インタビュー - Interviews -

鍵山 優真選手
インタビュー

夢は、五輪に出る姿を父に見せること
4回転と演技が得意な16歳、四大陸の表彰台に

文・野口美恵(スポーツライター)

シニアの国際大会デビューとなった2020年四大陸選手権で、羽生結弦とともに表彰台に乗った鍵山優真。16歳9か月でのメダル獲得は、羽生に続く歴代2位の若さという大躍進。期待を背負う新星に、話を聞いた。

5歳で自然に始めたスケート
佐藤駿選手と刺激し合い成長
写真

初出場での四大陸選手権で、見事な銅メダル。おめでとうございます。

最初に結果を知ったときは本当にびっくりしました。今回は順位を気にしていなくて、目標はショートとフリーでノーミスで滑ることでした。最後のトリプルアクセルがちょっと乱れたけれど、思い切り滑ることができて、そのことに満足していました。

今季はジュニアの国際大会に出場している中で、シニアのトップ選手が集う四大陸選手権に出場となりました。

この舞台はチャレンジャーとして来ているので、思い切りやると決めていました。緊張はそんなになくて、練習通りのびのびと滑ることができて、気持ち良いジャンプが跳べました。

それではスケートを始めた頃のことから聞かせてください。お父さまが元五輪選手の鍵山正和氏で、コーチも務められていますね。

父親の職場についていって、滑っているうちに楽しくなって、5歳の時から本格的に習い始めました。父親から強制された訳ではなくて、とにかく自分がやりたいなと思ったのがきっかけでした。子供の頃なので、細かいことはわかっていなかったけれど、本当に楽しい時間でした。

鍵山先生は、アルベールビル、リレハンメル五輪に出場しました。

ジュニアになった頃に、初めて父の映像を見ました。「そういえばお父さんどんなだったのかな」とちょっと気になって興味が湧いたんです。リレハンメル五輪の映像を見ました。

お父さまと似ている部分は感じましたか?

実感はないけど、膝が柔らかいのが似ているとよく言われます。自分としては膝を柔らかくするトレーニングをしているわけではないので遺伝なのだと思います。持ち味を自分の武器にしていきたいと思います。

自分もお父さんのようなトップ選手に、と思ったのはいつ頃ですか?

本気で上手くなりたいと思ったのは最後のノービスだった12歳の時の、2015年全日本ノービス選手権です。同じ年代のライバルに負けて4位で、表彰台に乗れなかったのが悔しくて、もっと本気で練習をやろうと思ったきっかけになりました。父のリレハンメル五輪の映像は見ましたが、五輪は出ること自体が凄いことなので、本当に尊敬しています。

写真

佐藤駿選手が優勝した試合ですね。その頃からライバルでしたか?

駿君を意識したのは、ジュニアに入ってからです。ジュニア2年目の時に、彼が仙台から埼玉に来て、関東ブロックに移ってきたので一緒に戦うことが多くなりました。彼はジャンプのセンスも実力も違って、負けることが多かったのですごく悔しかったです。やっと最近、同じレベルくらいに自分が上がってきて、ライバルとして台頭に戦えるようになってきました。

佐藤選手とお互いを刺激いし合いながら成長している様子ですね。

駿君はノービスの頃はジャンプだけが得意で、僕はスピンだけが得意という感じでした。駿君は、昨季からスピンも表現力も一気に上手くなってきました。僕は、駿君や、2つ下の三浦佳生君が4回転を跳んでいるのを見て、「自分も負けていられない」と思って4回転の練習を始めました。4回転トウループはわりとすぐに練習で降りられて、試合としては今シーズンから入れています。すごく高い確率で試合でも降りられているので、自分の得意技になってきました。ジャンプが得意になったことで、今の自分はどれかだけが得意という感じではなく、全部のバランスが良くなってきました。

「踊ることが大好き」で表現力伸ばす
『タッカー』は偶然にも父と同じ曲
写真

鍵山選手というと、表現力や滑りの評価が高いです。

踊ることそのものが楽しいんです。音楽を聴くのも好きで、ジャズとか楽しい曲が好きです。プログラムの曲は、ジュニアになった1年目に佐藤操先生に『火の鳥』を作っていただいて、すごく振り付けが自分に合っていたので、それ以来ずっとお願いしています。どんな曲を使っても色々な発想が出てくるのがすごいと思います。操先生が見てくれるからこそ、ここまで演技も滑りも上手くなってきたので、感謝しています。

今季のフリー『タッカー』は、本当に鍵山選手の表現力が活かされていますね。

操先生が選んで下さった曲でした。すごく楽しくて格好良い曲なので、自分もすぐにこれを使いたいなと思って決めました。その後で、本当に偶然なのですが父から「俺も使っていた曲だ」と言われてびっくりしました。奇跡です。操先生も知らなくて、僕に似合う曲と思って見つけてきたそうなので。でも、僕とは性格が真逆なくらいあんなに真面目な性格の父が、こんな楽しい曲を踊っていたなんて。父が『タッカー』を踊っている時の映像を見てみたいです。

お父さまはノーブルな滑りをする方でしたからね。昨季は鍵山先生が体調を崩されて、1人で練習する時間も長かったそうですね。

小さい頃から基礎は叩き込んでいて、それを思いだしながら自主練習していたので大丈夫でした。ジャンプが崩れたりすることもありませんでした。滑り方もジャンプの動きも、体が勝手に覚えています。お父さんに小さい頃からずっと見てもらってこんなに上手くなれたので、オリンピックに出る姿を父に見せてあげたいと思っています。

ショートで4回転導入、見事に成功
「シニアでどれだけ戦えるか知りたかった」
写真

それでは今回の試合について聞かせてください。まず初のシニア国際大会とは思えない落ち着いた様子でした。

むしろ全日本選手権のほうが良い演技をしないと、というプレッシャーもあって身体が固まってしまっていました。四大陸選手権は、守るものは何もない、とにかく思い切ってやるしかない、という気持ちでした。「思い切りやって、失敗するなら失敗、成功するなら成功」と割り切った意識で臨めたことが良かったです。やっと良い演技ができて、もっとシーズンの早いうちからこうやって思い切っていけば、落ち着いてリラックスできるんだ、ということを意識すれば良かったです。

ジュニアではショートの4回転が禁止されていますが、今回は4回転を組み込みましたね。

今季の後半になって、トリプルアクセルがなかなか決まらずにいました。4回転トウループが一番自信のある武器なので、最初に4回転を跳んで自分に自信を持たせることでトリプルアクセルを良い気持ちで跳ぶことができました。なのでトリプルアクセルを2番目にして、全日本選手権とは順番を変えて良かったです。トリプルアクセルへの苦手意識も少しなくなりました。

ショートは91.61点での5位発進。シニアでもトップレベルの得点が出ました。

最初に見た時に、こんなに出るんだと驚きました。でも羽生選手は同じジャンプ構成でも100点前後の点数を出していたので(2013年GPファイナルで99.84点、ソチ五輪で101.45点)、それを考えると自分はまだまだ足りないところがあるということです。自分としては89点くらい出たかなと思ったら90点を超えていて、やはり90点台というのは全然違うものだと思いました。その大きな壁を乗り超えられて嬉しいです。

ショートが高順位で表彰台を狙える位置でしたが、意識しましたか?

いいえ、四大陸選手権は順位や点数よりも、今の自分がシニアの世界でどれだけ戦えるかを知りたいという気持ちでした。なので良い点数が出たことがとにかく嬉しいです。素晴らしいメンバーの中で演技できることが楽しくて、緊張しませんでした。でも大舞台でここまでできたのは自信になりました。

「羽生選手のメンタルの強さがほしい」
ハン・ヤン選手の滑りに感動
写真

フリーの後は、羽生選手と一緒にグリーンルームで順位を待ち、表彰台に登りました。

羽生選手を見て、「すごいな」という気持ちしか出てきませんでした。あのメンタルの強さがすごくほしいなと思いました。

記者会見では羽生選手から、メダルを獲得したことについて「カッコイイ」と言われていましたね。

あれは、すごく嬉しかったです。表彰式でも「本当に良かったね、おめでとう」と言っていただいて嬉しかったです。でも羽生選手の存在はまだまだ遠いです。今回は3位になりましたが、お互いノーミスだったらずっと遠い位置にいます。まだまだ努力が必要だと感じました。

日本で応援しているお父さまからはどんなアドバイスがありましたか。

父からは「楽しんでこい。落ち着いていつも通り頑張って」と言われていました。試合後にまだ連絡していないので、「頑張ったよ」と報告したいです。

シニアの国際大会に出て、ジュニアとの違いは感じましたか?

まず意識したのはスケーティングの違いでした。シニアの選手に比べると、自分はまだまだ滑らかさが足りませんでした。一番スケーティングが上手だなと思ったのは中国のハン・ヤン選手です。目の前で見て、「こんなに滑るんだ。速いな、綺麗だな」と思ったので、お手本にして真似していきたいです。スケーティングの差の部分をしっかりと吸収したので、本格的にシニアデビューする時には、トップと戦えるようなスケーティングを身に付けたいです。

次は世界ジュニア選手権への出場になりますね。

この経験を次の世界ジュニア選手権に活かしたいです。今回はチャレンジャーとして思い切りやるだけでしたが、世界ジュニアは上位を狙っていかないといけません。この試合で自信がついたので、堂々と演技できると思います。目標は世界ジュニアチャンピオンです。

ありがとうございます。これからも頑張ってください。

2020年2月、四大陸選手権にて取材

もっとみる
インタビュー一覧へ
PAGE TOP