第104回全国高校野球選手権広島大会の開幕まで1カ月を切った。1世紀を超える大会の歴史の中では、今の常識では信じがたいような事件や珍事も発生。夏の広島を舞台に、球場の内外で起こった出来事を振り返る。(加納優)
【アカシアの木】=1915年8月8日
まだ正規の球場がなかった第1回大会で、語り草となるシーンが生まれた。全国中等学校野球大会への出場権を懸けた山陽大会決勝で、広島中(現国泰寺)と広島商が激突。勝負を決したのは、会場の広島高師グラウンド(広島市中区)の左翼ファウルゾーンに生えたアカシアの木だった。
1―1の八回2死満塁から、広島中の打者が放った平凡な飛球は左翼へ。誰もがアウトと思った瞬間、打球は張り出したアカシアの枝葉に当たり、フェアゾーンにぽとりと落ちた。これが決勝の適時二塁打となり、広島中が3―1で勝利。記念すべき第1回大会の代表の座を射止めた。
試合前に両校で「木に当たったら二塁打」と申し合わせていたため、広島商ナインは合宿所に引き揚げてから男泣き。当時のエースで、後に母校と広島カープの監督も務めた石本秀一は「木を塩酸で焼いてやろうと思った」と悔しがったという。
【観客が切腹】=1925年8月8日
観音町球場(広島市)で開催された山陽大会決勝。広陵中(現広陵)―柳井中(現柳井=山口)の白熱した一戦が、悲劇の引き金になった。
熱狂的に広陵中を応援していた22歳の男性が、2―3の敗戦後に自宅で刺し身包丁を使って切腹。数日後に亡くなった。警察の捜査では、信仰する神社に勝利を願掛けしていたが実らず、世をはかなんだことが原因とされた。