2004年10月15日 とある漫画の休載事件


 
集英社『ヤングジャンプ』に連載されていた本宮ひろ志の『国が燃える』が突然休刊になった。南京大虐殺のシーンが問題となり,右翼系議員に講義された結果らしい。こういう戦争物は村上もとかの『龍』(小学館)にしても描写があまく,どことなく正義の味方みたいな主人公が出てくるのが嫌であまり読んでいなかった。したがって,私がこういうことをいう資格はあまりないのだが,本宮氏にも集英社にももっと頑張って欲しかった(そうすることで,漫画家の「本気」が示せたであろう)。

南京大虐殺が誇張されているのは事実であろう。だが,実際のところはこの問題に対する近代史の本格的な研究など存在しないことも事実だ(肯定派,否定派の提出する「証拠」の多くは,いずれも専門の研究者の評価に耐えるものではない)。多くの資料が日本軍の手によって破棄・焼却されてしまった結果,当時の一次的証拠が存在せず,ただ個々人の記憶だけが頼りであるからだ。それも戦後60年が過ぎ徐々に忘れられつつある。実証研究が進まないのはたぶんに政治的な問題による。

だが,いずれにしても日本軍による民間人の大量虐殺が行われたことはその場にいた人々が証言から見ても事実であろう(中国側が主張しているような20万人などという数字が誇張だとしても)。私が子供の時にはまだ戦争経験者が多く生き残っていて,小学生の私が話を聞きに行くといろいろと教えてくれたものだった(私は,小学校の時は,太平洋戦争中の日本軍の戦艦から潜水艦,戦闘機,爆撃機などのカタログスペック,戦場での戦果,損害,民間人被害を空で言えるほどの軍事マニア(愛国少年?)であった。その当時から,従軍慰安婦の存在も知っていた(何をする人々かはよくわからなかったが))。そういった人々は,たいてい「戦争のせいだ」と前置きしながらも,中国や東南アジアで自分たちが行ったことをいろいろと語ってくれた。

話は変わるが,私の祖父は満州建国大学の教授であった。「五族共和」,「八紘一宇」の理想を信じて満州に渡った(実際にはもう少しいろいろあるのだが,それはここでは触れない)。祖父の教え子には朝鮮人や中国人などの他国の学生もいたそうだ。祖父の家で宴会を催したときには,だらしなく酔いつぶれてしまった日本人学生よりも,後片づけや掃除までして帰る彼らの方がはるかに礼儀正しかったらしい。

そんな祖父の甘い希望をうち砕いたのは,やはり重い現実であった。暴走を続ける関東軍の前では,学者の理想は無視され支配の道具としてのみ利用された。祖父の家族は終戦後帰国する。戦後の祖父は,近江商人の研究で歴史家としては成功しながらも,思想的には彷徨していたようである。祖父は私が12歳の時に他界したので正確なことはわからない。だが,祖父の書庫に残る右翼系,左翼系などの思想的な脈絡のない書籍や雑誌が彼の混乱を物語っている。

現代においてすら,自分の国を自分の心のよりどころにできないことは,「不幸」であろう(もちろん,これは行政単位の国でも政府のことでもなく,自分が生まれ育った「場所」や友人,家族といったものの抽象という意味だ)。世界的に見ても(少なくとも先進国では),「愛国」を否定している国民は少ない。日本人の不幸の原因は,いうまでもなく第二次世界大戦にあり,戦後の「触らぬ神にたたり無し」的態度と,その曖昧さにつけこんだ強弁と恐喝の応酬にある。

戦前,戦中の政府の「戦争責任」はあるのは単に他国に対するものだけではない。自国の国民の生命と財産を守るという最大の存在理由を忘れ,戦後60年を経ても癒されない心の傷を国民に残したことに対する責任もまた軽んじられるべきではない。本宮漫画にけちをつけた政治家たちも,紅旗兵や憂国騎士団のようなことをする暇があるなら,歴史の専門的な検証にきちんと人と資金と機会が与えられるような努力をするべきであろう。彼らの態度は,戦後幾度と無く繰り返されてきた愚かな行為の繰り返しであり,日本人に「愛国」心を植え付けるためには明らかにマイナスである。ついでにいうと,本宮氏と集英社の態度は,「触らぬ神にたたり無し」的態度の繰り返しである。最近の『ヤングジャンプ』が面白い作品が多くなってきていただけにとても残念な対応である。