ゴールデンカムイ展、デジタル原稿でも大切なシーンを大きなサイズで見られて、とても良かった
でもやはり、随所で首を傾げてしまった。例えばチカパシへの野田先生のコメント
ニンカリ(耳輪)を着けないアイヌの方々が多かったのは、政府が強制的に耳輪を禁じたから。なぜ「不良」などと言えるのか
スレッド
会話
返信先: さん
ゴールデンカムイ展に足を運んで、「耳輪をつけない人も多くいた」との作者の言葉を読み、1871年にアイヌ民族の男性の耳飾りと女性の入れ墨を国が禁じた事実があることや、「耳輪を禁止されてる時代」との作者の言葉に、なぜ耳輪が禁止されたのかを知りたいと思える来場者が、どれほどいるだろう
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多くの来場者は特段の疑問を持たず、耳輪をつけるもつけないも本人の自由意志だったのだろうと思ってしまうだろうし、またチカパシは禁止されていることをやってしまう「相当な不良」なんだなと思って会場を後にするのではないだろうか
こんなに悲しいことがあるだろうか
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無論ゴールデンカムイはフィクションなので、アイヌ民族への同化政策が史実と異なる可能性はある
作中では同化政策など存在せず、それでもニンカリは禁止されていて(しかし同化政策が背景にないとすれば、一体なぜアイヌ固有の文化が禁止されるのだろう?)、チカパシは本当に不良なのかもしれない
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ゴールデンカムイという作品内で日本国によるアイヌへの同化政策をつぶさに描き込むべきだと強弁するつもりは私にはない
ただやはり、展覧会は現実の世界とつながっていて、ここでの野田先生のコメントは現実の発言なのだ
日本国の同化政策は事実として行われた。なぜそれを透明化する必要があるのか
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フィクションであるゴールデンカムイ作中の耳輪の禁止がなぜ生じたのかはわからない。他方、現実のアイヌ民族への耳輪の禁止は「異端者を正常化させる」という国策、つまり彼らが劣っていて卑しい存在ゆえに啓蒙してやらねばという差別意識から生じている。「校則」のような軽い決まりでは決してない
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野田先生の会場コメントは、耳輪の禁止を「校則」のようなカジュアルなものへと矮小化してしまっている。作中ではそれくらい軽いものであるのかもしれない。しかし果たしてこのコメントを読む来場者にその区別がつくのか。現実の耳輪の禁止を校則のようなものとして誤解してしまう人が多いのではないか
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それこそ、「校則でピアスが禁じられているのに、あえてそれをつけて学校に来る不良」的なカジュアルさが、野田先生のコメントにはある
なぜそんなカジュアルさを付与する必要があるのだろう
同化政策の痛ましさを言うことが、「かわいそうなアイヌ」をことさらに印象付けることになるからだろうか
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