黒王国物語

暗雲を切り裂いて(1)

 モニカがメイドとしてこのマクスウェル家に来て、数日。
 ここでの生活は、モニカにとって、ありがたいものだった。
 好いているダニエルの顔を見れるのは勿論の事、ダニエルを取り巻く人々もとても温かく優しい。
「モニカさん、お菓子、作って頂けませんか? 私、モニカさんの作るお菓子大好きなんです」
「エレン姫様、そう言って頂き、とても嬉しいです。今日は、ちょっと奮発してドーナッツ、芋けんぴでも食べますか?」
「はい。食べます。モニカさんの作るお菓子、楽しみだなあ」
 と、エレンはにこにこ笑顔を浮かべ、席に着き、お菓子が出来るのを楽しみに待っている。
「エレン、そんなに食べて……太るぞ」
「大丈夫、大丈夫だよ。なんだか、食べても食べてもお腹減っちゃって……えへへ」
 ここ最近、エレンの食欲が凄まじい。
 お菓子など一日に一度だったのに、今日はこれで三度目である。幾ら何でも食べ過ぎだ。





 エレンはお菓子を食べると、寝室で休みたいと言う。
 エレンの手を引き、フェイはエレンをエレンとダニエルの寝室へ連れて行く。
「うっ……」
「エレン、どうした?」
「なんか吐き気がするかも。ちょっとトイレ行って吐いてくるね」
 とそれだけ言い、エレンはトイレに駆け込む。
「い、一体、エレンはどうしたんだ……?」
 ここ最近、ずっとこの調子である。
 そこで、フェイはエレンの体の調子を医務官に視てもらう事にした。





「エレンが、妊娠?」
 医務官から伝えられるや、フェイは驚きのあまり拍子抜けしてしまう。
 まさか、エレンがダニエルの子を宿すとは――驚きのあまり、何も言葉が出ない。
「エレン姫様、おめでとうございます」
「えへへ、私、お母さんになるんだね」
 モニカから祝福の言葉を受け取ると、エレンはとても嬉しそうに笑う。
 新しい命が生れる。これほど嬉しい事はないだろう。
「エレン姫様!」
 そこに、父親のダニエルがやって来る。
 恐らく、家臣達に聞かされ、急いで来たのだろう。息が弾んでいる。
「ダニエル様、私、お母さんになります!」
「じゃあ、僕は父親になるんだね。エレン姫様、ありがとうございます」
「えへへ。私、今凄く幸せです。絶対、三人で幸せな家庭にしたいです」
 家族が増える事はまたとない幸せだ。その幸せを、エレンもダニエルも享受した。
「ええ。エレン姫様、三人で頑張っていきましょう」
「はい、ダニエル様!」
 そんな二人の様子を見て、フェイは少し気付かされる事がある。
 今まで、自分はエレンの側にいるあまり、ダニエルに奪われた気分になっていた。
 だが、もう、そう思うのは止めたい――エレンの幸せを一番に思いたい。そう考えた。





 ツツジの里。
 相変わらず、玲はアニタを失った悲しみに、明け暮れていた。
「真理奈、話がある。お前に、ツツジの里を纏めて欲しい」
「兄様。いきなり、どうされたんですか?」
 玲は真理奈を呼び出すや、ツツジの里の頭領を譲りたいと告げた。
 真理奈は驚くしかないが、だいたい、予想は付いていた――玲は思うのだろう。アニタを守れなかった事に責任を感じているのだろう。
 頭領とは言え、玲も一人の男だ。妻を守れなかった事は自分が許せなくてどうにかなってしまうだろう。





「で、真理奈姫様。玲様の話、承諾したのですか?」
「ええ。このままでは兄様が可哀想でやれません。兄様にアニタに寄り添う時間を作ってあげたいのです」
 シュヴァルツ王国の襲撃で受けた傷の復興を見ながら、真理奈は告げた。
「今、混乱しているツツジの里をどうにかして復活させたいのです」
 真理奈が危惧しているのは、先日シュヴァルツ王国元帥から公表された事だった。
 分家の三人が、シュヴァルツ王国にいる。それは、ツツジの里が分裂したという事実に繋がる。
 このままでは、ノールオリゾン国に謀反を疑われてしまうだろう。
「カイ様、忠義って何でしょう。ノールオリゾン国に付く事が、忠義でしょうか?」
「真理奈姫様、いきなり、どうしたのですか?」
「私思うのです。確かに、シュヴァルツ王国は昔、今も私達の国を襲撃しました。でも、それ以来、復興の面倒も見てくれたし、待遇も良かったです」
「まさか、真理奈姫様。ノールオリゾン国を寝返るのですか?」
 真理奈の言う事は分かる。
 だが、今まで自分達は玲の元、強い国に付くと決め行動してきた――その方針を、真理奈は変えようというのか。
「ええ。ツツジの里の忠義は、山より高く、海より深い――そう行動していきたいのです」
「真理奈姫様。そこまで言いたいのなら、俺も貴方に尽くす所存です」
「ありがとうございます、カイ様」
 とは言ったものの、それを知ったノールオリゾン国は黙っていないだろう。
 また、ツツジの里は火に見舞われるかもしれない。だが、ノールオリゾンが何をしてくれたかを考えれば――真理奈はカイを使者としてシュヴァルツ王国へ送った。





 ノールオリゾン国城。
 二人の貴族からの報告を受けていた。ノールオリゾン国の王・フェルナンドは、ツツジの里が内部分裂している事に危機感を持っていた。
 まさか、ツツジの里がシュヴァルツ王国側に付こうとしているのだろうか。
「ルイス殿、エイミー殿、兵を出してくれぬか。ツツジの里を脅そうと思うのだ」
「分かりましたわ」
「御意」
 情勢というのは目まぐるしく変わる。その様は、この世界を生きていれば分かる事。





「大変な事になりましたわね、ルイス様。まさか、ツツジの里が裏切りをするだなんて」
「まあ、重い課税に悩んでるのかもな。俺の家もいっぱいいっぱいだ」
「私の家もですわ。でも、ツツジの里に比べれば、私達は取り立てて貰えていますわ」
 と、エイミーは一息吐く。
「しかし、どうしましょう。ノエルの事ですわ」
「まさか、ノエル・クレイも、マクスウェル家に人質に?」
「ええ。ルイス様も、家臣のイオン・カルロスを……」
 こちらが卑怯な手を使えば、あちらも卑怯な手を使うのだろう。
 二人は人質として、捕まった。解放したいのであれば、莫大な身代金を払えという。
 それは、ノールオリゾン国の年税の、何十倍になる。
「イオンを助けたいんだ、だけど……」
「私も、ノエルを……でも……」
 身代金を払えば、家が傾いてしまう。
 只でさえ、ノールオリゾン国の税金でいっぱいなのだ。それに、一度自分を裏切った家臣を助けるのは、他の家臣が許しはしないだろう。
「見捨てる、しか、ないのか……」
 行き着いた考えに、ルイスもエイミーも悲観せずにはいられなかった。





 ノールオリゾンの人気の少ない酒屋。
 そこに、ジュリアは待ち人を待っていた。
「アレック、元気そうね」
「ジュリアちゃんも、相変わらず、綺麗になって。俺、惚れそう」
「そんな御託は良いわ。早く、情報を頂戴」
「もう、折角のデートなのに、ジュリアちゃんはせっかちさんだな」
「デートじゃないわよ。で、早く情報を」
 ジュリアがあまりにも急かすので、アレックは罰の悪い顔をしながら、ジュリアに告げる。
「ノールオリゾン国が、ツツジの里に攻めようとしているみたい」
「あら、ツツジの里はノールオリゾン国派じゃ……」
「なんか、内分裂して、方針でも変わったんじゃないの?」
「それは有り得るわね……」
 アレックの持ってきた情報は良い情報だ。
 これを、ウィルに告げれば、シュヴァルツ王国の為になるかもしれない。
 そうと決まれば、今すぐ、シュヴァルツ王国に早く戻って伝えなくては。
「アレック、情報ありがとう」
「どういたしまして。あ、俺が言ったというのは内緒にしててよ?」
「分かってるわ。でも、アレック。国を裏切って平気なの?」
 突然のジュリアの問い。
 その問いに、アレックは首を縦に振る――シュヴァルツ王国を裏切る事も、ノールオリゾン国を裏切る事も、全てはあの仮初めの姫の為だ。
「あまり、無茶しちゃ駄目よ」
「分かった。アレック君、それを肝に銘じます、なんちゃって」
「本気に捉えて欲しいわ」
 と言ったものの、アレックの決意の深さにジュリアは感銘を受ける。
 この男は根は真面目なのだ――誰かを守る為なら、何だってするだろう。
 こうして、ジュリアはアレックから得た情報をウィルに伝える為、ノールオリゾン国を発った。
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