黒王国物語
幸せの綻び(3)
マクスウェル邸の片隅の部屋。
ウィルの執務室は、今日も先日牢から出た柚とミツルによって綺麗にされている。
先ほど、シュヴァルツ王家に、ツツジの分家である七瀬、柚とミツルがいる事を公表したばかりだ。
これで、ノールオリゾン国派のツツジの里は揺れ動くだろう。
それを提案したのは、ダニエルではなく、ウィルだった。
先の襲撃で深手を負ったツケを払いたい――なんとか仕返ししたいと思っていた。
「姉さん、危ないって!」
すぐ側で、柚が時計の針を正確な時間に合わせようとして、椅子から転げ落ちそうになる。
ミツルのおかげで助かったが、そんなやり取りを見て、少し、ウィルは癒された気がした。
「あ、ウィル様、どうされたんだ? そんな隠れて笑って……」
「いえ、柚さん。何でもありません……」
いつかこういう穏やかな日が、ずっと続く日は来るだろうか。
その為にも、エレン王女の基盤を立て直さなくては――ウィルは今は亡き先代の王に誓ったのだった。
エレンは護衛のフェイを連れて、街散策に来ていた。
人々が行き交う市場、その市場は沢山の人の笑顔で包まれている。
「エレン、少し聞きたい事がある」
「なに、フーくん?」
「ダニエル様は、お前に優しいか?」
「どしたの、急に?」
不思議そうに、エレンはフェイに聞き返す。
フェイは幼馴染みのその表情を見て、視線を反らした。
「ダニエル様はとってもとっても優しいよ」
「なら、良いが……お前、ダニエル様と婚約して、後悔していないのか?」
「後悔してないよ。ダニエル様と頑張って、国を立て直そうって思うんだもの」
後悔などない。その一言が、フェイの胸を苦しませる。
では、何故、婚約前、あんな悲しそうな顔をしたのだろうか。
エレンは過去を振り返りなどしない。
前だけ、前だけ見据えている――それが、とてもフェイは辛かった。
ふと、フェイは店の前の長身の男を見た――彼に見覚えがある。
「セシル騎士団長!」
その男は、シュヴァルツ王国の騎士団長であるセシルで、フェイの先輩に当たる人物だ。
フェイ自身、セシルに良くして貰っていて、剣術も彼から習ったのだ。
「フェイ、元気にしていたか?」
だが、セシルはいつもの威厳も、活力も、消え失せていた。
一体、どうしたのだろうか。
「いえ、エレン姫様と一緒に町を散策していて……」
「あ、騎士団長様だ!」
エレンもセシルを見つけるや、彼に近付いた。セシルは敬礼し、エレンに挨拶を交わす。
「あの、セシルさんがここにいるって事は、歌姫のアリスさんもいらっしゃるんでしょう? 私会って、歌が聴きたいなあ」
「あ、あの、エレン姫様……アリスは、その……」
別れた、と一言セシルは告げる。
その言葉に、エレンとフェイは驚きを隠せない。あんなに仲が良かったのに、何故別れたのか謎である。
「それより、フェイ、ウィル様とお話がしたいのだが、取り次いで貰えないだろうか?」
セシルが話を変えるので、フェイは急いで兄――ウィルに取り次ぎをしに、マクスウェル邸へ向かった。
「ツツジの里の襲撃では、醜態を晒してしまい、申し訳ありません」
「いえ、セシルさんはよくやって下さいました。貴方が無事でなりよりです」
セシルはウィルに頭を下げて詫びると、ウィルは首を横に振りそんなことは無いと告げた。
「もし、また機会があるなら、今度こそ、敵陣の首を取って帰る所存です」
「そうですね。前の襲撃は寄せ集めの兵……時間が足りなかったのです。我々は騎士の国。剣を扱えば、右に出る者はいません」
ウィルは一息吐き、セシルに告げる。
「セシル騎士団長、貴方に騎士団の全権を委ねます。もう一度、戦うためにお願いできますか?」
「勿論の事です。必ずや、このセシル・ユイリス……命に替えても、任務を遂行していきます」
「よろしくお願いします」
セシルは再び剣を握れる喜びを得た。
ふと、最愛の女――アリスを思い浮かべたが、すぐさま止めた。
もう、彼女は隣りにはいないのだ。独りでこの国の為に戦う――セシルは誓った。