父親・母親が誰か、人間存在の根幹たる情報
天皇制で、なぜ女系は悪くて男系ならよいのか、それを考えると、やはり男の方がいろんな女に子供を作らせやすい現実がある。女がハーレムを作っていろんな男の子供を産むというのは、そう簡単ではない。なにしろ自分が産むのだから、昔だと命懸けである。それに昔だとDNA鑑定もないから、誰の子供かわからない。父親・母親を明確にするという人間存在の大原則を守れないわけだ。おそらく女性の再婚は大昔はおおらかだったはずで、たとえば斉明天皇(皇極天皇)は最初は用明天皇の孫と結婚して子供を産み、そのあとで、舒明天皇と再婚して天智天皇・天武天皇を産んでいる。(天武天皇と結婚して新田部皇子を産んだ五百重娘が、天武天皇死後に藤原不比等と再婚した事例もある)。とはいえ、やはり、女性の場合は、一度にいろんな夫を作るわけにはいかない。離婚・再婚が必要になる。父親・母親の識別は人間存在の根幹だからである。保護者がいなければ人間は生きられないので、父親不明・母親不明では遺棄されてしまう。生身の人間として地球上にいるのだから、人間関係が人間存在であり、俗縁こそが人間である。政略結婚に限らず、市井の庶民であれ、父親・母親というルーツを知ることで、自分自身についての通俗的な存在了解が得られる。得られたつもりになったと言ってもいいだろう。国籍とか両親で自分の立ち位置がわかる、それだけである。無国籍で両親不明となると、自分は誰なのかという実存不安に突き当たる。自分は日本人で親はサラリーマン、そういうことで、なにかわかった気になるのである。精子バンクで生まれた子供は匿名の父親の正体を突き止めたくなるそうだが、つまり、お父さんは誰でお祖父さんは誰という年代記的な自己理解を誰しも求めるのである。究極的には正体不明であるわれわれが地縁・血縁で自己をわかったつもりになるのは通俗的な存在了解と呼ぶしか無いが、ではそれを超えた存在了解があるのかどうか、これは無明の虚無である。