1993年に開幕したJリーグはことし30年目のシーズンを迎えています。リーグ元年から名古屋グランパスでゴールキーパーとして活躍した伊藤裕二さんは、いま高校サッカーの指導者です。かつてグランパスでともに戦った名将の教えを胸に、次の時代を担う若者たちの指導に情熱を注いでいます。シリーズ「30年目のいま」、第2回は伊藤裕二さんに迫ります。
伊藤裕二さんは三重県の出身。高校を卒業したあと、Jリーグの前身である旧日本リーグのヤンマーディーゼルでプレーし、Jリーグの発足に伴い名古屋グランパスに加入しました。
伊藤さんの名をとどろかせたのが、勝敗を決するために行われたPK戦での活躍です。
Jリーグは当初、引き分けを採用せず、90分間で決着がつかないときはゴールデンゴール方式の延長戦に。それでも決着がつかないときはPK戦を行い、勝敗を決していました。
Jリーグ元年の1993年、グランパスにとって初のホームゲームとなった横浜マリノス戦は雨の中での試合となりました。ピッチの多くの場所に水たまりができるほどの過酷なコンディション。1対1のまま延長戦でも決着がつかず、勝負はPK戦に。
相手の5人目のシュートは、伊藤さんがジャンプしたのとは逆方向でしたが、ゴール前の水たまりにつかまってボールが失速。伊藤さんは体を起こすと、すかさず反対側に飛び、ラインのギリギリでボールをかき出しました。このプレーで、チームを記念すべきホーム初勝利に導いたのです。
さらに2年後の1995年。浦和レッズ戦ではPK戦に入ってもなかなか決着がつきませんでした。なんと14人目のキッカーまでもつれこみます。最後は伊藤さんが相手のシュートを止めて、死闘を制しました。
伊藤さんが活躍したJリーグ初期。グランパスは2年連続で成績は下から2番目と、苦しい時代を過ごしました。
伊藤裕二さん
「当時のグランパスは、日本リーグのトヨタ自動車を母体に、大学や高校の新卒選手、それに私のように他のチームから来た選手がいて寄せ集めみたいな部分がありました。まだまだチームとしては出来上がっていなかったのです。常に下位争いをしていて、このまま本当にどこまでいくんだろうなっという不安もありました」
そうした中、グランパスにとって大きなターニングポイントになったのが、アーセン・ベンゲル監督の就任でした。ベンゲル監督は後にイングランドの強豪アーセナルで数々のタイトルを獲得した世界的名将ですが、当時は45歳。新進気鋭の指導者でした。
ベンゲル監督が、グランパスを率いたのは1995年から96年の途中までのわずか2年弱。しかし、この短時間でチームを大きく変えます。
まずは練習時間です。それまでの半分に短縮し、量より質にこだわりました。
選手たちへの指示もそうです。全部を伝えるのではなく要点だけを指示し、選手自らが状況をよく観察し、その瞬間にすべきことを判断し、行動するよう求めたのです。
伊藤裕二さん
「常に頭と体が動いているような感じがあったので。充実感というかそういったものが非常に高かったですね」
それぞれが考えて動くチームに変貌したグランパスは、ベンゲル監督就任1年目の天皇杯でいきなり優勝。チームに念願の初タイトルをもたらしました。
当時キャプテンを務めていた伊藤さんは、ベンゲル監督のもとでのグランパスの雰囲気をこう振り返ります。
伊藤裕二さん
「ベンゲルさんは、本当にシンプルに色んなことを伝えてくださるので非常にわかりやすかったですし、選手全員が伸び伸びと楽しそうにサッカーをしていた。自分たちが成長していることをすごく感じられる時期だった」
伊藤さんは、現役引退後、指導者の道に進みます。
2010年にはコーチとしてグランパスのJ1初優勝に貢献し、8年前には中部大学第一高校サッカー部の監督に就任しました。そして去年、創部54年にして初めてチームを全国高校サッカー選手権に導いたのです。
伊藤さんが指導者として意識してきたのは、自身を成長させてくれたベンゲル監督の教えです。
掲げたスローガンは「見て感じて動く」こと。
ベンゲル監督の指導を、伊藤さんなりに落とし込んだ言葉です。伊藤さんは、練習中、ヒントは出しても、「こうしろ」という指示は与えません。選手たちに自ら考えさせます。
伊藤裕二さん
「僕もそうやって指導を受けたように、例えば3つ位のキーワードを与えてあげると、選手たちの中で大枠はありながらも、枝葉のところは自分たちで見つけだしていくんですよね。自分たちにそういう主導権がないと、やっている方は楽しくないと思うんですよね。サッカーというのは言われてからでは遅くて、外から言われた時には、その現象はもうすでに遅れてしまっている。だから自分でしっかりと視野を広く持って自分の判断でやっていってほしい。やっている選手たちが楽しければ、われわれ指導者の方も楽しいんです」
中部大学第一高校サッカー部員
「みんなサッカー大好きなのが出ているから、やっている方は楽しいです」
「監督の指示をもとに、自分たちで考えないといけないので、選手はやりやすいです」
伊藤さんが、ベンゲル監督の教えを胸に大切にしてきた「見て感じて動く」。Jリーグ30年目の今、伊藤さんは、これからもこの言葉と向き合い、子どもたちの育成に力を注いでいくつもりです。
伊藤裕二さん
「われわれプロってどんなものかも分からずプロリーグが始まって。その中で本当に未熟だったと思うんですよね。本当にベンゲルさんも我慢されたと思うんですよね。サッカーで生活をさせてもらった身として、これから恩返しをしていかないといけない。子どもたちがサッカー嫌いにならずに、その子たちのまた子どもたちがサッカーをするという循環を作っていきたいと思っています」
金城 均 アナウンサー(NHK名古屋放送局)
2005年入局後、金沢局・新潟局・京都局・仙台局を経て2020年から名古屋局
伊藤裕二さん
「PK戦は特に得意というわけではなかったんですけど、当時は決着をつけるという意味でPKがありました。それもまた歴史の1つだったなと思います」