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干城録(影印版ではなく活字版あり)

 投稿者:小嶋日向守信房  投稿日:2007年 2月 3日(土)13時34分33秒
  通報 編集済
  話変わって、以前にk2様が示唆された和田裕弘氏の記事を探してみました。

歴史読本 平成十七年二月号 p147

「なお、土田御前の出自に関しては、清洲の土田氏、近江六角氏家臣の土田氏や六角氏氏族の山内氏など諸説あるが、『津島大橋記』には、美濃国藪田の小嶋日向守信房の女とある。『干城録』にもこれを裏付ける記述があるほか、信長は岐阜在城の時、藪田村に住したという記録もある。他にも那古野氏と推測できる記録もあり、土田氏という説は今後見直す余地があると思われる。」

歴史読本 平成十五年五月号 p142
「信広は、信長の庶兄として敬意を払われていたが、天正二年(1574)九月、伊勢長島一揆討伐戦で一揆軍の決死の反攻により、討死した。信広の母は中根七郎左衛門康政(なかねしちろうざえもんやすまさ)の女で、信広のほか大橋清兵衛尉重長(おおはしせいべえのじょうしげなが)室「クラ」、中根信照(のぶてる)(大橋定永さだなが)の三子を儲けている(『津嶋大橋記』。
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つまり『津嶋大橋記』及び『高須旧記』によれば

  小嶋日向守信房女
    ├─────────────織田信長
織田信秀
    ├───────────┬─織田信広
 中根七郎左衛門康政女      ├─クラ(大橋清兵衛尉重長室) (小嶋日向守信房養女)
                            └─中根信照(大橋定永)

ということになります。

さて、干城録にこれを裏付ける記述があるということで、織田、大河内、大橋、中根、小嶋、河野、稲葉、川口の項を調べてみましたが、私には見いだせませんでした。どなたか、御教示ねがいます。
 
 
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