黒王国物語

幸せの綻び(4)

 ダニエル・フォン・マクスウェル毒殺未遂事件。
 その実行犯であるモニカは、マクスウェル家のある一室で目が覚めた。
 この場所は来た事が無かったが、甘い紅茶の匂いがする。ダニエルが好きで、潜入調査時にモニカが煎れていた紅茶――その匂いでここがダニエルの家である事を知った。
「アリアちゃん、良かった。目が覚めて」
「あ、あの、あたしはアリアじゃなくて……」
「あ、そうだった。モニカちゃん、だったね」
 遙か昔の記憶に、そんな子の面倒を見たことがある――と、ダニエルは思い出した。
「あたしを殺して下さい」
 自分はダニエルを殺そうとした。好意を抱いていた彼を殺そうとした。
 甘えかもしれないが、この罪を抱き生きるぐらいなら、死んだ方がマシだ。
「いや、ちゃんと聞かなきゃいけないし……それに、やっぱり君の事、ほっとけなくて」
「あたしを生かすのですか?」
「そうだね。君をこのまま天使教会に帰しても、君が辛い目に遭うだろうし」
 自分はダニエルを殺せなかったのだ。
 きっと厳しいセラビムの事だ。責任を押しつけてくるだろう。
「モニカちゃん、僕の所へ来ないかい?」
「どういう事、ですか?」
「そのままの意味だよ」
 ダニエルはモニカを召し使いとして召し抱えるつもりだった。
 なにより、あのモニカだと知ったのだ。辛い目に遭わせたくないと思った。
「良いかな?」
「良いのですか……? 貴方の側にいても、良いのですか?」
 モニカの言葉に、ダニエルは飾り気の無い綺麗な笑みで頷く。
 その笑顔に、モニカは赤面し、軽快な返事を返した。





「あんさんの女たらし振り、しかと見せて貰ったわあ」
 七瀬はうんざりとした表情で、ダニエルに文句を告げた。
「まあ、天使教会の事を聞き出すにも良い機会だしね」
「それ、建前やろ? そんなん、分かっとるからな?」
「なんで、七瀬ちゃんは怒ってるのかい?」
「ええやん。あんさん、エレン姫様を傷付けるような事はせんでよ?」
「七瀬ちゃん、君、どんな目で僕を見てるんだい?」
「もう、ダニエル様の馬鹿! うちだって、あんさんの事……」
 それだけ告げ、七瀬は口を噤む。
 ダニエルを諦めなければならないと、彼がエレン姫との婚姻をした時から決めていたのに、この男は罪だ。諦めなくさせる。
「それより、あんさんの殺しの件、報告を受けとるんやけど……、例の二人やったわ」
「例の二人?」
「あんさんが、殺しを行った時の実行犯……イオン・カルロスとノエル・クレイ……。まさか、あんな風に主人に寝返るなんてなあ……」
 奇しくも、計画をしたのは、ダニエルが前グローヴァー家領主殺害事件とソレイユ第一令嬢殺害事件の実行犯だった。
 まさか、あんな風に寝返るとは――人とは恐ろしい。
「七瀬ちゃん。僕は、自分を慕ってくれる人には優しくしたいと思っているよ。エレン姫様を始め、君だってそうだ……でも――」
 ダニエルの表情が曇る。その表情を七瀬は久しぶりに見た気がする。
「寝返りだけは、許せないんだ」
「そう言うと思ったわあ。二人を連行するん?」
「そうだね。でも、ただ連行するのは面白くない……」
 ダニエルはため息を吐き、七瀬に案を提示したのだった。




 マクスウェル家領地の一画。そこに、ミーア達の新居がある。
「引っ越し、お疲れさん。いやあ、疲れた、疲れた」
「レオン、お前ははしゃいでただけだろ?」
「えー、ちゃんと働いたんだぜ! なあ、ミーア?」
「ラルフに比べたら全然よ」
「ミーア、擁護してくれよ、そりゃないぜ」
「母さんもそう言ってるし、今日、お前が料理作るの担当な」
 と、ラルフは今日の料理当番をレオンに押しつけた。
 ともあれ、レオンとジュリアはラルフ達家族と暮らす事になった。他人とはいえ、昔からずっと仲良かったのだ。今や皆家族同然だと言えよう。
「私、ちょっと出てくるわ」
「おい、何処行くんだよ」
「ノールオリゾン国」
「ジュリア……敵国にでも忍びに行くのか?」
 ラルフが問うが、ジュリアは何しに行くのか答えを曖昧にした。





 ジュリアはそっと、懐に入れていた自分宛の手紙を取り出した。
 送り主はアレック・リトナーだ。
 彼の行方を心配していたが、彼から伝えてくるとは。
 ツツジの里の拷問を受けたが、有り難い事にレオンもミーアも、自分を支えてくれた。
 おかげで、体力も心も回復する事が出来た。
「ジュリア、本当にノールオリゾン国へ行くのか?」
「って、レオン。いるなら、いるって言いなさいよ!」
「あ、悪い悪い。なんか、考え事してたからさ」
 そう言い、レオンはジュリアに小包を差し出した。
「それ、拳銃。ノールオリゾン国に行くなら、拳銃持ってなきゃ、危ねえぜ?」
「レオン、貴方、これ……」
「いつかお前に渡そうと思って、準備してた」
 そう言い、レオンはジュリアに笑って見せた。
「必ず帰って来いよ。帰りを待ってるぜ」
「そ、その笑顔、反則過ぎよ。わ、分かったわ。必ず戻ってくるわ。帰りを、待ってて」
「ああ」
 そう言い、ジュリアを励ますように、レオンは彼女の肩を叩いた。
 ジュリアはその行動に、励まされた気がした。





 こうして、ジュリアとアレックは内密に通じる事になった。
 アレックが仕入れた情報を、ジュリアを介して、シュヴァルツ王国へ伝える。
 それが、ジュリアの任務になった。
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