本日更新の一話目。
ハリー・ポッターを強制参加させやすい位置に配置された人物は誰なのか。
それを考えた時、その筆頭に上がるのは当然ながら今回の運営側、魔法省の二人。バーテミウス・クラウチ氏とルドビッチ・バグマンである。
炎のゴブレットが三百年間何処に安置され続けていたかは知らないが、警備体制等を把握し得る彼等魔法省の人間であればゴブレット自体に仕掛けをする機会は幾らでも作れはしただろう。
また、大会規則を〝解釈〟するのは彼等であり、しかも三大魔法学校対抗試合が三百年間停止され続けて来た事を考えれば、四人目の代表選手が現れるような事態にどうするかを想定していないボーバトンやダームストラングが理論的な〝異議〟を提示出来るとも考えられない。裏を返せば、ハリー・ポッターを合規則的に参加させやすいと言える。
必然、彼等は今回の容疑者としては有力で、着目すべき存在である。
勿論、服従の呪文を始めとした捜査攪乱手段が有る魔法界においては彼等が〝犯人〟であるとは限らないし、別に〝マグル的〟手段でもって彼等を従わせる事が魔法族に出来ない訳では無い。しかしながら、その場合──彼等が幇助者の地位に留まる場合であっても、それは〝犯人〟と繋がっているという事であるから、着目すべき事に何ら変わりはない。
というより、〝犯人〟はまず第一に彼等を
ただ、この程度は誰でも考える事だ。
アルバス・ダンブルドアは当然、猜疑心の強いアラスター・ムーディ教授も確実に、オリンペ・マクシーム校長やイゴール・カルカロフも考えを巡らせていない筈は無い。
特に後者二人は異国の魔法省を信用する義理など何ら無いから、バーテミウス・クラウチ氏とルード・バグマン氏の動向にも眼を光らせ続けるだろう。現時点では四人目の代表選手が選出されたという不正が為されただけに過ぎないが、今後、彼等の大事な生徒であるフラー・デラクールやビクトール・クラムが、ハリー・ポッターに巻き込まれて事故死しない保証は無いのだから。
故に、僕が彼等に着目する事は決して大きな意味が有る訳では無かった。
三校相互の疑心に基づく監視体制は強固で有り、これからの不正をそう易々と見逃すとも思えない。まあ、それを踏まえて不正しようと考えているであろう存在が今回の〝犯人〟だと思うが、少なくとも生徒が一人増えた所で何かが変わる物でも無い。
……本来ならば、その筈だった。
そもそもの話、僕が出来るのは〝注視〟以上の何物でも無い筈だった。
彼等が〝犯人〟か否かの確認──即ち、馬脚を露させかねないような行動を取らせる状況を創るには、それなりに特別な交渉の場が必要である。
別に僕自身が名探偵になる事は必須では無く、固執もしないし、寧ろアルバス・ダンブルドアを始めとして大人達が〝犯人〟を見つけてくれる事こそを最も期待しているのだが、その第一の理由は、僕が事件の中核と成り得る者達に接触する身分や地位には無いという点こそに有るのだ。
二年前に意図して近付いたギルデロイ・ロックハート、或いは偶然より親しく交流する機会を得た、去年のリーマス・ルーピン教授及び今年のアラスター・ムーディ教授。
彼等に近付く事は、決して不可能では無かった。寧ろ最初から非常に容易く、何ら支障が無かったとすら言えるだろう。
彼等は教授の身分に有り、僕は生徒の身分に有った。つまり程度の差異は有れど、最初から交流が想定されている間柄に有ったのだ。
けれども、彼等二人は魔法省高官である。
そして対する僕は、ホグワーツ一生徒以上の何者でもない。
僕はハリー・ポッターでは有り得ず、ドラコ・マルフォイでも無かった。
彼等は、魔法省高官に会うだけの身分が有った。申し出を受けてくれるだけの地位が有った。寧ろ彼等は向こうから繋がりを欲する類の人間達である。言ってみれば特別で、状況に干渉し得る、確たる資格を持った者だった。
しかし、僕は違う。僕は彼等に接触する権利自体を有していない。
別に僕に限った事では無い。ホグワーツ始まって以来の才女とも思えるハーマイオニー・グレンジャー、或いはアーサー・ウィーズリーを父に持つロン・ウィーズリーとて変わらない。親や友人の繋がりで挨拶程度は出来ても、ハリー・ポッターやドラコ・マルフォイと違い、個人的な会話を交わすという事は決して出来はしない。
だからこそ、僕が自ら状況を引っ掻き回すなどという思い上がりは最初から想定していなかった。というより、
後から考えた時、彼との──バーテミウス・クラウチ氏との会話はやはり存在するべきでは無かった。特に彼が単なる魔法省国際魔法協力部部長などでは決してあり得なかった事を考えれば、僕はそれを求めるべきでは無かった。
……けれども、やはりそれは後だから言える話だ。
首を突っ込める機会が有った。状況を搔き乱せる隙を見出した。
そして何より、彼が貴族階級に生まれながら異端の存在で有るのを選択した事からすれば──僕がバーテミウス・クラウチ氏との接触を持たない道など、初めから有りはしなかったのだろう。
第一の課題後、僕がバーテミウス・クラウチ氏に注目していたのは、言ってみれば何となくだった。
ハリー・ポッターの点数発表が終わり、ルドビッチ・バグマンが第二の課題は三か月後に行われる事を告知し、ホグワーツ生達が課題の興奮冷めやらぬまま三々五々に寮へと戻っていく。
そして混雑を避ける為に暫しの間コロシアムに残る事を選択した僕の眼下では、会場に残った大人達は此度の成功を讃え合ったり、片付けの指示を大声でしたり、複数人が集まって何やら話込んだりしていた。
最後のそれは魔法や魔法具という盗聴手段が有る事からすれば不用心だという評価もし得るが、それらの殆どは子供に聞かれて致命的となる程大した話では無いのだろう。
そして全てが僕達の眼の届く範囲で行われている訳でも無い。運営テントの中に留まって未だに何やらしている魔法省の役人も存在しているようであったし、遠くから聞こえる咆哮はドラゴン使いが未だに働いている事の証左でも有る。また、アルバス・ダンブルドアやアラスター・ムーディ教授の姿は既に見当たらなかった。
しかし、僕の眼の当たる範囲においては、大人達が浮かべる感情は殆ど同じ物だ。
満足。安堵。達成感等々。明るい陽の感情ばかりが、彼等からは容易く読み取れる。
ルドビッチ・バグマンは今から飲みにでも行きそうな位に上機嫌を爆発させており、他の魔法省職員も多かれ少なかれ、心地良い疲労と共に顔を輝かせていた。
その点はホグワーツ教授に眼を向けても変わらない。フィリウス・フリットウィック教授はそこかしこの人間を捕まえては代表選手達への賞賛の言葉をまくし立てており、ポモーナ・スプラウト教授はセドリック・ディゴリーの事を誇らしく思って居るのを隠し切れて居なかったし、ミネルバ・マクゴナガル教授でさえも明らかに表情を綻ばせていた。
また、四人目の代表選手の存在に文句を付けたであろう二校の校長でも例外では無い。
オリンペ・マクシーム校長はフラー・デラクールの肩を抱いて──体格の違いから覆いかぶさっているのと大差なかったが──彼女の健闘を讃えると共に自校の馬車へと戻っていくのが見えたし、イゴール・カルカロフの方は、むっつりとしたままのビクトール・クラムを引き連れて各方面への外交に忙しいようであったが、彼等の対応の違いはどうあれ、今回の試合結果は校長達にとって大きな満足を齎す物だったのは確かだろう。
ただ一方で、それらの典型的な反応の中に決して混じろうとしない者も居る。
我らが寮監殿はその筆頭なのだが、正直言って彼は特別枠だった。ハリー・ポッターが課題を達成した瞬間の表情はやはり見物だったが、このような祝祭に浮かれる人物で無いというのはこの三年間で熟知している。故に今更関心を引く物では無かったし、寧ろそのような在り方は、僕に安堵に近しい感情を齎す物ですら有った。
けれども、そのような類の人間はもう一人居た。
バーテミウス・クラウチ氏。
地位と経歴そして能力から観て、今回の三大魔法学校対抗試合を取り仕切っている者。
彼が審査員席に座っている時も思って居たのだが、その顔色は尋常じゃなく酷い。
一瞬骸骨かと見紛う位には頬がこけ落ち、肌も青白く、仮にホグワーツ生であればマダム・ポンフリーが救護室に問答無用で叩き込むのだと確信出来る程で、真っ当な良心を持った人間ならば彼に聖マンゴ魔法疾患障害病院の診療を受けるのを勧める位には、普通の人間として在るべき姿から掛け離れていたと言って良い。
もっとも、背筋は一切曲がっておらず、足取りが揺らいでいるという事も無く、遠目だから断言しかねるが、視線が定まっていないという事も無いようだった。言ってみれば、見た目が単に病人のようであるという以外には、何ら異常を生じているようには伺えない。
ただ、それ以上に僕は気になった点。
それは、第一の課題が終了した事に対する感慨が、バーテミウス・クラウチ氏からは何ら伺い知れないように見えた点である。
確かに、言ってしまえば三分の一が終わったに過ぎない。三大魔法学校対抗試合がかつて夥しい死人を産み、また今回が約三百年振りの開催である事を考えれば、第二の課題まで三か月空くとは言え何ら安心も油断も出来る物では無い。
けれども、それを差し引いたとしても異質と言うべきか。
何というか、彼からは熱意どころか事務的な責任感すら見出せない。酷い病相を露わにして尚職務に励んでいるのであればもっと何か──例えばその個人を突き動かす原動力的な物が感じられる方が真っ当だと思うのだが、そのような物は無く、彼から感じる印象は、空虚や虚無の類ですらあった。
ただ、それをもって異常と断言する事は無かった。
周りの人間は彼がそのような有様で尚この場で居る事に殆ど疑問を持っていない──つまり、病気程度に屈しない仕事人間だとは最低でも思われている──ようであり、ルドビッチ・バグマンが陽気に肩を組んできたのを苛立ち混じりに外した際には人間味を感じられたし、そもそも服従の呪文等の性質を考えれば、あからさまに怪しいという事が犯人性に直結する訳でも無い。
しかしながら、浮かれ切り緩み切った空間の中で、周りの人間に声を掛けられているのを丁寧にあしらい、或いは礼儀正しく振り切ったりとしている姿以上に、彼の心の在り様が酷く目立っているように見えたのは確かだった。
そして、彼が試合会場を立ち去り、その足の向ける先がどうも校門の方で無いらしいと察した時、僕に彼を追わない選択肢は存在しなかった。
もっとも、彼の行動が客観的に不審や不自然と言うには程遠かったというのは、やはり再度強調して置くべきだろう。
恐らく彼は自身が仕事を魔法省に数多く残している身である事を主張して、ホグワーツでの後始末をしている者達や、夜の打ち上げを既に考えている者達の下を辞した。そして『姿くらまし』が出来ないホグワーツから歩いて出ようとしているのだと、彼等は当然に考えた筈で、多分それはバーテミウス・クラウチという人格に鑑みれば何ら疑問を抱くような行動では無かったに違いない。
そして──
「人を覗き見するのは感心しない」
──当然のように、その老紳士は気付いた。
尾行途中、彼は何も奇妙な行動を取る事はしなかった。杖を振る事も、魔道具を使うような真似をしなかった。ただ歩き、進み、ホグワーツ内の湖畔へと辿り着いた。
地下に談話室を持つスリザリンには近しい、巨大な湖。新入生が渡って来る始まりの場所であり、卒業生が渡って帰る終わりの場所。
そこで老紳士は暫しの間佇み、後ろ手に腕を組んだままに湖面を見詰めた後、その姿のままに不届者へと声を掛けたのだった。
己に何故気付いたのか。
その問いを僕に許す前に、バーテミウス・クラウチ氏は言葉を続けた。
「ホグワーツ生の殆どが礼儀を理解しないのは承知している。しかし、流石にここに至って逃げる程に恥知らずでは無いと期待したい物だ」
そして、僕の注意を引いたのはやはりその声色だった。
それを、何と形容したらよいだろうか。不機嫌では無い。強張ったとも違う。微妙に葛藤するかの如く声色は揺らいでいながら、しかし言葉の内容は簡潔、明快かつ率直で。ただ、口から洩れる何処か擦れ気味の息からは、彼が本調子では無いのは紛れも無く確かである。
嗚呼、そうだ。
一言で表すならば、それはさながら幽鬼の声のようであった。
「──失礼を御詫びする。そう言うには既に手遅れなんでしょうね」
「当然だ」
即座の返答に、容赦の色は無かった。
声色は怪しくとも、やはり言葉の芯はしっかりとしていた。
「魔法省の役人が何処に向かうかに興味を抱くのは理解出来ぬ訳でも無いが、同時に君もまた私が普通どう感じるかに想いを向けるべきだろう。自身を嗅ぎまわる不愉快なホグワーツ生に対し、最初から好意を抱ける訳も無い」
その割には、声に苛立ちというのは伺えない。
「故に、私とすれば本来取るべき立場は一つだ。ホグワーツ校長、或いは君の寮監に対して、今回君が取った行為について報告する。されば然るべき罰則が下されるだろう。まあ、大した罰にはならないだろうが、魔法省高官直々の苦情というのは、君の経歴に傷を付ける程度には十分だ」
ただ、と老紳士は言葉を切った。
そうして、木々の後ろから姿を現した僕へと視線を向けた。
彼は、それまでの姿勢、つまり湖を眺めるという在り様を崩しはしなかった。もっと言えば、正対する事を──僕を個人として認める事を明らかに拒否していた。彼の出自からすれば自然であり、今の僕の無礼からすれば当然の態度だった。
けれども、彼の視線は僕の全身を上から下まで観察し、
「よりにもよってスリザリン。となれば
老紳士は口元を歪ませ、笑みの形にした。
「────」
……今までの彼の行動に、露骨に不審は無かった。
けれども、ここに至って謎かけめいた言葉を発した。それは明らかに普通とは言えない対応の仕方であり、それ以上に、彼が浮かべたその笑みこそが、バーテミウス・クラウチという人間に相応しくない決定的な異常のように思えたのだ。
「こちらに来たまえ」
老紳士は視線だけで自身の隣を示す。
それは人を支配する事に慣れた者の所作であり、事実上の命令だった。
僕は大人しく従い、数分もの間、老紳士はそれ以上を求めなかった。何かを考え込むように黙り込んだ彼は、同じように湖を眺める事のみを求めた。
「──君に一つ試験をしたい。そう言えば、君は不快に思うかね?」
そして徐に投げ掛けられた問いに、
「当然ながら」
僕は老紳士と並んだまま、同じ方向を見たままに答えた。
「貴方は、いえ、貴方がたはそういう生き物では無いでしょう? 貴方がたが住まう世界は元より一挙手一投足が試験され、吟味され続ける世界だ。わざわざ礼儀正しく今からお前を試すなどと言う筈も無い。〝クラウチ〟がそれを理解出来ない程、軟弱で有る訳が無い」
「──ほう」
僕の解答に、微妙に声色が変わった。
「成程。如何に異端で有っても、
「…………」
「だが、なればこそ試験をしよう。と言っても、簡単な物だ」
彼等に有りがちな人の話を聞かない態度でもって、老紳士は続ける。
「さて、第一の課題が終わってから殆ど直後、同僚達の愚かな会話を振り切って私はここに来た。我が母校ホグワーツの湖、その畔にだ。そして君が知っているかは知らないが、私は魔法省国際魔法協力部部長として多忙な身であり、自身の仕事に相応の責任感を持っている。我が同輩たるルード・バグマンと違ってな」
「……まさか、貴方がここに居る理由を推理しろと?」
「そのまさかだ」
……老人が若者を試したがるのは何時もの事だ。
そして、その内容が悪辣で有り過ぎるのも。
「では僕は推理するまでも無い解答を紡ぎましょう。つまり、貴方はただで気晴らしでここに来た。何の理由も無く、ここを訪れた。それ以上でも以下でも無い」
彼等の──貴族の試験に真正面から付き合う事程に無意味な物は無い。
別に正解か不正解かは重要では無く、そもそも彼等の中において、回答者を正解と不正解の何れに振り分けるかどうかは初めから決まっているからだ。
「第二の課題が行われるまで後三か月です。期間が空くからこそ時間の余裕が有りますし、それに伴う環境の変化も見込まれる。今から下見を行うような真似をする方が馬鹿です。故に、普通の人間は、三大魔法学校対抗試合の審査員がわざわざ、いえ、たまたま湖に足を運んでそれを眺めているからと言って、それを試合内容に──具体的には第二の課題が行われる場所だと言う発想に結び付けるなどという馬鹿な事はしない」
「だからこそ、気晴らしかね?」
「ええ、全てに万全を期さないと済まない程に神経質な性格で、かつ二十四時間仕事だけを考える中毒的な人間で有ったとしても、そんな事は有り得ない」
……願掛け、という謎めいた言葉が少々不安では有ったが。
それを踏まえた解答は流石に求められてはいない筈だった。
「そもそも僕が三校の一生徒で有る事を考えれば、仮に間違いだったとしても、課題内容を示唆するような不正と取られかねない行動自体が論外だ。
「──そうだな。それは真っ当で正しい解答だ」
僕の揶揄を正確に受け取って、厳めしい表情のまま老紳士は頷く。
「そして、君は理解しているようだが、〝我々〟にとって正しいかどうかは些事だと言える。世間一般の正解や不正解、或いは善や悪など無価値でしかない。大事なのは──」
「──貴方がたが、どう規定するか」
「そうだ。もっとも、現状では、既にそれを守護し切れてなどいないがね」
彼は再度湖の方を──郷愁などでは無く、冷徹な観察の視線で見やった後、改めて僕の方へと向き直った。
その老紳士が本調子で無いのは明らかだった。
向かい合ってみれば、いよいよ死期が訪れんとしている老人のように見えた。
しかし、決定的に気品を喪っていなかったし、次の言葉が朗々かつ堂々たるものであったのは、彼がその手の挨拶──社交かつ威嚇──には何十年も慣れ親しんでいたが故だろう。
肉体に刷り込まれて本能まで至った行動は、体調や気分の上下程度で霞むものでは無い。
「私はバーテミウス・クラウチという。今は魔法省の国際魔法協力部部長、そして今回の三大魔法学校対抗試合では運営の統括及び協議の審判役を務めている」
……彼は落ちたとは言え権力者であり、必然的帰結として有名人であり、そもそも年上かつ目上の彼が先に名乗るというのは、必要性どころか礼儀の面から見ても外れている。第一、先の口上は、〝純血〟の人間、貴族の人間として相応しい名乗り上げなどでは無い。
だが、敢えてそうしたのは、当然の事ながら、僕を試す為だった。一応の礼儀を知る名有りの生徒か、礼儀知らずのままの名無しの生徒であるのか、彼は僕に選ばせようとしている。少なくとも、単なるホグワーツ生であると認識するつもりは無いと表明している。
これは、果たして幸運と言うべきなのだろうか。
尾行はすれどもこの老紳士がボロを出す事を期待してはいなかったし、ましてやこうして、有象無象以上の個人として会話出来るとは思って居なかった。
だが。
「スティーブン・レッドフィールド。貴方のように輝かしい功績も立派な肩書も持っていない、単なるスリザリン生ですよ」
僕は名乗った。
当然の事として、彼の前で己の存在を示す事を躊躇いはしなかった。
「まずは、
静かに、だが揺ぎない意思と共に、バーテミウス・クラウチ氏は言った。
「何も、私は伊達や酔狂で先の試験をした訳では無い。少なくとも、君が単なるスリザリンで有れば、あのような質問をしなかった。つまり、私がこうして母校の湖を眺めているのは、第二の課題に関わるからなのでは無いかと」
「……口にすべきではない。それは既に御互いの共通理解だった筈ですが」
「何、私は規則を破るのを好まない。私は君の勝手な推論を口にしただけだ」
僕の皮肉に対し貴族としての傲岸さを遺憾無く発揮して、老紳士は平然と告げる。
「規則は、それが明快に制定されているのであれば、厳格に適用されるべきだ。ホグワーツの学生、いや、部外者全てに対し、三大魔法学校対抗試合の課題の内容に関わる情報を公開する事は一切が禁じられている。魔法省の役人は当然、三校の教授や校長全ての者が、同意の下に拘束されている。少なくとも、建前上は」
建前上。
……嗚呼、正しく貴族が好む表現だ。
何時如何なる時でも語られぬ闇が存在する事を、例外的場合が有り得るという事を、彼等特権階級は良く知っている。
「しかし、私は第一の課題においてその原則が破られたと推測している。勿論、証拠は無い。無いが、この私が何ら疑いを持ち得ないような無能だと考えて貰っては困るものだ」
「……証拠は無いのに断言しても良いのですか? それも、部外者の前で」
「何、君が正しくスリザリンで有るならば当然に疑っているだろうし、その上で、仮に不正が有ったとしても些細な事だと考える事だろう? それと共に、不正は規制出来なかった方もまた愚かなのだと、そう結論付けるだろう?」
「…………」
「実際、第一の課題に纏わる防諜体制は御粗末なものだった。まあ、それで良かったかも知れん。現実は理想に優先される。代表選手がドラゴンに喰われる事故が起こるよりは許容範囲だとして見逃す事は、何ら批難される訳でも有るまい」
……正気とは思えない程に過激だった、第一の課題。
しかし、代表選手全てが見事に課題を達成し、かつ大いに盛り上がりを博したという結果から見れば、三百年振りの親交試合としては確かに大成功だと評せるだろう。
「だから、私が多少ホグワーツの生徒と言葉を交わした所で、誰に文句を言われる筋合いも無い。私は依然として課題の内容について何も語っていないし、私の言葉から君が推量出来る範囲も限られている」
「……まあ、それは確かにそうかも知れませんが」
確かに否定しきれない事実では有る。
「仮に第二の課題がここで、湖で行われるのが正しかろうとも、何が代表選手に要求されるかまでは実際僕には推測出来ない。安直に考えるならば湖の中で試験が行われるといった所ですが、そもそも第一の課題は外部からドラゴンを連れてきた訳ですからね。単純に舞台でしかないとも考え得る」
「そういう事だ。そして何が行われるか解ったとしても、代表選手が正しく対応出来る訳では無い。三校試合は教科書を持ち込んで満点を取れるようなテストでは無いのだ」
「だから、公平性は害され過ぎない。あくまで許容出来る範囲に留まり得る」
「──そして何より、私は君が誰かに情報を漏らすような人間では無いと確信している」
「…………」
僕の言葉を封じるように紡がれた力強い言葉。
その裏に存在していたのは、決して僕の人格への信頼では無い。
自身が有する観察眼、数十年の時で構築してきた己への信仰だった。
「君が単なるスリザリンであれば、私はさっさとここから立ち去っていただろう。仮に君が〝純血〟で有ったとしても変わりはない。他人を尾行するような不愉快な一生徒に時間を費やす意味を見出しはしなかった」
この老紳士が、最初から僕が純血で無いのを見抜いているのは何ら驚くに値しない。
本物の〝
如何に仲間や同輩で有っても、純血でない人間は下等であり、二流。それはスリザリン寮において揺るがない階級社会の実情である。
ただ、
「しかしながら、君は違う。因果な事に、君は異端のスリザリンだった」
老紳士はそれだけには焦点を置かなかった。
それ以外にこそ、バーテミウス・クラウチ氏は意味を見出した。
「……そう言えば、貴方は最初から僕をそう表現していましたね」
異端。正統では無い者。
「はっきり言って初対面ですよね? まさか、僕の存在を知っていたという訳では無いでしょう? 貴方が知る動機も無いし、僕の事を喋る人間にも思い当たらない」
「当然だ。たかが一生徒に関心を持つ程私は暇では無い。魔法省の役人としても、クラウチとしても。だから、私が君の存在を知ったのはつい先程の話だというのは、間違いなく確かだ」
「ならば、何故僕をそう呼ぶのです? 別に変な事は──」
「バッジだ」
その老紳士、貴族中の貴族は端的に言った。
その一語は、胸の奥底に煮え滾る苛立ちを隠し切れていなかった。
「私は審査員としてあの場所に座り、三校の生徒達がそれぞれ自校を応援しているのを見ていた。当然の事ながら、嫌に輝くバッジをホグワーツ生が着けているのも眼にしたし、それがどんな類の物かを気にする程度には、世俗や社会に注意を払っているつもりだ」
「…………」
「当然スリザリンも着けていた。嗚呼、言い訳は要らない。ハッフルパフとスリザリンが着けている物が同一であるかというのを判断出来る眼は持っている」
貴族においては観察力と注意力の有無が社会的な生死に繋がり得る。
そして、生まれ落ちた瞬間から政治の生存競争に身を置き続けてきた彼は、当たり前のようにそれを見出した。
「しかし、君は着けていない。第一の課題が終わった後、バーテミウス・クラウチを尾行しようと考えたスリザリンである君のローブには、何故だかそれが無い」
……当然ながら、僕が着けていない意味についても。
僕が考えている以上に、この老紳士は、それを重大な物と受け止めていた。
「三大魔法学校対抗試合において、スリザリンは本来利害関係を持っていない。特にこの十数年の流れの中では、自校だからと言って短絡的にホグワーツを応援するような殊勝さを持ち得ない。だが、スリザリンは全体主義的に、聖二十八族でも無い
敢えて濁したようだが、それでもこの老紳士は、それが誰だか把握しているようだった。
「……随分、スリザリンと言う物を正確に把握しているのですね。貴方は──」
「──下らん問いだ。私は、自分が何処の寮に所属していたかを自ら語る気は無い」
ホグワーツ出身者が当然にする筈の問い。
けれども老紳士は、僕の言葉が紡がれる事自体を拒絶した。彼の表情に浮かんだのは苛立ちのみでは無い。強烈な嫌悪であり、深い憎悪だった。
「私はアラスターとは違う。つまり、己の事について他人が余計に吹聴しそうになると呪いをかけ始めるような人間では無い。だから君が調べれば当然に私の寮を知る事は出来るだろうし、その行為までを止める気もまた無い」
「…………」
「だが、私はそれ自体に価値を見出さない。絶対に、断じて」
苛立ちを超え、憎悪すら滲ませて、バーテミウス・クラウチ氏は切って捨てる。
「いいか、
「────」
「この国の者、ホグワーツを母校とする者は、口を開けば必ずそれを聞きたがる。しかし、私が貴族としてどれだけの時間を生き、また何年魔法省で過ごしたと思って居る? その私からすれば、全く愚劣の思考でしかない」
……奇遇であり、奇縁でもある。
まさにその名前の人物は自寮が何処かを語らず──しかし、この老紳士は、結論としては同じで有りながら、寮の詮索を拒絶する理由について明確に立場を異にしている。
「そして、私はそれ以上に古い〝純血〟の名家の当主なのだ。我々貴族が、その子供が取るような行動など熟知している。スリザリンが全体で動く時にはその背後には間違いなく誰かが居り、その決定は背信者を許す程には軽々しい物では無い」
「……彼の統制が絶対かという点に異論の余地は有りそうですが。まあ、良いでしょう」
自寮が何処であるかと同様に、それを語らない立場を取るというのもまた重い。価値判断をそこには置かないというのも、それはそれで価値判断の一つなのだから。
「ただ、僕が今バッジを付けていないからと言って、事前に外した可能性は? 確かに僕は第一の課題が終わって以降、貴方に着目し、尾行してきましたが、貴方の前に姿を現す際に外したという可能性は?」
「それを検討する事に意味が有るかね?」
試すように紡いだ疑問に対し、返って来たのは蒙昧に対する更なる苛立ちだった。
「仮にそうだったしても、それが意味する事は、君があのバッジを大人に見られたくない程恥ずかしい物だと判断したという事だ。であれば、私にとっては何も変わらない。スリザリンの全体から外れ、逸脱する事に対し、何ら躊躇をしないという意味では」
確かに、それは否定しえなかった。
この老紳士が語るように、僕が提示した二つに大きな差異は無い。
「そもそもバッジの着用の有無は、それは単なる気付きを超えない。偶々バッジを落とした、或いはハリー・ポッターの活躍を見て外したというのも有り得る」
「けれども、貴方は殆ど最初から僕を異端と呼んだ」
「見ていれば解る。そして幾らか言葉を交わせば十分に過ぎる」
老紳士は鼻を鳴らして嘲笑した。
「良いか、私はバーテミウス・クラウチだぞ……! 尾行を咎められたにも拘わらず大きな動揺を見せず、平気で会話を続けられる純血以外がどれだけ居ると思って居る? しかも、単なる無礼では無く、我々の流儀を理解しようとする心意気も──たとえそれが少々見当違いの部分が有るとしても──持とうとしている。その在り様が異端と言わずして何と言う?」
人差し指を優雅に立てながら、老紳士は敢えて強調した形で前置きして次を紡いだ。
「君は純血では無い」
その断言には威迫が有り、重圧を伴っていた。
「家名、言葉、所作、思想等々。我々が生来継承し、かつ物心付くより前から本能に刻み付けてきたそれらを、純血の家以外に生まれ持った人間は持ち得ない。そしてまた、たかだか数年のスリザリン生活程度で模倣など出来はしない。たとえ公然と言葉に昇らせなくとも、寛容にも見逃していても、〝純血〟は内心でもって確かに真実を知っている」
眼前のクラウチ家当主は間違いなく純血であり、貴族中の貴族であるからこそ、それを偽る事は出来ない。僕が嘘を吐いた所で一笑に付されるだけだろうし、彼等には彼等なりの試験方法を有している。
「だが、我々にも判断し得ない事は有る。〝純血〟はその差異を重く受け止めないが、あの魔法戦争に一応の始末を付け、この十数年を見て来た者として無関心で居られない事が有る。つまりだ。君は半純血なのかね? それともマグル生まれなのかね?」
「……半純血ですよ」
「寮の人間はそれを?」
「…………知っていますよ。僕が半純血で有る事を知らない人間は皆無です」
「
驚愕を通り越して畏怖と共に、バーテミウス・クラウチ氏は真剣に吐露した。
「私にとって君がマグル生まれに見えた事は別に良い。だが、私としてはそちらの方が自然とすら思える。マグル生まれが侮蔑され、排除され、異端視されるのは当然だ。だが、半純血である君が、魔法戦争後の今においてそうである事は有ってはならないのだ」
……お前はマグル生まれであるよりも異常だと。
老紳士の言葉はどう聞いても、そう告げているように聞こえた。
「半純血は一般にスリザリンから受け容れられている。一流として扱われはしないが、それでも一員でないと真正面から否定される事は無い。その理由は、既に半純血の数が無視出来る物ではないという事もだが、今現在において最も大きい要因は、闇の帝王治世下においては
……純血主義。
その字面に反して、それは完全なる純血以外の根絶を意味しなかった。
聖二十八族を当然に、純血を自称する者達が死喰い人の中核を占めていたにも拘わらず。完全無欠の教条を掲げても何ら支障が無いと思えるというのに、闇の帝王は半純血の許容を選択した。何れそこに行き着くかもしれないとしても、魔法戦争時点では
「だと言うのに、君は異端だ」
集団の中に在ってはならない。
「君はスリザリンから外れている。それを齎した理由には、何らかの発端が有ったのかも知れない。しかし、普通ならばそれはホグワーツでの寮生活を過ごす中で解消されるべき物だ。〝純血〟もその方針を受け容れるのに吝かでは無い。君はマグル生まれでは無く、確かな魔法使いの血を引く半純血で、スリザリンの一員足り得る者なのだから」
「…………」
「けれども、君の異端さは維持され続けているようだ。逸脱する事を躊躇せず、独自の在り様を喪わない。私からすれば、それは発端など関係無い。どういう経緯や理由を辿ろうとも、君の人格と資質は間違いなくその状況に君を追い込んだ筈だ」
そもそも僕が最初にこうなったのは、聖二十八族において現在筆頭的な地位に有るマルフォイが珍しく親身に言葉を交わす事を選択したからだった。今の時点においても、あれが──マダム・マルキン服飾店での偶然的な交錯が無ければ、という思いを抱いているのは事実だ。
けれども、バーテミウス・クラウチ氏は、貴族的な老獪さを有する紳士は、不愉快さを全く隠す事無く言う。
最初から異端であるが故に、遅かれ早かれそうなったと。
「……それで、貴方は僕に何が言いたいのです? 正統と異端の差異は相対的なものであり、そもそも僕が異端だったとして、その指摘に何か意味が有るのです?」
「意味など無い」
老紳士は、突き放した調子で断言する。
断言して、真正面から僕の眼を見詰める。心を飲み込まんとする。
開心術や服従の呪文と言った、純度の低い支配では無い。連綿と続いてきた貴族と奴隷、その関係性でもって、彼は僕へと臨んでいる。
「しかし、私が君と多少の雑談をする気になった所で、君自身に問題が生じるのかね? 君は私を尾行して来たのだ。異端のスリザリンである君が、だ。故に、君の選択は二つだ。老人の戯言を黙って聞くか、或いはここから直ぐに立ち去るか」
詰め寄る彼の表情はやはり酷い有様だ。
一貫して血の気が通っていなかった表情は余計に蒼白で、死蝋同然の不気味で劣悪な状態を呈している。如何に仕事人間と言っても、これを他人に見せる事自体が貴族として怠慢であり、堕落であり、弱点の誇示だと判断されかねない程の、〝クラウチ〟としては本来絶対に見せてはならない姿の筈である。
だが、それでも尚、彼が〝貴種〟足る事を喪っているようには見えなかった。
どんなに本調子で無かろうと、精彩を欠いていようと、貴族以外の凡俗が一般的にどう思われようとも、誇り高き矜持と意地の下に立ち、純血の貴族としてそうでない者の前に人が在るべき姿を見せつけ──しかしどういう訳か、何処となく、僕にそれを理解する事を求めている節ですら有る。
その疑問を、解消し得るような解答は、今の僕には思いつかない。推量する材料すらも、僕には見つけられない。そして、眼前の老紳士、バーテミウス・クラウチという男も、それを与える気は無いらしかった。
多くを置き去りしたままに、爽快なまでの唐突さのままに、
「──君達がどんな存在で有るかを、〝我々〟は良く知っている」
沈黙の下での傾聴を選択した僕の前で、そんな口上から、彼の教示は始まった。