アルベドになったモモンガさんの一人旅   作:三上テンセイ

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15.帰還

 

 

 

 

 

「『魔法の矢(マジック・アロー)』!」

 

 

 ニニャが高らかに唱えると、杖の先端から光の矢が飛んでいく。

 矢は一体のゴブリンの腹に命中し、よろめいたところをペテルの剣が刈り取る。隙のない連携は、異常事態の中にあっても健在だった。

 

 

「しばらくは大丈夫そうだな……」

 

 

 転がるゴブリンの骸を一瞥し、ルクルットは浅く息を吐き出した。

 

 トブの森が見舞われた未曾有の天変地異。

 それに影響を受けて森から飛び出してきたゴブリンなどのモンスターは、恐らく我先にと逃げ出した影響なのか単独のものが多かった。恐怖に侵された状態で、単騎撃破となれば『漆黒の剣』でも容易い。依然予断を許さない状況ではあるものの、モモンと比べればその負担の軽さは比ではない。

 

 

「うわっ……!」

 

 

 大地が震える。

 大気が爆ぜる。

 

 ニニャの踏む地盤が、確かに大きく揺れた。

 それも一度や二度ではない。断続的に何度も、何度も。

 

 天災を思わせる地鳴りは、カルネ村に彼らが到着してからも絶え間なく続いていた。

 

 

「モモンさん……」

 

 

 杖を握る手から、絶え間なく汗が滲み出す。

 珠の様な汗が額に張り付き、ローブの中身はじっとりと濡れていた。

 奥歯の更に奥から、嫌な味の唾液が分泌されていく。不規則な心臓の拍動はまさにニニャの心の不安定を表している様で、彼は信じてもいない神に祈りを捧げていた。

 

 

「信じるのである」

 

 

 そんなニニャの肩に、(いわお)の様な手が置かれる。

 振り向くと、神妙な面持ちのダインがそこにいた。巨岩の様にいつもどっしりとしている彼の手は、しかしその言葉とは裏腹に震えている。

 

 

「そうですよ。モモンさんならきっと……成し遂げてくれるはずです」

 

 

 ペテルのその言葉は本心なのか、もしくはただの願望なのか、ニニャには判別つかない。だが、青褪めた顔を見れば、自分とさして変わらない心情なのだろうということを察することはできる。

 

 魔樹の咆哮はこのカルネ村までも届いている。

 今再び、ひと際大きなそれが村の家屋をビリビリと叩いた。聞くだけでも心胆を寒からしめる悍ましい咆哮だった。

 

 避難所となっている村の倉庫から、大きく悲鳴が上がる。

 混乱を避ける為、村人には世界を滅ぼす魔樹が復活したとは流石に伝えてはいない。しかしこの天変地異である程度の危機を察し始めてはいるのだろう。カルネ村全体に、不穏な空気が満ちていた。

 

 

「……なぁ、俺達は本当にこれで良かったのかな」

 

 

 森を睨むルクルットが小さく零す。

 いつもの明るい彼はそこにはいない。口振りは泥の様に重たく、罪を告白する様な暗澹とした気配がそこにはあった。

 

 

「何が、ですか?」

 

「本当にモモンちゃんを置いてきてよかったのか?」

 

「ルクルット、その話はもう終わったはずだろう」

 

 

 刺す様に、ペテルが言葉で制す。

 有無を言わさぬリーダーらしい言葉に、しかしルクルットは表情を変えなかった。

 

 

「ああ……確かにあの時、俺達は皆が皆カルネ村を守ることが使命だとは思ったさ……今もそう思ってる。だけどあの時、モモンちゃんに行けと言われて安堵しなかったか? あの化け物の攻撃を前に、モモンちゃんを盾にして逃げだせるとほんの僅かでも喜ばなかったか?」

 

「ルクルット……」

 

「ちくしょう……俺は、悔しい。こんな時に何の力にもなれないで、何が冒険者だって話だよな」

 

 

 弓を握る手が、震えていた。

 噛んだ下唇からは、重力に従って鮮やかな血が一筋垂れていく。

 

 無力感に苛まれるルクルットに、誰も言葉を掛ける事ができない。何故なら、彼らも同じ心なのだから。

 

 

「……それは違うのである、ルクルット」

 

 

 沈黙を破ったのは、ダイン。

 彼は首を横へ振って、諭す様にルクルットに語り掛ける。

 

 

「ルクルット、それは我々の様な地を這う土竜(モグラ)が、空を飛ぶ大鷲を見て何故我々にも翼がないのかと嘆く様なものである」

 

「ダイン……」

 

「土竜は大鷲にはなれない。しかし大鷲もまた、土竜にはなれないのである。弱者の知る恐怖を強者は知らないままで生きている。ならば、土竜には土竜にしか成せないこともあるはずである」

 

 

 髭を揉むダインに、ペテルは仄暗い素直な疑問を投げかける。

 

 

「あるのだろうか。モモンさんにできないで、僕達にできることが」

 

「ある、のである」

 

 

 しかしダインは即答だった。

 断言と言ってよい。彼は薄く口角を上げると、『漆黒の剣』を見回した。

 

 

 

「我々にはこの世界の他の誰にも成すことのできない仕事が一つあるのである。それも、あのモモン氏でさえ成せない大役である」

 

「それって何ですか」

 

 

 ニニャはそう聞けずにはいられない。

 ダインはうんと頷いた。

 

 

「我々は知った。そして見たのである。常識的な感覚で、平凡的な感性で……あのザイトルクワエを」

 

 

 ダインは、静かな口調で続けた。

 

 

「世界を滅ぼすと言われる魔樹ザイトルクワエ。巨大な怪物と相見え、一騎打ちを果たす救国の英雄モモン。その死闘を目に焼きつけたのは、誰あろうこの『漆黒の剣』の四名に他ならないのである!」

 

 

 そう……ザイトルクワエとモモンが実際に対峙した様を見たのは、世界広しと言えどここにいる四名のみである。その希少性……そして彼らが帯びる使命。ダインはそれを知っていた。

 

 

「我々は語らねばならない。かの化け物を討つ勇者の勇ましさを。そしてこれから続く平和な日常の全てが、かのモモン氏の伝説の延長線上にあるということを」

 

 

 比喩じゃない。

 全てが事実にして神話を凌ぐ。

 ダインは握り拳を、更に硬く握り込んだ。

 

 

「担うべきであり、果たすべきであり、そして誇るべきである。英雄モモンの伝説の生き証人……そして、語り部となることを」

 

 

 それはモモン氏でも、他の英雄達でも果たすことができないことである。ダインがそう締めると、『漆黒の剣』の雰囲気が次第に前向きになった様に思えた。

 

 そうだ、あの心優しいモモンなら今回の事件を丸く収めてもきっと誇らない。言いふらしたりしないし、(いさおし)にして英雄ぶることもしないだろう。もしかしたら何も言うことなく、何も触れることなく、今回の件が歴史の闇に埋もれていくのかもしれない。

 

 ……そんなことは『漆黒の剣』は許せない。許せるものか。あの英雄の伝説は、モモンに代わって自分達が語り継がなければならない。

 

 新たな使命を自覚した『漆黒の剣』は必ず生きてエ・ランテルへ戻ると、各々に固く誓うのだった。

 

 

 

 

 

 ──そして、鼓膜が破れんばかりの爆発音がトブの森に炸裂する。

 

 

 

 一瞬、空が紅く焼けた様に思えた。

『漆黒の剣』はそれが『魔封じの水晶』の暴走だと、一拍遅れて察知する。今までのどれにもない、強烈な爆発音。まさしく世界が破裂した様な、根源的な恐怖を思わせる音だった。

 

 顔を見合わせる。

 先程までの地鳴りが嘘の様に、静寂が世界を支配していた。そよ風の音が鼓膜に触れ、ニニャは大きく喉を鳴らした。

 

 

「終わっ、た……?」

 

 

 声を絞り出せたのは、静寂が流れて一分程の時を擁してからだった。

 

 終わった。

 その言葉の意味するところ。誰もが理解できている様で、そうではない。

 

 ザイトルクワエは倒せたのか。

 死んだのか、瀕死の大ダメージを与えたのか。

 そして何よりモモンの安否は? あれほどの音を生み出す衝撃に巻き込まれて無事で済むわけがない。

 

『漆黒の剣』は一様に喉を鳴らした。

 余りの静寂に、彼らの喉仏が転がる音がはっきりと聞こえた。

 

 

「どうする……?」

 

 

 ルクルットの言葉に三人は顔を見合わせた。

 どうする、という簡略化された質問の意味を、彼らは聞かなくとも分かっている。

 

 ここで待つか、モモンを迎えに行く……という名目で、安否を確認しに行くか。

 

 口を開いたのは、ニニャだった。

 

 

「待ちましょう」

 

「でもモモンさんが──」

 

「モモンさんはッ! ……必ず生きて帰ってくると、約束してくれました。だから僕は……僕は、待ちます。モモンさんの帰還を、信じます」

 

 

 声は、震えている。

 しかしニニャの瞳には確固たる意志が宿っていた。

 

 モモンが自分の帰還までここを守れといったのだ。

 ならばその使命を放る真似をしたくはない。

 

 ニニャの発言に異を唱える者はいない。

 モモンはきっと生きている。

 彼らは各々に武器を構え、森から飛び出してくるモンスターの迎撃を静かに待った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──……二時間程が経過した。

 

 痺れを切らしたルクルットをニニャが止めようとした、そんな時だった。

 

 

 トブの大森林から、一人の戦士の影が小さく見えた。

 

 

「あ、あ、あ……」

 

 

 その影を見たニニャの目から、大粒の涙が零れた。

 ペテルも、ルクルットも、ダインも泣いていた。しかし彼らの口角は上がっている。

 

『漆黒の剣』は喜色ばんだ叫びをあげて、戦士の下へ走っていく。

 

 

 ──漆黒の英雄モモン。

 

 彼女の鎧の大部分は破損していた。

 右肩は殆ど剥き身になっており、左腿も大きく露出している形になっている。兜も左の側頭部の装甲が大きく割れ、彼女の翡翠の瞳が露わになっている。背に差したグレートソードとカイトシールドはドロリと焼け爛れており、その死闘ぶりを幾億の言葉よりも如実に表していた。

 

 

「……ただいま」

 

 

 モモンは疲れた様に笑って、小さくそう告げる。

 割れた兜から見える目尻が、柔らかく下がった。

 

 ただいまと言う場所がある。

 おかえりと言う人がいる。

 

 例え自分が化け物でも、例えこれが上辺の関係であっても、そういうやりとりができることに、モモン──モモンガは小さな幸福を感じるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 瞼が開かれる。

 

 ツァインドルクス=ヴァイシオン──白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)と呼ばれる彼は、浅い眠りとも深い眠りとも言えぬ微睡みの中から浮上した。微光を纏う様な艶やかな白銀の体をうねらせ、この世界最強とされる竜王は今自身が感知した力の波動を吟味した。

 

 肌を刺す様なプレッシャー。

 遥か遠くにあるはずなのに、直ぐそばに在る様な温度感。

 

 この感覚は、知っている。

 

 

世界級(ワールド)アイテムが使われた……? いや、似ているようだけど……少し違う。これは一体──)

 

 

 ──思考の海に潜ろうとしたところで、彼ははたと気づく。

 

 目の前……とは言っても、巨大な竜王の彼にとっては目の前とも言えないのだが、見下げた場所にローブを纏った老婆が佇んでいた。彼女と目が合った竜王は、静かに相好を崩す。

 

 

「……おや、来てたんだねリグリット」

 

「久方ぶりじゃな、ツアー」

 

 

 しわがれた声で返す老婆──リグリットは、ツアーの視線を受けて肩を竦めて笑った。

 

 

「久しぶりに会いに来たというのに、スヤスヤと気持ちよさそうに寝腐りおって」

 

「すまないね。それより本当に丁度いいときに来てくれた」

 

「丁度良い時?」

 

「強烈な力をたった今感知した」

 

「……何じゃと? それってつまり──」

 

「──百年の揺り返しさ」

 

 

 恐らくね、と付け加えるツアーにリグリットは分かりやすく眉を顰めた。

 

 

「そうか……もうそんな時期じゃったか。それで、今回は世界に協力してくれそうか?」

 

 

 ツアーは僅かに沈黙の溜まりを作ると、首を横へ振る。

 

 

「いや……それはまだ分からない。ただ世界級アイテムか、それに似た力を使ったようだね。方角的にリ・エスティーゼ王国の僻地だろう。これは間違いなく『ぷれいやー』の仕業──いや……法国が使った可能性もあるのか」

 

「……お主はどうする? お主が脅威と感じる力、放っておくわけでもあるまい」

 

「とりあえずは動くしかないだろうね。暫くは目を外界に飛ばすつもりだよ」

 

「あそこに転がってる玩具でか?」

 

 

 リグリットはそう言って、皮肉混じりに笑んだ。

 視線の先には、空っぽの白金の鎧が佇んでいる。

 

 

「リグリット、まだ怒っているのかい?」

 

「さあてね」

 

 

 肩を竦めて、リグリットは悪戯っぽく笑う。

 その仕草が出会った頃と変わらなくて、ツアーの網膜にあの頃の景色が淡く蘇った。

 

 

「王国での出来事ならどうする? インベルンの嬢ちゃん──『蒼の薔薇』があそこにはいるはずじゃが」

 

「『蒼の薔薇』……確か君が所属していた冒険者チームだろう? なぜあの娘が」

 

「儂が引退してあの嬢ちゃんに役目を押しつけたんじゃよ。あの泣き虫、グチグチ言いおるから儂が勝ったら言うことを聞けと言ってボコってやったわ」

 

 

 にやりと笑むリグリットに、ツアーは無い肩を竦めた。

 

 

「そうか……いや、協力者も欲しいけどまずは僕だけで動こうと思う。下手にぷれいやーを刺激すると不味いことになるからね。ぷれいやー想定なら情報はある程度制限しておいた方がいい。それよりもリグリットにも協力してほしいことがあるんだ」

 

「儂に?」

 

「ギルド武器に匹敵するアイテムの情報を集めて欲しいんだ。それかユグドラシルの特別なアイテムを。ぷれいやーや組織に悟られないよう、秘密裏にね」

 

「……なるほど、儂にしかできないことじゃな」

 

「……頼んだよ。リグリット」

 

 

 ツアーはそうして、再び瞼を閉じる。

 そうした彼と入れ替わる様に、部屋の隅に置かれた白金の鎧が淡い輝きを放った。

 

 ひとりでに動き始めた鎧の姿に、リグリットは懐かしむように目を細める。

 

 

 

 ──世界の調停者が、今再び動き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




第二章終了です。
次回おまけを投稿して第三章に移ります。

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