【連載②】目白警察・検察は『無実の障がい者』を本当に逮捕するのか? | 東山凛太朗のブログ

0―2.エピソード2 障害者に「人権」なし!

 

「青年」は「精神障害者」の中でもかなり重症な「精神障害者2級」です。

しかし「青年」のことを未だかつて一目見て「精神障害者」と断言した人は一人もいません。

事実、目白警察署警察官も「精神障害者なのに話せるなんておかしい」と精神障害者のことを全く理解しようとしませんでした。青年が「障害者手帳」を持っていたのに信用しようとしませんでした。

 

「青年」は目白警察・警察官に何度も何度も「主治医である三鷹のK大学病院の精神科N教授を訪問して聞いてください。そうしないと本当の精神2級の実態、現状がわからないと思います」と懇願しましたが、目白警察署は結局、K大学病院を一度も訪問しませんでした。

 

ここで「青年」の一日を紹介しましょう

・午前5時起床、トースト2枚とコーンスープを飲む。

・午前7時、睡魔が襲い、眠り込んでしまう。

・午前11時、自分では心も体もコントロールできなくなり、七転八倒し、暴れてしまう(長いときは4時間、短いときでも2時間)。

・午後14時頃、ようやく自分で体も心もコントロールできるようになる。

・午後19時頃、ようやく普通の生活ができるようになる。

 

果たしてこのような現象は「青年」だけに起こっている「特別な現象」なのでしょうか?

 

五十嵐こころクリニックの院長は下記のように語っています。

[1.うつ病の症状]

ストレスの多い現代社会はうつ病になる人が増えています。うつ病と聞くと多くの人は、気分がひどく落ち込んでしまい何もできない状態と考えるようです。しかし、うつ病の症状は実に多彩であり、心身に様々な症状を現します。

最初に現れやすい症状の一つは睡眠障害です。寝つけても夜中や早朝に何度も目が覚める、夢をよく見てぐっすり寝られない等です。心の面では、抑うつ気分、意欲の低下、マイナス思考、イライラし易い等が、身体の面では疲れ易い、食欲の低下、頭痛、腰痛等が、自律神経の面では、めまい、吐き気、動悸、息 苦しさ等があります。

うつ病のこれらの症状は午前中に強く、夕方になると楽になることが多いのが特徴です。朝、起きにくく、午後になると少しずつ楽になる。中には夜になってようやく元気が出てくる人もいます。このため、身近にいる家族等は、本人が病気であることを理解できず、気のせい とか、気の持ちようでどうにでもなる、と考えてしまう傾向があります。

しかし、これらの症状のいくつかが1週間以上も続く場合はうつ病であることが多く、早めに診察を受けたほうが良いでしょう。心療内科、精神科が専門になります。

 

[2.うつ病の人への接し方]

うつ病の回復には、周囲の方々の接し方が大切になります。うつ病の人を励ますのは最も避けなければいけません。「気のせいだ」「病気に負けるな」「頑張って早く治せよ」等の言葉はうつ病の人の心を軽くするどころか、とてもつらい気持ちにさせてしまいます。この辺の対応の仕方は普通の病気と大きく違うところです。なぜでしょうか?

うつ病の多くは、ストレスが持続的にかかった結果です。ストレスは、睡眠不足が続いた、心配事が重なった、過労が続いた、その他、様々なことがあり ます。つまり、心身が疲れきっているのです。そして、上記のような心身の様々な症状が出ているのです。車に例えれば、長く走り過ぎてエンジンがオーバーヒートしてしまい、煙を出しているようなものです。そのような車はエンジンが冷えるまで休ませてあげることが重要であるように、うつ病の人にとって大事なことは、まず十分な休養をとることです。

うつになる人の特徴は几帳面、責任感が強い、社交的で人に頼まれるといやと言えない、等です。どうでしょう、社会人として優等生とも言える性格の持ち主ではないですか?このために、無理をし続けた結果、心身にブレーキがかかっているのです。ですから、周囲の人は、「ゆっくりお休み」「十分がんばってきたんだから、ゆっくり休むときだよ」等の温かい言葉をかけてあげることです。そういう温かい周囲の理解とゆったりとした時間がうつ病を癒やしてくれるのです。

 

 

また「パークサイド日比谷クリニック」の院長は下記のように語っています。

朝はどんなに頑張っても、体がだるくて起きられない。けど、なぜか日が落ちてから元気になり夜遊びは楽しい。

このような傾向のある人は結構います。

一見、うつ病の日内変動?と思いがちですが、本人は、特にストレスなどなく、兎に角朝がダメで、夜に元気になる。

注釈)うつ病の日内変動とは、うつ病の特徴として、午前中は調子が悪いが、夕方以降症状が軽くなる事。

周りからすれば、「特にストレスないのに、甘えてるんじゃない」、「ただの怠けでしょ」と誤解を受けてしまう事も多々あります。

実は、体質として、このように、「朝エンジンがかからない人」がいるのです。

 

夜は絶好調

・午後3時頃から、なぜか元気になり、日が落ちる頃には一日で一番元気

・夕食は何を食べてもおいしい

・夜遊びは余裕

起立性調節障害を併発している事が多い

・朝礼で立ちくらみ

・朝の通勤電車で気分が悪くなる

夜型人間とうつ病の違い

このような状態は、うつ病でも起こりえます。

 

しかし、特に「会社が辛い」、「学校に行きたくない」、「嫌な事が待ち構えている」などストレッサーが無いのです。

本人は、仕事に行きたいし、学校にも行きたい。行きたいのに「なぜか、朝がダメ」なのです。

実は、このような体質の方は、整形的に頸椎が、ストレートネックが多いという報告もあります。

これは、性格ではなく、体質なので、上手く付き合っていくことが大切です。

夜型の仕事を選択する、フレックス勤務の会社を選ぶ、フリーランスに仕事に就く、などです。

 

 

このように「精神科の専門家」が語った「うつの患者の一日の主な症状」は、青年にも同様に起こっており、午前中は全くダメで動けず、その後、氷が解けるように、時間が経ちにつれて、解けて(覚醒)していき、夕方から夜になると「まるで午前中に起きた七転八倒が嘘」であったかのように「健常者」と同じ状態になっているのです。

 

ゆえに「青年」は誰かと会うときは極力「夕方以降」にしていました。その時間帯でないと「覚醒」していないからです。

 

恐らく、日本人、いや世界の人々の99.9999999……%の人が「精神障害者の一日の症状」を知らないことでしょう。

 

まるで「砂漠の寒暖差」が激しいように、「精神障害者」の一日の表情の差も「極端」なのです。

 

にも拘わらず、裁判所は「青年が障害者」というだけで勝手に「家宅捜索令状」を発行し、目白警察署に捜査の勅令を出したわけです。

 

これは「精神障害者」に対する「人権侵害」「名誉棄損」にあたるのではないでしょうか?

 

「青年」は目白警察署の取り調べを受けてからある弁護士に相談しましたが「面倒くさい案件ね」と言われ、そっけない態度をとられました。

 

いつもそうです。「障害者の言うこと」なんかまともに聞いてくれる弁護士が果たして今の世に中に何人いるのでしょうか?ちなみに「青年」はだまだ一度も会ったことがありませんでした。

 

年が明け、2022年1月6日、「学習院大学前にある目白警察刑事組織犯罪対策課知能犯捜査2係」の警察官から「青年」宛に電話があり、明日、1月7日金曜日、事情聴取するので「目白警察署まで」に来るように「青年」は電話で言われました。しかも13時~14時の間にです!

 

遅くとも12月31日までにパソコンやスマホを戻すといった約束はどうなってしまったのでしょうか?

 

「青年」は翌日2022年1月7日、杖をつき、ふらふらになりながら、電車を乗り継ぎ、なんとか13時10分ころ、目白警察署につきました。

 

そして前回同様に事情聴取を受け、「人差し指」を何枚もの書類に押印させられました。

しかし今回はその後「全身写真」を撮影されたり、また「コンピューター」で指紋をとられました。

 

こんな滅茶苦茶なことがあっていいのでしょうか?

すでに「青年」は「犯罪者」ではないですか?

 

やはり「障害者」は人間とは思われていないのですね。

「精神障害者」=「危ない人」と警察は思っているのでしょう。

 

全てが終わると最初に部屋に戻り、「青年」は「警察官」から言われました。

『ある女性』の名誉を棄損したという証拠はパソコンなどからは発見されませんでした

しかし(私たちを混乱させた)『ある女性』に謝罪してもらうつもりはないです

あとは検察が判断するだけです

もちろん(青年の)『逮捕』もあるでしょう

 

民主主義国家で、先進国の日本は日ごろから「弱者」に対して、このような取り調べを当たり前のように行なっているのでしょうか?

 

「パソコン、スマホなど通信手段は今や『人権』です」

「12月31日までに返すと約束していただいたのになぜ返してくれないのですか?」

 

「青年」は警官に尋ねました。

警官は何も答えませんでした。

 

この日は2時間、取り調べ、押印、写真撮影、指紋撮影され、返されました。

 

今や『通信(手段)は人権』だと皆様は思われませんか?

 

0―3.〝しょうがい〟って何? 障害者福祉の制度、法律、サービスの言葉(解説:岡部兼芳[はじまりの美術館館長]:提供「日本財団」)

 

「福祉」とは、法律や制度の問題とは切っても切れない縁で結ばれています。なぜなら福祉という言葉を辞書で引くと「等しくもたらされるべき幸福」といった意味があり、それを実現するには国や自治体が整える法律や制度が関係してくるからです。ここでは障害者にまつわる福祉の言葉を紹介していきます。「障害とは何か」といった議論から、さまざまな制度やサービスの最新情報まで。解説は障害者支援施設で生活支援員も務めていた、はじまりの美術館(福島)の館長・岡部兼芳さんです。

 

◆障害者にまつわる法と制度が激変した10年

◎世界の条約をもとに、日本の整備も進みました

この10年、障害者にまつわる法律や制度はめまぐるしく変化しました。この障害者福祉業界の動きにそって、制度や法律、さまざまな言葉を紹介したいと思います。

なぜこの10年かというと、2006年に国連総会で「障害者権利条約」が採択されたことが大きな出来事としてあります。これは、障害者の尊厳と権利を保障するための条約で、翌年日本も署名しました。ただ、すぐに条約を結ぶことはできませんでした。障害者の労働や教育、アクセシビリティなどあらゆる面で国内の法令が条約の求める水準に達していなかったからです。

その後、「障害者基本法」の改正(2011年)、「障害者総合支援法」の成立(2012年)「障害者差別解消法」の成立、「障害者雇用促進法」の改正(2013年)など法令の整備を行ない、2014年に日本は障害者権利条約を締結しました。

 

◎利用者がサービスを選ぶシステムへ

では障害者権利条約が締結される前、日本の障害者にまつわる法律や制度はどのようなものだったのでしょうか。

これからお話しする、障害者福祉にまつわる基本理念やさまざま施策のもととなっている法律が、1970年にできた「障害者基本法」です。この法律は、障害者のための権利や支援に関する基本理念、また国や地方公共団体の責務などを定めています。

一方、制度については第二次世界大戦後に国内で福祉サービスが整えられていくなかで「措置制度」が生まれました。これは行政が個々人の障害の程度によって利用できるサービスを判断し、それに対して費用を事業者に渡すという仕組みです。ただこれでは利用者自身がサービスを選ぶことはできません。そこで、2003年に「支援費制度」に転換されます。これは、利用者自身がサービスを選択できる、画期的な制度でした。利用者は事業者と契約を交わし、行政はその費用を支援するという仕組みです。しかし、利用者のニーズが掘り起こされたことで、逆に行政は大赤字となりました。また、運用していくなかでサービスの行き届かないところがでてきたり、精神障害や特定疾患、高次脳機能障害など制度の適用外となってしまった人たちもおり、法律の改正を望む声が大きくなりました。

 

◎3つの障害についての法律が一本化

これを受けて2005年に公布されたのが「障害者自立支援法」です。これまで大きく3つに分類されそれぞれに運用されてきた、身体障害、知的障害、精神障害に関する法律が一本化され、対象とされる範囲も広げられました。それに伴い、「障害程度区分(現・障害支援区分)」も採用されました。これは支援の必要度を表す6段階の区分のことで、この区分によって受けられるサービス内容や、サービスの利用時間、回数等が違ってきます。ただ、障害者の「自立」を掲げながらサービスの利用者に一部費用の負担を求める「応益負担」(受ける利益に応じた負担)という考え方が採用されたことなどから施行当初から批判も多く、

憲法に違反しているのではないか、という違憲訴訟にまで発展。

2013年には「障害者の日常生活及び社会生活を総合的に支援するための法律」、通称「障害者総合支援法」に改められました。

 

◎法のなかに位置付けられた〝配慮〟

障害者総合支援法と同じ時期、2016年に施行された「障害者差別解消法」という法律があります。これは「障害の有無によって分け隔てられることなく、 相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会の実現に向け、障害を理由とする差別の解消を推進する」というものです。

これにより、行政、企業、学校など社会のさまざまな場所で「合理的配慮」の提供が求められています。「合理的配慮」は、障害者権利条約で定義されたものです。障害のある人が日常や社会のなかでさまた妨げとなる社会的障壁を取り除くため、状況に応じて行われる配慮のこと。行政では義務付けられ、民間にはそうした考え方を持って配慮していきましょう、という努力義務があります。

 

◆「家族で支える」から「地域で支える」へ

◎多岐にわたる障害福祉サービス

このようなさまざまな法律の改定により、サービスの種類も増えました。昔はサービスを利用できない時間は家族が一緒に過ごし、ケアをすることが当たり前になっていました。しかし、現在では地域生活を支援するサービスも増えています。たとえば平日の日中は施設に通う「デイケア」に加えて、休日の外出をサポートするサービスがあったり、夜間のショートステイも利用できるようになりました。

生活介護、自立訓練、就労移行支援、就労継続支援などは、障害のある方たちが日中を過ごすためのサービスです。これは先ほどの障害支援区分によって利用できるかどうかが決まります。たとえば生活介護は日常生活で常に支援が必要な方が利用できるサービスです。仕事や作業をしたいという方は就労支援のサービスを利用します。

就労移行支援は年限がありますが、就労するための基本を身につけるサービス、つまり就労継続支援は、A型とB型に分かれています。

A型は最低賃金を保障していく雇用型のサービスで、B型は工賃を最低賃金の半額まで保障するというものです。そのほか、一定期間、身体機能または生活能力の向上のために必要な訓練を行なう自立訓練などがあります。

 

◎一人ひとりにあった支援を

これまでご紹介した日中に活動をするためのサービスのほかにも、施設に入所して生活を送る施設入所支援や、自宅で入浴や食事の支援を受ける居宅介護など、日常生活の場面場面に、多様なサービスが設定されています。サービスの種類が増えた分、それを提供する側も対応に追われながら、さまざまなサービスを増やしています。利用する方々にとって選択の幅は広がったものの、一方でサービスがあること自体を知らない人がいたり、どのように使っていいのかわからなかったりすることから、「相談支援」という窓口ができました。

相談支援では、福祉施設の事業の一つとして、サービスの利用を希望する本人のニーズを聞き取り、受けられるサービスを紹介したり、サービスとサービスをつないで生活の組み立て方を提案しています。また、行政から支給を受け、サービスを利用するためには「個別の支援計画」が必要なのですが、この計画をたてるのも相談支援の大切な仕事の一つです。サービスを利用したい人、資金を支給する行政、福祉事業所、この3者の間に立ち、必要なサービスを必要な方に利用してもらえるよう、客観的な立場で支援をする相談支援事業の重要性は、ますます高まっていくでしょう。

 

◆〝しょうがい〟をめぐるさまざまな議論

◎障害は個人の問題か、それとも社会の問題か

では、そもそも〝障害〟とは何なのでしょうか。障害者基本法によると「障害者」とは、「身体障害、知的障害または精神障害があるため、継続的に日常生活または、社会生活に相当な制限をうける者」とあります。わかりやすく言えば、「心身のいろいろな条件により社会のなかでかなりの生き辛さがある」ということです。程度の差はあれ〝生き辛さ〟は誰もが少なからず感じたことがあるのではないでしょうか。

ではその生き辛さ、障害の原因がどこにあるのかといった考え方に「医学モデル」と「社会モデル」があります。「医学モデル」は障害を個人の問題とする考え方で、「個人モデル」とも呼ばれます。その人の持っている条件や身体的な課題に対して医療的な治療やケア、リハビリが必要だとするものです。

それに対して「社会モデル」は、社会のなかで自由に生きる条件が整ってないことが「障害」であり、社会のほうに問題があるという考え方です。どんな人でも生きやすい社会をつくっていくことで、そうした問題を解決していく、人権的な観点に基づきます。最近はこの社会モデルをベースに考えられることが増えてきています。また、WHO(世界保健機関)は、この両モデルからのアプローチが必要であるという観点に基づき「障害」の分類を行なっています。

 

◆ノーマライゼーションから、ソーシャルインクルージョンへ

◎「ノーマライゼーション」や「ソーシャルインクルージョン」という言葉は、聞いたことのある人も多いかもしれません。似ているようで違う意味や背景を持っています。前者は障害の有無にかかわらず、人びとが等しく生きられる社会を目指す考え方。誰もが「ノーマル」に生きていけるための社会理念です。後者は、日本語では「社会的包摂」と訳されたりします。どんな違いのある人でも社会に包み込み、ともに支えあっていこう、という意味を持っています。ノーマライゼーションは〝障害〟という存在があることを前提にしていることで批判される面もあり、最近ではソーシャルインクルージョンがよく使われています。

また「ダイバーシティ」は「多様性」という意味で、近年この文脈で使われる言葉です。

 

◎「しょうがい」の表記が2通りある理由

「障害」と「障がい」の表記を巡ってもさまざまな議論があります。「障害」の「がい」という字は、もともとは「碍」でしたが、戦後の当用漢字の整理のなかで「碍」が外れたため、「害」が当てられました。ただこの字は「害する」「害されている」といったマイナスのイメージがあり、当事者のなかには不快に感じる人もいます。そうした当事者団体からの要望もあり、自治体のなかには「害」を平仮名にし「障がい」と表記するところも多いのです。また各自治体の表記の仕方で、その地域の事業者も「害」か「がい」かを選択することがあったり、個人的な考え方で使い分けている場合があります。

しかし、平仮名にすることで、差別や蔑視が起きている現実問題をうやむやにしてしまっているのではないか、という視点の議論もあります。それで「害」をあえて漢字にし、この字を使っている限りは社会的に問題があるのだ、ということを示していったほうがいいと主張する方もいます。ちなみに法律では「障害」としています。

「障害」も「障がい」も、どちらも問題意識を持っている点では同じです。問題なのは、無自覚に差別的な使い方がされることや、全くの無関心、無理解です。知らないがゆえの恐怖や拒絶は、偏見や差別、ひいては戦争といった多くの悲劇の源にもなっています。少し立ち止まって「もし自分だったらどう感じるだろう」と相手の立場に思いを馳せ、想像力を働かせること。その延長線上に、ダイバーシティを基本的な考え方とする、寛容で想像力にあふれた社会が実現するはずです。

 

なお、「家宅捜索から7カ月」経った現在でも「青年」のPCもiphoneも何一つ戻ってきていません……。

 

(続く)