【連載⑩】目白警察・検察は『無実の障がい者』を本当に逮捕するのか? | 東山凛太朗のブログ

6.「ある女性」やあなた方に言いたいこと(「青年」が海外ABBA側近者(=あなたたち)に対して送った手紙の続き

 

「青年」は本当に一生懸命、ABBAや『マンマ・ミーア!』や『CHESS』の取材をしてきました。

たとえ日本語が読めなくても、あなたがたにもその苦労がわかるでしょう。

 

しかし「ある女性」やあなたたちは、「青年」が取材すればするほど、「青年」を排斥し、邪魔し、潰そうとしてきました。

 

なぜですか?

あなたたちは、国民、いや世界の人々の模範となる「コンプラインス」を遵守する中心にいるのではないのですか?

それなのに、「青年」を「いじめ」「迫害」し「差別」し「虐待」し「『ある女性』とそのお友達の意見だけで『青年』の全人格を判断」し、「精神障害者2級」の「青年」を殺そうとしています。

 

そうです、日本のABBAファンの誰かが言っていましたが、あなた方はまさに『心の殺人者』なのです。

 

「ある女性」の場合はさらにあくどく、「青年死ね」「青年消えろ」「(ABBAの)ビヨルンのサル野郎」と日本のABBAファンに豪語していますし、SNSにも書いています。過去には100件くらい「ある女性」は「青年」の誹謗中傷をSNS上に堂々と「青年」の悪口を書いていました。「ある女性」はまさに「殺人未遂者」と言った方がいいと思います。

 

あなた方は「ある女性」という「英語を流暢に使える」人間に騙されているだけです。

そしてABBAの為に「命がけ」で取材をしている「青年」をこの世から消そうとするなんて、ヤクザやマフィアよりも怖い存在だと言うことがおわかりになりませんか?

 

なぜ「ある女性」やそのお友達の意見をそのまま信じるのですか?

「ある女性」はあなたたちを騙しているのですよ。

まだおわかりになりませんか?

 

ABBAは「平和を象徴するグループ」だと「青年」は思っております。

 

なのに、あなた方はその「平和を代表するグループ」の近くにいながら、無実の人間である「青年」を無理矢理「有罪」にして、しかも殺そうとしています。

 

これではまるで「人権侵害」じゃないですか?

「ある女性」やあなたがたは、既に「名誉毀損」を超え、「青年」の人格を破壊しています。

そんなことしてもいいのですか?

 

神様は「真実」を見ています。

 

「ある女性」とあなた方に「精神障害者2級」にされた「青年」がどんなに辛い、生活をしているか?あなた方が知っているのですか?

 

まず「ある女性」が「青年」の勤務先にイタズラ電話して、その為に「青年」は勤務先を解雇され時、「青年」はすぐに就職活動をしました。

そして、数ヶ月の間に「1000社落ち」ました。100社じゃ無いですよ、「1000社」ですよ。

 

あなた方の周りに数ヶ月で「1000社落ちた人」はいますか?

恐らく世界にもいないと思います。

 

「青年」を落とした会社に「なぜ私を落としたのか?」理由を聞きました。

答えは2つありました。

1つめは「ある女性」がSNS上に「青年」の悪口をたくさん書いていたからです。

1つや2つではありません。100件くらい、「青年」の悪口が書いてありました。

会社の人事部からすれば、SNS上にたくさん悪口を書いている人間なんか採用したくないですよね?

2つめは「青年」が「精神障害者」だったからです。

 

今ではSNS上に誹謗中傷すると罰を受けるという法律が日本でもようやく動き出しました。しかし当時は「青年」がいくら私の(「ある女性」が書いた「青年」の)悪口が掲載されている掲示板のプロバイダーに訴えても受け付けてもらえませんでした。そうです、消してくれなかったのです。

*ちなみに近年、日本で誹謗中傷を書いた人は罪を受けると知るやいなや、「ある女性」は99%の「青年」の悪口をSNS上から慌てて消しました。

 

あなた方はおかしい。

なぜ「ある女性」かあるいは「ある女性」の友人知人にしか「青年」のことを聞かないのですか?

「ある女性」の友人達は皆、「ある女性」に味方するに決まっているじゃないですか!

皆、語学に堪能なABBAきちがい達、自己中心的な人間達ですよね?

「青年」に味方するはずなんかないじゃないですか!

 

それでよく「平等に調べた」なんて言えますよね?

 

なぜ「青年」に直接聞かないのですか?

「ある女性」も、「ある女性」の友達もみんな「流暢な英語がしゃべれる」のに「青年」がしゃべれないからですか?

 

そんなことあなた方の勝手な理由じゃないですか?

普通は「ある女性」の言っていることの「ウラ」を獲るのがあなた方の使命でしょう?

しかしあなた方はその「ウラをとるのを」『ある女性』のお友達で簡単に済ませてしまった。

 

永遠に「青年」の主張が通るはずはないですよね?

 

「ある女性」とあんた方のせいで、「青年」は仕事もない、世界中から悪口を言われている。

なんで懸命にABBAを真面目に取材している「青年」がこんな目にあわなければならないのですか?

 

あなたたちは「ある女性」の「わがまま」「身勝手」に振り回されているのをまだわからないのですか?

 

なぜ「青年」が「精神障害者2級」にならなくてはいけなかったのですか?

 

もう永遠に「青年」は「健常者」には戻らないのですよ。

 

「青年」を「健常者」に戻してくださいよ。

「青年」の人生を返してくださいよ。

「青年」の勤め先を返してくださいよ。

「青年」の人生をメチャクチャしておいて、自分たちだけABBAに仲良く接するなんて、よくできますね。

 

「青年」一人死んでも、あなた方にはどうでもいいのですよね?

 

それでも「青年」は懸命にABBAや『マンマ・ミーア!』を取材してきました。

就職活動も頑張ってきました。

婚活も頑張ってきました。

 

でもいつも失敗です。

特に婚活は「婚約」まで結んで5~7年続けて「婚約破棄」されています。

なぜだかわかりますか?

「青年」が「障害者2級」だからですよ。

「青年」の一日の生活ぶりを見れば、女性は皆、ひきますよね?

 

あなた方は「青年」からABBAも『マンマ・ミーア!』も奪っただけでなく、人生も奪ったことをまだわからないのですか?

 

「青年」は生きてもあと20年かそこらでしょう。

このままこんな無残な、「えん罪」で死ななければいけないのですか?

 

「ある女性」こそが本当の「殺人者」、あなたがたこそが本当の「心の殺人者」ですよ。

 

 

7.The Japan ABBA OFFICIAL FAN CLUBの歴史

The Japan ABBA OFFICIAL FAN CLUBはDレコード(日本におけるABBAレコードの販売会社)とSミュージック(会社の会長であるK氏が大のABBAファンであった)によって作られたオフィシャルクラブです。

最高時の会員数は3600人でした。

しかし1983年初頭、「アンダー・アタック」が日本でリリースされてから、多くの日本のABBAファンはThe Japan ABBA OFFICIAL FAN CLUBをやめていきました。

当時「青年」は高校生でしたが、Dレコードまで訪ねていきました。

Dレコード社員MJさんが対応してくれました。

 

ビヨルンは日本の新聞である読売新聞の記者に「すぐに戻ってくるよ、少し休むだけだ」と答えていましたし、ABBAは「解散」という二文字を語ったことは一度もありません。

 

ですが日本のABBAファンはもとより世界のマスコミ、日本のマスコミは「1982年ABBAは解散した」と報じていました。

 

Dレコード内でも「もうABBAの復活はない」「ABBAは解散した」と言われるようになり、Dレコードを退社する社員も1人、2人・・・と出てきました。

そんな中、1984年春にDレコードは倒産を発表。

と共にThe Japan ABBA OFFICIAL FAN CLUB解散も会報誌で発表しました。

この時、あなた方も知っている「R子」や「H子」(「ある女性」のお友達、スウェーデン在住)が中心になり、有志でDレコードに集まることになりました。

「青年」は高校を出たばかりで、大学受験に失敗しておりました。

R子とH子は「青年」より年上でした。

R子とH子の呼びかけで全国から10名のABBAファン有志が倒産したDレコードに集まりました。

社員はMJさんしかおりませんでした。

R子とH子と有志達は「ABBAが解散した今、新しいファンクラブを作る必要がある」と言い出し、勝手にリーダーになりABBAサバイバルファンクラブなるものを立ち上げました。

「青年」は終始「ABBAは解散していない」「ABBAは1983年に活動停止しただけだ」と主張し続けていましたので、「青年」はR子とH子をはじめとして有志には「なぜThe Japan ABBA OFFICIAL FAN CLUBを続けようとしないんだ。ABBAは解散していないじゃないか?」と何度も何度も訴えましたが所詮、有志の中でほぼ一番年下の「青年」の意見が通るはずも無く、ABBAサバイバルファンクラブが発足しました。

 

1984年春、DレコードのMJさん最後の出社日に有志と赤坂でお酒を飲むことになりました。MJさんはWミュージック・ジャパンに転職することになりました。

 

会がお開きになり、飲み屋の前で有志がしゃべっているとき、「青年」一人だけMJさんに呼ばれ、路地に連れて行かれました。

MJさんは「青年」に「青年くんはABBAは解散していないと本気で思っているんだよね?」と聞くのです。「青年」は「はい、ABBAは解散していません」と答えたところ「実はThe Japan ABBA OFFICIAL FAN CLUBは会報誌では解散宣言したけど、まだポーラー・ミュージックのスティッグ・アンダーソンには報告していないんだ。だから正式に解散していないんだ。どうだろう、青年くんが会を引き継いでくれないか?」と言ってきましたので「青年」は「高校出たての青年がABBAの公式ファンクラブの代表なんてできるわけない」と答えたところ「R子もH子も他の有志の連中も皆、いい人だ。しかし彼女たちは如何に自分がABBAが好きか自慢話ばかりしかしない、自分勝手な連中だ。聞いていて呆れたよ。その点、唯一きみだけが、『The Japan ABBA OFFICIAL FAN CLUBを再興しましょう』とこの一年間も主張を変えずに訴えてきた。私からSミュージックK会長とポーラー・ミュージックのスティッグ・アンダーソンには連絡しておくからThe Japan ABBA OFFICIAL FAN CLUBを続けてくれ」と頭を下げられましたので「青年」は「はい、承知しました」と答え、The Japan ABBA OFFICIAL FAN CLUBを引き継ぐことになりました。

 

「青年」は1984年、大学に落ちた身で東京・お茶の水にある駿台予備校に通っておりました。

ある日、Sミュージック草野会長の秘書から電話があり、「青年」はSミュージックのK会長とSミュージック本社近くの喫茶店で会うことになりました。運良く私が通っていた駿台予備校はSミュージック本社のそばにあり、また指定された喫茶店もすぐそばでした。

 

「青年」は指定された喫茶店に行き、SミュージックK会長と会いました。K会長はとても忙しい方で、5分しか時間がないと言うのです。

「青年くん、The Japan ABBA OFFICIAL FAN CLUBを継いでくれることはDメイトレコードMJくんから聞いた」「もうABBAは解散してしまった」「ABBAが解散していないと言っているのは世界できみだけだ」「でもThe Japan ABBA OFFICIAL FAN CLUBを解散するのには忍びないと思っていた」「宜しく頼む」。

 

「青年」はSミュージックK会長を会った後、ポーラー・ミュージックのスティッグ・アンダーソンに電話しました。果たして僕の英語で通じるのか?とても不安でした。最初はGörel Hanserが電話に出ると思いましたが、じかにスティッグ・アンダーソンが出ました。

「The Japan ABBA OFFICIAL FAN CLUBは続けていきますので、お願いします」と「青年」はスティッグ・アンダーソンに電話で宣言しました。スティッグ・アンダーソンは「世界各国にあったABBAのオフィシャルファンクラブは全部解散してしまった。『日本だけ』が続けてくれるのは本当にうれしい」「ABBAは解散してしまったが、The Japan ABBA OFFICIAL FAN CLUB運営には何でも協力するから頼ってくれ」と「青年」はスティッグ・アンダーソンに太鼓判を押されました。

 

日本では古来よりこのような場合「証文」をとる習わしがあります。「青年」はその古式ゆかりの日本の習わしに従い、スティッグ・アンダーソンに「The Japan ABBA OFFICIAL FAN CLUBを継続させる証文がほしい」と頼みましたが、スティッグ・アンダーソンは「私が承認しているからそれでいいじゃないか」と言うのです。それでも私は何度も何度も「証文」の発行を頼みましたが、海外では「証文」という風習はないのでしょうか?結局「証文」を発行してもらうことはありませんでした。

 

他方、ABBAサバイバルファンクラブでは、中心的存在であったR子とH子が突然「スウェーデンに移住する」と言い出し、大慌てでした。有志も一人また一人、ABBAファンをやめていき、結局、残ったのは「青年」一人だけ。「青年」がABBAサバイバルファンクラブの代表にさせられました。

 

「青年」はThe Japan ABBA OFFICIAL FAN CLUBの代表と、ABBAサバイバルファンクラブの代表の二足のわらじを履くことになりました。

 

当時は今と違い、ネットがなく、ABBAの情報は乏しいモノでした。

たまたまイギリスにペンフレンドがいましたので、彼の誘いで『CHRSS』をロンドンやブロードウエイに一緒に観に行きました。

ABBAサバイバルファンクラブには40名が入会しました。「青年」はThe Japan ABBA OFFICIAL FAN CLUB解散していないとその40名に告げつつ、『CHESS』の感想や、アグネタ、フリーダのソロ活動をミニ会員誌にしたため「手紙」で40名に送り続けました。

最初こそ半分から「がんばってください」と連絡がありました、マドンナやマイケル・ジャクソンが世界を席巻し始めると、その40名の会員もどんどん連絡がとれなくなり、1989年、ポーラー・ミュージックがポリドール(ポリグラム)に買収された頃には、会員はゼロになりました。それでも「青年」は「ABBAは解散していない」「ABBAは1983年に活動停止しただけだ」と言い続けました。

 

1992年、ABBA結成20周年にあたるこの年にABBAのベスト盤とも言える『ABBA GOLD』がリリースされ、日本では再びABBAブームが来ました。「青年」はUKとUSAのポリドール(ポリグラム)に手紙を出し、「The Japan ABBA OFFICIAL FAN CLUBはずうっと運営してきたのでABBAの情報の提供をお願いします」と何度も何度も手紙を出しましたが、いっこうに返事はありませんでした。

 

その後、日本にもポリドール(ポリグラム)の日本支社があることがわかり、何度も何度も手紙を出したところ、1997年頃、OSという方から連絡がきました。

「実はね、ABBAファンクラブの代表を名乗る連中からたくさんのイタズラ電話、嫌がらせの手紙をもらってね」「部下には今後、ABBAファンクラブの代表と名乗る者から手紙が来ても電話が来ても無視しろと命令していたんだよ」「でもある日、部下から『もう2年間もThe Japan ABBA OFFICIAL FAN CLUBの代表として手紙をくれる人がいます。中身を見たら、真面目な人でしたので、本当にThe Japan ABBA OFFICIAL FAN CLUB代表かもしれません』と言われてね。2年分のきみからの手紙を読んで、今、Wミュージック・ジャパンにいて昔、DレコードにいたMJさんに連絡したら『ホンモノ』だというじゃない。ごめんね、連絡が遅れて」「近々、お会いしましょう」と言われ、ようやく、ABBAのCD販売会社のポリドール(ポリグラム)のABBA担当OSさんとコンタクトがとれ、以後、OSさんと協力して、日本でのABBAの地位を固め直していくことになりました。

 

その後、1999年夏に1986年に設立したというインターナショナルABBAオフィシャルファンクラブ日本支部代表にY君という男性が就任したと聞といたので、二人で協力して頑張っていきましょうとお互いエールを交わしましたが、1999年の夏の終わり頃、突然、Y君が運営していたABBAのサイトが閉鎖され、Y君の消息がわからなくなりました。聞けば、日本に古くからいるABBAファンから数名から(その中には「R子」も「H子」もいた)毎日「いじめ」「脅迫」を受け、ノイローゼになり、香港に逃げたと言うのです。

「青年」はY君とは仲が良かったので、いろいろとY君の相談にのってあげました。

そうしたところインターナショナルABBAオフィシャルファンクラブのH会長から「Y氏にかわり、あなたに日本支部代表を任せたい」とメールが来ましたが「青年は既にThe Japan ABBA OFFICIAL FAN CLUBとABBAサバイバルファンクラブの代表をしていましたので「青年」は「既に日本のThe Japan ABBA OFFICIAL FAN CLUBとABBAサバイバルファンクラブの代表をしているのでこれ以上は無理だ」とH会長にお断りしましたが、H会長の熱意はしつこく、結局、インターナショナルABBAファンクラブ日本支部代表も兼務することになりました。しかしH会長はかなり厳しい注文をつけてきました。「The Japan ABBA OFFICIAL FAN CLUBとABBAサバイバルファンクラブはあくまで日本だけのABBAのクラブ。しかしインターナショナルABBAファンクラブは世界的なABBA公認ファンクラブだから、今後はインターナショナルABBAファンクラブ日本支部代表として活躍してほしい」。「青年」はH会長の言うとおりにしました。

 

その後はインターナショナルABBAファンクラブ日本支部代表として「自分でホームページ」を作成し、「自費」で取材してきました。

 

しかし日本でもミュージカル『マンマ・ミーア!』『CHESS』が始まりましたので、世界のABBAファンには関係なくても、日本のABBAファン、『マンマ・ミーア!』『CHESS』ファンには大事な情報を掲載するために「日本独自」の取材をしました。

 

つまり「青年」が運営していたABBAオフィシャルファンクラブのホームページは「インターナショナルABBAファンクラブ」でもあり「The Japan ABBA OFFICIAL FAN CLUB」でもあり「ABBAサバイバルファンクラブ」でもあったのです。

 

そして事件は起きました。

 

2012年春、あなたたちは、「青年が運営していたABBAオフィシャルファンクラブのサイトの表紙が気にくわないので変えろ!」と言い出しました。

 

ホームページは最初こそホームページビルダーで私が手作りで作っていましたが、「ある女性」やそのお友達のスウェーデン在住のR子から「ABBAオフィシャルファンクラブのサイトが手作りなんてダサい」と嫌がらせをSNS上に書き込まれ、仕方なく、数十万円(4,397.46 USD、3,770.34 EUR)を自分の貯金からおろし、京都にあるR株式会社に依頼し、新しい『ABBAオフィシャルファンクラブのサイト』を作りました。

 

1984年以来、一度も文句を言われずに運営してきたのになぜ2012年になって、いきなり、いちゃもんつけてくるのか?

「青年」には意味がわかりせんでしたが、数万円(439.72 USD、376.99 EUR)以上かけて「青年」が運営しているABBAのサイトを修正しました。本当にあなたたちは惨いことを命令しますよね?

 

そしてあろうことかインターナショナルABBAファンクラブ日本支部代表を降りろとH会長から言われましたので、「青年」は泣く泣く降りました。

 

「青年」はもともと「The Japan ABBA OFFICIAL FAN CLUB」「ABBAサバイバルファンクラブ」代表でもあったので、名称を新たにし、ABBAのサイトの運営を続けました。

 

誰一人、文句を言ってくるモノはいませんでした。

 

しかし「青年」は当時から「ある女性」にストーカー行為を受けていて、精神障害者にもなってしまいましたので、万が一のことを考えて、ABBAオフィシャルファンクラブのサイト上に元ディスコメイトレコードで現在Wミュージック・ジャパンにいるMJさんに「The Japan ABBA OFFICIAL FAN CLUB」の紹介文をお願いしましたところMJさんからこのように言われました。「当時(1984年頃)のことはよく覚えていないんだよね」「当時(Dレコードの社員時代)のことは思い出したくないんだよね」「仮に私が紹介文を書いたら、今度は私の勤務先に、『ある女性』から『半年間』『一日8時間』イタズラ電話が来るんだよね」「それは困るんだ。家族もいるしWミュージック・ジャパンをクビになるわけにはいかないんだ」。

 

では「The Japan ABBA OFFICIAL FAN CLUB」創設者のもう一人の存在であるSミュージックK会長にお願いしようとしたところ、2005年にお亡くなりになったとのことでした。またSミュージックからは、Wミュージック・ジャパンMJさん同様「『ある女性』にイタズラ電話、ストーカーされたくない」という理由で協力できないと言われました。

 

そうです、既に日本のエンターテインメント業界では「ある女性」は「半年間イタズラ電話した女王」という名で恐れられていました。

 

結局、「青年」は「ある女性」に攻撃されながら以後も私は「The Japan ABBA OFFICIAL FAN CLUB」「ABBAサバイバルファンクラブ」の両方を運営していくことになりました。

 

8.位(くらい)のある方からの数々のABBAインチキ間違い報道

【デタラメなABBA情報を流す著名人とNHK】

日本でABBAが本格的に認知され、ブームになったのは1976年からですが、以後、多く著名人が「間違った」「デマ」のABBA情報を平気でTVやラジオを通じて流している状況が続いていました。

 

このような場合、どうするのでしょうか?

 

レコード会社が注意すべきですだと「青年」はもちろんのことABBAファンもそう思っていますが、ABBA現役当時のABBAのレコード会社であるDレコードは「間違ったABBAの情報」を訂正することなく、ABBAファンは悔しさを痛感してきました。

 

それはABBAが1983年活動停止に入り、日本で第二次ABBAブームが起こった1992年(『ABBA GOLD』リリース)、第三次ABBAブームが起こった1999年(ミュージカル『マンマ・ミーア!』ロンドンで上演開始)も同様な『デマ』がごく当たり前のように、「超名人」が知ったかぶりしてテレビやラジオで語っていました。

 

特に驚いたのはイギリスのBBCと同じ国営放送が日本にもあり(NHK)、そのNHKで堂々と報道するABBAの間違いを堂々と放送する有様。ABBAファンは1976年より永遠に悔しさを味わってきました。

 

ですが、「青年」が本格的にABBAオフィシャルファンクラブのサイトを公開した20世紀おわりから、NHKがABBA番組を作る際、実際に作るのは下請け会社で、その下請け会社から「青年」は毎回スタジオに来るように要求され、毎回、「デタラメなABBA」情報が出るたびに制作会社に注意を喚起しました。

 

もちろんまず「青年」はUミュージック・ジャパンのOSさん、あるいは部下のHMさんに「またABBAの間違った報道が流れています(流れようとしています)。注意してください」とお願いしましたが、Uミュージック・ジャパンがABBAの間違った情報を流した著名人に注意したことは1度もなく、結局、「青年」が「ABBAのデタラメな発言」をした人に、その人がどんなに社会的立場が上の人でも「ABBAの間違った情報を二度と言わないでください」と注意しに行きました。彼らからしてみれば「青年」は「生意気」「邪魔者」に思えたことでしょう。

 

なお、NHKは今や社員数、会社規模も世界一大きく、世界最大のメディアと言われています。

 

【DJ小林克也、作曲家都倉俊一】

DJで一斉風撫した小林克也と、著名な作曲家都倉俊一はABBAの番組が制作されるたびにひっぱりだこでそのたびにデタラメなABBAの情報を何十個も堂々と発言していました。

 

一番ひどかったのが「ABBAは可愛いお姉ちゃん(アグネタとフリーダのこと)だけ舞台の上にいればよくて、後ろにいたダサいにいちゃん(ビヨルンとベニーのこと)はいらないよね。テレビ画面に醜く写るよね」と笑い飛ばしたことでした。

次にひどかったのが「2組のカップルはレコード会社(ポーラーミュージック)が人工的に作らせたんだ。結婚も離婚も偽装だよね」「レコード会社(ポーラーミュージック)は売れるためならば何でもする典型的な悪い例だよね。だからABBAは世界的にヒットしたんだ」と言ったことでした。

 

これには「青年」は制作会社にも小林克也、都倉俊一にも抗議し、以後、言われることはなくなりました。小林と都倉はUミュージック・ジャパンに「あの『青年』と言う男は何者だ」「俺にたてつくなんて許せない」とクレームを言ってきたそうです。

 

【おわらいタレントふかわりょう】

お笑いタレントのふかわりょうは「ABBAのカップルがスワッピングしていたのは有名な話ですね」「何しろスワッピングした者同士で結婚離婚を繰り返したのですからね(つまりビヨルンとアグネタ、ベニーとフリーダが結婚、離婚した後、今度はビヨルンはフリーダと、ベニーはアグネタと結婚したというのです)」。

 

この発言も何度も続いたので「青年」はUミュージック・ジャパンに「彼の間違った発言を止めてください」とお願いしましたが止めてくれないために、ふかわりょうはことあるごとに、この「ABBAのスワッピング」をテレビで面白おかしく語っていました。

 

ついに「青年」がふかわりょうに注意し、以後、ABBAのスワッピング情報はなくなりました

 

【スウェーデン出身のお笑いタレントLILICO】

LILICOというお笑いタレントがいます。彼女は「スウェーデン出身」と言うだけでABBA番組には頻繁に登場し、「ザ・ウイナー・テイクス・イット・オールは私の人生の応援歌」と言ってみたり、「もうABBAは解散した。永遠に戻らない」と言ってみたり。とにかく言いたい放題でした。

 

「青年」はUミュージック・ジャパンにLILIKOの暴走を止めるとうにお願いしましたが、Uミュージック・ジャパンはLILICOを止めようともしないで、結局、「青年」がLILICOに「ザ・ウイナー・テイクス・イット・オールはビヨルンとアグネタの離婚のお話をテーマにした曲。なぜあなたの人生の応援歌になるのか?」「ABBAは解散していない。1983年に活動停止しただけだ」と注意し、以後、彼女はABBA番組に呼ばれなくなりました。

 

【NHKは「『ダンシング・クイーン』はシルヴィア王妃成婚の為にABBAが作った特別な曲」

世界最大のメディアであるNHKはあろうことか「『ダンシング・クイーン』はシルヴィア王妃の為にABBAが特別に作った曲」と言う番組を作りました。

 

「青年」はUミュージック・ジャパンに放送を止めるようにお願いしましたが結局オンエアされ、「青年」はNHKに大抗議。

 

なお、ABBAの現在もマネージャーであるゴーレル・ハンザーには「またまた日本がABBAのウソ番組を作ってしまい、ごめんなさい」となぜか「青年」が謝りました。

 

2021年11月6日、再放送するというのですから呆れます。

 

また同じ頃、日本の民放のテレビ局TBSでも同様の内容が流れ、これまた「青年」がTBSに抗議。

 

 

こうして、現在では未だに「1982年にABBAは解散した」と報じるメディアはいくつかありますが、大まかなABBAのデマ情報か消えました。

 

8.日本人がABBAにしてしまった失礼なこと

【1972年世界歌謡祭】

1972年、ソニー・ミュージックT氏は、ビヨルン&ベニーの「SHE'S MY KIND OF GIRL」を偶然パリにいた喫茶店で聞いて「これは日本で売れる」と思った。

同時にSミュージックK会長は「SHE'S MY KIND OF GIRL」の版権を購入。

こうして日本だけ「SHE'S MY KIND OF GIRL」が大ヒットした。

このEPが売れた枚数は15万枚とも50万枚とも言われているが正直なところ、Dレコードは倒産前に全てのABBAの資料を処分してしまったので謎のままである。

 

彼らは「ビヨルン&ベニー」を日本発のデュオとして世界デビューさせようともくろんでいた。主な中心人物は前述Sミュージック会長K氏、ソニー・ミュージックのT氏、それに当時ラジオのディスクジョッキーで右に出るモノがいないほどの人気者の亀淵氏。

 

まずは1972年、日本で開催された「世界歌謡祭」で「ビヨルン&ベニー」優勝させる(出来レース)目標で動いていた。

 

しかし当日、羽田空港には着いたのは、なんと4人。

そうビヨルンはアグネタを、ベニーはフリーダを伴いタラップをおりたものだから大騒ぎ。

また曲目は日本側が用意していた曲ではなく「SANTA ROSA」を歌うとビヨルンとベニーは言い出したから日本側は大激怒。

 

結局「ビヨルン&ベニー」の世界デビューはなくなり、また日本側は「ビヨルン&ベニー」に1つも賞をあげなかった。酷い話である。

 

この日の夜、ABBAのマネージャーでポーラー・ミュージック社長のスティッグ・アンダーソンは激怒し「日本の野郎、ふざけんな、話が違うじゃないか」とやけ酒したそうです。

 

【劇団四季代表浅利慶太氏の異常な行動】

2002年、日本で『マンマ・ミーア!』日本公演が開演しました。

当初、ビヨルンとベニーはその初日の舞台に立つ予定でした。

だが前日メディアに響き渡ったのは「ベニーが『日本に行きたくない』と駄々をこねてドタキャンした」と報道したからたまらない。

多くのABBAファンは涙を見せ、「日本は1972年の世界歌謡祭からABBAに嫌われているんだな」とSNS上で嘆く始末。

 

しかし「青年」はその後、約20年調査を続け、ついに真実を発掘!

2002年12月『マンマ・ミーア!』日本公演初日、日本の『マンマ・ミーア!』を制作した劇団四季の監督兼社長の浅利慶太氏はジュディ・クレーマーに「ABBAは『マンマ・ミーア!』初日に、日本に来なくていいから」「ビヨルンとベニーは邪魔」と言ったとのこと。

この証言は「青年」が元劇団四季社員、及び、元リトルスター社員から直接聴いたものなので間違いない。

 

ちなみにビヨルンは日本に着ていく洋服をベッドに並べながらオファーを待っていたとのことでした。

 

浅利慶太氏はそんなにABBAが憎かったのか?

 

なお、『マンマ・ミーア!』日本公演で歌われている曲の全部は訳したものなのに、浅利慶太氏は印税を「青年」に渡すと約束したのに、今日まで1円も払われておりません。酷い話ですね。

なお、浅利慶太氏は「青年」と同じ「悪性リンパ腫」になり、亡くなった。

 

その後、劇団四季に「印税」の話をしたが、無視されたままである。

 

【ラジオパーソナリティ、亀淵氏】

1972年、すでにABBAとして活動していたことを全く知らずに、『ビヨルン&ベニー』を日本発で世界デビューさせようとした張本人の一人、ニッポン放送の亀淵氏に「青年」は2003年にインタビューしたことがあった。

「1974年にユーロビジョン・ソング・コンテストでABBAが優勝したのは、私たちが世界で最初にビヨルン&ベニーを目につけたからである」「『マンマ・ミーア!』がヒットしているのも私たちのおかげ」「それなのにビヨルン&ベニーは私たちに『ありがとう』の1つも言いに来ない。礼儀がない奴らだ」と発言。唖然とした。

 

日本で『マンマ・ミーア!』が上演されていた2002年頃、亀淵氏はなんとニッポン放送の社長になっていた。

 

しかしその後、「ニッポン放送」は買収され、日本では大きな騒ぎとなり、一時期、亀淵氏の消息がわからなくなった。

 

今ではたまにラジオのパーソナリティをしている。

一切、ABBAのことはしゃべらなくなった。

 

【日本の商社がABBAを買収】

日本の商社がABBAを買収しようとした。

1度目は日本が「世界一」と言われ調子に乗っていた1990年頃。「10000000000円(87763564.96USD、75875988.28ユーロ)報酬をあげるので世界で100回コンサートを開け」とABBAに提示したがABBAはことわった。

 

2回目はそれから数年後、今度は日米共同でABBAを同条件で買収しようとしたがまたもやABBAに断られた。

 

【私がABBAの事務所で謝罪】

2018年6月18日、ストックホルムのABBAの事務所夏休みの前の日、「青年」はABBAの事務所を訪ね、これら一連の日本(日本人)のABBAに対する失礼な態度を謝罪。

 

これにより、1983年より交流がなかった、ABBAとThe JAPAN ABBA オフィシャルファンクラブは交流を再開した。

 

10.Uミュージック・ジャパンに私がされたこと

【Uミュージック・ジャパンに『青年』がされたこと】

2012年春、あなたたちはいきなり「青年」が運営しているABBAのサイトの表紙を変えろと言ってきたのは既に申したが、同時にUミュージック・ジャパンから「青年」宛に以下の手紙が来た。

 

今後、Uミュージック・ジャパンと接するときは『浜田正夫法律事務所』(〒107-0062 東京都港区南青山5丁目10−5)を通せ」。

 

「青年」はすぐにUミュージック・ジャパンに理由を求めた。

 

Uミュージック・ジャパンはこう答えた。

 

「あなたは、お偉い先生にたかだかABBAの情報が間違っただけで文句を言ったり、ベニー(BAO)がCDをリリースしたので日本でも出してほしいなど言ってくる」

ベニーのCDなんて、日本人の誰が買うんだ!

Uミュージック・ジャパンはABBAだけを扱っているんじゃないんだ」

ABBAの間違った情報なんて気にしなければいいじゃないか!」。

 

以後、その弁護士事務所を通じて、連絡しているが、返事は来ない。

その為、Uミュージック・ジャパンに直接連絡しているが「無視」されたままである。そう既に11年も「無視」されている。

 

2012年前はABBAのことは何でもUミュージック・ジャパンは「青年」に連絡してきた。そして『ライナーノーツ』もたくさん「青年」は書いたし、ABBAの歌詞も全部「青年」が訳した。Uミュージック・ジャパンと私はとても仲がよかった。

 

それなのに、2012年、あなたがたが「青年」を責めてきたのち、音信不通になるとは。

 

無視されるほど、辛いことはないですよね?

 

11.ファンクラブとは何であろうか?

【ファンクラブとは何であろうか?】

ファンクラブとは何であろうかと質問されたとき、99.99%以上のファンクラブ運営者が「アーティストの良いとこばかりPRするのがファンクラブの使命」と答えるだろう。

 

「青年」はこの20年間、世界の主なアーティストのファンクラブの実態を調べてきたが、たしかに99.99%以上が「アーティストのいいところのみ宣伝する」ことがファンクラブの使命だということがわかった。

 

だが中には私同様に「アーティストの悪口を言った著名人に注意したり」「アーティストを命がけで守っているファンクラブ」もあった。

 

例えばノルウェーのアーハや北米のオリビアニュートンジョン、カーペンターズのファンクラブは私と同じことをしていた。

 

上記に共通するのはレコード会社との関係は最悪で、一度も口をきいていないファンクラブもあった。

 

ファンクラブとは一体、何なのでしょうか?

 

なお、「家宅捜索から7カ月」経った現在でも「青年」のPCもiphoneも何一つ戻ってきていません……。

 

(続く)