この身はただ一人の穢れた血の為に   作:大きな庭

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二話目。


死喰い人

「──結局、貴方は正しかった。一年持たなかった訳ですからね」

 

 しみじみと紡いだ僕の言葉に教授は少し眉根を寄せたが、直ぐに理解したようだった。

 去年末の〝予言〟。相似にして異質、同じく闇の陣営に属する事を選択した教授が、僕に対して残した忠告の話だ。

 

「嗚呼、そうだな。しかし、その点に関しては我輩の認識も甘かったのだ。君の卒業云々の話では無かった。どうやらあの鼠は、手足となれる才能はあったらしい」

 

 皮肉たっぷりに紡がれる言葉は、流石に笑える物では無い。

 

「……それを差し引いても、闇の帝王は常識外れ過ぎるでしょう」

 

 個人の強度という観点から見れば、魔法史の何処を探したとしても、かの帝王と同じ領域にまで達した闇の魔法使いを見つけ出す事は出来ないだろう。

 宿命の杖と共に暴虐を為したエメリックも、吸魂鬼を作りだしたエクリジスも、新大陸での悪の象徴たるゴームレイス・ゴーントも、世界を混沌と戦火に陥れたゲラート・グリンデルバルトですらも、〝魔法使い〟という点においてはヴォルデモート卿の前では恐らく一歩引かねばならない。それ程までに、かの存在は魔導の冥府へと堕ち切っている。

 

 多くの書籍や新聞記事が語る第一次魔法戦争の顛末。

 

 アルバス・ダンブルドアという大魔法使いを敵とし、けれども〝生き残った男の子〟が現れるまで止まらなかった事から解っていたが、敵は余りにも強大だった。正直言って、どう打倒すれば良いのか、戦争の終焉まで何十年掛かるのか、そもそも人の身で殺す事が出来るのかどうかすら解らない程である。

 知っているからこそ余計に心労が掛かるというのは、このような事を言うのだろう。これからの遠大な道程に疲労を感じる僕に対し、仕切り直すようにスネイプ教授は咳払いをした。

 

「──それで、君の方はどうなのだ」

 

 相変わらず薬棚の方を向いたまま、教授は問い掛けてきた。

 

 既に棚の整理や在庫の品質の確認は終えたらしい。自分だけさっさと椅子に掛けるような真似でもするのかと思っていたが、教授は依然として立ったままだった。僕に上から見下ろされたくない程度の理由だろうが、机の上に置かれていた羊皮紙を手に取っている。ここまで来ても尚、殆ど僕に視線を向けないのは教授らしい態度でもある。

 

「君も我輩達とは違った形で動いていたのだ。それも、今まで以上に派手にだ。まさか何も成果が無かったという事はないだろう?」

「……貴方は探偵ごっこと揶揄した筈ですが、それを気にするのですか」

「別に推理自体、その根拠までをも聞きたい訳では無い。答えだけを聞けば十分だ。そしてまさか、ここまで来て黙ったままという事もあるまい?」

「……確かにそうですが」

 

 露骨な当て擦りに軽く溜息を吐くが、抵抗する気力は湧かない。

 教授に対して口を噤む利益は無かったし、多くを与えられたのは事実だからだ。僕程度の推測を口にした所で返し切れる借りでも無いが、無視していい訳でも無い。

 

「まず、初めに明確にしておきたいのは、アルバス・ダンブルドアも〝犯人〟を解っていないだろうという事です。これは確信だと言っても良いでしょう」

 

 これは大前提の話。

 あの老人を信用し切れない僕達だからこそ、共有しておかなければならない点だった。

 

「実の所、我輩は未だに疑念を拭い切れない。が、君は違うのだな」

「ええ。どう考えても泳がす理由が無いですからね。クィリナス・クィレル教授やバジリスクとも違う。そして三大魔法学校対抗試合という舞台を用いずとも、既に三年間を通してハリー・ポッターの資質は証明され続けている」

 

 僕の言葉に、案の定教授は気に入らないように鼻を鳴らす。

 

「……君は嫌にあの小僧を評価する。しかし、我輩にはそれだけの人間だとは思えんが」

「それは認識と見解の違いでしょう。そして、貴方が七年間ジェームズ・ポッターを見て来たように、僕は四年間ハリー・ポッターを見て来た。何故かは言うまでも無いでしょう?」

「…………」

 

 好意を抱く者の傍に居たからこそ、当然に眼に入って来る物だ。

 

「そして、ハリー・ポッターの評価が無かったとしても、僕はアルバス・ダンブルドアについて貴方より確実に一点だけ多くを知っている。今回ばかりはハリー・ポッターを危険に晒す、いえ晒し続ける真似をする筈は無い。それは断言しておきますよ」

 

 あの老人は、ハリー・ポッターを我が子のように愛している。

 それ故に今回、〝犯人〟の確信が取れれば形振り構わず制圧しに掛かる事だろう。

 あの老人の本質は非常に我儘で傲慢な超越者であり、けれども依然として物分かりの良い賢者の体面を捨て去って居ない以上、未だに回答を掴んで居ないのは明らかだ。

 

「だから今回はあの老人の反応から〝犯人〟を逆算する真似は出来ない。自分で見付け出す、或いはあの老人が適切に推理する材料を与える必要が有りますが、手掛かりが殆ど無いのが現状で、ホグワーツないし魔法省に居るという可能性が高いと判断するのが精々です」

「……まあ、その程度は多少頭が使えるならば可能だ。つまり、何の役にも立たない」

「でしょうね」

 

 暗に無能と揶揄する言葉に、僕は軽く頷く。

 この程度は推理とすら呼べないのは、指摘されずとも重々承知している。

 

「ただ、先の第二の課題。〝犯人〟がアルバス・ダンブルドアに敵対するならば、あの課題中は正に〝事〟を起こすのには絶好の機会だと思ったんですが、しかし見逃されました。そこから考えれば──三大魔法学校対抗試合が囮では無く本命で有るという前提になりますが──ハリー・ポッターを狙っている気がします」

 

 未だに三大魔法学校対抗試合外で事件が起こる可能性は捨てていないが。

 それでもあの課題を経て、〝生き残った男の子〟こそが目標である方に傾いたように思う。

 

「──何故、そう思う」

「僕が戦争をやるならば、あの課題の中でガブリエルを殺しているからですよ」

 

 暫し黙り込んだ後、怪訝そうな声で問うた教授に対し端的に答えた。

 

「年齢線で十七歳以上を排しながら、その課題で未成年を四人湖に沈め、そしてその内一人は九歳になるかならないかの少女。そのような状況で不幸な〝事故〟が起こったらどうなります? 当然責任問題かつ国際問題で、アルバス・ダンブルドアはホグワーツ追放ですよ。彼が校長に留まるのは、大陸の魔法省が許さない」

 

 二年前と違い、今度こそ理事会は満場一致でクビを宣告するだろう。

 

「後は楽な物です。別に〝犯人〟が最後まで全てを為す必要は無い。遠からず闇の帝王が復活するのが解っているのですから、後は任せてしまえば良い。最強の盾さえ排してしまえば、帝王は悠々とホグワーツを制圧し、子供を人質に取った後で降伏勧告して終わりです」

 

 僕の語る計画を聞いて、スネイプ教授は何も言わなかった。

 ただ、物言いたげな視線だけをこちらに向けた。薄暗い部屋の中でも尚目立つ、その深い黒の瞳は、僕を追い詰めるかのように真っ直ぐと向けられた。そして内心が読めなくとも、ある程度は推測出来る物だ。

 

「嗚呼、その反応も解りますよ。スリザリンである貴方にも同様の発想を出来る筈ですし、その是非を当然のように検討した筈です」

「……勝手に同類扱いしないで欲しい物だ。我輩は君とは違う」

「御謙遜を。そして御想像通り、実際はそう上手く行かないでしょう」

 

 あくまで机上の空論に過ぎない。

 大人(スネイプ教授)の眼から見れば、粗が有る計画だろう。

 

「ビクトール・クラムの人質が誰であるかを考えれば、ガブリエルを湖に沈める事が早期に決まっていたとは思えません。故に、これを実行するとなれば〝犯人〟は本来の計画を放棄する必要が有ります。また、突貫で練った新たな計画は、相手の不意を突けたとしても、成功率という点で下がるでしょう」

 

 加えて、と息を吐きながら言葉を続ける。

 

「あのアルバス・ダンブルドアは当然のように、最上級の護り()を仕掛けていたでしょう。しかしそれを考えて尚、賭ける価値は有るように思えますよ。厳戒態勢が敷かれる事が解り切っている第三の課題まで待つよりは成功率が高いように思えますし、そもそも、これは別に成功しなくても良いんですから」

 

 死にかけてくれれば十二分。

 如何に魔法によって一瞬で治る傷であろうと、死ぬかもしれなかったと思えば親は納得し難いものだ。世間──同様に子供を持つ者達も同じ。今世紀で最も偉大な魔法使いという立派な肩書に、一つ罅を入れる事が出来るだろう。

 

「……その()()計画が仮に成功したとしよう。だが、それはダンブルドアを校長の座から追いやれるだけだ。彼の権威と名声が失墜しても、アズカバンに行くまでの罪では無い。依然として今世紀で最も偉大な魔法使い、及び不死鳥の騎士団長という脅威は残るが」

 

 珍しく無表情を取り繕うようにして紡がれた言葉は、しかし教授らしい的確な物だった。

 

「その指摘は当然でしょう。ただ、僕はその価値も低くないと思いますよ」

 

 あの老人に自由を与える事になるが、それだけの利益が有るように感じる。

 

「彼の校長としての期間は、闇の帝王の時代と殆ど一致しています。年齢的に若過ぎたという点も有ったでしょうが、それでもゲラート・グリンデルバルト期、或いは伝説的な決闘で名声を得た直後には望まず、しかし彼は闇の隆盛と対応するように地位を望んだ」

 

 そして、今までずっと校長の座に留まっている。

 

「あの老人は己の理想とする姿とは程遠い、権力と名声が好きな普通の人間ですが、それでも基本的には、理由も無しに欲する事はないようです。しかし、魔法戦争期に不死鳥の騎士団という組織を立ち上げながら尚も校長の地位に留まり、今も固執し続けている以上──まあ、今は更に理由が加わっているようですが──それだけの意味が有るのでしょう」

「……ホグワーツ校長という座には、魔法的にも意味が有ると?」

「ここは四創始者が遺した生きた城ですよ。そして建てられたのは非魔法族との間で多量の血が流れていた時期です。学び舎として作られましたが、同じくらい戦火に耐えうる事を意図していたでしょう。何らかの仕掛けが有ると考える方が自然では?」

 

 ホグワーツ創成当時は、子供が親元から離れて過ごすという観念自体が存在しなかった以上、まず第一に、親が安心して子供を預けられるような安全な場所を作る事が必須だった。

 故に対魔法使いも当然想定されており、その一環として、この城は姿現しや姿眩まし──〝マグル〟は当然使えない──が出来ない。加えて、姿現しの練習の話を聞く限りでは、校長はその防衛機構に干渉出来るようだし、あの老人が校内で姿眩ましをしたり移動鍵を平気で作ったりしている所も見ている。

 つまりは個人の力量とは関係無く地位自体に特権が与えられているようであり、そうでなければ子供を護る事は出来ず、しかしながらそれを十全に扱えるのは、あの今世紀で最も偉大な魔法使い以外に無いのだろう。

 

「ゲラート・グリンデルバルトはこの国に干渉しませんでしたが、当時教授だった彼の暗殺を全く考えなかった筈は無いでしょう。闇の帝王の場合はそれよりも露骨です。ホグワーツを狙えば当然あの老人が出て来る事が解っていた筈ですが、結論は歴史が示す通りです」

 

 両者共にホグワーツ城を攻めた記録は、公式には一度として無い。

 不可能だったとは断言しないが、彼等をもってしても相当な難事だと考えていた事は容易に想像がつく物だ。この魔法の牙城は正しく要塞である。そして今世紀で最も偉大な魔法使いが守将に着くのであれば、何らの誇張も無く難攻不落となる事だろう。

 

 教授は依然として羊皮紙を睨みつけていたが、紙面の文字を読んでいないのは明らかだった。ただ沈黙が答えであり、僕は軽く笑って話を修正する。

 

「話を今回の〝犯人〟に関する物に戻しますか」

 

 先のはあくまで僕個人の考えに過ぎず、推し進めて考えても無益で有る。

 

「既に告げた通り、ハリー・ポッターを狙っているだろうというのが僕の予想です。そして勢力の方──元死喰い人、現死喰い人、闇の帝王と、そのどれが動いているかは解りません。加えて、特に怪しい人物というのも見当が付かない」

 

 意図や目的、或いは首謀者が解らずとも、実行犯を捕まえられれば終わりだというのも一つの考え方だ。しかし、今回はそれも未だに手掛かりが見付からない。

 

「……嫌疑を掛け得る人間すら、君には見付からなかったと?」

「というより、平等に嫌疑を掛けない理由が存在すると言うべきでしょうか。つまり、決め手に欠いている。アラスター・ムーディ教授のように片っ端から呪文を掛けるというのであれば楽な物ですが──」

「──流石にそれは文明人の行いでは無い」

 

 この教授とて、その点は難色を示すらしい。

 反射的に左腕を掴んだのは何か理由が有るのかも知れないが、痛くない腹を探られるのは誰だって嫌だという事だろう。

 そして確かに未だ戦時では無いのだ。先の魔法戦争中ならば通りもしただろうが、現在において行うのは、何処かで明確な支障が生じ得るのかもしれない。

 

「有り得ない少数というのは確かに居ますよ。アルバス・ダンブルドア然り、ハリー・ポッター自身然り。個人的な印象で言ってしまえば、フラーとオリンペ・マクシーム校長は殆ど違うと懸けても良いですが」

「……それは単に君が親しいからでは無いのかね?」

「まさか。ハリー・ポッターに対する一連の反応の変化や、考えの変え方を意図して出来るならば大した物ですよ。彼女達は自然体であり、一つの目的の下に動いているような明確な意図を感じません。尚且つ、彼女達の思想は眩しい位に善良に寄り過ぎている」

「……つまりは、君と相容れないという事か」

「ええ。考え方が根本から違いますし、僕と同じ方向に振れる気配すらない。あれが演技だとすれば御手上げですよ。潔く騙される事にします」

 

 ……後は、オリンペ・マクシーム校長からの個人的な頼み事の件も有る。闇の陣営に属しているのならば、あれはまず有り得ない発想だった。

 

 僕の言葉に内容以上の物を感じたのだろう。

 そして印象というのも馬鹿にならないし、そもそも教授自身も可能性は低いと考えていたのかもしれない。教授はあっさりと追及を止めた。

 

「……そうだな。君の無駄な努力の成果にも興味が無いし、我輩が気になる人間を聞いた方が早いか。イゴール・カルカロフ辺りについての推理を長々と聞いた所で何も進まん」

「嗚呼、先週の感じから疑問を抱いていましたが、貴方は違うと判断しているのですね」

「あの男が〝犯人〟となれる度胸が有るなら、過去に仲間の名を売っては居ない」

 

 ハリー・ポッターの殺害を功績とし、闇の帝王に許しを請うのは有り得ると思っていた。

 ただ先週の気の小ささからすれば犯人像からは離れるように感じたし、この教授の眼からすれば、余計に可能性が低く見えるらしい。

 

「ディゴリーはどうだ。君は随分と気にしていたようだが」

「……一番にその名前を出すのは当て擦りが過ぎますね」

 

 僕の批難に対して、教授はただ笑みを深めるだけだった。

 

「……確かに、彼は最も闇に──僕達に近しい人間です。そして彼の立場、代表選手という地位も申し分無い。彼こそがハリー・ポッターを殺しやすい位置に在り、仮に彼を殺したとしても、あっさりと納得出来るような人格をしている」

 

 同じくホグワーツで過ごした顔見知りを殺せる者は少ない。

 スリザリン内でも少数で、それがたとえグリフィンドール相手でも同じだ。

 同学年で考えるならば、マルフォイは論外。セオドール・ノットは半々、良くも悪くもビンセント・クラッブとグレゴリー・ゴイルは殺せるか。

 

 ただ、その少数の中にセドリック・ディゴリーは数えられる。

 ハッフルパフの仲間達まで殺せるかは微妙だが、それでも思い入れの無い他寮の人間(グリフィンドールなど)が相手ならば、〝セドリック・ディゴリー〟である事を脱ぎ捨てた彼が手を汚す事は可能だろう。

 

「クク。真正面からそこまでハッフルパフの優等生をこき下ろすのは君くらいの物だろう」

「貴方もスリザリンでしょう。それも僕より大人だ。当然見透かしている筈ですが」

 

 僕の揶揄に対して、やはり否定の言葉は返って来ない。

 このスリザリン的な教授は、当然ながらセドリック・ディゴリーの負の面を理解している。そして教授は子供が嫌いであるが、いや嫌いで有りながら十数年教職に就き続けているのだ。彼程度の擬態に容易く惑わされる事は無いだろう。

 

「ただ彼はハッフルパフを装っていますし、それである程度満足しているようです。そもそも僕達にはあのような面倒な真似は出来ないのは解っているでしょう?」

「……まあ、そうだな。半純血であるという罪を負わされた事は我輩達にとって非常に重い。しかし純血に生まれずに済んで良かったと、一度もそう思わなかったとは言わない」

「僕もそうですよ。寧ろ、貴方よりも強いかも知れない」

 

 スリザリンに居れば、彼等を取り巻く柵の多さに当然気付かされる物だ。

 マルフォイに近かろうとも近付き過ぎたくないのは、そういう理由も有る。親が死喰い人である点を考慮に入れずとも、彼等には自由が無さ過ぎる。

 

「それと同種の面倒を彼はハッフルパフで背負っている訳です。そして、それはスリザリンと同種であろうと同一では無い。聖二十八族としての道を歩むという事は現状では死喰い人になると殆ど同義ですし、スリザリン内の状況が変わる物でも無いですが、彼は違う」

「……ハッフルパフのディゴリーが死喰い人になれば、今まで必死で築き上げた物を全て捨てる事になる。要するに、あの男がそうする利益が無い、か」

「ええ。加えて、僕が闇の帝王を知らないように、セドリック・ディゴリーも知らないでしょう。一連のハリー・ポッターへの贔屓を見て彼がアルバス・ダンブルドアを信じているとも思えませんが、一方で、知らない人間の実力を信じてあの老人に敵対する事もやはり考え辛い」

 

 元よりハッフルパフには闇の魔法使いが非常に少ないのだ。

 死喰い人として名前が挙がり尚且つその疑惑が強かった人間の中には、かつてハッフルパフに所属していた者は一人として居ない。

 

 つまり闇に転ぼうとしても、接点が無い。

 

「正直、代表選手四人の中では彼が一番〝犯人〟の可能性が高いと思いますよ。想定される犯人像からも外れる物では無い。ただ、未だ闇の帝王が復活しておらず、光の陣営を去る理由や動機も無い現状では、彼は死喰い人の側に転ぶとは思えない」

 

 都合の良い位置に居るから疑わしいだけで、それ以外に疑う理由が無いのだ。

 余程の理由が無い限り彼は死喰い人と成り得ないし、今後もそうである事だろう。そして、教授が軽く頷いた所から見るに、彼の認識としても一致するようだった。

 

「成程、ディゴリーについては警戒を下げても良いようだ。ではムーディの方はどうだ?」

「まあ、そちらの名前は当然出ますよね」

 

 今度の名前は予想通りだった。

 寧ろ、教授の口から出ない方が可笑しかった。

 

「先例からすれば、闇の魔術に対する防衛術教授を警戒するのは当然でしょう。ホグワーツ内に居て、かつ今年新しく入り込んだ人物。直接的な黒幕だったのは一年目だけですが、この三年間例外無く、彼等が危険な牙を持っていたのは事実だ」

「特に去年は本物の牙だったな」

「貴方の学生時代の憎悪に基づく感想は別に聞いていませんよ」

 

 歯を剥き出しにしながら吐き捨てた言葉を一蹴する。

 

「……けれども、危険度の認識としては貴方の言葉を否定し切れる訳でも有りませんね」

 

 闇の帝王を憑依させた闇の魔法使い。忘却術に関しては超一級の腕前を持っていた詐欺師。満月の晩に制御不能となった狼人間。

 三人ともハリー・ポッターに隠し事をしており、尚且つ一人の例外無くハリー・ポッターを襲撃している。今年もそうでないという保証は決して無い。

 

「実際、僕の印象としては今年のアラスター・ムーディ教授も何かを隠している気がします。その隠し事が〝犯人〟であるかは解りませんし、これもまたあくまで僕の感想に過ぎませんが」

「……何故、そのような事を言える」

「前の学期、十一月の半ばあたりから教授には直々に教えて頂いているので。当然、貴方はアルバス・ダンブルドアから聞いていると思いますが」

 

 案の定、教授は苦虫を噛み潰したような表情をする。

 言うまでもなく、あの老人が教授に伝えているとは思っていなかった。

 

「とは言え、僕がそう感じたのはアラスター・ムーディ教授がバーテミウス・クラウチ氏と接触した時ですけどね。彼は既に姿を見せなくなって久しいですが、その前に会っていた場面を見ていた者としての感想です。御互いの因縁以上に、何か含む所が有るように感じました」

「……それも初耳だ」

「でしょうね」

 

 あの老人は、秘密主義に過ぎる。

 

「だが、君もまた不用意な事をしたのでは無いかね? たとえ光の陣営に属していようとも、どちらも危険人物で有る事に変わりない」

「ええ。しかし貴方にそのような表情をさせたのならば、危険の甲斐も有ったでしょう」

「……減らず口を」

「寮監の薫陶の賜物ですよ」

 

 ますます教授は顔を歪め、だが同時に何かに気付いたようだった。

 

「お前のその発言で解った。二カ月程前、ムーディがクラウチに対していきなり呪文を放とうとして問題となった事が有った。ウィーズリーやダンブルドアも手間を掛けられたと聞く」

「……あの教授ならばやるでしょうね」

 

 彼が油断大敵以上に最も狂気なのは、一度心を決めれば躊躇する事は無い点だった。

 

「そして僕は当然初耳ですし、そう在って然るべきでしょう。そのような話は魔法省の醜聞の類であり、外部には出すべきでは無いですからね。それで、結果はどうなったんです?」

「あの男はあくまで引退した闇祓いだ。正式な捜査権限など無い。あの男の実績とクラウチの言葉も有って拘束はされなかったようだが、ウィーズリーやダンブルドアは相応に手間を掛けさせられたと聞く」

「良い気味だ、と言いたい所ですが。……結果的には正解でしたか」

 

 バーテミウス・クラウチ氏は姿を消した。

 ただ、それ以上に今の言葉を聞いて気に掛かった点が有った。

 

「……しかし、アラスター・ムーディ教授は何故隠遁生活を送る事にしたのです?」

 

 改めて考えれば、その点が如何にも奇妙だった。

 

「教授は確かに片足を喪っていますが、その魔法力が損なわれた訳では無い。いえ、魔法力の面でも全盛期と比較すれば弱くなったのでしょうが、あの教授──元闇祓いの腕ならば、今でも生半可な魔法使いでは太刀打ち出来ない筈です」

「フン。流石のあの狂人にも、穏やかに余生を過ごすなどという真っ当な思考が存在していたという事だろう」

「……普通ならそう考えるのが妥当では有るんでしょうが、ね」

「腑に落ちないか」

「ええ。あの元闇祓いは、闘い続けなければ生きていけない人のように思えたので」

 

 〝マッドアイ〟が穏やかに老衰で死ぬという光景は、全く想像が付かない。

 光の陣営への彼の献身は本物だ。また戦えなくなったが故に最前線から身を引くにしても、後方で自身の教え子を量産し続ける位はしそうな物だし、その方が彼のイメージに合う。如何に狂っていようがアズカバンの半分を埋めた功績は絶大かつ不変であり、彼が部に残りたいと主張すれば簡単に追い出す事は出来ないだろう。

 そもそも魔法省の他の役所的な部署と違い、闇祓い局の同僚は出世競争の相手というより、死の危険を共に潜り抜けた戦友に近い筈だ。仕事にならない程度までイカレない限り、アラスター・〝マッドアイ〟・ムーディが闇祓いで在り続ける事は可能であったように思える。

 

 けれども、彼は隠遁生活の道を選んだ。

 今年アルバス・ダンブルドアに引き摺り出されない限り、ひっそりと暮らす事を選んでいた。それは並々ならぬ理由が無ければ有り得ないように思える。

 

「──そんなにも気になるなら聞いてみれば良い。君も一応教え子なのだろう?」

「……まあ、機会が有ればそうしますが」

 

 教授の生き様に関わる問題だ。

 余程の理由が無い限り、はぐらかされる予感もした。

 

「……だが、そうか。そんなにも早く、アラスター・ムーディが君を教える価値を見出した、か。そうであれば、我輩が思って居た程では無かったかも知れん」

 

 考えに沈んでいた僕を他所に、教授はポツリと呟く。

 その瞳には不思議な光が浮かんでいる。横からでは判別しにくいが、それは憎悪……いや、一番近いのは憧憬、だろうか。思わず漏れ出たような独白であったとしても、寧ろそうであるが故に、今までで初めて聞くような響きを帯びていたのは露骨だった。

 

「……どういう意味です?」

「ダンブルドアが言いそうな理屈を、君に対して伝える気は我輩には無い」

 

 その言葉には、断固とした拒絶の響きが有った。

 

「ただ、これだけは指摘しておこう。今年君が派手に動く事を許容したのは、死喰い人側からの接触を期待しての事だった。我輩はそう見ているが?」

 

 切り返すような鋭い指摘に、僕は顔を歪める。

 ……嗚呼、この教授は紛れも無くスリザリン寮監だった。

 如何に嫌っている生徒で有ろうとも、その性格と思考を把握し切っている。

 

「やはりそうだったな。君は三年間目立つ事を拒否した、というよりも興味が無かったと言って良い。けれども、今年は違った。今年は場合によっては目立っても構わないと考えていたし、悪目立ちも許容出来た」

「……あくまで最悪の場合、その可能性も有ると考えていただけですよ」

 

 その返答が負け惜しみに過ぎない事は理解している。

 教授の指摘を殆どそのまま認める内容であるのには変わりないからだ。

 今年、僕はハーマイオニー・グレンジャーを近付けたくなかった。それは彼女が闇の魔法使いによって害される危険を下げたいという意図も存在していたが、寧ろこちらから闇の魔法使いに近付けるという最後の選択肢を残しておきたいと考えていたのが大きかった。

 

「ただ、流石に今は期待していないと考えていいな?」

 

 嘲笑う言葉に、渋々頷く。

 

「……ええ。デラクール姉妹によって殆ど御破算になりましたしね。彼女達との繋がりを見られて尚そんな事を考える程、僕も楽観的では無い」

「そこまで君が愚かで無くて何よりだ。けれども、発端からして多少愚かな部分が有ったと同時に我輩は考えている」

「僕がその発想を抱いたのは、貴方の発言が原因ですけどね」

 

 半ば恨むように睨むも、教授は冷笑するだけだった。

 

「確かに我輩は去年、闇の帝王は君に関心を抱くだろうと言った。それを撤回する気は無い。この状況になってさえも変わらん。しかし、それは死喰い人が君に対して関心を抱く事を意味しない。仮にその死喰い人が、闇の帝王の指揮の元に動いていたとしても、だ」

「…………」

「真っ当な死喰い人であれば、君に近付くような真似は決して有り得ないのだ。死喰い人が如何なる存在であるかを理解していれば、そのような発想は出て来ない。君は死喰い人を不死鳥の騎士団の延長線として考えているだろうが、両者は根幹を異にしている。

 

 ──言うなれば、そう。設計思想が違うのだ」

 

 

 

 

 

 

 

「君は第一次魔法戦争で戦った両陣営について気付く事は無いかね?」

 

 何時も通りの粘着いた言葉遣いだが、その裏に在るのは教授としての真摯さ。

 

「寧ろ、君が死喰い人に接触する事を考えたのならば、事前にそれに気付いて然るべきだった。不死鳥の騎士団と死喰い人。両者を並べるだけで明らかな、決定的な違いについて」

「……意味が解りかねますが」

「ならば、もっと解りやすく質問しよう」

 

 物解りの悪い生徒に優しく諭すような調子で──そのような様子を一度も授業で見せた事が無いからこそ、酷く不気味なのであるが──教授は質問を紡ぐ。

 

「アルバス・ダンブルドアは不死鳥の騎士団の一員かね?」

「……組織の内部構造は解りませんが、多分そうなのでは?」

 

 疑問を捨てきれずに答えれば、教授は軽く頷いた。

 

「然り。では続けて問うが、闇の帝王は死喰い人の一員かね?」

「それは──」

 

 多分、違うのでは。

 そう口にしようとして、教授の真意に漸く気付いた。

 

「解ったようだな。君にしては、随分と物分かりが悪かったようだが」

 

 僕の反応に対し、満足気に暗い笑みを教授は浮かべる。

 

「誤解してはいないだろうが、一応明確にはしておこう。死喰い人の主君は闇の帝王である。その点は揺ぎ無い。だが、対立するとされる両陣営には名前からして違う。設立理由から異なるのだから当然の話では有るのだが」

 

 つまり、これは集団と個人の差異の話だった。

 

死喰い人達( Death Eater〝s〟 )不死鳥の騎士団(Order of the Phoenix)死喰い人の一員(  Death Eater  )不死鳥の騎士団の構成員(a member of the Order of the Phoenix)。比較して見れば明らかだ」

「……全体として動く事を意図しているのは、完全に不死鳥の騎士団の方ですね」

「そうだ。道理を理解せぬ者達は、死喰い人達には闇の帝王による独裁が敷かれていると宣う。しかし我輩に言わせれば、不死鳥の騎士団の方が余程独裁的よ」

 

 組織とは、統一された目的の下に全体が動く事を余儀無くされる。

 そして、その中において、アルバス・ダンブルドアは絶対的な君主なのだろう。彼のみが全てを知り、彼が全てを決定し、彼が全員に命令を下す。副団長と言える者は飾り程度にしか存在せず、そしてあの老人が消えた後に、その座を継ぎ得る者は恐らく居ない。

 

「死喰い人の目的は魔法界の支配と純血主義の徹底に在ると外部からは見られ、そしてそれは確かに我々にとって重要な目的では有る。だが、その為に組織が作られた訳で無いし、その目的を互いに確認した上で我々は動いている訳でも無い」

「……その達成に動くのは決して死喰い人組織では無い。あくまで個々の死喰い人が、偶々一つの人間から発された指示と意図の下に動いているに過ぎない」

「左様。我々は集団では無く個なのだ」

 

 不死鳥の騎士団は軍に近い。

 御互いは同じ目的に邁進する仲間であり、不可欠の戦友と言って良い。

 

 けれども、死喰い人は軍からは程遠い。

 御互いは決して仲間などでは有り得ず、それどころか敵対関係と言って良いのだろう。

 

「無論、我々死喰い人にとっても帝王の命は絶対だ。しかし、啓示にも似たその命に従う限りは、我々は大きく自由を許された。人も、人狼も、巨人も、吸魂鬼も。好きに動き、好きに殺し、好きに犯す事を認められた」

「こう言っては何ですが、死喰い人は雑多な寄せ集めな訳ですね」

「我輩は口が裂けてもそのような命知らずの台詞を言えんがな」

 

 闇の帝王が不死鳥の騎士団以上に支持を集めた理由はそれか。

 彼は多くを殺したが、その一方で多くの生命と自由を保証した。豪奢な椅子の上に一人座って一方的に綺麗事を言うだけのあの老人よりも、その窮屈な世界の打破を掲げた帝王は、多くの日陰者にとって余程魅力的に映ったのだろう。

 

「死喰い人という組織は自然発生的に産まれた。それ以前には目的など殆ど統一されて居なかっただろう。勿論、魔法界の支配と純血主義の徹底という考えは当初より帝王の中に在られたと思うが、それとは関係無しに人が集まったと我輩は考えている。そうでなければ、あのような形の組織とはならないからな」

 

 闇の帝王の力自体に惹かれた者。その力の下での庇護を求める者。魔法界の高い地位に昇らんと野心を抱く者。暴虐と殺戮を好み、それを肯定する指導者を望む者。そして当然ながら、今の魔法界を破壊し、純血達が君臨する世の中の到来を望む者。

 

 様々な者が独自の意図を持って、一人の偉大な魔法使いの旗下に集った。

 

「グリンデルバルドの軍隊と明確に違うのはそこだ。彼等は信奉者(アコライト)と呼ばれ、その名称から明らかなように、仰ぐべき(上位者)の存在を前提としていた。革命に賛同する事こそが要件であり、誰もがその目的の下に集団として動く事を了解していた」

「……ですが、死喰い人という名称は、主人の存在や上下関係を含む物ではない。騎士団という、団長と団員の存在を当然に予定している物とも全く違う」

 

 名前は所詮、対象を識別する為の記号に過ぎない。

 しかし、名付け親が籠めた意図というのは確かに存在しうるだろう。

 

「……帝王が失墜すれば当然に瓦解する訳ですよ。帝王が消えた翌日あたりに即刻全国で御祭り騒ぎやるくらいですしね」

 

 元より組織で無い以上、纏めていた者が消えれば殆どが立ち去るのも当然だった。

 そしてその事を口にせずとも、誰もが理解していたのだろう。死喰い人は闇の帝王在りきの存在であり、闇の帝王無くしては存続し得ない。それが当時の共通認識であり、その後の展開を見る限り間違っても居なかった。かつては不死鳥の騎士団を圧倒する勢力であった組織にも拘わらず、闇の帝王が〝生き残った男の子〟の存在によって挫かれた後、彼の捜索や復活の為の行動を取る者は極少数でしか無かったのだから。

 

 今更ながら納得した僕に、しかし教授は仏頂面のまま口を開いた。

 

「確かに組織で無かったからこそ、多くの死喰い人は闇の帝王に背を向け、裁判の場で服従の呪文に掛かっていたと嘯いた。けれども、そうしたのはもう一点大きな理由が有る」

 

 個で有ったからこそ裏切った者ばかりではない。

 僕の言葉が不十分であると、そう付け加えるように教授は言葉を続けた。

 

「魔法界の支配と純血主義の徹底。それらは確かにあの時点の重大な関心事であったが、その二つをも超え得る一つの至上目的が存在しうる。それはやはり闇の帝王の名と我々の名称を並べれば、当然に君は気付く筈だが」

 

 死の飛翔。

 死喰い人。

 

「……死の克服ですか」

 

 教授は頷く。

 

「全ての死喰い人が関心を持っていた訳では無い。しかし、多くを惹き付けたのはやはりその点だったし、闇の帝王が持つ中で最も偉大な力であると考えられていた。帝王は研究成果である数々の力を死喰い人達へと授けており、帝王の恩寵を獲得すればいずれ自身も──」

「──しかし、帝王は他の秘密を臣下へと気軽に授けはしても、不死の秘密を開示するのには余り積極的では無かった。違いますか?」

「……何故そう確信をもって言える?」

 

 言葉を遮られた以上に、その質問内容にこそ教授は顔を歪めた。

 

「いえ、単なる推測ですよ。そうするのが発想としては自然だと考えただけです」

 

 不死の要となる分霊箱が破られないようにする為ならば、その知識が記された書物を全て焼くのが手っ取り早い。息の根を止めるのに魔道具を破壊するという発想が無ければ、余程不幸な偶然が起こらない限り死を回避し続ける事が出来る。

 

 闇の帝王は当然他の不死の手段を探しただろうし、不死の探究を続けていただろうが、自身が既に獲得した叡智を独占するという意図も有していたのだろう。

 

「けれども、それで良く解りました。死喰い人は研究集団としての色彩が強く、それすらも統率が取れて居なかった。そして不死だと思って居た闇の帝王が、かのハロウィンの日に消えた。偉大だと思っていた帝王ですらも只人でしか無かったと感じたからこそ、極一部を除いて悉くが帝王の下を去ってしまった訳ですか」

 

 十四年前の失墜は必然だった。

 崩壊すべくして崩壊し、闇の時代は速やかに終焉を迎えた。

 

 ……まあ、それは大いなる勘違いだったのだが。

 

 中核にして全てであるヴォルデモート卿は、決して死んでいなかった。

 そして奇しくも闇の帝王が一度失墜してしまった御蔭で、不死の一端は実際に証明された。

 正確には決して死んだ訳では無いのだが、十数年の時を経て今後来る帰還は闇の帝王の神秘性を高め、彼の超越性を誰の眼にも明らかにし、そして以前よりも強大かつ広範にその影響力を行使する事を許すだろう。

 

「もっとも、寮監がそれを教えてくれた御蔭でもう一つの謎の方も腑に落ちましたよ」

「……謎?」

「ええ、やはり名前の話です」

 

 死喰い人と不死鳥の騎士団の差異は気付かなかったが、もっと露骨な方は別だ。

 

「闇の帝王の真名からすれば、死喰い人は英語(Death Eater)では無く仏語(Mangemort)で呼ばれるべきでしょう。最初その響きを聞いた時は何れかに統一しろよと思いましたが、そもそも同輩でも何でも無いならば、その差異は何ら不自然でも何でも無い」

「…………」

 

 理念と思想が違う以上、異なる命名規則に従うのも妥当だ。

 もしかしたら、闇の帝王は死喰い人という呼称の命名者ですらないのかも知れない。

 

「……ちなみにだが。君は闇の帝王の名が仏語である事は気にしないのかね」

「その辺りは左程」

 

 酷く渋い顔をしている教授に、多少の疑問を抱きながら答える。

 

「ローマ帝国の時代ですらグレートブリテンは辺境のままでしたし、数百年経ってホグワーツが建設される事になっても変わりませんよ。この島は西と南と東から様々な民族から侵入を受けて居ましたし、先進的なのは大陸の方だったでしょう」

 

 大陸からそう離れていないとは言え、それでも一応海に囲まれているのだ。

 人の往来は有ったにしても、文化が入って来るのが遅れるのは必然である。この国が明確に世界の最先端に躍り出たのは、やはり産業革命以降だろう。

 

「そして、この国の旧家を見てもマルフォイ家は大陸から渡って来た家系ですし、レストレンジ家も本流がどちらか知りませんが、大陸にも血筋が存在していた筈でしょう。ブラック家の家訓もToujours Pur(純血よ永遠なれ)で仏語です。ただ──」

「……ただ、何なのかね?」

「〝マグル〟の歴史でノルマン・フランス語がこの国で大々的に──と言っても、支配階級のみですが──使われるようになったのは1066年以降。マルフォイ家初代(アーマンド・マルフォイ氏)が渡ってきたのも同時期です。魔法使いに国境が無いにしても、どんなに遅く考えても993年には設立されていたホグワーツ、或いはサラザール・スリザリンによって仏語が使われていたかは微妙な気がしますけどね」

 

 そもそもイングランドに渡ってきたノルマン人というのは、多少大人しくなったヴァイキングの子孫なのだ。二百年程前の御先祖様( ロロ )は元気に略奪業を営んでいた。

 現代的観点で野蛮云々を語るのは馬鹿な話だが、普通に考えれば、海を渡って征服してきた人間達が〝文化的〟である筈も無い。それ以前にもアングロサクソン達の生活と歴史は確かに存在し、過去から連綿と受け継がれてきたのだから。

 

「四創始者の出身地にも議論が有ります。荒野(wild moor)から来たグリフィンドール、谷川(glen)から来たレイブンクロー、谷間(valley broad)から来たハッフルパフ、湿原(fen)から来たスリザリン」

「……今年の組分け帽子の歌か」

「ええ。まあグリフィンドールはゴドリックの谷が有りますから、イングランドと考えざるを得ないでしょう。他の創始者は特定し切れませんが、レイブンクローはスコットランド、ハッフルパフはウェールズと考えられる事が多いようです」

「では、スリザリンは?」

「今の四つの連合王国に対応させるのならば、出身はアイルランドになりますね」

 

 そう考えるのならば、綺麗に対応してくれる。

 ホグワーツの管轄がアイルランドにも及ぶ事も説明可能だ。

 

「そして当時のアイルランドはグレートブリテン以上にヴァイキングの時代です。更にその地域の言語は一般にケルトの系譜を引く物であり、ラテンの系譜を引く仏語とは全く異なるでしょう。アイルランドへのノルマン人の本格的な侵攻も1169年以降の話ですし」

「……ならば、サラザール・スリザリンは仏語を用いなかったと?」

「さあ? それは解りません」

 

 依然として不機嫌な顔のままの教授に肩を竦める。

 

「サラザール・スリザリンをアイルランド出身とするのは、国内で対応する場所を考えるならという思考です。イングランドの東部にも湿原は有りますし、レイブンクローだって一応アイルランドと考える事も可能だ。そもそも、創始者が四人居るから四つの連合王国に対応させるという発想は多分に〝マグル〟的で、魔法使いの物では有りません」

 

 サラザール・スリザリンは当然の事、他の創始者──ゴドリック・グリフィンドールでさえも、出身は不明確のままだと言うのが正しいのだろう。

 

「……だが、ホグワーツ創設期は魔法族とマグルは基本的に敵対関係に有った筈だが? 野蛮人(マグル)が何を喋っていようが気にしなかったという考えも出来るのでは無いかね?」

 

 腕組みしながら為された教授の指摘は、非常に正確に的を射ている。

 確かにこのような考え方には限界が有る。支配階級と非支配階級の言語が異なる以上に、異種族や異民族の言語が異なったとしても不思議では無い。

 

 しかし、今回の場合はそうとも思えなかった。

 

「仏語も所詮口語ラテン語ですよ。グレートブリテンの支配者(魔法族)に旧い言語が保存されていたと考えるならば、一世紀の半ばから五世紀( 43年から409年まで )のローマ帝国下の上流階級に通用した、〝真の〟ラテン語で有るべきでは? 現にホグワーツの校訓は──」

「……Draco Dormiens Nunquam Titillandus( 眠れるドラゴンを擽るべからず )、つまりラテン語か」

 

 ラテン語はマグル間において早々に文語に堕した──特に476年(西ローマの滅亡)は大きかった──が、魔法族の間では普通に古臭く話されていたと考える方がまだ魔法界らしくでは有る。

 

「そして、古英(アングロサクソン)語も旧い言語です。僕達が今どんな言語を話しているかを考えれば当然──と言っても、現在の英語は1066年以降の影響が大らしいですが」

 

 だがそれでも、英語はラテンでなく(仏語とは違い)、ゲルマンの系譜に連なる言語とされている。

 

「ローマが属州(ブリタンニア)を放棄して以降、五世紀半ばからはデンマーク南部やドイツ北岸から遥々渡ってきたアングル人やサクソン人がブリテン島に定着します。そして彼等の言語として使われた古英語は、ノルマン征服まで数百年間相応の影響力を持ちました」

 

 仮に魔法族が旧くからグレートブリテン島に住んで居たならば、対岸の口語ロマンス語よりも、寧ろそちらの影響を受ける方が自然だと考える。

 

「更に面倒な事を言うならば、ブリトン人などのケルトの血を引く者達が消え失せた訳でも無く、現在のスコットランドやアイルランドにはそれに連なる言語が未だに残っています。加えて八世紀の終わりからブリテン島の東部はデーン人、つまりヴァイキングの来襲を受け、九世紀半ばから一時デーンロウとして支配を受けました」

 

 ノルマン征服──この島における最後の異民族の軍事侵略までの歴史は、非常に混沌としており、民族も言語も多種多様だった。それを示すかのように、現在の英語は、単語や文法等においてそれらの影響を受けてやはり混沌としている。

 

「ホグワーツ前後の歴史は特に曖昧なので、〝マグル〟と何時訣別したのかは解りません。しかし三人の創始者はそれでも〝マグル〟生まれを受け容れましたし、その〝マグル〟はラテン語、アングロサクソン語、ゲール語やブリトン語、古ノルド語等、様々な言語を用いていました。それなのに、四創始者がどの言葉を使っていたかを特定するのは無茶な話でしょう」

 

 更に1066年以降に入って来たノルマン人貴族は、普通に(ノルマン)語を使い続けた。

 その状況が大きく変わるのは、百年戦争期を待たなければならない。

 

「ただ──闇の帝王が自身を表す名として仏語を選んだという事は、サラザール・スリザリンの系譜について、マルフォイ家よりも古く大陸から渡って来たという確信が有ったのかも知れません。その場合では、仏語を使っていたとしても何ら不自然では無いでしょうね」

 

 闇の帝王が真にスリザリンの血を引いていたのであれば、世間に広まっていない伝承、或いは家に代々伝わる逸話等に通じていた可能性も高いだろう。

 別にノルマン征服以前に渡って来たフランス人が皆無という訳では無いし、ブリトン人が五、六世紀に対岸に渡った結果としてのブルターニュがフランスに存在するように、〝マグル〟間ですら大陸とグレートブリテン間では相互通行が存在していたのだ。姿現しを使える類稀な腕前を持つフランスの魔法使いが一人渡ってきた所で何ら驚くに値しない。

 

 しかし万一、サラザール・スリザリンが大陸と全く関係ない(グレートブリテンかアイルランド)出身の人間であり、尚且つ死喰い人を仏語で無く英語で呼ぶ事を決めたのが聖二十八族だとしたら──その〝Death Eater〟と言う名は、支配者の言語(ノルマン・フランス)を用いた主君への謙譲を示す物では決してなく、正しく貴族らしいと言える嫌がらせの仕方だと言えた。

 

「……本当に君は、随分と要らぬ知識を持っているようだ」

 

 僕の妄言に今まで大人しく耳を傾けていた事が奇跡というべきか。

 スリザリンの教授は、何時も通りの陰鬱な笑みを浮かべながら皮肉を口にする。

 微妙に顔色が悪く見えるのは、背を向けてすら居た先程とは違い、表情が少しばかり良く見えるようになったからに過ぎないだろう。少なくとも、その声は揺ぎ無いものだった。

 

「しかも、君の強引な理屈の付け方は、教科書そのままを口にするしか能がないグレンジャーよりも質が悪い。我輩は同じ寮のよしみとして忠告するが、我輩以外の前でそのような行いをしない事だ。君が自認する以上に、君の発想はマグルにかぶれ過ぎている」

「解っていますよ。ただ、魔法使いは〝マグル〟のセカンダリースクールの教科書位は読むべきだと思いますがね。1692年以前は今より遥かに近い距離で我々は暮らしており、そして今ですら隣人である事に変わりないのですから」

 

 知識に貴賤は無い。

 有用無用の区別は存在するだろうが、それなら有用な物は存分に使うべきだ。非魔法族の知識をそのまま導入出来ないにしても、科学的手法くらいは導入可能だろう。

 

 

 

 

 

 

 

「──ええと。それで、何故こんな話をしているんでしたっけ」

 

 話を再修正する為に問えば、これ見よがしに大きく溜息を吐かれた。

 

「……君が好き勝手に脱線しただけだ。そして大本は、死喰い人は、君が想像するような御堅い組織では無いという話だ」

「嗚呼、そして僕に近付く死喰い人は居ないだろうという事ですか」

 

 死喰い人は個である。

 闇の帝王と死喰い人の間ですら組織を構成しない。

 

「成程、確かにそうであれば、死喰い人が僕に接触する──協力者の確保や勢力拡大の為の人員増大という行動に移る事は有りませんね。それが出来るのは、闇の帝王ただ一人だ」

「……まあ、そう言う事だ」

 

 話が本題に戻ったからか、気を取り直すように教授は咳払いをする、

 

「不死鳥の騎士団は違う。設立目的が明確であり、単純である。闇の帝王の暴虐と支配を打ち砕く事。その為の集団、その為の組織だ。アルバス・ダンブルドアでさえも騎士団の一員に過ぎず、目的達成の為の部品に過ぎないと言える」

「……組織の脆弱さは同程度だと思いますけどね」

 

 まず間違いなく、あの老人が死ねば瓦解するだろう。

 アラスター・ムーディ教授の見解としても似たような物だったし、実際スネイプ教授は更に咳払いをする事で誤魔化した。

 

「その目的の為であれば、騎士団は仲間や協力者を増やす事も躊躇わないだろう。そして可能な限り人数が多い方が望ましいから、勧誘も積極的に行いもする」

「寵愛を競い合う死喰い人達、少ない方が都合の良い集団とは性質を異にする訳ですね」

「そうだ。そして、死喰い人には騎士団と絶対的に異なる点が有る。それは組織の中に更に組織、というよりは別種の構成を抱え込んでいると言える点だ」

 

 その表現に多少考え込むが、答えは左程時間を置かずに出た。

 

「……純血組織、聖二十八族ですか」

 

 スネイプ教授は小さく頷く。

 

「死喰い人の人員拡大は、その伝手を元に行われていた。要するに、既に死喰い人になった者が、旧くから家同士の付き合いが有る、子供の頃から相手を知っているような者を引き込んだ場合が主だった。そしてその派生として──決して主流ではない──七年共に過ごして親しくなった者も組み込む事も行われた」

 

 スリザリンの死喰い人。

 聖二十八族の死喰い人。

 

 殆どが両者の要素を兼ね備えるのも、当然の帰結だった訳だ。

 

「翻って、今はどうかね? 帝王の凋落により、その影響力は断絶している。死喰い人の親を持つ者は居るが、死喰い人はその候補生ですらも校内から一掃されたと言って良い。そして君は半純血だ。血筋が劣っている以前に、死喰い人がその人格と資質を良く知る者では無い」

「……そんな異邦人(アウトサイダー)を身内に招かないのは当然として、協力者としてすら迎え入れる気には全くなりませんね」

「そう言う事だ」

 

 教授は頷く。

 

「君は自身を餌として使えると思っていたようだが、今年は違う。未だ闇の帝王は復活しておらず、秘密裏に事を進める必要の有る今回の〝犯人〟も、君に接触する理由は無い」

「……そのようです、ね。ええ、貴方が正しいでしょう」

 

 スネイプ教授の理屈は筋が通っていて、納得出来る物だった。

 

 実の所、僕は死喰い人が接触している可能性は言う程低くも無いと考えていた。

 

 死喰い人が同一の目的と普通の結束を有する組織であり、かつ真っ当な忠義を持つ死喰い人が居たのならば、十四年前に存在していた旧来の死喰い人組織──もっと言えば、嘘を吐いてまでアズカバンを逃れた聖二十八族に大いに失望した筈だと考えていた。

 

 如何に口では熱心に革命や変革を唱えていようが、旗色が悪くなれば途端に残らず裏切り、最後には自身の家系と保身を優先してしまう。

 それは人間として正しい姿で有ろうが、同じ思想と目的の下に動いた同志を見捨てるというのは薄情でも有るし、残った者は憤りを感じるのが当然である。故に新たな血を──聖二十八族に属している人間では無く、それらに被れていない、闇の帝王や死喰い人のみの為に働けるような人間を求めても可笑しくない。

 

 半純血という出自が余り宜しくないのは解っているが、かつての闇の帝王は排除の姿勢までを示しておらず、実際に死喰い人まで昇り詰めたスネイプ教授という証拠が存在している。

 闇の帝王の復活後に帰還するであろう、しかし再度裏切る疑念を捨てきれない上流階級の者達(ドラコ・マルフォイら)よりも、裏切らない事を期待しうる下流階級の僕へと接触を図ろうとする事は有り得るのだと、そう思っていたのだが──けれどもそれは、物を知らぬ人間の浅慮な考えだった訳だ。

 

 聖二十八族に憎悪を抱いている現死喰い人が居たとしても、死喰い人が端から組織的に動く事が考えられていない以上、組織の人員拡大という方向には動きようが無い。()()()()()死喰い人達の性格と性質からすれば、そんな事は決して有り得ないし、要らぬ期待や希望を持つべきでは無かったのだった。

 

「──僕の使い所が有るとしても、それは決して今年では無い。まだ先、闇の帝王が復活し、直々に勧誘が出来るようになってからの事ですか」

「……その言葉は、君は陣営を決めたという事かね?」

「いえ。単なる感想ですよ。ただ、スリザリンである僕をどう使うのが最も有効かと考えれば、やはりその結論に落ち着くでしょう」

 

 これは決して、グリフィンドール(アルバス・ダンブルドア)には出来ない事だ。

 

 教授は相変わらずこちらを見ず、それどころか既に明確に背を向けてすら居た。

 ……話は終わりで、立ち去るべき時間が来たという事だろう。僕を呼んだ教授の目的が達成されたのかは解らないが、もう僕の話を聞くのは不要だと感じているらしい。

 

「一応最後に聞いておきますが、貴方は僕から二人の人間についてしか聞かなかった。他に聞く必要は無かったのですか?」

「これからの第三の課題は君に関わりが無い。君に出来るのは祈る事だけだ」

 

 セブルス・スネイプ教授の声は、やはり僕を徹底的に拒絶する物だった。

 

「そして、大人が不正について全く何も考えていないと思うかね? 三大魔法学校対抗試合の関係者に裏切者、或いは今回の〝犯人〟に対する密告者が居たとして、それを防ぐ為の必要な措置を取って居ないと? 夏の間には我々は残らず『署名した』のだ」

「……魔法契約、ですか。まあ、当然と言えば当然なのでしょうね」

 

 羊皮紙に呪いを掛けたのか、或いは杖を使った契約を交わしたのか。

 

 何にせよ、彼等は無策で三大魔法学校対抗試合を運営している訳では無かった。

 試合の性質上、校長らの不正を完全に防ぐ訳では無い、それどころか意図して不正が出来るように作られては居るだろうが、それでも外部から干渉──特に、選手に対する生命侵害は厳禁だろう。どんなに優秀でも、生徒と大人ではどちらが勝つかは知れている──が出来ないようには作ってあるだろう。そして、〝犯人〟はその拘束を潜り抜けて暗躍している訳だ。

 

 やはりアルバス・ダンブルドア、アラスター・ムーディ教授、若しくはスネイプ教授が此度の陰謀を防いでくれるのが最善。僕にどうこう出来る時期は既に終わっており、そもそも最初からその余地は無く、教授の言葉通り、後は祈って結果を待つしかない。

 

 賢者の石と秘密の部屋の時と同じように。

 僕は何時だって、こんな役回りから抜け出す事は出来ないらしい。

 

「此度の事については、一応礼と感謝を述べておきます」

「……不要だ。我輩には我輩の目的が有る」

「それでも、今回の貴方の授業()非常に有意義だったのは確かです」

 

 教授が見てないと理解しながら尚、頭を深く下げる。

 

 御互いに好意が成り立ち得ない関係なのは解っている。

 けれど、最低限の態度に示しておくべきだった。余り認めたくないし、口には決して出さない事実であるが、それでもセブルス・スネイプ教授がスリザリンの寮監で在ったのは間違いなく幸運だったというべきなのだから。

 

「──対価という訳では無いが。今学期は多少ドラコの方を見ておきたまえ」

 

 その言葉に頭を上げれば、教授はやはり僕の方を見て居なかった。

 しかし、これまでと異なり、教授の言葉からは確かな情を感じる事が出来た。

 

「君と彼の関係は友人からは程遠いだろう。しかし幸か不幸か、君はドラコと非常に近い場所に居る。可能性としては低いとしても、君の立場は非常に都合が良い」

「……ビンセント・クラップとグレゴリー・ゴイルが居るでしょう」

「ならば、彼等がドラコの友人に見えるかね?」

 

 沈黙はガリオンだった。

 

「クリスマスの際、ナルシッサは君の叛乱に乗り、時間と労力とガリオン金貨を山程費やした。そして社交界で夫婦が揃わないというのは余り体面が宜しくないにも拘わらず、ルシウスは出席を見送った。しかも、大抵の純血がそうした。その理由を君は当然考えた事だろう。もしかしたら、それを見透かしてまであの革命を起こしたのかもしれない」

「…………」

「人は唯一の意図だけで動く訳では無い。その規模が大掛かりで有れば猶更に。つまり、アレは両天秤だった。一つは闇の帝王が復活された時に、国外の干渉を排除するだけの影響力を持つ為。無論、もう一つは解るな? 君は先程正確に指摘したのだから」

 

 ……アズカバンを逃れた死喰い人が、闇の帝王に許されるとは限らない。

 

 アルバス・ダンブルドアの庇護の確保。夫が殺された後の、妻や子供達の国外逃亡。

 あのクリスマス・パーティーはその可能性を少しでも上げる為に実施されたイベントであり、かつて死喰い人の疑惑が掛かった者達が姿を見せず、その色彩を少しでも払拭しようとしたのも当然だった。そしてあのパーティーの中で、またはそれを隠れ蓑にして、或いはその後の晩餐会等において、何らかの密約が結ばれ、金貨が更に飛び交った事だろう。

 

「君は非常に特異だ」

 

 スネイプ教授は静かに言う。

 

「殆どの場合、それは奇形なだけで有用でも有益でも無いが、何が上手く転ぶか解らんのが戦争ではある。我々が既に確認した通り、今年は特に注意を要する状況だ。ドラコがホグワーツを去る為に今年君が必要とされるかもしれないし、その必要は無くとも、卒業までに君が必要とされる日が来るかも知れない」

「……貴方の前であり、且つスリザリンとしての誠意として、協力する事は吝かでは無いとは明言しておきましょう。しかし具体的に僕に何をしろと言うのです?」

「今の所はそのままで良い。未だ帝王は復活していないのだから」

 

 けれども、復活後は解らないと暗に告げていた。

 

「そして仮に必要にならなくとも、やはり君はそのままで良いのだろう。関心外の事に君が不器用なのは四年間で知っているし、何より君はドラコが求める物を決して提供出来ない。ただそれでも他と違うという一点において、君は価値を見出されている」

 

 謎めいた事を言って、教授は最後に僕を真っ直ぐ見た。

 何処かの老人の蒼の瞳と違って、その黒の瞳は、やはり意外と嫌いでは無かった。

 

「──理解していると思うが。もう時間が無いぞ、レッドフィールド」




・ラテン語
 一口にラテン語と言っても時代によって異なる。
 ホグワーツの校章に記されたラテン語が何時の時代の物であるかを判断するのは流石に手に余る。

・英語と仏語
 ノルマン征服後、王を始めとする支配者が仏語、庶民が英語を使うという状況が続く事になるが、その影響は英単語にも現れている。良く言われるのが、beef/ox、mutton/sheep、pork / pigあたりで、貴族が見そうな(庶民が見ないような)方が仏語由来と非常に解りやすい。

 ちなみにヴォルデモート卿のアナグラムが出る巻である秘密の部屋は、英語ではthe Chamber of Secretsでありroomでは無いが、例に漏れずchamberはフランス語由来である(ラテン語のcamera→古フランス語のchambre→中英語のchambre。写真を撮るカメラもここから持ってきた。一方で原義のcameraもオックスフォード大学図書館のRadcliffe Cameraなどに残っている)

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