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「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という言葉がありましたが、1980年頃に日本が技術立国として大きな繁栄を遂げていて、理工科系に対する夢と希望というものが時代の背景にあった。その同意が観客の中にあることで、僕のような仕事、巨大ロボットもののアニメがひとつのジャンルとして確立することができて、僕のような気質の人間でもこの歳になるまで食わせてもらえるような環境を手に入れることができたと理解しています。だから僕の力はほとんどないわけです。

――そんなはずはないでしょう!

富野 まあ当事者がここまで言っちゃうと全部謙遜になるから、ひとつだけ偉ぶったことを言わせてもらうなら、そういう時代の渦中で、果たして技術力一辺倒でいいのか、帝国主義の大量消費社会に進んでいいのか、っていうことは当時から自分自身で疑い続けていました。そうなるとやはり人類は絶滅するんじゃないかっていう気分があって、『ガンダム』で象徴的に描いてみたら、やはり間違いなくそういうところへ行くっていうことがわかってきた。
理工科系の思考だけでいったら、おそらく地球は保たない。だからもう少し緩やかにモノを考えるというメッセージを、巨大ロボットアニメのジャンルでも発信していく必要があるんじゃないかなと思ったわけです。これに関してはそれを意識して作った作品があることを考えると、やっぱり富野はただ単に巨大ロボットものを作ったんじゃないんだよね、っていう自負はあるわけです。

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「富野由悠季が自身の展覧会で理解した「作家になれていない」という事実」の画像1 「富野由悠季が自身の展覧会で理解した「作家になれていない」という事実」の画像2