をするのが、ある吟遊詩人とそっくり。彼の体には毒々しい傷跡が残っている。メインストーリー前、彼はまだ救われていない。でも、目覚めている? 時系列を思い出そうとするも、随分と前の記憶で、何だか曖昧だ。 授けられている風神の祝福、そのとき得た風の神の目。彼を呼び寄せるには十分すぎるほどの条件。 バルバトスの権能。風の神が司るものは自由。与えられた自由に苛まれ時代に取り残されかけた、一匹のトワリン。
物語の中で肩書きを失おうと、その気高い心はなくならない。 モンドの四風守護、その一翼を担う東風の龍。
彼を呼んだ覚えはないが風を揺らした覚えはある。目覚めさせてしまったのだろうか、体を蝕まれ、毒血に苦しむ彼を。 ぱくりと食べられそうなサイズの違いにこれ死んだかもしれない、と思った。
私、あなたを呼んでない、そんな事実を述べると龍である彼がひどく傷つきそうで躊躇い、とりあえず、名乗ることにする。
「初めましてライラです」
不思議そうに首を傾げられるが、本編通り無垢な龍だった。
「我はトワリンだ。」
やはり、彼で間違いない。東風。ライアーをつま弾き、風が揺れた。トワリンは心地良さげに音を聞いている。
「あなたの眠りを邪魔してごめんなさい」 「……目覚めには良い、風だった。君から、祝福の気配がする。」
そう続けられた言葉に、あの吟遊詩人野郎、と心の中で吐き捨てた。
◯ ◯ ◯
何故かトワリンの抱えるバルバトスへのクソデカ感情を聞いている。相談されるとは思わないよ。若陀龍王といい、トワリンといい、力があって体も大きい生き物は、人との関わり方が難しそうで、ううんと唸る。そういやこの世界には摩耗、と呼ばれる現象があった、前々世の記憶をなんとか手繰り寄せる。今から数えた前世はうたうたう魔神リビカ時代、その前は異世界の人間、そうして今回は、モンドにいるただのライラ。こうして考えると私もなかなか濃い運命を送っている。
「ヤックデカルチャー……使いどころ違う……?トワリンはもっと自由に生きたら良いのに」 「自由……」
頭を悩ませているように見える、地雷を踏んだかこれ。若陀もめちゃくちゃ真面目だったな。ひだまりでの昼寝を同衾と勘違いしてて、深刻そうな面でモラクス様に相談してたからねあの堅物龍。ちなみにモラクス様も真面目な顔で相談を受けていた。慌てて二人に駆け寄って違うのだと言っておいた。あれは単なる昼寝です。リビカは安心できたらどこでも寝ます。
「……アイドルは良いよ。推しがいたら元気になる。この世界で見つけるのは難しいけど」 「あいどる」 「よし、見せてあげる。私で申し訳ないけど。自由の象徴みたいなものです。」
嘘は言ってない嘘は。推すのも自由、推さないのも自由。あと元気になる。心に一人推しはいた方がいい。確実に。 あのダンスの振り付けは覚えている。そばに置いていた弓の近くに楽器を置く。羽織っていたマントを外して動きやすくする。髪型はポニーテールに。風神の祝福を受け色が変わった毛先が揺れる。ハンカチをポニテに、リボンのように結んでイメチェンだ。気持ちの切り替え大事。
「あなたのためにうたってあげる。」 「我のために、君が?」 「うん、あなたにうたの贈り物。」
無防備な姿で両手を彼に伸ばした、どこか躊躇いを見せた龍は自分よりも小さい影を見下ろすばかりで。残念、やさしく、そっと撫でてみたかったな、若陀龍王のように。若陀の目はむかし何も見えなかったから、わたしがうたをうたい花を咲かせるさまも、虹の光を纏う姿も、悪くないと言ってくれた。彼は素直ではない堅物な友だったが、伝える言葉は惜しまなかった。私はとくに暑い日に彼の岩の体の上に寝そべるのが好きだった、岩がひんやりして最高。若陀はひだまりにピッタリだったんだ。獣の柔らかさにひどく戸惑っていたのもかわいかった。猫はでろんととけるものだからね。 トワリンがなんだか困っているように見えて、声をかける。
「どうしたの?」 「……贈り物をもらうわけにはいかない。」 「……どうして、そう思ったの?」 「君は風神の祝福を受けた人間だ、その歌を贈られる理由が我にない。」 「そうかな?変な決まりごとなんてないよ、歌はね、贈りたいときに歌っていいの。」
笑ってしまった、申し訳ないな、私は歌が歌いたいだけの女で、うたえるならどんな理由だって良い。ついでに誰かを元気にできるならそれってすごいこと。元気にできると自惚れてはないがトワリンも歌が好きなはずだ。知らない歌を知って、いい刺激になればいい。気分転換をしようよ。
「君に祝福を授けたバルバトスは何か言っていなかったか?」 「風の神は、もっと自由に歌うと良い、って言ってたけど。」
好きに、歌いたい。私から歌を遠ざけないで。生きているものが、自由なわけがない。あらゆる縛りの中で命は生きている。だけど私は、自由だ、そう思えるのも本心からだった。
「誰かに言われたから歌うわけじゃない。歌いたいときに歌うの。もし目の前に神が現れて“じゃあ今度は歌っちゃダメだよ”って言われても私は歌うよ。私は自由ないきものだから神にだって私の歌はとめられない。」
だってもう、こんなにも気持ちが軽い。伸ばされた手に戸惑うあなたがそれでも救われることも、知っている。風を纏い自由に飛ぶ姿も。友とまた楽しそうに語らうのも。
「大丈夫、見ててね」
元うたうたう魔神の腕の見せどころ。ちょっと距離を置くために背中を向け離れて、振り返り位置を決めた。つらいことはいまは横に置いておこうよ、ほんの少し私の歌を聴いていて。
「あなたにうたをあげる」
いつも、ひとりになんてさせない。緩みきった口元は喜びに溢れてしまっている。頰も熱い、ちょっと恥ずかしい。世界を映していた目を閉じる。次に目を開くとき私は、自由にうたをうたえるわたしになる。
宇宙の法則を破っても 死ぬまで踊らせて
リズムと一緒に弾むような体で高くジャンプをして、天を指差す。それでも龍より全然高くはなくて、トワリンにしてみれば小さい生き物がジタバタしているように見えるのかも。それも私は面白い。 トワリンが瞬きをし僅かに身じろいだ。古き龍が聴いたことのない曲調でも置いて行ったりしないから。
法則リズム ノッていても あえてハズしたら 変わる運命 予想外
楽しさが弾ける笑顔、浴びる元気、クセになる振り付け、伸びやかな歌声。目配せは多めで、時々わざと外す。本来は五人で奏でる曲だ、それを一人で歌うのは物足りない、なんて思わせない。聞いてくれる誰かがいるなら十分すぎるほど、素敵な時間になるはず。 観客はトワリン。贅沢な展開に胸が高鳴ってしかたがない。時々、歌とともに弾むように揺れている大きな体が、可愛らしかった。
だいたい四分。歌って踊るのは思いのほか、体力を使う。モンド中を走り回っていて良かった。でも踊るのは走り回るのとは別の筋肉を使う。明日は筋肉痛の気配。汗を腕で拭って、見守っていてくれた彼を見る。
「どう、かな?」 「……我にはアイドルというものが分からないが、君が楽しそうにしているのは存外悪くない。」 「ふふ、トワリンはボレアスと同じことを言ってくれるんだね」 「まさか知り合いなのか。」 「うん、ともだちなの!」
ともだち。絶句している彼に笑いかける。私も色々と思い出してからは驚いた、あのボレアスがうたを望むなんて。琴をつま弾くのは誰かさんが脳裏をよぎるのか、良い顔をしないから、声で旋律を紡ぐ機会が多い。
「トワリンも、もうともだちね!」
なので、抱きついて良いだろうか。触れ合いたい気持ちしかない。目がキラキラしてしまう、うんと上を見上げて、でも怖がったりしない。驚いた彼がどこか和らいだ吐息を漏らす。苦痛を忘れたような雰囲気で頭を下げ、顔を近づけてくれる。
離れていたぶんの距離、近づいて両手を先ほどと同じように伸ばす。今度は、きっと。
「グ、ゥウッ!」
龍は唸り、苦痛に身悶える。その巨体は大きく羽ばたくが起こされたはずの風が、草花を揺らさない。風すらそこにはない。あ、と気づいてしまう。それでも、つい伸ばした手は宙を泳ぎ、彼は掴むことの出来ぬ風、幻めいた霧のように掻き消える。
「まだ、目覚めてない?」
精神体、魂、そんな表現が浮かんで彼そのものは眠ったままだと知る。
「あなたが救われるのはいつなんだろう。」
とぼとぼ歩いてモンドの城内まで戻り、龍を見たなんて話はモンドの人は誰もしていなくて、胸元に抱えた楽器を抱き締めた。私にしか見えない、トワリン。
教会に戻る途中、町中で本編より若いバーバラを見かけ、あ、彼が救われるのはだいぶ先のことだ、と理解してしまった。
彼はその間、あの廃墟で、ずっと。
軽率に病みそうになる。モンド中を走り回っていた私はもう教会に属しているから、下手に遠出はできない。ボレアスにも会いに行けていない。何も言わずに遠出すればシスターたちに心配される。人間の目をどうにか掻い潜りあの手この手で誤魔化し、あの廃墟に行けたとしても、下手に干渉しすぎるのも良くないだろう。旅人が訪れるまで、どう関わったものか。
廃墟となった塔に住みつき毒血に苦しんでいる。トワリン、デテニープリンセスになれる素質あるな。私が王子様をしたいぐらいだが、その役目は旅人と吟遊詩人だから、それまで私は、待とう。
「そういえば、私が、トワリンを呼んだ?」
私が彼に歌いかけ、私が、彼を呼んだ。そう言っていた彼の言葉を思い出す。私が楽器をつま弾けば、彼に届くのだろうか、もしかして。物語上で重要な役割を果たすあのライアーすら、私の手にはないのに。
旋律を口ずさみ、私のライアーをつま弾いた。風が起こる、なんだこれやばい。風神の祝福が強すぎる。それとも、リビカの力、だろうか。まさかね。
「人の前で歌わなきゃ、大丈夫だよね、たぶん。」
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モンドに自由の精神があるおかげで、面白く新しいものはこれまで愛された伝統と共に発展することができた。 バーバラのキャラストの一部だ。
彼女は、なるべくして、アイドルになる。
努力は一番の魔法、父親を驚かせるほどの粘り強さ、他人に認められたい欲望は他人を助けたい信念へと変わり、運命が味方するように彼女はアイドル雑誌を手にする。 アイドルというものがみんなに愛されるために努力する仕事であり、優秀なアイドルは歓声をもらうだけではなく、自分の歌声とダンスで人々の心を癒やすことができる存在なのだと知る。こっそりと繰り返しステップを踏み、練習を重ね、それはまるで、シンデレラストーリーの如く。超時空シンデレラを思い出した私はここら辺で涙が出てくる、テイワットアイドルグループ計画が終了することになろうとも、彼女はアイドルの意味を皆に知らせるという小さな野望のため、努力は惜しまないのだ。
彼女が神の目を手に入れた時も、尊い。語りだすとものすごく長くなってしまうので割愛するが、教会入りたて、子供の看病、他の人はそれを見て歌ってあげたら?の流れから、一度も歌ったことがなかったが唯一知っている子守唄を歌い続けるのだ、声が枯れるまで、子供が眠ってくれるのを見て彼女は寝てしまい、翌朝、熱は下がる。その手の中には神の目が。子供の笑顔を見ることが、幸せ。そんな神の目を手に入れたお話は、ぜひその目で見てほしい。
歌声でみんなを癒やす、彼女の優しい夢を応援したい。バーバラを、さらに輝かせたい。推しまくりたい。もっとすごい舞台に立ってほしい。テイワット、歌で征服したい。めらめらと燃え上がる熱意は今にも爆発しそう。
「プロデュース、衣装、曲……マネージャー、は私があとでやるとして、資金と……人脈?スポンサーか……」
ぶつくさ呟いては教会を練り歩く私はさぞ不気味であったのだろう。シスターに心配され、一日の休みをもらった。
「太鼓判を押してくれる、そんなネームバリューを持った、人……?」
まずはモンドからだ。スポンサーが欲しい。私服を肥やしているであろう一部の貴族たちから支持されるために。権力がなくとも金という力は彼らにまだあるに違いない。騎士団と教会も手駒にしたい。それらと繋がりがあるちょうど良い人間なんてそんな都合がいい存在がいるわけが、いや、いた。
「アカツキワイナリーの貴公子、ディルック・ラグヴィンド!」
アカツキワイナリーはモンドの造酒業として全大陸に名を馳せている。これほど強い名前はない。深い赤髪に燃えるような赤目。ディルックという存在は本編でも紳士であり、まことの騎士であった。話が通じない相手じゃない。人の夢を馬鹿にしたりも、しないはず。ハッと思いついたら即行動だ。シスターにもらった休みを有効活用しよう。アカツキワイナリーまで足を運ぶべきか、エンジェルズシェアにいてくれたらいいけど、外はまだ明るい。そもそも忙しい彼が、いるのかな。 こっそりエンジェルズシェアを覗いたら、普通にいた。これはもう世界が私にアイドルを推していけと命じてる。確信した。 原作より少し若い気が。青年、いや原作も青年であったけど。何だろう、仕事でめちゃくちゃ疲れてそうだけど、くたびれてはいない、というか。
「あの、ディルックさん。いまお話ししても大丈夫でしょうか。」
お店や準備の邪魔をしないよう頃合いを探り、声をかける。急ぎでないことも付け加えた。ローブのフードを深く被る私が少女であったからか、何かもの言いたげな様子でバーカウンターを離れ、エンジェルズシェアの裏口に回った。そして“手短に済ませてほしい”と向き合ってくれる。手短に済ませるのが難しい話だが、努力しよう。そっと、被っていたローブのフードを外し、話し出した。
「私は西風教会に所属している祈祷牧師ライラと申します。」
名前を名乗り、身分を明かす。まずアイドルが何たるかの説明、歌って踊るエンターテイナーであり誰かの優しい夢を守る存在である事と、アイドルをするために協力をしてほしいことも。 僅かに驚いていた様子に、別の話をされると思っていたんだろうか、と考えたが、ええいそれよりアイドルだ、と続ける。
「あいどる……?すまない、僕はそういったものに興味はないんだ。」 「私腹を肥やす一部の貴族から金をたんと巻き上げ、その金で教会と騎士団を強化し、有事の際に市民と国を守れるよう、そんなモンドの未来に繋げたいのです。」 「……話だけは聞こう。外で話すのはまずいか、こちらに来なさい。」
よし来た。モンドを影から守る闇夜の英雄を味方につければ怖いもんはねぇ。ディルックさんは裏口の扉を開け、エンジェルズシェアの上階へ案内してくれる。私の弊ワットに彼はいなかったので詳しくは知らないが、この人が協力してくれたら怖いものがないことは知ってる。ガバガバ知識で。
「座って。」 「ありがとうございます」 「飲み物は何が良い?」 「大丈夫です、“手短に”終わる話なので」
相手の気遣いを受け取らなかったのは、理由がある。まだそこまで仲良くはないのと、私があなたが作るものを飲みません、その態度を見せたかった。私の拒絶に反応を示し、私を見る目が変わった。敵だと思われたくないけどできるだけ興味を惹きたい。 興味を惹くことには成功したらしく、ディルックさんは座ることはせず壁にもたれかかっている。そこ、唯一の出入り口である扉の横なのが地味に気になる。退路を塞がれている。最悪、窓があるか。風の神の目もあるし、無問題。
「僕が騎士団に協力的ではないことを君は知らないようだね。君に言ってどうにかなるものでもないが……騎士団が都合が悪い事実を隠蔽することもある。騎士団や教会は僕が大手を振って協力したい相手ではないんだ。」
断るためにわざわざ、人目につかない場所を用意してくれたんだろうか。 なら、別の興味がありそうな話は、と頭を働かせて、きちんと相手の目を見る。
「……アイドルはモンドだけにとどまりません、きっとテイワット中に必要とされる」 「乙女が見る夢のような内容を信じろと?有名になってどうする?知名度が何だ、その先は。……僕は別にお金にも困っていない」 「お金じゃない。私が差し出すのは、情報です。」
落ちた沈黙に、お願い、食いついて、と願う。
「つつかれても痛くない目的を持ち他国を渡り歩くということは、怪しまれずにあらゆることを知れるということ。あなたが欲しい情報を手に入れられるかもしれない、その機会と可能性は多ければ多いほど良いはずです」
本編でこの人が影ながらモンドの平和を守り、アビスを追い詰めていたことを私は知っている。アビスの魔術師を拷問したり殺戮ツアーを開催していた。本来知る由もない情報を知っているのは、強みだ。
「……君が僕にして欲しいことを教えてくれ。」 「あなたの名前が欲しい!スポンサーとして!あと……人脈、を築くためにワイナリーのパーティーに招待して欲しいとか、いろいろありますけど、」 「僕との結婚か?」
今度は私の時が止まった。想像もつかないことを言われたのは分かる。でもなぜそうなったのかが分からない。誠実さを秘めた赤い目が私を射抜く、これ絶対マジで言ってる。
「ち、違います!!!スポンサー、協賛者の一人としてアカツキワイナリーの名前が欲しいだけで。アイドルの活動が変なものではないことの証明が欲しくて」
食い気味に協力してほしい内容を伝える。慌てた様子の私を見て肩をやれやれといった具合に動かしたディルックさんが、ようやく口元を緩ませた。
「それを先に言って欲しかったな。」 「それ以外に何が……」
咳払いをしたディルックさんはこう続けた。
「それで?君が活動するのはいったい」 「待ってディルックさん私じゃない」 「……は?君じゃない?なぜ?」 「逆になぜ?」 「君は、君以外の夢のためにここまでしているのか?」 「はい、私はマネージャー、彼女の付き添いをするつもりです。」
珍獣を見る目を向けられたが、気にしない。
「結局、彼女が頷いてくれなかったら、アイドル活動もできないんですけどね。」
私が勝手に応援して推したいだけなのだ。
「君は、その彼女のために……?」
何かを考えるように首を傾げ、彼が目を細めた。それに少し、ゾワっとした。嫌な予感ともいう。
「そうか……君もアイドルをするなら、手伝ってあげてもいい。僕でよければ力を貸そう。」 「本当ですか、えっ私?聞き間違い?」 「君は歌えない?踊ったこともない?」 「歌えます、踊ったこともあります、でも、」 「歌が、好きだろう?君がアイドルを話すとき、君は幸せそうな顔をする。」
私もアイドルをするという条件付きで、協力してくれるという。どうしてこうなった。手短ではない話が終わって、すぐにでも教会に帰ろうとした私をディルックさんは止めた。
「喉は乾いていないかい?せっかくこのエンジェルズシェアに来たんだ、何か飲んでいくといい。君は何が飲みたい?」
本編で有名なあのお酒を飲めるのかも。目が爛々と輝く、期待を込めた眼差しをむけてしまう。ディルックさんは何を考えているのか、私の目を真正面から見つめている。ものすごく真面目な顔で。 魔神リビカの時もそうであったが、お酒はいい。強いわけじゃないけど、友と飲むのが良い。浴びるように飲むのだって好きだ、気分も楽しくなる。私は次の日に引き摺らないタイプだ。
「──── 蒲公英酒、もしくは午後の死を」 「君にはまだ早い、アップルサイダーにしなさい。」
ピシャリと要求を跳ね除けられた。選択肢なんてなかったじゃん。どうして聞いたの。 しぶしぶ飲んだアップルサイダーはものすごく美味しかった。流石、アカツキワイナリーを代表するノンアルコールドリンクの一つだ。
此処まで考えて種を蒔いておきながら私は悲しい事実を思い出した。
私、バーバラと出会ってすらいない。
あとで教えてくれるのだが、このときディルックさんはわざと私がアイドルをするなら、という条件をつけたそうだ。諦めてもらうために。だが私は楽器がなければ弓をつま弾けば良いじゃない、と開き直った女。こんなことではあきらめない。
◇ ◇ ◇
「君は我が見る夢なのだろうか。」
あの木の下で、トワリンにまた出会った。会えたらいいのにな、と思いライアーをつま弾いていたからこの展開を狙ってはいた。
でも本当に来てくれるとは思わなかった。某緑の勇者、宝箱を開けた時の音をライアーで奏でて来てくれるとは思わないよ。テレレレーン、ごまだれー。
私が、彼の見る夢。しょんぼりと落ち込んでいる、きっと、また精神体だ、風もなく現れたから。この謎現象、解明したい気持ちと深淵を覗きたくない気持ちとがある。害はないのでスルーすることを秒で決めた。もしこれが吟遊詩人野郎の仕組んだことなら次あった時にプロレス技をかけます。
「君は、この世界にいないのだろう。」 「いるよ。」 「……いるのか!」 「うん、めっちゃいる。普通に暮らしてる。」
六枚三対の翼を揺らし心なしか喜んでいるトワリンが最高に可愛い。手を伸ばすものの、私を傷つけぬようゆっくり下げられた頭に、やはり触ることはできず、すり抜ける。それに落ち込んだのは絶望顔を晒す私だけではなく、がーんと肩を落とすトワリンも含まれた。
「そうだトワリン、私ね、アイドル目指すことにしたよ。」 「あいどる。そうか、では我は君を推しにしよう。」 「そうはならんやろ」
もう、と息を吐いて、見上げた。違うのか、と首を傾げているともだちに笑いかけると、彼はそっと口を開き私の名前を呼んだ。
「ライラ、……君の歌は贈ってはもらえないのだろうか」
寂しそうな声に、唇に指を触れてから、投げキッスを。意味をわかっていないであろうトワリンにウィンクも。
「こんなサービス、滅多にしないんだから、うたってあげる、あなたのために」
今日はどんな歌にしようね、トワリン。嬉しそうに翼を広げ、リズムに合わせ揺れてくれる彼は、最高に可愛い。
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バーバラにアイドル好きの仲間だと気付かれるには、やはりインパクトが必要だ。そして、ユニットを組むためにも。
「ディルックさんの酒場で歌うことはできますか!」
突然現れた私に驚くことのない彼が、視線だけを寄越した。
「君は教会所属の祈祷牧師だろう、エンジェルズシェアでいったい何をする気だ。」 「酒場で祈祷()します。突撃ミニコンサート!」 「いや……はあ、まあ、いいが。」
甘いな、ディルックさん。何も起きないと思っているのだろう。女の子が歌って踊るのって需要があるんだよ。アイドルは性別年齢問わず受ける。これは私が生まれ育った国の国民性が影響してそうだが、この国でも原作でバーバラの人気があったからいけるはず。ディルックさんは育ちが良さそうだから、あまりアイドルの凄さにピンと来ていないが。
私はある意味、トワリンとの二人だけのカラオケ大会で吹っ切れた。 バーバラが私には歌しかない、と落ち込んでいたデートイベを思い出し、それは違うんだ、歌があるんだよあなたには、もうすごいことだ。そう伝えてあげたくてたまらない。本編でも彼女はかなりのファンが出来て、彼女の休日が休日ではなかったこともあった。それを分散させられるのでは、ないのか。つまりバーバラがよりバーバラらしく、お姉ちゃんことジン団長とのびのび生活できるなら、私がファンホイホイしても良い。逃げ足には自信がある。あとお金もあって困るものではない、教会と騎士団と私も潤う、最高だ。
問題は私がどれだけ、私の愛するさまざまな世界のアイドルたちに近づけるか、だ。だがしかし今回のガワは美少女。猫のような形のキャットアイも愛らしく、顔立ちの雰囲気はウェンティのように中性的だ。いけないこともないだろう。すでに出来上がっている歌と踊りは最高なので、何とかなるはず。よし、今夜のメイクや衣装は少女っぽさに振り切ろう。
◇ ◇ ◇
昼に約束を取り付け、夜に現れた彼女はいつも通りローブを纏っていた。すっぽり全身を覆うもので、性別も年齢もわからない。モンドによくいる吟遊詩人だろうと誰もが見向きもしなかった。それ見た事か、他人のための夢を応援するのもやめればいい。アイドルというものが何かはよくわからないが、彼女の心がこれで折れてくれないだろうか。無慈悲なことを考えては、グラスを拭きながらも、眺めている。
もし彼女が泣いてしまったなら、教会まで送ってやるつもりだ。最初はモンドにいる他の女性のように告白をしに来たと勘違いをし、話を交わした少女ライラ。少しの間だが彼女が悪い子ではないことを理解したつもりで、その実、中身までは把握していなかったのだろう、この時の僕は。 風が吹き荒れるほど、彼女は楽しいと笑い飛ばす人間であることを。
誰も君を見ない。君の歌を求めない。そんな状況で君は何が出来る。この世界に歌を広めたところで、何になる。馬鹿馬鹿しい。だが顔を見て、彼女の無垢な心と純粋な夢を折るのはあまりにも惨いと、僕はこの場に彼女を託した。酒場という目的がはっきりした場所で、酒を求めに来た人間しかいない。出来るものなら、歌ってみればいい、と。それで終わるならそれまでだ。
ローブの奥に隠された強い光と目があった気がした。 僕はこのとき初めて、彼女の歌を聞いた。
中途半端なスタイルはNO ブッ飛んじゃってるLOVEならfor me
音が、聞こえる。歌だ。少女の声、賑やかな酒場の中ではかき消されそうなほど小さい。それでもまだ理性が残っている数人は気付き、きょろきょろ辺りを見渡している。酒のグラスを打ち鳴らす音、騒がしい男達の笑い声、紛れるような、透き通った歌声。
ローブ姿の人物は胸に片手を当て、ららら、と口遊んでいる。僕は気付けばグラスを拭く手を止めていた。僕だけが、歌をうたう人物が彼女であると知っている。誰もまだ、彼女を見つけていない。心臓が鼓動を早めている。何かが起きる予感がしている。
少しずつ声が大きくなっていく。けれどそれは酒場の喧騒より小さい、だというのに、僕には届く。何故か、聞こうとしている者の耳にも。ローブの隙間から、翠色の光が漏れていた。気づいていた数人は、周りの人間に声をかけ、彼女を指差すものもいた。
ローブの人物は天に手を翳し、見逃してしまいそうな小さな手が指を折っていく。
3、カウントダウンだ。 2、準備はいいか、と問われている。 1、もう待てない、と言われ。 0、愛を、鳴らせ、と。
彼女はローブを脱ぎ捨て高くジャンプした。 着地音で誰もが声の主を認識し、酒場にはありえない沈黙が訪れ数秒時を止めたが、彼女は気にせず歌い続ける。今度はステップを踏み、身振り手振りを大きくつけ。それはおそらく、ダンスだ。しかも見たことのない衣服を纏っている。スカートは短い、上半身の露出も多い。だが、なぜか色気よりも元気さと愛らしさが勝る。
なるほど、これが彼女の語る、アイドル。歌って踊る、と言われ吟遊詩人や踊り子で良いだろうと思っていたがこれはそれらとはまた異なるものだ。風の神の目は腰元で輝いていた、風が、彼女の足元に置かれたライアーを奏でている。なんて器用さだ。本来は攻撃に扱う元素をそのように使うなんて。その一芸があれば食い扶持にも困らなさそうだが、彼女はそれだけでは満足しないらしい。彼女も、神の目を持っていたのか。ローブの下に隠されていた秘密を一つ知る。
酒場の板の上で軽やかな音が弾む。彼女は、あまりにも、生きている。薄翠の目がきらめいていた。翠を薄めた色、光差す水面や透き通る氷と表現する者がいそうだが、少女の翠はそれらには似ても似つかない。もっと暖かい。モンドに馴染み深い風や鳥の翼も思わせる。いきいきとした生き物しか持ちえない美しさ。この地に生まれ、モンドで生きるものの何よりも近くにある自由の風を思わせる。
楽しくて仕方がないと誰が見てもわかる表情で少女が踊る。ついてきて、と言わんばかりにまたジャンプする、そうしてようやく歓声が上がり、歌のリズムを掴んだ男達が手拍子や体を揺らし始める。そうすると今度は彼女が、彼女自身に視線を向ける幾人ものと目を合わせていく。 指笛を吹くものと、手を振られたら振り返し、彼女のウィンクに大げさに倒れるもの、様々だ。酔っ払いは収拾がつかない、だが歌が個々を集団にしてしまう。場を掴んでいるのは彼女だった、今夜は彼女がこのエンジェルズシェアの支配者のようだ。
僕は君の歌を気にしていないぞ、という顔で綺麗になったグラスを拭き続ける。彼女が、彼女自身がアイドルという存在を目指さない意味が、わからない。どうしてだ。アイドルはテイワット中に必要とされる、光溢れる目で断言した姿は自分に自信があるからだと思っていた。だが実際のところ、彼女は他人の夢のために僕のところへ乗り込んできた。 君こそ、なれるのだろう。誰かの優しい夢を守る存在。その、アイドルとやらに。僕は興味はないが。
場の熱が覚めない。盛大な拍手を送られた彼女が人差し指を天に伸ばし、笑顔を見せる。
「もう一曲、歌ってもいい?」 「もちろんだぜ!」 「こっちから頼みたいもんだ!」 「こういう日もいいな!何歌ってくれるんだ嬢ちゃん!」 「ありがとう!あと一曲だけお付き合いください!」
彼女が歌う曲調はガラリと変わり、彼女の指が僕を指す。
彼方に輝く 星が導く場所へ
心臓は跳ねる。表には出さないが、彼女が本当は”何もかも“を知っているのではないかという疑いが自然と芽生えるものの。
世界が隠している光を この手で暴いてみせるよ
警戒する僕の目を見て微笑むその表情は、子どもを見守る親のような穏やかさを隠さない。目を逸らし、ああ、完敗だ、わかった、分かったから。と心の中で返事をした。君の熱意に負けたよ。
「あの子、一体誰なんだい?吟遊詩人ではないよな?」 「知らないのか。僕も名前は知らないが……アイドル、というらしい。」 「あいどる……」 「さっき聞いたばかりなのにまた聴きたいな……どこに行けばあえるんだ……」 「あの嬢ちゃん元気が良くて可愛かったな……滅多にいねぇよ、こんな酒飲みに笑いかけてくれる子なんて……」
今後も不定期開催されることとなる、モンドが誇る
想像以上にエンジェルズシェアの売り上げが伸びたこともそうだが、ディルックは酔っ払いの勢いにどんびいていた。 次はいつ来るのか。どんな歌を歌うのか。俺はその時いなかったんだが、その子はどのような姿であったのか。いつまでだって待つから、また会いたい。あの、可愛らしい少女の歌と踊りを、また見たい。 アイドルという存在はディルックが想像する以上に中毒性があるようだった。 酒の席の噂ほど面白おかしく広まる、歌って踊る少女“アイドル”という存在も同じように。 ライラ、バーバラとの初遭遇まであと───
「あなたが、あの噂の、アイドルなの!?」
ライラは憧れの彼女の目に映り、手を握り締められる。夢見た偶像、モンドのアイドル。それに答えるべく、ぎこちないながらもなんとか笑顔で頷き、緊張した様子で言葉を絞り出した。
「うん。あのですね、それで、その、もしいやじゃなければ、私と、アイドル、しませんか」 「────もちろん!実は私も、同じことをお願いしようと思ってたの、アイドルを好きな子と会えるなんて嬉しい!しかもアイドルができるなんて!」
そんなこんながあって、彼女たちはアイドルへの道を歩み始めた。 新しい曲、作り上げられたダンス、コンサートの盛り上げ方一つとっても、ライラはかなり気合が入っているようで、協力者であるスポンサーという存在もいる、という。ライラのあまりの用意周到ぶりにバーバラはライラを二度見したが、“素敵なことで世界征服できたら幸せじゃない?”と彼女の野望を聞かせてもらい、バーバラは思わず、満面の笑みを溢したのだ。 不思議で、でも本気で生きてるともだち、から、何だか放っておけない相方になるのは、そう遠くない未来のお話である。
───────────────────
普段とは何かが違うことをモンドの人々は感じ取っていた。 ヒルチャールの動向がおかしい。暴風があちこちで起こり、キャラバンから怪我人も出た。まだ風魔龍が現れてはいないが、彼が出現するのも時間の問題なのだろう。モンド中が不安に襲われている。バーバラも不安そうで、私が手を握ってと甘えに行けば“ライラは甘えん坊で仕方ないなぁ”と言いながら手を握ってくれる。そうしてじゃれついて眠りにつく夜もあった。たまにバレてシスターに怒られるが私は懲りないので、彼女がお姉ちゃんのことを心配してうまく眠れない日は突撃ラブアタックをかましにいく。
『こんなときこそ“
エンジェルズシェアの彼に会いに行けば、最近やけに協力的なディルックさんの言葉が返ってきた。それは確かにそう。教会と騎士団にも相談しに行った。その頃にはバーバラと私がそれなりの知名度を築きつつあって、アイドルが何かはよくわからないが私たち二人が元気で市民も元気になるなら大変良いことだ、みたいな流れが出来つつあったのだ。地道なコンサートが身を結んだともいう。ちょっと前にジン団長を味方につけたのも強かった。アイドルしてるきらめくバーバラの笑顔を浴びれるもんね、バーバラの新規衣装の提案をよくしにいくので、自然と仲良くなれた。
仮で設置した中が見えないテント、その隙間から外を見る。西風教会の前をステージに、風神像前の広場や周辺の階段を観客が入る場所にした。決められた位置は、びっしりと人で埋まっている。すごいだろ、これでもモンド城内の人々もしくは冒険者や周辺の狩人しかいないんだぜ。下側の階段も埋まったそうだ、よく姿が見えなくても、声だけでも聴きたいと。 騎士団や教会、冒険者たちと会場の案内や人の流れを想定したシミュレーションをしておいてよかった、と思った。混乱はしていなさそう。モンド中が不穏な何かを感じ取っているのにこんなにも集まってくれた。想像より多い人数、いや、バーバラやアイドルの力を思えば、想定内、ではあった。不安や不満が募るほど人々は救いを求めるものだ。教会でも朝から祈りを捧げに訪れる人も増えたし、夕方に帰りたがらない人も増えた。
「初ライブってこんなに緊張するもの!?」 「最近してたコンサートとは規模が違うもんね。場所が慣れていても、来る人の量は倍なんてものじゃなくて、期待も凄い。」 「うぅやめてライラ、プレッシャーがすごいよー。」
私の一推しアイドルが、簡易的に用意した椅子に座り頭を抱えている。前にしゃがんで縮こまり震えている手に手を重ね、ゆっくり開く。指の間に指を入れて絡めあって、“絶対、大丈夫だよ”と魔法の言葉を重ねていく。
「バーバラ、何も変わらないよ。いつもといっしょ。」
両手を上へ持ち上げてばんざいをする、ほら、いつもみたいにどうか笑って。あなたの笑顔は人を元気にするんだよ。
「二人で頑張ろう」 「ライラの手もすごい震えてる……」 「言わないで欲しかったなぁ……」
ハハハ、空笑いをし、今日までの努力を思い出しては成功させないともったいない、不安やら緊張を振り切る。
「でも初っ端はバーバラだから頑張ってね。」 「う、裏切り者ーーー!!!」 「ははは、なんとでも言いたまえ。ソロ曲は大事なのだよ、バーバラくん。」
キラッが生きるあの曲、シンデレラに相応しいものを。ダンスはたたき込んだ。私は踊るつもりがなかったがバーバラの体が勝手に動くレベルで教えたかったので一緒に踊って教えた。やはり彼女は努力の人だった、上達の速度が尋常じゃない。ここから始まるんだ、彼女のシンデレラストーリーは。群衆を前に、教会から出て、下には階段が伸びているちょっとした高台。広場いる観客がよく見える、前には風神像の背中。チラ見されたのでグッとガッツポーズを見せる。がんばれ、がんばれ。
彼女の青い瞳が揺らぐ、吹っ切れたように、今回用意した形だけのマイクを、グッ、両手で掴んでいた。彼女の歌を風に乗せる準備はすでに、できている。ね、うたって、バーバラ。
「だきしめて!」
笑って、私のかわいい
「テイワットの果てまで────!!!」
これです。私がバーバラに言って欲しかったの。観客も興奮してる。最高だな。裏方プロデューサー面でバーバラを見守る。腕を組み、仁王立ちになる。偉そうだろ、偉いんだぜ。バーバラをトップアイドルにするつもりしかない立役者なんで。 風の神の目が光る、モンド城内であれば、彼女の声は問題なく届くだろう。
水面が揺らぐ 風の輪が広がる 触れ合った指先の 青い電流
「バーバラサイコー!」
ライブの終わりがけか。自分にツッコミを入れられるぐらいのテンションで片手を上げる。今日まで頑張ってきてよかった。
「君も歌うんだろうな?」 「もちろんですスポンサー」
いつの間に関係者テントに入ってきたのか。外にいたであろう衛兵の横を顔パスで通り抜けたのは、もはやプロデューサーレベルで口を出してくるディルックさんだ。返事をし、私は食い入るように見ていたバーバラのダンスから視線をずらす、観客が小さなかざぐるまを手に持っているのが見えた。予想よりも多くて頬が緩む。バーバラのイメージカラーの青色のかざぐるまと、私のイメージカラーの碧色が並んでいる。
「あれが記念品か。」 「元気を出してもらうための、教会主催のライブなので観客からお金は取れない。でも記念品はあっても良いかなって。」
グッズの収益は馬鹿にできない。それにこのライブには教会や騎士団も驚く、いろんな効果があるはずだ。ライブは栄養剤の如く。この時間だけの元気じゃない。しばらく持つ。なんか健康にも良い。私、知ってる。
「歌と踊りはもちろん素敵だけど、そこに何か物があれば、どれだけ楽しい時間もあとで、夢じゃなかった、ちゃんと楽しめたんだって思えるでしょう?」
ディルックさんにも二つのかざぐるまを渡しておく。手袋をした手が受け取ってくれる、風が吹けば回るこどものおもちゃ。でもそういうので良いんだ、風吹くモンドでは風車は馴染み深い。モンドの誰もが見たことのある形が良かった。日常の傍らにあるものが良い。
瞼を閉じれば突きつけられた現実を思い出す。
“モンド中の人が詰めかけたらどうする。国の外から人が来ないとも限らない、現状、城内外の移動は褒められたものではない。君たちのライブを行うため、モンド城内に人々を集めるんだ、外から訪れようとした道中で誰かが死んだら君はどう責任を取る。”
モンドの秩序と自由を守る騎士団の言葉に、私はこう返した。辛いときにこそ、しなきゃいけない行いがある。私の愛読書ならぬ好きなアニメは歌で銀河を救う系です。
“外から、わざわざ集める必要はありません。そして、モンド中にこう触れ回ってください。”
震える私の手を握りしめるバーバラの、諦めたくない想いは、十分すぎるほど伝わっていて、ジン団長のこんなことを言いたくはないんだ、そういう顔を見つめて、バーバラと話し合っていたことを伝えた。
“私たちは、モンドにまた穏やかな自由の風が吹き抜けるころ、モンド中を回ります。このライブは最後じゃなくて、始まりです。清泉町にも、アカツキワイナリーにも。端から端まで、璃月のぎりぎりにだって。どこへでも。生きていれば最後じゃない。最後になんて、させない。誰一人として、行きたくても行けなかった、なんて思わせない。“
片手を胸に、騎士の誓いはこの心臓にはない。私は騎士ではない。私は神に敬虔に仕える人間にもなり得ない。祈祷牧師ではあるけれど、バーバラと違ってそれは肩書きでしかない。
”風神のご加護があらんことを。“
でも、神に仕えずとも、神を知っている。神を敬うことも、信じる心も、この胸にはある。あなたたちが生きるモンドの地に風神が存在していることを、私は知っているのだ。自由気ままに、見守るために立つ吟遊詩人、親しき隣人。
”私たちは、ここにはいないあなたたちにも会いにいく。だからどうかいまは、待っていて。“
腕っ節だけではない、たしかな強さをこの胸に進もう。それをきっと、自由と呼んだひとがいた。
”……君にも働いてもらうぞ、ライラ“
ジン団長の厳しい顔が柔らかくなって、私の弓の腕前を頼りにしていると言ってくれる。 弓の腕と便利なスキルを頼りに、モンドのあちこちをめちゃくちゃ駆けずり回るであろう気配に寒気がするが、はい、と頷いた。信じて託されるのも、それに答えられる力が私にあるのも、嬉しかった。
「つぎは私のソロなのでいってきます」 「ライラ。君にとってこのライブには、どんな意味がある?」
変なことを、変なときに聞くものだ。ディルックさん、私はいま、バーバラが頬を染めて心底幸せそうにアイドルをしている姿を見て元気をもらっているから、こんな言葉しか出ない。
「意味なんて一つ!うたうのは世界でいちばん楽しい、うたえたら、それでいいの!」
考え過ぎたら動けなくなる。だから、走り出す。バーバラと観客が見えるところでハイタッチを交わし、バトンタッチをする。おら、ファンサだ。喜べ市民。
最近、ライアーを弾いても会えなくなったトワリンを想う。聞こえているかな、あなたにも。そうであれば、どれだけ良いんだろう。
皆がよく見えるど真ん中にデデン、と用意されたのは床に置くタイプのでかい楽器。私はこれを見たときはハープだと思ったが、モンドではかなり古いライアー、のようだった。モンドのライアーの原型、魔神デカラビアンがいた時代のライアーだ。教会が保存している歴史の遺物、貸し出し許可が下りるとは思っていなかった。
もし天気が雨や小雨であれば、望まれたのはアカペラ。晴れ渡った空のおかげでこのライアーに命を吹き込むことができる。 サブカルチャー、新しい風、驚きと発見。素敵だけど伝統も引き継いでいかなければ。そういう姿勢は教会と騎士団に受けが良く、私のライアーの腕前に三度見はされたが無事に貸し出し許可が下りた、一曲だけ。教会も騎士団も、埃をかぶっていた古いライアーを使いこなす人間がいるとは思ってなかった、そんな顔をしていた。前にリビカしててよかった。得意です、そういうの。これから何が起こるのか、そういう沢山の視線が心地良い。
「……がんばってね」
ぺたりと地面に座り込み、小声でライアーに託す。ぽろろん、と試しに両手で奏でる、この曲がどのような雰囲気かを教えるため、数回同じフレーズを。でも最初はアカペラだ。この曲はそちらが映える。 息を吸い、歌い出す。
ずっと眠っていられたら この悲しみを忘れられる そう願い 眠りについた夜もある
弦に添えた指はわずかに震える、それでも音には影響を出さない。長い嵐のような不安が晴れてくれたら良い。私はまだ晴れないことを知っていても、それでも。
たとえ百年の眠りでさえ いつか物語なら終わってく
ライアーに添えた指を動かす、さあ、目覚めたように音を鳴らそう。深い眠りに陥り苦しんでいるあなたの耳を揺らせたなら。
声を張り上げて、どこまでも響くように風に乗せて。そうして終わった曲のあとに拍手が聞こえて、ホッとした。ライアーから手を離した。次の曲は、ずっと前に決めていた。
テントから飛び出したバーバラが近くにきて、目配せをする。
「────聞かせてあげる、風神の歌を!」
君に届いているかな? もっと聴かせてよ!
バーバラと歌いたかった歌がある。この歌だ。彼女と遊ぶように踊りながら、交互に、たまに一緒に歌っていく。
ねえ 君が見つけてみて
それぞれの手には、互いの色のかざぐるま。みんなに見えるように振ってみたり。
ほら 君が私を呼ぶのなら 耳すまして
「バーバラ!」 「うん、いまからライラと行くよ!待っててね、みんな〜!」
歌の間奏。私が特に力を入れた部分、観客の配置に気をつけ、騎士団や冒険者の人たちにあちこちにいてもらうのもこの為だった。客降りをしたかったのだ。
観客の側まで、私たちが行く。
彼女の手を引いて走り出す、わあ、とあがる驚きの声はあちこちから、一瞬聞こえた女性の叫び声はリサさんかも。魂が擦り切れるつもりで挑むわ、と言っていた。流石リサさん、ライブへの意気込みがほかの騎士団のメンバーと違った。 森や山を走り回っていた私の体力と足の速さはそれなりで、バーバラと一緒に走るのは練習が必要だった。足が絡んで転ぶたび、一緒に走るのがこんなに大変なんだねって笑ったりして。
作ってもらった道を突っ切って、風神像の横を通るときは互いに手を離し、別々の道へ、でもまた手を繋いで真っ直ぐ。
“一人きり”だなんて壁はもう通用しない
広場の下の階段まで観客が来てるのを私たちは知っていたから、ここに立ちたかった。私とバーバラを指差す人たちが笑顔になった。
一緒に揺れよ?
「「それが歌だから」」
託してよ!
目配せをまた。かざぐるまを高く上げて、ぐるりと風を起こすような同じ動きをする。
君にちゃんと見えるかな? もっと手を振って!
見ていた人たちが同じように手をあげて、振ってくれる。こういうところが、ライブのいいところだよね。ガイアさんが階段脇で片手を上げてひらひらしている。そんなところに。せっかくなら、もう片方の手に持ってるかざぐるまをちゃんと振ってほしい。
強制的上げてく ハートビート ごめん でもぜひ聴いてほしいんだ 「「君のためだけに歌うから!」」
よし、次は大技だ。バーバラと背中を合わせる。バーバラはもう慣れたようで、たぶんウィンクをしていて、私も笑顔を浮かべておく。悲鳴が上がった。リサさんが生きているかが心配だ。ジン団長がそばにいるので、大丈夫なはず。
「準備できたかな~!」 「──── 風はうたい、わたしの花は散る!」
水と風が舞う。あちこちに仕掛けておいた花を巻き込んで、風が運んでいく。慌てて掴む人もいた。やったね記念品が増えたよ、持って帰ってね。元素爆発の組み合わせも散々練習した甲斐があって、魅せるものにちゃんとなっていた。楽しそうな歓声、子どもの笑う声、驚きの声。
ココハドコデショウ? ワタシハダレデショウ? 歌声を頼りに探してよ
このあとは終わりまでバーバラと歌い繋ぐ。終わらないでほしいぐらい楽しくて仕方がない。
君が私を呼ぶのなら 耳すまして いつもそばにいるよ
トワリンにも、見て欲しかった。 嬉しそうな歓声とよく知った人たちの拍手を受けて、私とバーバラのデビューライブは大成功をおさめた。関係者テントに戻って、力が抜け、崩れ落ちかける。感動と、興奮だ。顔を両手で覆い隠す私の視界は涙で滲んでいた。抱きつくバーバラも、ウワーン!と泣いていたけど。緊張がすごかった。そのあとすぐ聞こえたアンコール!にパッと顔を見合わせて、涙を拭きすぐ飛び出した。行き場のないハンカチと手を宙に浮かせたディルックさんに背を向けて、私たちは止まれない。
実はあと二曲、アンコールのアンコールまで用意してます。
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竜巻がモンドを襲う。
風神像の近くに出現した暴風はいくつも巻き起こっている。無意識で手元に引き寄せたライアーを数回つま弾くが、彼の反応はない。
「トワリン……」
龍の咆哮。旅人が空に舞う。毒血に弱っているトワリンが暴れてるのを教会の中から見て、舌打ちをした。こんな姿を
「バルバトス、君が祝福を授けた者はどこだ……我は彼女に会わなければいけない。彼女を救い出さねば。」 「……アビスが、そう言ったんだね。」
私はトワリンとウェンティが星拾いの崖でそんなやりとりをしているとは知らず、天空のライアーが盗まれ最終的に壊れてしまい、バーバラがめちゃくちゃ落ち込む未来が訪れることにものすごくそわそわしていた。
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モンドに訪れた旅人、栄誉騎士と呼ばれている人物が頑張ってくれたみたいだ。 暴風は鎮まり、行方をくらました龍。 それとなく知ることができるのは、そこら辺。 噂はたぶんこれからもっと広まり、市民の不安そうな表情も変わっていくんだろう。
城門前の衛兵の目を盗み、モンド城内から外へ。向かうところは、決まっている。
ライラとして産まれ落ち、魂に染み付いていた旋律。私を、私足らしめるもの。 誰かのために、私が歌いたくて、歌ったうた。 いまはもう、そばにはいなくて。その誰かかが二度と会えない者だとしても。私はそれでも、うたえるのだ、たくさんの誰かが愛しいままだから。
失ったものばかり数えるなと人は言うが、数えずにはいられない。愛していれば、指折り数えてしまうもの。飲み込めなくても、いつか消化できても、一緒に生きていくために。
この旋律はオラシオン。神々の怒りさえ鎮める、うつくしい曲だ。辺り一帯に光の波が広がり晶蝶が舞う。だいぶ目立つから、人前では滅多に奏でられない。 言葉なき、うたを紡ぐ。オラシオンの意味は祈り。神々を鎮め、また癒しもする。閉じた瞼の裏、巨大なオルゴールのような塔が神々を光咲く翼で広げ包み込む。時間と空間の神々は争い、世界を壊そうとしたが、それを人が作った一つの曲が止めた。そんなお話が、私の愛した世界にはあった。
心を奪われた神は大きな木のふもと、緑の中で眠っていた。死んでいるのかと思った。
「ほら、やっぱり君は、肩書きがなくてもボクを助けてくれる。」 「あなたのための、うたじゃない。……これは私のために歌ってるの。」
緑の美しい目が私を見つめて、私はそれに答えた。まるで、祝福を授けられた時の再現だ。
「おはよう、ライラ。」 「おはよう、ウェンティ」 「君はいつも、ボクに手厳しいね。」 「日頃の行いを思い出してください吟遊詩人野郎」 「どうして怒ってるの?ボクが君のライブに行かなかったから?」 「どうして知ってるの」 「どうして知らないと思ったんだい?ボクを誰だと?……風の噂で聞いたんだ。」
この野郎。心の中で悪態をつき、目を逸らした。元気になったウェンティが体を起こし、嬉しそうに手招きをする。しゃがみこめばニヤニヤ話しかけて来た。帰って良いかな。
「君が喜びそうな話と君が落ち込みそうな話、どっちを先に聞きたい?」 「落ち込む方から」 「アビスが君を探してる」 「ウッワ。……喜びそうな方は?」 「ボクの友だちが、君に会いたいって。森で、翼をたたみ君を待つ、そう言ってたよ。」
立ち上がりウェンティの手を掴む。はっ、と驚く様子をみている余裕はない。
「どこの森」 「妬けるなぁ……こんなサービス、滅多にしないからね。目を閉じて。」
ウィンクをするなこの吟遊詩人野郎、トワリンとのやりとりも見られていたのだろうか。
「どこまでも飛んでいこう、ボクの翼で。君の力も貸しておくれ。」
周囲を風が吹き荒れる、彼の髪と目は緑光に輝き、私の髪と風の神の目同様に光を放つ。
「いくらでも!」 「君ほんと、トワリンのこと好きだね。」
はー、と何故かため息を吐かれる。どこか別の場所へ飛ぶのだと身構え目を瞑る。次に目を開けたとき、そこには森の中に身を隠しているトワリンがいた。
ウェンティの手を離し、走り出す。伏せていた体、頭をこちらに向けた彼の目は私を射抜いている。 怖がっているように見えるのはどうしてだろう、あなたが。
ようやく伸ばした手は、龍の口元に触れる、私が触れて、驚いたように揺れた彼の体が消えることはなかった。やっと、あなたを撫でられる。 痛々しい傷口はもうなくて、毒血に苦しんでもいない。口元から目元、抱きつく形で顔を両手で撫でてあげれば、彼は吐息をこぼす。頰を寄せて、しばらくジッとしていた。ごめんねと、だいすきをたくさん込めて。生きていてくれて、よかった。
「あなたに会いたかった。」 「……ライラ、我は……君に会うことは二度と叶わないと思っていた。」 「そんなこと、ないよ。ありえない。ともだちでしょ。」
何も、私は傷ついていたあなたに何もしてあげられなかった。鼻を啜り、ぐすぐす泣いた私を隠すようにトワリンが翼を持ち上げてくれる。隠れて、体にくっついて泣きなさい、と言ってくれているみたいだ。でも首を横に振り、顔に抱きついたままでいる。見られたって構わない、数秒でも離れたくない。 そうして空気を読んでか、あえて読んでいないのか。へらりと笑う吟遊詩人が割り込んできた。
「ほーんと妬けちゃう、君たちいつの間に仲良くなったんだい。ボクの知ってる限り、そんなに会ってないでしょ?」 「……内緒です。」 「…………我も内緒にしておこう。」 「えーなにそれ!仲間はずれにしないで!」
トワリンに抱きつく私ごとウェンティは抱きしめて来て、私の髪の毛に頬擦りをした。たまに会う親戚にめちゃくちゃ可愛がられている図が脳内を過ぎり、普通に対応に困る。彼に好かれている理由がマジでわからない。引き剥がそうと肩を押すけど、ウェンティは私を抱きしめ続ける。たまに会う子を可愛がりまくっている親戚のおじさんとかおばさんみたいだ。わちゃわちゃと戯れる私とウェンティを眺め、トワリンが声を上げた。
「ライラ、やはり君から、変わった気配がする。祝福とは異なるものだ。」 「あれ、ボク、トワリンに言ってなかった?彼女はむかし魔神だったんだ。」 「……それを早く言え、バルバトス。」
ため息混じりのトワリンの声、かなりの苦労性とみた。
◇ ◇ ◇
若陀は“貴様が歌え”と言って、うたを歌ってはくれなかった。昼寝に関してはひだまりにあえて寝転んでわたしを待っていたくせに。“吾が歌う道理はない”と。でもあのとき、こう言えば良かったんじゃないかって、今なら思う。それに、彼なら。
「ね、トワリン、うたって。」
甘やかなおねだりに身じろいだ彼がいて、ウェンティがえー君そんな声出せたの?ボクには?ねーねー!と後ろで騒いでいる。全力でスルーだ。後ろから指でツンツンされるが気にしたら負け。あまりしつこかったら噛みつこう。
「我に歌えとなぜ君が命じる」 「命じてないよ、うたってほしいの。私があなたと、うたいたいの。」
甘えたな獣のような声に風龍は戸惑うが、友たるバルバトス、同胞たる祝福を受けし者の願いに答えるべく、翼を広げてくれた。
「雲の上でなら、君とともに歌おう。」
おいで、とも、来なさい、とも違う。ともに行こう、と声をかけてくれる。それが何だか、龍の優しさを感じて抱きついた。私、若陀にも一緒に歌ってって言えばよかった。どれだけとおくなっても、たくさんのことがいとしいままだ。目尻に残っていた涙を拭った。 いそいそとトワリンの背中の上にお邪魔して、ひとっ飛び。
最初はあまりにも自由にあなたが飛ぶものだから見惚れて、よかったな、とずっとくっついていたけど、歌わないの?とライアーを片手に持ったウェンティが声をかけてくるので、くちびるを震わせた。
これは、あなたにあげたいうた。
雲の上。ら、ら、らら。ら、ら、らら。旋律は紡がれ、他の音と混ざり、うたになる。人と龍の二重奏。どこまでも自由な歌声。そこに誰よりも自由な吟遊詩人の爪弾くライアーの音色が混ざり合い、三重奏となる。
「その歌に、言葉はあるのかい」 「ある、けど……」 「……なるほどなるほど?つまりそれは、詩人を悩ませる病のようなもの?」 「そうだね。」
これは、竜の恋の歌。ヒトに恋をした竜の歌。猛毒がゆっくりと全身にまわるように、竜だって狂う。詩人を悩ませる恋そのもの。閃いた、そんな顔で私とトワリンを見てはニヤニヤしだす。
「はっはーん、トワリンは魅力的だもんね!仕方ないなぁ!このこのー!」 「その目やめて。親戚の子の初恋に浮かれまくるおばさまみたいな反応しないでくださいバルバトス様」 「ボクがおばさま……おじさんですらない……おねがい距離を作らないで……心の壁を築かないで……」
トワリンにだって選ぶ権利はあるし、私が魔神リビカであれば、の話だ。こんなにも気高く優しい生き物に恋をしないわけがない。きっとライラではなくリビカであれば、トワリンの卵だって産めてしまうだろう。それぐらい愛しい、この気高い龍に惚れない意味がわからない。猫の姿の女神が人間とつがい、卵を産む展開がありえたように。でも今の私はライラで、トップアイドルを目指している。私は、人として十全を生きたい。
「この話は、おしまい。」
爪立てる弓も弦もここにはないので、私の手に爪を立てる。そうして開いて、トワリンの背中を撫でれば、わずかに飛ぶ速さが増した。風神である彼は自慢げなで顔で私たちを見ている。
「トワリン、あなたに聴いてほしいうたが、たくさんあるの。」 「君が望むなら。」
ここはモンド、自由の都。 風神が、どうか自由であれと願い、とうの昔に神の統治を離れた国。 暴風は過ぎさった。モンドを守り眠りについていた龍の苦痛も去り、彼はようやくこれから自由の意味を知っていく。
風がやわらぐ雲のうえ、晴天は極まれり。 君とうたおう、春のような穏やかな訪れを。
東風を君と分つ
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軽やかな、飛ぶような動き。石畳だけではなく壁を走り、アビスの魔術師が繰り出す氷の攻撃の数々を避け続けている。
弓を手元に出し引き絞った弦をつま弾く。バレたくないので矢はいらない。一つに束ねた髪の毛先がローブの中で翠に光り、腰にぶら下げている風の神の目もまた、光を放つ。
「────
私の元素スキルはモラクス様が扱うものと似たようなもので、種類がある。モラクス様の場合は岩柱を発生させるものと柱を生やしながらもシールドを張れるものがあるが、私もまた、大きく分けて二種類。 うたうたう、めぶきのうたは癒しの歌、状態異常の回復も出来る。 賛えよ、女神のうたはシールドやバフ、攻撃力や防衛力、移動速度の上昇といった有利な状態を発生させる。 いま私がうたうのは後者だが、人の姿をした生きた武器である少女と空賊の少年の物語で謳われたうた。
「昨夜覚し 真人に 何くれとも触ればい かを柵んば かち落えん────
風の刃を鎧のように纏わせる。敵の攻撃の軌道を変える防御技。別の世界では
「──── ヴァ レィ ズェ トゥエ ネゥ トゥエ リュォ トゥエ クロア」
壮麗たる天使の歌声、ホーリーソング。攻撃力と防御力の上昇、かつ体力を少し回復する。そういえば本編でディルックさんがアビスの魔術師の顔面を片手で鷲掴んでいた、見た瞬間にカッコいいと呟きながらもあっこのゲーム作品のゴリラ枠の方?と失礼なことを思ってしまった。片手剣のように大剣を扱うひと、炎を纏う大剣で一刀両断したのを見届け、顔を引っ込める。
今回は使わなかったが、元素爆発だと周囲に風の渦を発生させることが出来る。敵に攻撃を与えるものではなく、元素を拡散させうたの規模が広くなる程度、あとデバフをかけれるようになるのだが、私のうたそのものに攻撃力があるわけではない。自分にバフつけて相手にデバフかけて殴れば普通に強いけど。脳筋スタイルもいける。弓は鈍器だ。
「闇夜の英雄……正義の、味方……。ワイナリーのオーナーに、色んな情報収集……?よく倒れないなあの人」 「それで君は、こんな時間に何をしているんだ。」
城壁の上にいたというのに、なぜバレたのか。
「さ、散歩。」 「……君は猫のような散歩をするんだな、せめて普通に道を歩きなさい。」
本当は、歌や踊りの練習のためだ。努力の人であるバーバラにアイドルを知っているだけで憧れの眼差しを向けられるのが精神的に来ることはないが、私も努力せねばと隠れてやっている。人目を気にせず夜に伸び伸びとするのが特に好きで、衛兵の巡回路を避け行動していると必然的に、同じように隠密行動をしている人を見つけてしまう。野次馬根性丸出しで覗きに来たらたまたま、ディルックさんがアビスを片付けているところに遭遇してしまった。
「どうやって教会のベッドから抜け出してきたんだい?」 「……歩いて。シスターも今日はよく眠っていたみたいです。」
嘘だ。シスターの見回りの隙を狙い窓から飛び降りた。私も風の翼を使えるから。帰るときはちょっとズルを使う。バフは私にもかけられるのでそれで身体能力をあげて、ちょちょいのちょいだ。巡回するシスターの目に入りにくく、教会に入ったばかりの子が鍵をかけ忘れる窓を私は幾つも覚えている。
「風が強い日は“散歩”はやめておくように。」
こっちの嘘もすぐにバレて、顔を逸らす。
「来なさい、教会の近くまで送って行こう。」 「いえ、大丈夫です。」 「……レディ、どうか僕に、君を教会まで送り届ける名誉をくれないか。」
改まった姿で手を差し出されると拒否しにくい。言葉も出さずに力が込められた赤い目が、おいで、と私を呼んでいる。
「……お願いします。」 「これが初犯ではないのだろう。」
私は犯罪者ではないです。強く掴まれた手に選択をミスった気がしないでもない。これは繋いでいるというより、捕まっている、と表現した方が正しい。判決を下されるのかとびくびくしてしまう。怖いがすぎる。
「いくら言っても君は聞かないだろうから、あまり言うことはしないが。」
手首を掴まれているので、自然と歩き出したその人につられて足は動く、人目を避けながらも帰路に着く。歩幅を合わせてくれるが、逃げられる腕の力ではなかった。
「君は掴み所がないが秘めた信念は揺るがない。僕はそこを買っている。……けれど夜はきちんと眠ること。」
送り届けられ、頭をぽんぽんと撫でられる。最初に会った時から思っていたのだが、何だか彼にかなり、子ども扱いされている気がする。
「おやすみライラ、君はもう眠る時間だ。」
モンドの夜を守る梟。背を向けて闇夜に紛れるように、消えていく人。相変わらず、かっこいい人だ。
「……よし、いないかな。」
彼がいなくなったのを確かめ、音を立てずに、練習場所へ移動する。
「やはりそう来るか。君は本当に言うことを聞かない。」 「どうしてそこに!?」
だからなんでバレてしまうの。私の死角に身を潜めていた彼に首根っこを掴まれ、強制的に教会のシスターの元に連行されかけたので全力で暴れた。彼の腕を引っ掻いた気もする。悪事を働いてはいないです、練習ですと素直に白状すると彼は手を離してくれたが物言いたげな顔で、僕の見ているところで練習してくれ、と言った。
「忙しいディルックさんこそ休んでください」 「君が僕を休ませてくれないんだが?」 「私のことは気にせず!さあ!行って!」 「それで僕が帰るわけないだろう。君は馬鹿なのか。」
じり、じり。互いに距離を保ち、間合いを詰めようか、詰めまいか。相手の出方を伺っている。
「どうしたら君は、大人しくベッドに戻る。」 「蒲公英酒か午後の死」
睨み合い、譲れない戦いがここにある。
「……今日だけだよ。」 「おかしい、お酒じゃない……ディルックさんこれ美味しいジュースの味がする」 「君にはまだ早い。」
閉店時間をとうに過ぎ、誰もいないバーカウンターで差し出されたグラスを傾ける。何故かお酒を飲ませてくれないディルックさんから美味しすぎるアップルサイダーをいただいた。
「お礼に、一曲、どうですか?」 「……どうぞ。」
無愛想なバーのマスター面、ディルックさんに私の隣の席をすすめる。お客さん側だ。お店はもうやってないのだから、気にする人もいない。訝しげではあったが、そんな彼にライアーを見せて、はやく、はやく、と待ちきれない目を向ける。きちんと座ったのをみて、爪を立てて、はじく。
彼が予期していなかったであろう展開を。 風の神の目が煌めき室内に風は起こる。 口元には笑みを。
「っな、」
「────
何をするつもりだ、と続くであった言葉を聞かずにうたう。元素爆発の台詞、諸々割愛。気づかれる前に、やる。エンジェルズシェアに風が満ちるが私の風は元素拡散をするものの、他の対象物の一切に影響を与えない。花や紙、弦ぐらい軽いものなら頑張れば動かせるが意識していないとただ通り抜ける風と同じ。室内で起こしても、人にぶつかればうわっ風だ、とは思われるが、グラスや椅子、人が傷つくこともない。
「トゥエ レィ ズェ クロア リュォ トゥエ ズェ 」
深淵へと誘う旋律、ナイトメア。対象を眠らせる、気絶と同じ効果。元素爆発後の私の歌はものすごく強力になる。デバフもかけられるが何より誇るべきは、その威力。 そこそこの音の重さのものがバーカウンターに沈んだ音がして、ふ、と笑ってしまった。
「貴公子、ディルック。討ち取ったり。」
眠れていないのはあなたの方でしょう。すやすやと寝息を立てる顔は、穏やかだ。その後もライアーをつま弾いては、元素爆発の効果がなくなるまで、精神回復や体力回復のうたを歌い続けた。
数十分後にすっきりとした顔で目醒めたディルックさんは、何を考えているかわからない無表情で私を教会に送り届けた。あまりにも虚無の顔であったので、大人しく教会のベッドに戻った。 無事に部屋に戻り窓から顔を出した私は、部屋に入るまでを見届けていたディルックさんと目があった。眼光が鋭すぎることがわかる。次は許してくれなさそう。苛立ちを隠さないような立ち姿だ、腕を組んでいる。
流石に、これ以上は。今日はおとなしく諦めよう。アップルサイダーももらってしまったし。手を振れば、手を上げてくれた。私がおとなしく眠ることがわかったのか彼はどこかへ行ってしまった。ディルックさんこそ、これに懲りてちゃんと休んでほしい。
───────────────────
「アビスに仕えよ」 「っア、ああ、イヤ、いやだ」
風神に与えられた祝福とアビスの使徒による呪いが混ざり合う。とんでもない刺客をけしかけないでほしい。詠唱者もいるとか聞いてない。二人がかりはあまりにも酷い。こちとら真面目に
「やめて、おねがい、やめてください、何でもします、なんでも、」 「何でも、と言ったな?」
お前には言ってない、世界に吐き捨てたんだ。殺すぞ雑魚が。あふれてくる、おさえきれない。唇を噛み締めては、地に爪立て、土をえぐる。ダメなやつ。これは絶対に、ダメなやつ。頭を何度も振っては頭の中に入り込んでくる洗脳めいた囁きを追い出そうとする。あっわたしあびすのことだいすき♡あびすのみなさんがすき♡うたってあげる♡無意味だった。こんなんひどい、そくおちする。
「バルバトス様の、ばかっ」 「世界に芽吹きを齎してもらうぞ。魔神リビカ」
ここぞというときに現れない吟遊詩人野郎に悪態をつき、痛みすら走る自分の体を抱きしめる。囲まれる、どこかに、連れて行かれる。きやすく、わたしにさわるな。
たすけて、だれか。
はくり、と開いた口を、そのままに。わたしは誰を、呼ぶつもりだった?モラクス様?バルバトス様?誰の名前を呼べばいいのか思いつかない自分に、愕然とした。
「……殺す、おまえを、ころす。」 「獣が鳴いているな。おお、可哀想に。」 「連れて行くぞ。」
落ちていく涙がみっともない。ぼろぼろ鳴いて、泣いて、わたしがなにかもわからなくなる。 体が変わる、人ではなくなる。宇宙のような異空間がそこにある、わたしを引き摺り込もうとした奴らに、笑った。ああ、体が軽く、軽くて、鋭い爪も、うずいているのです。
「────八つ裂きにしても、足りない」
手元に呼び寄せた弓を振りかぶる。せっかく、気持ちよく眠っていたのに。 尊重せよ、獣の中にある活動する精神を。”つい”がいなくては満たされぬ飢えを。蹂躙を。目の前の、妖魔を、皆殺しにしろ。
◇ ◇ ◇
逃げ出せたその先は、逃げ慣れた森の中だった。どこをどう移動したのかがわからなくて、わたしがいま、どんな姿なのかも。ただ生き物としての形は、水面に映ったので理解した。死んだように眠っていたようで、そんな私を守るものがいた。狼たちだ。感謝しかない、もふもふの森。
『どうするつもりだ』
ボレアスの問いかけに項垂れて、押し黙る。獣の耳がペタリと伏せた。衣服らしきものもまともには残っていなかったので、彼の家族がどこからか持ってきてくれた、サイズが大きいローブを羽織る。全身が隠れるから助かった。細かい傷も隠せる、引っ掛けてちぎれた服や、ついてしまった血も。靴はどこに行ってしまったのか、これではほんとに、獣だ。
「あなたの領地をあいつらに荒らされては、たまらないでしょう。それはわたしも嫌だよ、ボレアス。」
ひんやりとした彼に擦り寄り額を当てる。
「モンドを離れる。……匿ってくれてありがとう。」 『……死ぬことは許さぬぞ』 「……うん、ちゃんと、また会いにくる。」
何度かぐりぐりと体を擦り付けるわたしを、予想よりずっと優しい力で転がした。前足で押さえつけられもする。思わず笑えば前足をどかしてくれて、彼の狼の口が頰に摺り寄ってくる。わたしも擦り寄って目を閉じる。ありがとう、本当に。
彼の家族である狼たちが殺されてはたまらないから、見送りは遠慮し、やるべきことを。バーバラへの手紙を、教会に預けた。通りがかったシスターはローブで顔が見えない私を怪しんだが、筆跡が見慣れたものであることに気付いたのか、受け取ってくれた。 内容はいくら書いても足りない謝罪、そこらへんの馬車の残骸からいろいろ拝借し、書きながら鼻を啜っていた。いつのまにかライラとしての人生を満喫していた。アイドルをできなくなることへの深い悲しみがあった。一緒に、テイワットのてっぺんをとりたかった。バーバラはアイドルを諦めないで欲しいことも。 騎士団にも忍び込み、ジン団長の机にも、詳しいことは書けないが心配しないでほしい事と、バーバラのフォローを。
教会と騎士団、初めてライブをした広場も。ぐるりと見て回る。やけに感じる視線にそういえば見た目がぼろぼろだったんだ、そんなことをぼんやりと思い出す。そろそろ衛兵を呼ばれそうなので外に向かう。
モンドを離れようと決めてしまったわたしの腕を、掴んだ人がいた。
「何も言わずにどうして行方をくらました。」
行方をくらます。身に覚えがない。まだ、いなくなる前だ。首を傾げるとディルックさんは続けた。
「五日だ。エンジェルズシェアにコンサートに来ると言っていた夜から、もう五日経っている。君は何も言わずにいなくなる子じゃないだろう。何があった、どうしてそんなに、傷だらけで……」
彼にまだ明るいうちに出会うとは、思わない。
「誰が君を、傷つけた」
掴まれている手が、熱い。彼のふつふつとした怒りと燃えるような元素を感じる。目の色もいつもより、うんと深い。考えるより先に不意打ちで顔面に足技を仕掛けると、距離を取られる。追撃を警戒する彼に背を向け、全速力で走り出す。喉を逸らし、天高く。ローブで隠された体は虹の光を纏う。旋律を口遊む、どこまでも届いて。わたしはもう祝福を失い風を揺らせないけど、来てくれると信じている。
魔神リビカの体は人間よりも軽く、しなやかだ。人の足よりずっと速い、人間でしかない彼が追いつけるはずもなくて。モンドの城内の作りはわたしも彼も知り過ぎている。撒こうとしても無理で、見逃してくれることもなくて、けれど距離は縮まらない。
「行かないでくれ!」
懇願する声を聞く。ごめんなさい、と思いながら崖から飛び降りる。誰か、見ていたであろう何者かの悲鳴も聞く。
崖から飛び降りたのは、もうそこまで来ている東風が、わたしを攫ってくれることを知っていたからだ。
「────君は無茶をする」 「トワリンが来てくれてるのがわかったから、ごめん、急に。ありがとう。」
上昇し、風を掴む。安定するまでのその一定の動きが好きだ。全身で風を浴び、ローブが脱げかかって、色が変わった髪の毛と懐かしい獣耳が風に揺れている。尻尾は彼の体にぴったりと添えてある。高いところはいい。気分がいい。
「……何故、我を呼んだ?」 「遠くに行きたいの。」 「それは君の姿と関係がある……のだろうな。構わない、どこまで行くつもりだ。」 「このまま、どこまでもと言ったらあなたは、こまる?」
小声になってしまう。風にかき消されてしまったかもしれない。璃月の境目でおとしてもらって、あまり迷惑をかけないよう。そうすればいいのに、つい甘えてしまう。
「────いいや、君が行きたいのなら、ともにいこう。」
涙がでる。こんなにもやさしいともだちに。ごめんなさい、そこまでで良いから、そう口を開こうとした。
「けれども、君の姿が変わろうと我は君のともだちであり、」
うん、と頷く。流れが変わったな、と薄々感じながら。
「自由に生きる龍であるから、君に言わなければならない。君と離れたくない者がそこにいるようだ。」
トワリンの尻尾を鷲掴んだのか、意地で登ってきたであろうディルックさんが、わたしを睨みつけている。ヒェッ。
「話もせずに、いなくなるとは、良い度胸をしている。」
怒ってる。めちゃくちゃ怒っている。こわい。その視線がわたしの頭の上に固定された。フードを深く被り直し、顔を逸らしたわたしの肩に触れた手がある。振り払おうとした手を掴まれ、そっと下ろされる。相変わらずものすごく力が強い。このまま手を砕かれるのでは。
「こっちを向いて、僕の目を見てくれ。」
何を、言えるというのだろう。無関係のひとに。風の抵抗を受けまいと屈めている体は、生きているのだ。
「僕が君を傷つけることはない。」
どうして無責任なことばかりを、言ってくれるの。わたしが心配しているのは、そこじゃない。掴まれている手は、熱い。震えるわたしに、手以外の場所に触れることはせず、彼は目の前で膝をついた。怖がっている獣と目を合わせるためだろう。屈んでいた体制から、そっと片膝を龍につける。けれど何故かその行動が、弱きものを助る騎士を思わせて、つい目を瞑る。見たくない。
「……君に何があった。」
ローブの下の秘密を、あなたは見てしまったのに。獣の耳と尻尾を見ても、真摯なあなたは何も言わない。わたしの言葉を、待っている。 彼は、もう騎士じゃないのに。騎士団を好きではないんだ、そういう態度も隠さないのに。こんなにも、まことの騎士だった。誰かのために戦える人だった。 果たして信じてもらえるのか、こんな突拍子もない話。私は魔神になってしまって、そもそも元が魔神で、アイドルを続けている場合じゃなくて、アビスにも狙われていて。モンドには知り合いが多すぎるから、いない方が、良くて。 でも話さないと逃がしてもらえなさそうだ。諦めてほしい一心でぽつりぽつりと言葉を落としていけば、理解なんて追いつかないはずなのに、うん、それで、他は、そんな具合に相槌を打たれて戸惑った。
「アイドルを辞めなきゃ行けない理由はないだろう。」 「え」 「その姿でやれば良い。」 「え!?」 「神がアイドルをしては行けない理由があるのか?定められていると?」 「……ない、けど」 「モンドにはカッツェレイン一族がいる。璃月には人と異なる形を持つ仙人が。稲妻には人ではないが人の形をとる者たちもいる。……どうとでも誤魔化せる。」 「でも、突然獣耳と尻尾が生えるわけが、色だって、」 「君は今まで重要事実を隠してアイドルをしていたことにすればいい。これで解決したな、君が僕の元からいなくなる理由もなくなった。」
彼は、とんでもないことを口にしている自覚はあるんだろうか。
「おいで、ライラ。」
ひとに来いと優しく呼びつけるくせに、腕を掴んでいて、その力はそれなりに強い。逃がしてくれない、と悟ってしまう。
「まだ僕たちは協力関係にある、モンドに帰ろう。君の愛したアイドルを、泣かせたくないんだろう?」
わたしがすきな、バーバラ。ふるふると首を横に振れば、涙は空に滲む。わたしの好きな自由、モンドの空。離れたくなんてない。
「アビスは……?」 「君が勝てない相手なのか。僕では役不足だと?」
次は、負けるつもりだってない。不意をつかれなきゃ、数で囲まれなきゃ、わたしだって勝てる。ディルックさんだって強い。
「僕は君が、リビカであろうとライラであろうと構わない。君のうたが聞きたいんだ。そんなファンは腐るほどいる。」
その表現はちょっと嫌だけど。
「これ以上僕を怖がらないでくれ……君に酷いことをしたくなる。」 「ひどい、こと?」
わたしの手を掴んでいない手で、顔の下半分を隠し顔を逸らした彼にぱちくりと瞬きをすれば。彼は笑い、顔を隠していた手を伸ばし、このローブのフードをとってしまう。猫耳がぴくぴくと動いてるのを見て彼は指先でそっとなぞった。つまんでは、耳の後ろをなぞる。手袋越しでもなんだか気持ちが良く、尻尾が、ぴん、と立ってしまう。
「つまり僕は、君が楽しそうに歌っている姿を見られたらそれで良いんだ。」
そこで彼が言葉を止めれば、ただ優しいだけの言葉だった。
「別にそれがアイドルでなくても、場所がステージではなく僕の家の地下であろうと、ベッドの上でもね。」
分かったかい、なんて具合に、教え込まれる。手袋をしている指先は、くすぐるように喉に触れた。すりすりと程よい力加減で撫でられ、うっとりと目を閉じてごろ、と鳴りかけた喉、体を正気に戻すため本気で突っぱねる。掴まれたままの手を軸に、まるでダンスでもするようにあちこちを踏み、彼の腕の中へと抱え込まれる。
「暴れると危ないだろう。」
トワリンの上から落ちる方が良い。この人の腕の中の方が危ない。大きくぶんぶんと首を横に振り、あいどる、わたし、する、と答えを返す。そんなクソでか感情持ってるって知らなかった。言われたことがない。
「それはよかった。」
すう、と猫耳の生え際を吸われる。もはやそこは髪の毛だ。リビカを吸わないでほしい。
「協力関係!スポンサー!落ち着いて!」 「……それで、我はどこまで飛べば良い。」 「ああ、体の上で騒がしくしてすまなかった。アカツキワイナリーまでお願いしても良いだろうか。」 「……良いだろう。あまり彼女を虐めないでやってくれ。彼女は我の友だ。」 「それは……彼女の態度次第だな。」 「ヒェッ!?」 「僕は君に、教えてあげなければいけないことがたくさんあるようだ。まず、きちんと服を着ること、身なりを整えて、人の顔も蹴らないこと。」
ローブの下がぼろぼろの布切れぐらいしかないことも、バレている。顔を狙って蹴ったことも根に持っている。
「それに、基本的に爪を立てないことも。君の爪は、僕よりも立派だから。」
わたしが握り込んで傷ついた手に、大きな手が絡んでくる。リビカの爪は鋭くて、自分で自分を傷つけてしまっていた。傷跡を手袋でなぞられるとひりひりする。嫌な予感しかしない。わたしの首に触れ、何かを考えている彼がやばい。これたぶん、首のサイズを測られている。色は赤がいい、と呟いてる。もうこれトワリンの上からディルックさんを突き落とすしかないのでは。もしくはわたしが飛び降りる。
「おいで」
そう言い、口元を緩めた彼は掴んだ手を離さない。
やばい、飼われる。首輪をつけられる。躾けられる。 何故かそんなことが思い浮かんだ。ディルックさん、飼い猫を愛ですぎる人の気配がぷんぷんする。ストレスで毛が抜ける未来しか見えない。わたしはただの猫ではないけども。猫ですらないけども。
「人権の主張!」 「神に人権があるとでも?」
喉奥でくつりと笑われる。それは確かにそう。
「君がどこかへ逃げてしまうぐらいなら、僕が君を飼おう。」
神を飼う貴公子の字面が強すぎる。勝てない。
◇ ◇ ◇
すん、と鼻を鳴らす。甘えるためではない、泣いていたせいで、引きずっている。 なんとか身に纏っていた布切れたちは屋敷に着くなり剥ぎ取られ、用意されたバスタブで洗われた。彼に付き従うメイドたちはわたしの傷だらけの姿に動揺もせず、獣の耳と尻尾を見ても何も言わなかった。
合うサイズを誰かから借りたのか、急拵えで用意したのか、一枚のワンピースを着て、ベッドの上で、うん年振りの毛繕いをする。リビカには人間とは違う、こまかな体毛が生えている。舌を出し、ざりざりと、いい匂いがする体の毛を整えていく。毛並みが悪くなった。最悪だ。水浴びは好きだが、今のわたしにはだいぶ熱いお湯だった。不機嫌に右へ左へぶんぶん揺れる尻尾がピンとはったシーツを乱していく。
わたしの様子をずっと眺めていた、椅子に座っているそのひとが手を伸ばす。いつもの格好と違う軽装で白いシャツが眩しい。
「君の傷の手当てをする。」
うたえば、治るの。そう伝えても包帯と薬を手に、わたしの足にそれらをつけている。足の裏は悲惨だった。森の中を走り回ったせいもある。リビカの肌は人間より強いはずなのに、久しぶりだったからだろうか。
「どこに行くつもりだったんだ。いく宛はあったのか?」
とおいところ。ここではないところ。わたしのしぬべきばしょ。いく宛なんてない。ぽつりと続けてみると、彼は何も言わなくなる。無愛想なその表情を変えてみたくて、すごいひみつを教えてあげた。
リビカには“つい”がいるの。 ひだまりのような、終わるべき住処のような、たったひとり、添い遂げるひとのような。そんな誰かがいる。
治療を終えた足を体に引き寄せて足を腕で抱え込む。体育座りをして、膝に額を当てた。
「君は、“つい”を探しに行こうとしたのか。」
毛繕いのしようがなかった位置、タオルで拭くことを拒んだ獣耳がぴくんと揺れて、その耳に触れる熱い唇がある。かぷ、と噛まれて、わたしの猫耳は牛タンじゃないです、と叫びそうになった。おいしくないよ。わるいリビカじゃないよ。ぷるぷる。 これに頷けば、どうなるんだろう、好奇心は湧きあがったが首を横に振った。簡単に見つかるものじゃない。
「それなら、良かった。」
それって、いったいどういう意味なの。ディルックさん。わたしの頭をよしよし撫でたその人は今度は尻尾に指を絡めて、毛繕いをしたばかりの毛並みを堪能している。
「……そいつを殺さなくてすむ。」 「え?」 「うん?」
いま僕は何かを言ったか? 首を傾げ、そんな顔をしている。幻聴だろうか。騎士のような彼が、そんな怖いことを言うわけないよね。
「傷がなくなるまではここに居るように。」
喉元をさする指先は、革の手袋で覆われていない。ごろごろと鳴ってしまう喉に目元を緩ませた彼、その胸元に両手を当てる。ごめんねと、ありがとうを込めて。すり、と彼の鼻先に擦り寄った。鼻と鼻を合わせて挨拶もちゃんとする。かちん、と体をかたくしたその人が、おそるおそる背中に手を回して、わたしの背を、とん、とんと叩く。
「君に食いちぎられるのかと思ったよ。」 「そんなことしない」
失礼なひとである。
「これにはどんな意味がある?」 「リビカのあいさつ」
親愛のしるし、なんてことは口にしなかった。肩にぐりぐりと額を押し付け誤魔化す。
「挨拶か。なら、僕も君に挨拶を。」
後頭部に手が添えられ、近づいてくる顔に、あれ、と目を細める。ちょん、と触れたのはくちびるで。反応のないわたしに、角度を変えて食んでくる。鼻先を擦り合わせてはいるが、合わさっているくちびるが、おかしい。これ絶対何かがおかしい。離れていった貴公子は、どこかおもしろそうな顔をしていて、ヤベェ挨拶があったもんだな、と思った。
◇ ◇ ◇
「僕の何が怖かったんだ?」 「ディルックさんが、こ、こわかったわけじゃない」
丸まった彼女の震える理由を知りたい男は、ごめん寝をして何故か顔を見せてくれない彼女を撫でた。さらさらの髪だった、毛艶が良い。指の隙間、逃げるような獣耳が動いている。
「そうか。なら、なぜ震えてるのかを僕に教えてくれないか。」 「そういうところです」
逃げたがる獣耳をわざとつまんで、耳の裏側を掻いてやる。これが彼女は好きなようで、一瞬、大人しくなる。
「挨拶じゃ……ない……ぜったいちがう……」
ああ、先ほどのキスのことだろうか。男はしれっとした態度でこう返す。
「君の知らない挨拶があるとは考えなかった?」 「グゥッ……」
どういう感情なんだ、それは。ディルックは口元を手で隠し、声を上げて笑いそうになったのを飲み込んだ。彼女は唸って静かになった、ディルックは暴れている猫の尻尾を掴んで握る。痛くない力加減で。生き物らしく動き回るのが面白く、暫くしてから離した。
恥ずかしがっているらしい彼女の頭に触れると、またぴくりと、小さく肩が跳ねる。毛並みを確かめるように指を通す。
なめらかな手触りは璃月で取引される一流の商品のよう。その中身は貴族たちが飼っていそうな猫に似た上品さと、飼い慣らされてなるものとかとそっぽを向く野生が共存していた。 彼女を飼い慣らしたいわけではなかったディルックは、獣らしい少女が目を離した隙にいなくならないのであれば、これからも放任主義を貫くつもりだった。 堅物で近寄り難いであろう男に、時々、気まぐれに擦り寄ってくれる協力者でよかったのだ。明かりが少ない深夜の散歩も、酒をねだるくせにアップルサイダーをあげたらくすぐったそうに笑って喜んでくれるのも、酒場でのミニコンサートの前後、無愛想を極めたディルックの顔を見て、楽しんでくれるかな?あなたは楽しかった?そんなふうに伺う様子も。後ろ暗い男が、ひなたのような彼女のそばにあるのは時々でよかった。時々が、良かった。
気を抜けば腕の中に囲ってしまいたくなる、強い衝動に抗うのは並大抵の理性では無理だから。
目を離せばいなくなる獣の首根っこや手首を掴んで、どこかに迷わないようきちんと彼女のいるべき場所へ帰してあげる。そういう距離感で良かった、はずだった。満足はしていなかったが、我慢が利く距離だ。いつでも囲ってしまえる距離感、手を伸ばせば掴める位置がディルックの渇きを誤魔化してくれた。彼女を知ってからずっと喉が渇いている、酒が得意ではない男を潤してくれるものを男は既に知っているが、少女は知らない。知るはずもない、そういう余裕がない生き物だ。見ていればわかる、死に急ぐように歌を追い求めている。
それに、彼女は何故かディルックのことを真摯であり続ける貴公子や誇り高い騎士だと思っているから、そのように振る舞ってあげるつもりだった。ディルックは擦れた大人であり、彼女が考える夢のように綺麗な存在ではない。申し訳ないが。彼女が喉をそらして高らかに歌いあげる姿を見て、この生き物はどんなふうに鳴くのだろう、と考える程度には下世話なことを考える日もあった。 一滴も飲んでいない酒に、酔ってしまった夜があったのだと思う。
これから眠ると言ってはベッドを抜け出す子どもめいた彼女が、へたな嘘をついてはディルックに捕まり、与えられたアップルサイダーを、たからものを手にしたように両手で包み込んで飲んでくれる。 ディルックにとって彼女と重ねた日々は、子どもの夢を壊さないような、繊細なやりとりの連続だ。 世界は信念がある人を裏切らない。 そんなことはなく、絶対がないことを大人になってしまったディルックは知っている。裏切りはどこにでもある、だが、信念がある者は救われ、世界は彼女を祝福する、そういうやさしいものにしてあげたくなった。歌をうたう彼女の、喜びに満ちた瞳を見るたびに。
歌に関しては嘘をつかない、あまり誤魔化そうとしない。いつも通りエンジェルズシェアを覗きディルックの様子を伺っていて、目が合えば今夜は突撃ミニコンサート!する!と言って走っていなくなる。彼女はあそこで歌うのが好きだから、と彼女のための場所もそれとなく作り、アップルサイダーも数本別に確保しておいて、歌い終わった後に一息つけるよう彼女の為の席もあけておく。けれど彼女がその夜、何時になっても現れず、店が閉まるまで待っていたが来ることもなく。教会に行けばそもそも、いない、という。次の日から行方を探るが、情報は掴めない。モンドの誇る歌姫の一人が行方をくらましたことをじわじわと実感し、いなくなるわけがない、そんなわけがない、と言い聞かせている自分が、ディルックは哀れだった。
過信していた。後手に回っている気しかしなかった。この手から、命がこぼれ落ちるようだ。昨日まで当たり前にいた誰かが突然いなくなることを、ディルックは知っていたのに。また、喪うのか。革手袋をしている手は熱く、力任せに叩いてしまった石壁には炎がわずかに残った。怒りは、鎮まらない。向ける先も分からぬまま。 淡々とモンド中を見て回る、ありふれた作業だ。人の出入りが多い場所を重点的に。盗賊を倒し、ヒルチャールを殲滅し、アビスの輩を潰していく。それでも彼女はいない。 だが、あの日。後ろ姿を一目見て分かるほど、ディルックは彼女を見続けていた。ライブやコンサート、普段の綻ぶように笑うやさしい姿も。見慣れた町中に佇むボロボロの姿、誰が、このような愚かな真似をしたのか、そいつを殺してやろうと思った。彼女がディルックに攻撃を仕掛け、逃げの手段を取った瞬間、つかまえてあげなければ、という思いに駆られたのは、彼女が向けてくれる貴いものを仰ぎ見る眼差しに答えられる騎士らしさではなく、取り繕うことを忘れた雄の本能であったのだろう。 龍の背に乗ってまで逃げられるとは思わなかったが、捕まえられて、よかった。行き場を無くした子どものように小さく震えていた姿が何度も頭を過ぎる。まだ彼女が、そばにいてくれて良かった。
「おいで」 「いかない」
まだ甘えたいだろうに、ずいぶん強情だ。ふ、と笑いそうになる口元を隠そうとしたが、気にしなかった。彼女が見てないのをいいことに、獰猛さを隠しもしない笑みが口元に浮かぶ。
彼女が逃げたがるほど、男の心は燃え上がる。飲んでもいない酒がゆっくりと全身に回るように、理性を狂わせるものがディルックを襲っているものの正体だ。人は、それを恋と呼ぶ。詩人を悩ませる病、龍すら狂わせる猛毒。
「君」
きみ、と獣耳に口づけて囁けば、彼女が息を飲む。シーツに立てられた鋭い爪、指の隙間に焦らすように指を絡める。
ディルックという存在は、父から受け継いだ立場や騎士団でも騎兵隊隊長に上り詰めたせいで、否応にも人の上に立つ人間であったから他を躾けるのも得意だった。
「……おいで」
口付けていた獣耳を優しく食んで、なぶる。獣耳が生えている付け根から先の方まで、たまに口の中に含んでは甘く噛む。 鷹を手懐けるのとは少し違うが、全く違うわけでもないだろう。魔神だと言うが見目は猫に近い。生き物により躾け方は変わるものだ。声色を変え、触れ方を変え、餌付けをし、どこが帰るべき巣なのかを教え込む。獣には習性があり、縄張りがあり、本能がある。リビカ、初めて聞いた獣の名であったが、躾けられないとは思わなかった。
「僕の方に」
震えている。それが恐怖ではなく羞恥だと知れば遠慮はいらず、次は尻尾の付け根でも指でとんとん叩いてあげようか、腰と尻のさかいを手で探ったところ、ごめん寝の体勢から勢いよく顔を上げた彼女が両耳を両手でガードした。ディルックは反射的に横によけたので頭突きをされることはなかった。
「りびかはたべものではないあなたにはねこをたべるごしゅみが」
かわいそうなほど震えて、それゆえにかわいい僕の獣。
「……いいや。君を味わう趣味はできそうだが。」
猫を食べる趣味はないが、彼女を味わう趣味はできるだろう。これから。
リビカが求める“つい”の魔力もおそろしい。魔神の特性、ディルックの預かり知らぬ部分であり、世界の神秘にひとしい。けれど、神たる彼女が獣に堕ちてくれるなら、ディルックが飼い慣らせないものではない。
猫に
喉をくすぐる指先からは逃げない彼女のくちびるを奪ったディルックに、彼女は耳を両手で隠したまま、得体の知れない生き物でも見るように、薄く口をあけた。 食べてもいい。行動で示されたのかと思ったが、おそらく違うな。ディルックはすぐに判断し、彼女の鼻先に鼻をくっつけて、顔を動かす。リビカの挨拶を。ディルックは彼女のためなら、獣のフリもしてあげられる。だが、もう隠す必要がない欲もあった。 逃げたがる彼女をそのまま押し倒して、彼女の肩、ではなく胸元に額をつけ擦り寄る。あまいにおいがする気がして、深く吸い込んだ。暴虐を尽くす男の肩に手を添え引き剥がそうとした彼女の手を捕まえ、下ろす。彼女の胸元からは離れずに目線を向け、柔らかさに頭を預けながら。
「挨拶、なんだろう?」 「うぅううぅなにかがちがう……」
分かっているじゃないか。僕の前で弱みを見せた方が悪い。ディルックはそんなことを考えては自由気ままな彼女を腕の中に囲い直した。抱き締める腕の力は強く、救いを求めるような男の目は深く、暗い。彼女に見えないところでディルックは罪悪感に苛まれる。
君が信じてくれている綺麗な存在でいたかった。 なによりも、君を守る優しいだけの騎士でありたかった。 誰よりも気高く、彼女の行く末を導いてあげられるような、そういう生き物でいたかった。 ただひたすらに貴いものであれたのなら、彼女をこんなにも怖がらせることだってなかったのだろう。
ずぶずぶと沈み込んでしまえば、すくい上げる誰かはいない。けれど、救いというものは身近に突然現れるもので。男の手よりも小さな、そしてずっと柔らかな手がディルックの赤髪をくしゃりと乱す。子どもを撫でる親のような、言い聞かせる時にも似た、ちゃんとした穏やかさを持って。
は、と顔をあげ目にしてしまえば、意識は奪われて視線を外せない。ひとの体を好き勝手弄ぶくせに慈しまれることに慣れていない体をかたくし、動けなくなった男を見ては、しかたがなさそうに笑う少女がディルックをいとも簡単に、こうして許す。
「お返し!」
やわらかくて、どうしようもなく甘い。どうだ、まいったか。そんなふうに笑う彼女がいつも通り眩しくてディルックは、彼女の雰囲気にのまれて、気が緩んでしまうのだ。
「なら、そのお返しを」 「おかしい。なにかがおかしい。」
◇
数日後、ようやく解放され、よろけた体で命からがら彼の屋敷の秘密の部屋から抜け出し、ここぞというときに姿が見えなかった吟遊詩人野郎をモンド城内の酒場で見つけた瞬間にラリアットをかましたローブ姿の彼女は、フードを深く被り獣耳と尾を隠しながら酒を浴びるように飲んだあと、机に突っ伏しながらむせび泣き、全てを話した。 彼女に祝福を与えし吟遊詩人野郎は話を聞きながら引き攣った顔を逸らし、ごめん、とだけ言った。まじめに謝られるのも、つらいものがある。彼女はさらに泣いた。どっちも酒を浴びるように飲んでいた。マトモではない。二人とも最初からマトモな生命体ではなかったが。風神は猫アレルギーが彼女に反応しないことを喜び、こう言った。
「人に飼われるのも良い体験だと思うけど?」 「じゃあかわって!」 「それは無理かなぁ。だって彼が欲しいのは君であってボクじゃないし。ボクはこのモンドで一番自由な吟遊詩人で、飼われるのは趣味じゃない。」 「わたしも飼われるのは趣味じゃないよ……」
テーブルに突っ伏した彼女の頭、フードから猫耳がかわいく姿を現しては、ぴこぴこ主張しているのを目で追った吟遊詩人が手を伸ばし、どんな感触なのかわくわくしたが、すぐに行儀良く膝の上に手を引っ込めた。真後ろに、無愛想な赤目の男が立っていた。彼女の飼い主だ。
「君が飲んでいるそれは、何だ。」 「これ?わたしがいま飲んでるのは蒲公英酒……です……ディルック……」
名前にさんをつけなくても良い、と教えられた彼女が自然と開いた口を閉じ、押し黙る。微かに、体が震えている。愛らしい獣の耳は伏せられ、尻尾もどこかに隠れてしまっている。何があったんだろ、ナニがあったんだろうな。風神は追加の酒を頼んだ、飲まなきゃやってられない。神のものを人が攫っていったのだ。飲まなきゃやってられない現実が目の前に広がっている。自由であれと望んだが、こう来る?と思いながら。人間ってすごいなぁ。
「僕が、君に酒を飲んでも良いと、許可を出しただろうか?外に出ても良いと言った覚えもないんだが。それについて君はどう思う」
手袋をした男の指が少女の首、つけられた赤い輪をなぞる。獣の牙や爪でも外れないであろう頑丈な革製の首輪と柔い肌のさかいめを、意図的に。
「わたしは自由なリビカ……」 「それで?他に言っておきたいことは」
後ろから伸ばされ、首に触れていた男の手がくい、と彼女のおとがいに触れ持ち上げる。彼女が喉を逸らすように、男と目を合わせる無理な姿勢だ。
「ごめんなさい」
男の虚無そのものの目を見た瞬間に少女は謝った、獣耳をぺたりと伏せたまま。
「おいで。」
そう言いながら、攫っていくんだ。頬杖をついた風神は、男の腕に抱き上げられた少女の背を目で追って酒をあおる。あーあ、とテーブルに突っ伏した。先ほどの少女のように。儘ならない世界だ。
novel/17812705とnovel/17823513の番外編です。
捏造注意。微クロスオーバー。ゲーム本編の時系列ガバガバ。ゲーム本編およびストーリーを含め様々なネタバレを含みます。
ご都合主義。己の本能に従いました、もしも話は“癖”。
どうしてトワリン夢がgnsnにないんですか(人外を愛する者の嘆き)
私ディルの旦那のこと何もわからないんです。理由はガチャで来てくれないから。来てください。めっちゃ調べました。書きたくなる理由はありました。何だあのヤベェの塊。多分自分のネコチャンデロデロに甘やかすタイプの貴公子。可愛がりすぎてウザがられるタイプの飼い主。
これ含めたうたうたいシリーズ、だいぶはっちゃらけたのでマイピクに仕舞い込む気しかしない。ある日突然マイピクになっていたら、ああ、恥ずかしかったんだな、と生暖かい目で見てください。
誤字脱字など気づいたら直します。
2022/6/26。もしも話の一部、ディルック追記。旦那の人気に乾杯。悪い貴公子のコメントに胸を撃ち抜かれました。旦那は私のゲームにもはやく来てください。