富野 30年くらい前から「手塚治虫先生があれだけいろいろな作品を作れていたのは、何だったんだろう」って考えていたんですよ。あの方は、漫画家であるがためにすごく視野が広くて、それこそ医学から空想科学のことまで含めて、ひょいと作品に取り込める。これは一般論的な「学識」ではなく漫画家の「発想」なんだけど、『火の鳥』や『鉄腕アトム』だけじゃなくて時代劇も描いてるし、ヒットラーの話(『アドルフに告ぐ』)だって描いている。それって「学識がない」って言えます?
――そう表現していいのかどうか……難しいですね。
富野 結局のところ、自分には仕事を通して物事を生み出す「創造力」があるっていうことだったんじゃないかと思うんです。ひょっとしたらそれは学識以上のものなんだけれど、媒体がアニメであったために文学ほどに克明に検証されていない、っていう考え方があるわけです。
僕はとりあえず調子を合わせることしかやってなくて、そういう資質が自分には全くなかったなって言うことを思い知らされたのが今回の展示なのです。だから「富野っていうのはロボットものしか作れなくて似非SF的なところから一歩も出られていない、作家にはなってないんだ」っていうことだけは理解できました。
――とは言え、そういったお仕事をひとまとめに見られる場という意味において、今回の展示はかなり貴重な機会だと思うのですが。
富野 もちろんそうです。でも、そういう場合の「貴重」っていうのはどういうことかを今回考えてみて分かったんですけれど、それは「時代性」なんです。