【1972年世界歌謡祭】
1972年、ソニー・ミュージック高橋氏は、ビヨルン&ベニーの「SHE'S MY KIND OF GIRL」を偶然パリにいた喫茶店で聞いて「これは日本で売れる!」と思ったそうです。
同時にSミュージックK会長は「SHE'S MY KIND OF GIRL」の版権を購入。
こうして日本だけ「SHE'S MY KIND OF GIRL」が大ヒットしました。
このEPが売れた枚数は15万枚とも50万枚とも言われていますが、正直なところ、Dレコードは倒産前に全てのABBAの資料を処分してしまったので謎のままといった方が無難かもしれません(Dレコードは倒産するとわかってからすべてのABBAの情報を破棄してしまいました。たまに『ヤフオク』に出てくる『業界人の資料』は恐らく、当時のDレコードの社員が自宅に持ち帰ったものと思われます)。
彼らは「ビヨルン&ベニー」を日本発のデュオとして世界デビューさせようともくろんでいました。主な中心人物は前述Sミュージック会長K氏、ソニー・ミュージックの高橋氏、それに当時ラジオのディスクジョッキーで右に出るモノがいないほどの人気者の亀淵氏。
まずは1972年、日本で開催された「世界歌謡祭」で優勝させる(出来レース!)で動いていました。
しかし当日、羽田空港には着いたのは……な、なんと、4人いるじゃないですか!
そうビヨルンのそばにはアグネタが、ベニーそばにはフリーダがいたのです。ビヨルンとベニーが2名の美女を伴いタラップをおりてきたものですから大騒ぎ。また曲目は日本側が用意していた曲ではなく「SANTA ROSA」を歌うとビヨルンとベニーは言い出したから日本側は大激怒!
結局「ビヨルン&ベニー」の世界デビューはなくなり、また日本側は「ビヨルン&ベニー」に1つも賞をあげませんでした。酷い話です。
この日の夜、ABBAのマネージャーでポーラー・ミュージック社長のスティッグ・アンダーソンは激怒し「日本の野郎、ふざけんな、話が違うじゃないか」とやけ酒したそうです。
【劇団四季代表浅利慶太氏の異常な行動】
2002年12月、日本で『マンマ・ミーア!』日本公演が開演しました。
当初、ビヨルンとベニーはその初日の舞台に立つ予定でした(日本は非英語圏ではドイツに次ぐ開演でした。過去、ABBAは『マンマ・ミーア!』初日には必ず舞台で挨拶していました)。
しかし、前日メディアに飛び込んできたのは「ベニーが『日本に行きたくない』と駄々をこねてドタキャンした」と報道したからたまらない。
多くのABBAファンは涙を見せ、「日本は1972年の世界歌謡祭からABBAに嫌われているんだな」とSNS上で嘆く始末。
しかし「青年」はその後、約20年調査を続け、ついに真実を発掘!
2002年12月『マンマ・ミーア!』日本公演初日、日本の『マンマ・ミーア!』を制作した劇団四季の監督兼社長の浅利慶太氏はジュディ・クレーマー(『マンマ・ミーア!』最高責任者)に「ABBAは『マンマ・ミーア!』初日に、日本に来なくていいから」「ビヨルンとベニーは邪魔」と言ったとのこと。
この証言は私が元劇団四季社員、及び、元リトルスター(『マンマ・ミーア!』の管理会社)社員から直接聞いたものなので間違いないです。
ちなみにビヨルンは(『マンマ・ミーア!』日本公演前日)日本に着ていく洋服をベッドに並べながらオファーを待っていたとのことでした。
浅利慶太氏の嫉妬はすさまじかったと劇団四季元社員・劇団員から「青年」は直接聞きました。残念!!
【ラジオパーソナリティ、亀淵氏】
1972年、すでにABBAとして活動していたことを全く知らずに、「ビヨルン&ベニー」を日本発で世界デビューさせようとした張本人の一人、ニッポン放送の亀淵氏に私は2003年にインタビューしたことがありました。
「1974年にユーロビジョン・ソング・コンテストでABBAが優勝したのは、俺たちが世界で最初に『ビヨルン&ベニー』を目につけたからなんだよね」「『マンマ・ミーア!』がヒットしているのも俺たちのおかげさ」「それなのに『ビヨルン&ベニー』は俺たちに『ありがとう』の1つも挨拶に言いに来ない。礼儀がない奴らだとは思わないかい?」と発言。唖然としました。
日本で『マンマ・ミーア!』が上演されていた2002年頃、亀淵氏はなんとニッポン放送の社長になっていたのです!
しかしその後、周知の通り「ニッポン放送」は買収され、日本では大きな騒ぎとなり、一時期、亀淵氏の消息がわからなくなりました。
ホリエモンは「無実の罪で前科一犯」なのに、どうして亀淵氏はシャバに平然としていられるのでしょうか?
ちなみに亀淵氏は今ではたまにラジオのパーソナリティをしていますね。
一切、ABBAのことはしゃべらなくなりました。
【日本の商社がABBAを買収】
日本の商社がABBAを買収しようとしました。
1度目は日本が「世界一」と言われ調子に乗っていた1990年頃。「10000000000円(87763564.96USD、75875988.28ユーロ)報酬をあげるので世界で100回コンサートを開け」とABBAに提示しましたがABBAは断りました。
2回目はそれから数年後、今度は日米共同でABBAを同条件で買収しようとしたがまたもやABBAに断られました。
【私がABBAの事務所で謝罪】
2018年6月18日、ストックホルムのABBAの事務所夏休みの前日、「青年」はABBAの事務所を訪ね、これら一連の日本(日本人)のABBAに対する失礼な態度を謝罪しに行きました。
そうです、「障害者である青年」はかなり無理して、ABBAに謝罪するために、わざわざストックホルムに行ったのです!
これにより、1983年より交流が止まっていた、ABBAと『The JAPAN ABBA オフィシャルファンクラブ』は交流を再開しました。
10.Uミュージック・ジャパンに「青年」がされたこと(今でもされていること)
【Uミュージック・ジャパンに「青年」がされたこと】
2012年春、Uミュージック・スウェーデンはいきなり「青年」が運営しているABBAのサイトの表紙を変えろと言ってきたのは既に申しましたが、同時にUミュージック・ジャパンから「青年」宛に以下の手紙が来ました。
「今後、Uミュージック・ジャパンと接するときは『浜田正夫法律事務所』(〒107-0062 東京都港区南青山5丁目10−5)を通せ」。
「青年」はすぐにUミュージック・ジャパンに理由を求めました。
Uミュージック・ジャパンはこう答えました。
「あなた(青年)は、都倉先生、DJの小林勝也先生のようなお偉い先生がABBAの間違った情報を語っただけで文句を言ったり、ABBAのベニー(BAO)がCDをリリースしたので日本でも出してほしいなど言ってくる」
「ベニーのCDなんて、一体、日本人の誰が買うんだ!」
*ABBA活動停止期間中、ABBAのメンバーの一人であるベニーはスウェーデンでBAO(ベニー・アンダーソン・オーケストラ)を結成し、欧州ではすごい人気でした。
「Uミュージック・ジャパンはABBAだけを扱っているんじゃないんだ!」
「ABBAの間違った情報なんて、どうでもいいじゃないか。気にしなければいいだけだろう?」
「しかももうABBAは解散したんだぞ」
「ABBAが解散していないと夢のようなことを言っているのは世界でただ一人、お前(青年)だけだ。いいかげんにしてほしいね」。
以後、「青年」はその弁護士事務所を通じて、連絡していますが、返事は滅多に来ません。
「青年」は完全にUミュージック・ジャパンの全社員から「無視」されています!
その為、(時々)Uミュージック・ジャパンに直接連絡してみますが未だに「無視」されたままです。そう既に11年間も「無視」されているのです。
そして、Uミュージック・ジャパンの社員は(あちこちで)「青年」と関係ある人から「なぜ『青年』さんを無視しているのか?」と質問されるたびに「あんな奴の顔は二度と見たくない」と言いたい放題、「青年」の悪口を(Uジャパンの社員は)言っているそうです。
Uミュージック・グループは「ある女性」と協力して、「青年」を「障害者2級」にした責任をとることもなければ、「自分たちに非がある」ことさえ認識していないのです!そう「青年」を「人間」として扱うおうとさえしていないのです!
2012年以前はABBAのことは何でもUミュージック・ジャパンは「青年」に連絡してきました。そして『ライナーノーツ』もたくさん「青年」は書きましたし、ABBAの歌詞も全部「青年」が訳しました。Uミュージック・ジャパンと「青年」はとても仲がよかったのです。
例えばこんなことを「青年」はUミュージック・ジャパンから頼まれても全部こなしました。
例1)「3日間でABBAの全100曲の日本語訳を訳しなおせ」と指示され「無償で」全部訳し「3日間」で訳しなおしました。
例2)ABBAオタクからの「クレーム」も「青年」が全部処理。
例3)Uミュージック・ジャパンに来た「ABBAの質問」も全部「青年」が答えました。
例4)2012年までに発売されたABBAのCD、DVDの発売に協力。
例5)日本で行なわれたABBAの全イベントを手伝えと言われて、全部手伝いました。
それなのに、2012年、Uミュージック・スウェーデンとインターナショナルABBAファンクラブが「青年」を責めてきたのち、Uミュージック・ジャパンからも音信不通になるとは「青年」は夢にも思っていませんでした。
「無視されるほど、辛いことはない」ですよね?
【ファンクラブとは何なのか?】
ファンクラブとは何なのか?と質問されたとき、99.999999%以上のファンクラブ運営者が「アーティストの良いとこばかりPRするのがファンクラブの使命」と答えるでしょう。
「青年」はこの20年間、世界の主なアーティストのファンクラブの実態を調べてきましたが、確かに99.9999%以上が「アーティストのいいところのみ宣伝する」ことがファンクラブの使命だということがわかりました。
ですが中には「青年」同様に「アーティストの悪口を言った有名人、ライター、著名人に注意したり」「アーティストを命がけで守っているファンクラブ」もありました。
例えばノルウェーのアーハや、北米のオリビア・ニュートンジョン、カーペンターズのファンクラブは「青年」と同じことをしていたのです。
上記に共通するのはレコード会社との関係は最悪で、一度も口をきいていないファンクラブもありました。
ファンクラブとは一体、何なのでしょうか?
【下記がある女性のブログです】
2020-12-13 11:09:52
テーマ:ブログ
アメーバ同士でないとやり取りできないようなので、アカウント作りました。アプリ導入したもののどこがブログ作成の入り口か分からず手惑いました。
複数の方に個々に対応するのが大変なのでこちらでまとめます。
いえいえ、私も最近知った事なので動揺してます。
警察には先月行きまして、指示されたとおり該当するページのURL付きプリントアウト保存しあらゆるブログ管理者に削除依頼を郵送しました。
かなり広範囲だったので苦労しました。管理会社ごとでしたので何枚も印鑑証明用意したり。
自分の名前の検索で調べてみて分かったのですが、ある掲示板でその方のブログを指摘した投稿がありました。その投稿にレスがついており、書いたのは「ある女性」さんですか?みたいな内容でした。他内容からブログ主しか知らないことも有ったので、その方だと分かりました。もう2年も前の投稿です。
その直後からその方が多方面にわたり自身のブログで、私の名前「ある女性」とともに嘘の話を書きはじめたようですね。今の今まで知らなかったです。Facebookの自分の顔写真まで使われていたのに気づきませんでした。私だけでなく、色々な方が同じことされていました。公式サイトとうたってそのサイト内に個人名を書いて中傷している事実。数か月前におっしゃる通りの事件が起きて、先日説明したように自分のところへも伺いが来た次第です。
削除依頼したページは消えたものの、履歴は残っていますので弁明しますが、私はピンクサロン従事者ではないし、クレジットカード詐欺などしたことなどないし、いたずら電話を毎日8時間半年に渡ってやったとか、今でも会員ですが劇団四季に被害届を出されたとか、UミュージックXと組んで警察にその方を襲撃させたとか、何一つ事実ではありません。ご覧になって感じられたように名誉毀損でした。
もちろん元の投稿は私ではないし、そんな投稿があった事すら知りませんでした。その方が別名でブログをやっていた事さえも知らなかったです。実際に何をされている方なのかも存じないです。
なので、その方について聞かれても答えられないです。芸能人の親戚かどうかも知らないです。
なぜ私がその方のターゲットになったかは察しがつきます。
10年位前に遡りますが、ABBAの日本テレビ映像が商品化される時に私が保存していたいくつかの映像について、イギリスのファンが仲介に入ってレコード会社Uスウェーデンやり取りしていました。
放送された日時や番組内容の詳細確認だったと思います。それで、レコード会社Uジャパンの担当の方とも連絡しておりました。海外レコード会社Xの制作で日本でも売り出すとのことで。その際にファンクラブの活動についても色々聞かれて、
私がオランダの公式ファンクラブに所属しているのは、日本のファンクラブはそこの枝(ブランチ)であって独立したファンクラブではない。80年代以降の日本でのファンクラブ活動は一切ないし、現在の登録人数もオランダに確認してみないと分からない(実際に代表とは頻繁に会っていたので)、などと言ったことがその方を刺激したようです。
独りでABBAの公式サイトを立ち上げ?全ての活動に関わってきた?というのがその方の言い分らしく、ネット上でABBAを検索するとその方のプロフィールが多数でてきます。
当時、どうやって調べられたのか分かりませんけど、自宅に7枚にも綴った手紙がその方から私宛へ届きました。
余りにも長く内容が支離滅裂で、手紙を出してきた意図は不明ですが、その方は私Uミュージック・ジャパンに状況を伝えたことで人生が変わってしまった?病気になった?みたいなことを書いていました。
10年経った今、手紙を読み返してもその方が何をしたいのか私も警察も理解できなかったのですが、発言以外に私が海外でABBA関連の行事に参加してきたことやメンバーに何回か会った事、メンバーのプロモビデオに出演したことを公開していたのがその方は気に入らないようです。あなたはABBAのコレクター(ヤフオクで購入したものをチェックしてた?)であって僕はABBA唯一の研究家と太字で強調していたので、ご自身で解決なさっているということで、そのまま放置していました。いえ、それ以前も以降も私からの接点はないです。
人のことを変態と名指ししながらも、シンガポールか香港か私が撮影したミュージカル会場での写真を、あたかも自分が行ったかのようなレポートとともに載せているのには流石に腹が立ちましたが、可哀想な人なんだなと返って吹っ切れました。
公式ファンクラブの会長からその方のことを個別で聞かれていましたが、面倒なことに巻き込まれたくないので色々伏せてきました。時が解決したようで、別件でファンクラブを除籍させられていたようです。
いま分かっていることはこの位です。乱筆ですみません。
【青年の反論】
アプリ導入したもののどこがブログ作成の入り口か分からず手惑いました。
完全に「ウソ」ですね。「ある女性」は以前からかブログで「青年」の悪口を書いていた常習犯です。
今は「SNSで悪口を書くと逮捕」されるので慌てて消したのです。
私も最近知った事なので動揺してます
2010年12月12日『マンマ・ミーア!』の休憩中にあった際、「ある女性」は
1.(その日の)『マンマ・ミーア!』公演終了後、「青年」に謝罪する。
2.世界中に言った「青年」の悪口が間違っていたと謝罪する。
3.場合によっては「警察に自首」して罪をつぐなう。
と「青年」に「約束」しながら「逃亡」しました。
「ある女性」に手紙を書いてもメールしても電話しても「無視」されたままなので、「青年」は仕方なく「SNS上を活用」して「ある女性」に「謝罪」を求めてきましたが、「ある女性」は日本に「SNS上で誹謗中傷されたら、本人から申し出があった場合、プロバイダーは消さなければならない」という「日本の新しい法律」を巧みに利用し、「青年」の要求を却下どころか、「青年」の一万本近く記事があったブログ、インターナショナルABBAファンクラブ同様にFACEBOOKに作ってあったABBAのFACEBOOKを「青年」の許可なしに全部消しました。そして「目白警察署」に泣きながら「被害届」を出し、「青年」を「有罪」「刑務所に入れよう」と企んだのです。
数か月前におっしゃる通りの事件が起きて、先日説明したように自分のところへも伺いが来た次第です。
「ある女性」の特技は「ウソがうまい」「英語を流暢に操る」、そして世界中の人たちはみな「ある女性のウソを信じる」ことです。
*ちなみに「ある女性」は日本の本当のABBAファンからは既に「追放」処分されているのを世界中の人たちはご存じではないというのは何とも不思議なことです。
削除依頼したページは消えたものの、履歴は残っていますので弁明しますが、私はピンクサロン従事者
「ある女性」がピンクサロンで働いていたのは「青年」が書いたのではありません!「MIXIのABBAサイト」に書いてありました。
「ある女性」はその事実を知っていながら、全部「青年」のせいにしています。
いたずら電話を毎日8時間半年に渡ってやったとか
この件は2009年秋に、Uミュージック・ジャパンH氏から「青年」は呼び出されて、「青年」はUミュージック・ジャパンH氏から散々怒られました。
なぜ「青年」が怒られるのでしょうか?
なぜUミュージック・ジャパンは警察に被害届を出さなかったのでしょうか?
上記が真実か否かはUミュージック・ジャパンH氏に聞いてください。
しかしUミュージック・ジャパンH氏が「青年」にわざわざ「ウソ」を言いますか?
それとも「背後」にはUミュージック・スウェーデン、インターナショナルABBAファンクラブがいるのでしょうか?
その方が別名でブログをやっていた事さえも知らなかった
一体(青年の)何千本のブログ、フェイスブックを「ある女性」によって勝手に消されたことか。こんなことしていいのですか?許されるのですか?
日本のエンターテインメント業界では「青年」が「『ある女性』に12年間ストーカー」されている」ということ知っていますが誰も助けてくれませんでした。
日本のエンターテインメント業界は、もし「青年」を助ければ今度は自分たちが「ある女性」に「半年間」「一日8時間」の「いらずら電話」「嫌がらせ」「ストーカー」されるのを知っていたので、ビビり、あえて「青年」がリンチされているのを見て見ぬ振りをしてきたのです。卑怯極まりない者ばかりです。
私がオランダの公式ファンクラブに所属しているのは、日本のファンクラブはそこの枝(ブランチ)であって独立したファンクラブではない。80年代以降の日本でのファンクラブ活動は一切ないし、現在の登録人数もオランダに確認してみないと分からない
『マンマ・ミーア!』日本公演を世界で一番取材しているのは「青年」です。
『CHESS』日本公演を世界で一番取材しているのは「青年」です。
「ABBA GOLD」「ABBA THE SHOW」などのABBAのトリビュートバンドを世界で一番取材しているのは「青年」です(青年は「ABBA THE SHOW」にインタビューする為にスウェーデンまで行きました)。
その他、日本で行なわれた『ABBAのイベント』には全部、「青年」が関わっています。
これが「単なるブランチ(支部)」の仕事でしょうか?
「ある女性」も「青年」と同じような行動をすればいいのに、一切せずに、「青年」を一方的に攻撃し、ABBAオフィシャルファンクラブを「破壊」しようとしています。
1976年、日本に『The Japan ABBA OFFICIAL FAN CLUB』(通称:ABBAファンクラブ)は創部しました(当時ABBAのレコードを販売していたDレコードと、ABBAが大好きだったK会長がいた会社Sミュージックによって作られました)。
ABBAが1983年に活動を停止し、その後、1984年に日本のABBAファンクラブは解散すると宣言はしました。
当時、ABBAオフィシャルファンクラブの会員数は3600人くらいでした。
その中で「有志」10名が日本中から集まり「ABBAサバイバルファンクラブ」なるものを作りました。
しかし会合を重ねるたびにその有志の数も減っていき、最後に「青年」が無理矢理「ABBAサバイバルファンクラブ」なるものの代表を押しつけられましたが、「青年」は首尾一貫「ABBAは解散していない。1983年に活動停止しただけだ」と訴えてきました(そのうち、中心人物だった女性「R子さん」「H子さん」はスウェーデンに移住すると言い出し、その他の有志は「もうABBAは解散したから興味がなくなった」と会を離れていきました)。
1984年春、ディスコメイトレコードが倒産し、その後、現在Wミュージック在籍中で当時Dレコードの社員であったMさんと有志が赤坂で飲むことになりました。
帰り際、Mさんが「『青年』君、ちょっと」と「青年」だけ呼び出され、Mさんのもとに行くと、このように提案されました。
「『青年』君は未だにABBAが解散していないって思っているんだよね?」
「はい、そうです」
「だったらABBAファンクラブ続けてくれないか?」
「えっ?会報誌に解散すると書いてありましたが」
「実はまだポーラーミュージックには報告していないんだよ」
「そうなのですか!でも高校を出たばかりの僕(青年)じゃ荷が重すぎますよ」
「いや、きみ(青年)なら大丈夫」
「本当ですか?」
「あとでSミュージックにも言っておくから、続けてほしい」
「青年」は当時、大学に落ち、お茶の水の駿台予備校に通っていましたが、Mさんのおっしゃったとおり、Sミュージック、しかもK会長の秘書から電話があり、駿台予備校のすぐ近くにあったSミュージック近くの喫茶店にお伺いし、K会長とお会いしました。
「ABBAはもう解散したのは間違いないからね。それでもファンクラブを続けてくれるならありがたい。頼むよ」。
とわずか5分、お会いしただけでしたが「青年」はK会長に肩を叩かれ、引き継ぎは終わりました。
念のため、カタコトの英語でポーラー・ミュージックに電話してみると、偶然、社長でABBAの初代マネージャーであったスティッグ・アンダーソンが電話口に出て、「日本のABBAオフィシャルファンクラブを続けてくれるだって?OKOK!」「でもABBAオフィシャルファンクラブが潰れかったのは『日本だけ』だよ。ありがとう」と言われ、承諾をもらいました。
このように展開で「青年」は、『The Japan ABBA OFFICIAL FAN CLUB』(ABBAオフィシャルファンクラ)ブ代表と、『ABBAサバイバルファンクラブ』の代表を継ぎました。
その後、「青年」は自分が『ABBAオフィシャルファンクラブ』(『The Japan ABBA OFFICIAL FAN CLUB』)の代表になったことを言い続けてきましたが、元ABBAファンからは「ABBAが解散したのにABBAオフィシャルファンクラブ代表を継ぐなんて馬鹿じゃねえの」とか「まだABBA好きなの?解散してもういないじゃん!しかもABBAオフィシャルファンクラブ代表を継ぐなんてダセえ」など好き放題、日本の元ABBAファンからののしられてきました。しかし「青年」は「ABBAは解散していない!活動停止しているだけだ」と世界に発信したものですから「青年」は日本はもとより世界中の元ABBAファンから「嫌がらせ」「いじめ」「虐待」を受けてきました。その年数『35年間』!「青年」は誰に何と言われようが絶対に主張を替えませんでした。そうしたところ2018年4月27日、ABBA自ら「僕たちは解散していないよ」「活動停止していただけだよ」「また曲を発表することになったんだ」と世界に向けて発表したからたまらない。世界中の「青年」への「いじめ」は「一時的」になくなり、世界のメディアから「青年」は取材を受けました。ストックホルムにある『ABBAの事務所』にも招待されました。そして2021年9月2日、ついにABBAはカムバックを果たしました。ですが、「ある女性」はABBAが活動を再開したものですから、「青年」が邪魔で邪魔で死んでほしいと思うようになり「日本のABBAファンクラブって、1984年に解散したのに、『青年』が代表をしているなんて世界に誤解を受けるのでやめてくれませんか?」と「青年」が運営しているABBAオフィシャルファンクラブのプロバイダーや「青年」に「脅迫状」を送りつけてきました。
こんなことしていいのでしょうか?青年が『世界で一人』「ABBAは解散していない」「ただ活動停止しているだけだ」と言い続けた35年の間には何も言わず、ABBAがカムバックしてからそのようなことを言ってくるのはあまりにも「身勝手過ぎません」か?「ある女性」にとって「青年」は邪魔な存在なので「この世から消そう」とする行為は「犯罪」そのものではないのですか?「ある女性」に同調している「元ABBAファン」も同様です。「青年」が「ABBAは解散していない!」と言い続けていた時には何も言わず、37年後、ABBAがカムバックした瞬間に「ある女性」同様に「青年の代表を認めない」と言って責めてくるのはあまりにも「いい加減」というか「身勝手」というか「わがまま」というか、「世の中の常識」を逸脱した言動・行為なんじゃないですか?。
そんなに「青年」に文句があるのならば、前述しましたが、青年が「ABBAは解散していない」「ただ活動停止しているだけだ」と主張していた時に「異を唱える」べきだったのではないでしょうか?
そういことしか言えない「ある女性」も「そのお友達」も自分たちがしている行動・言動を「一人の大人」として「見苦しい」と思いませんか?なぜみんなで「ABBAのカムバック」を祝い、喜び、「1つ」になろうとしないのですか?
そういえば、「青年」は、かつてDレコードに居て、今、Wミュージック・ジャパンにいるM氏から(以前)「ジョン・レノンが熱狂的なビートルズファンに殺されたように、ABBAファンの中にも頭のおかしいというか、行き過ぎている、ABBAのストーカーのようなファンが(日本に)いるよね?」と「青年」はMさんから怖がらせられたことがあります。まさに「ある女性」も「そのお友達」も「ある女性に同調する人も」皆、「行き過ぎたABBAファン」なのでしょうね。
Dレコードが倒産してから、ABBAの情報を集めるのは本当に大変でした。
たまたまABBAファンのペンパルがイギリスにいたので、一緒に『CHESS』を観に行ったりしました。またアグネタとフリーダがソロ活動していましたので、「青年」はその模様を、当時ABBAサバイバルファンクラブに入会した40名に手紙で送りました。
最初こそ半分の方からお返事がありましたが、そのうちに、その半分、またその半分に減り、最後は1名からも返事が来なくなりました。
『ABBAサバイバルファンクラブ』は「活動停止」せざるを得なくなりました。
そうです、皆、「ABBAを捨てた」「ABBAを裏切った」のです!
確かに、まだネットで世界がつながる前の「青年」の「代表」としての資質はなかったかもしれません。
しかしいつもいつもABBAの情報を集めていたのは事実です!
「青年」は終始世界中の誰に対しても「ABBAは解散していない!」「ABBAは1983年に活動停止しただけだ!」と言い続けました。
そうして1997年頃に『ABBAオフィシャルファンクラブ(The Japan ABBA Official Fan Club)』のホームページを作成・掲載しました。
その後、1986年にオランダに出来た『インターナショナル・ABBAファンクラブ』の日本支部代表も兼ねることになりました。
「ある女性」も、「ある女性」に洗脳されている元ABBAファンも、1984年以来の日本でのABBAファンクラブの歴史は全く知らないようですね。
いや知っているのかもしれませんが、絶対に認めたくないのでしょう。
またこの当時のことを知っている当時Dレコードの社員で、現在Wミュージック・ジャパンに勤務されているMさんも「正確」に語ってくれようとしないので、「青年」は「疑われ」「罵倒され」「嘘つき」と言われるのでしょうね。
Mさんから以前
「ABBAファンの中には『ある女性』を筆頭に変な奴が多いからな」
「ビートルズのジョン・レノンはそうした『異常なビートルズファン』に殺害されたからなあ」
「『青年』君、ごめん、当時のことを正直に語ると今度は私が『ある女性』に何されるかわからない。正直怖いんだよ。だから『ABBAオフィシャルファンクラブ(The Japan ABBA Official Fan Club)』のサイトに『ABBAオフィシャルファンクラブ』の歴史を書きたくても書けないんだ。ごめんね」と言われたことがあります。
Sミュージックにしてもそうでした。
皆「『ある女性』に何かされること」を恐れていました。
また、「ある女性」は「80年代以降の日本でのファンクラブ活動は一切ない」と断言しておりますが、それは全くの「ウソ」です。
2002年冬、劇団四季『マンマ・ミーア!』が開演する際に、「青年」は、ABBAオフィシャルファンクラブの会員と家族全員を「無償」で劇団四季『マンマ・ミーア!』に(何回も)招待しました。劇団四季に聞けばわかるはずです。
またUミュージック新人のX君がABBAの担当になり『ABBAザ・ムービー』のDVDの売り上げが思うように伸びずに困っていた時、「青年」はスウェーデン大使館に頼み込み、『ABBAザ・ムービー』をスウェーデン大使館で上映しました。当日はたくさんのスウェーデン人やABBAファンクラブの会員が来場しました。
また、『ABBA世界デビュー35周年記念』として、S六本木映画館で『マンマ・ミーア!ザ・ムービー』上映会を開催し、ABBAファンクラブの会員や、「ある女性」にかつて洗脳されていた『マンマ・ミーア!』ファンが詰めかけ『マンマ・ミーア!』ファンと、ABBAファンの交流会を催しました。
このように適宜、ABBAファンクラブの交流会を「青年」は催していました。
なのになぜ「ある女性」は「ABBAファンとの交流会はなかった」などと「ウソ」をつくのですかね?
そういえば、最後に書いた『ABBA世界デビュー35周年』のために「青年」が企画した『マンマ・ミーア!ザ・ムービー』の上映会ですが、「ある女性」は「青年」の勤務先に何十回も「嫌がらせ」電話をしてきました。そうです。「中止」させようともくろんだのです!「ABBA世界デビュー35周年記念の『マンマ・ミーア!』を上映した場合、お前たちの会社がどうなっても知らないぞ」など、「青年」が勤務していた会社の社員たちを「脅し」てきました。会社が大混乱しましたが、「青年」の上司が「あなたの言っていることは『脅迫』ですよね?」「今から警察に通報してもいいですか?」と答えたあと、急に「ある女性」の「嫌がらせ電話」はおさまりました。「ある女性」も参加すればよかったじゃないですか!
というよに「ウソ」を平気でつく「ある女性」には本当に参ります。
「ある女性」は英語が堪能なので、「青年」の悪口を海外に言い放題。
ゆえにUミュージック・グループもABBAの事務所もインターナショナルABBAファンクラブも簡単に「ある女性」に洗脳されたのでしょうね。
それに比べて、「青年」は『精神障害者2級』でまともに動けませんからね。
そして「Uミュージック・グループ」と「インターナショナルABBAファンクラブ」はストックホルムのABBAの事務所に「青年」を「悪人」として扱わせるようになったわけです。
そんな矢先、ABBAが2018年4月27日に「僕たちは解散していないよ。活動停止していただけさ。また活動を再開することになったよ」と発表したからたまらない。
急に世界中の「青年」への接し方が変わりました。
そして、ストックホルムのABBAの事務所に招待され、ABBAと、マネージャーのゴーレル・ハンザーから「The Japan ABBA OFFICIAL FAN CLUB(通称:ABBAファンクラブ)」の存在を改めて認識していただき、35年ぶりにABBA(事務所)との交流が再開したのです。
しかし、この2018年6月18日にABBAのマネージャーのゴーレル・ハンザーに「青年」が会いに行った行為を、「ある女性」と「Uミュージック・グループ」と「インターナショナルABBAファンクラブ」は面白がらず、「青年は生意気だ」「障害者のくせに」と怒り狂い、この「歴史的な訪問談」を『破壊』しようとたくらんだのです。
その他、海外の主要な箇所では「青年」は「ABBAをだました最低な男」になっているようです。
自宅に7枚にも綴った手紙
ABBA唯一の研究家
「ABBAの唯一の研究家」と名付けたのは北欧の情報を掲載しているCINRAであり、7年前ではなく、4年前の2018年に発表された「新語」です。
なんだか「ある女性」が話していることは、支離滅裂になっていませんかね、「ある女性」さん?
「青年」からの手紙の内容は1通ではありません。数十通書きました。
毎回「青年」が書いた手紙の内容は「(過去にあなた『ある女性』さんからされたことは全部水に流すから)もう馬鹿らしいことはやめて仲良くしていきましょう」と言うモノでしたが、「ある女性」は毎回拒否しました。
その方は私がユニバーサル・ミュージック・ジャパンに状況を伝えたことで人生が変わってしまった?病気になった?みたいなことを書いていました。
だったら「ある女性」に聞きたい、「青年」はどうして「障害者」になったのでしょうか?
シンガポールか香港か私が撮影したミュージカル会場での写真を、あたかも自分が行ったかのようなレポートとともに載せているのには流石に腹が立ちました
ここまで来ると「ある女性」の妄想には唖然とせざるを得なくなります。
この文章を見てもわかる通り、「ある女性」は毎日「青年」を「ストーカー」していたのです。「青年」の「一挙手一投足」が気になって気になって仕方なかったのです。
ちなみに「青年」が2018年11月にシンガポールに『マンマ・ミーア!』を観に行った時の記事は「ある女性」によって見事に消されました。
ウソだと思うならば調べてみればわかることです。
『リトルスター』(『マンマ・ミーア!』を取り仕切っている会社)の代表、ジュディ・クレーマーに聞いてみてください。
「青年」は2018年11月、シンガポールに『マンマ・ミーア!』を友人と一緒に観に行っていることが証明されるはずです!
公式ファンクラブの会長からその方のことを個別で聞かれていましたが、面倒なことに巻き込まれたくないので色々伏せてきました。時が解決したようで、別件でファンクラブを除籍させられていたようです。
「インターナショナルABBAファンクラブ」に聞きたい。
「青年」がいつインターナショナルABBAファンクラブを「除籍」されましたか?
「除籍」なんかされていませんよね?
前述したとおり、「青年」は日本の『ABBAオフィシャルファンクラブ(The Japan ABBA OFFICIAL FAN CLUB)』代表と、オランダの『インターナショナルABBAファンクラブ』の日本支部代表を兼ねておりましたが、ある日、突然、『インターナショナルABBAファンクラブ日本支部代表』は下ろされましたが、「除籍」はされておりません。
なぜ『インターナショナルABBAファンクラブ日本支部代表』を下ろされたのかはわかりません。数年前から、ABBAのマネージャー、ゴーレル・ハンザ―、「インターナショナルABBAファンクラブ」代表Hさんに質問していますが、現在まで一切回答は来ていません。
なお、「家宅捜索から7カ月」経った現在でも「青年」のPCもiphoneも何一つ戻ってきていません……。
(続く)