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東工大・上田紀行副学長「リベラルアーツ教育導入で何が変わったか」

2022.06.16

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中村 正史
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文系、理系の壁を超えた大学教育が求められています。国立大学でその先頭を走るのが、国内の理工系大学でトップ水準の研究力を持つ東京工業大学です。2016年からリベラルアーツ教育(教養教育)を導入し、独自のカリキュラムを提供してきました。6年経って、学生や教員にどんな変化が起きたのでしょうか。その責任者を務めてきた文化人類学者の上田紀行副学長に、日本の大学の課題を含めて聞きました。(写真は、学生の国際交流拠点などの新しい建物ができた東京工業大学の大岡山キャンパス)

上田紀行さん

話を聞いた人

上田紀行さん

東京工業大学副学長、リベラルアーツ研究教育院教授

(うえだ・のりゆき)東京大学教養学部卒、同大学院総合文化研究科博士課程単位取得退学。博士(医学)。愛媛大学助教授を経て、1996年、東京工業大学大学院社会理工学研究科助教授。2012年、リベラルアーツセンター教授。16年、リベラルアーツ研究教育院長。22年4月から副学長(文理共創戦略担当)。専門は文化人類学。

入学直後から大学院博士課程まで継続

――2016年からリベラルアーツ教育を導入して6年になります。最初の学生が大学院修士課程を終えたところですが、学生に変化はありましたか。

学生は相当変わりました。最初の1、2年で、「学生が明るくなった」と学内で言われました。また、学生が本を読むようになり、大学生協の人文社会書の4、5月の2カ月の購入冊数は2015年が75冊だったのが、16年に750冊、17年に1750冊になりました。

東工大のリベラルアーツ教育は「コア学修科目」が柱で、入学するとすぐに必修の「立志プロジェクト」があります。著名講師が木曜に大人数講義(550人×2)を行い、翌週の月曜に28人ずつ41クラスに分かれてグループワークを行い、語り合います。

学部3年で必修の「教養卒論」があり、再び1年次と同じグループになります。5千~1万字の論文を書き、修士課程の大学院生のピアレビュー(査読)を受けます。

――リベラルアーツ研究教育院には、池上彰(政治学)、伊藤亜紗(美学)、中島岳志(政治学)、中野民夫(コミュニケーション論)、磯崎憲一郎(文学)ら著名な研究者がそろっています。入学直後から、そういう人たちに教えてもらうとは、学生は恵まれていますね。

これだけのスタッフが41のクラス担任を分担して務めます。他大学の教員からは「理工系の1年生のクラス担任によくなってくれましたね」と驚かれます。

私が学生の頃は、大教室で教員の話を聞くだけでした。東工大では、入学直後から「立志プロジェクト」を通じて学生同士で語り合います。その結果、学生は様々なことに関わることに積極的になり、社会に向き合うマインドが強くなりました。

立志プロジェクトの授業風景=東京工業大学提供
立志プロジェクトの授業風景=東京工業大学提供

――理工系の国立大学では最上位の研究水準にある東工大で、リベラルアーツ教育を行うのはなぜですか。

東工大に入ってくる学生は、性能の高いCPU(中央演算処理装置)を積んでいます。ただ、入ってくるデータが少ない。少ないデータで、性能の高いCPUを動かすので、フェイクニュースに弱くなります。オウム真理教の信者の中にも、高学歴の理工系の出身者がいました。理工系出身者は、洗脳されやすい面を持っていると感じています。

東工大では、学部1年から大学院博士課程まで継続する「コア学修科目」を通して、答えのない問いに向き合い、物事を批判的・創造的にとらえる力を徹底して養います。ただ、この2年間はコロナでオンライン授業になり、やや停滞しているのを懸念しています。

――教員の変化はありましたか。

教員もすごく変わりました。リベラルアーツ研究教育院は、それまで社会理工学研究科の人文社会系、外国語研究教育センター、教職課程、留学センターなど六つの組織に所属していた教員が合流してできました。教員は所属が変わるだけでなく、クラス担任も務めることになります。所属が変わるのを嫌がった教員もいました。しかし、リベラルアーツ研究教育院に移った教員たちは、自分たちが約1万人の学生のリベラルアーツを担っている、全学的な教育の太い幹になっているという意識を強く持ちました。

東工大の教員約1100人のうち、同研究教育院の教員は六十数人です。理工系の専門科目の教員は、東工大のリベラルアーツ教育がこれほど有名になるとは夢にも思っていなかったと思いますが、学外からも「すごいね」と言われるようになり、東工大はすごい教育をしていると捉えている教員と、どうしてこんな教育をしなければいけないのかと思っている教員に分かれていると思います。

「コア学修科目」は大学院まであり、博士課程でも専門をばらして4、5人のグループをつくります。SDGsの目標である「貧困をなくそう」などを学んで発表し、グランプリを選びます。過去には教員から「その時間はゼミをやっているので、学生は出せない」と言われたこともあり、今も大学院までリベラルアーツ教育をすることに抵抗のある教員もいると思います。

ただ、リベラルアーツ教育は、学長はじめ大学執行部が全面的に推進してきたので、多くの教員は今さら引き返せないと感じているようです。

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