カラータイマーのない、成田亨が描いたウルトラマンの原点。子息が明かす、マスク創作秘話と父親としての顔

  • 写真:宇田川 淳
  • 文:幕田けいた(インタビュー)、工藤健志(青森県立美術館・作品解説)
  • 協力:青森県立美術館

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映画『シン・ウルトラマン』で半世紀以上の時を超えて蘇るウルトラマン。企画・脚本を務める庵野秀明が『シン・ウルトラマン』のデザインコンセプトにおいて目指したのが、成田亨が描いた“原点”への回帰だった。かつて演出上で重要な役割を担ったカラータイマーは存在せず、スーツのファスナーを隠すための背びれもない。

美術総監督の役割を担い、ウルトラマンや数々の怪獣をデザインした成田亨の芸術家としてのこだわりと情熱、そして父としての横顔を、子息の成田浬(かいり)さんに語ってもらった。不遇な時代も含め、そばで見続けてきた肉親だけに明かした創作の原点など、成田亨と親交のあったライターの幕田けいたが話を訊く。

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『真実と正義と美の化身』成田 亨 1983年/ギリシャ哲学的な秩序と調和をコンセプトにデザインされたウルトラマン。成田は1980年代に経済の発展と科学の進歩を盲信する時代へ警鐘を鳴らすかのように、人間が本来あるべき「真善美」の姿を突きつけた。その荒々しい筆致からは成田の深い悲しみ、怒りの感情が読み取れよう。庵野秀明の企画により、本作の複製絵画を受注制作にて販売。詳細は下記、アニメ特撮アーカイブ機構(ATAC)のサイトにて。https://atac.or.jp/narita-art/

『シン・ウルトラマン」で表現された、成田亨が夢見た理想のウルトラマン

1966年の放送開始から56年。世代を超えていまもなお愛され続け、国民的ヒーローとも言える『ウルトラマン』。そして、『シン・ウルトラマン』の製作を機に、改めてその名が着目されたのが、芸術家・成田亨である。ウルトラマンをデザインし、さまざまな怪獣のビジュアル面の生みの親である成田は、初代『ウルトラマン』の美術総監督の役割を担った人物だ。

そのキャリアを簡単に振り返ろう。旧制青森中学(現・青森高校)在学中から洋画家・阿部合成に師事した成田は、武蔵野美術学校(現:武蔵野美術大学)に入学。研究科在籍中、日本初の本格怪獣映画『ゴジラ』に美術スタッフのアルバイトとして参加する。これを機に、東宝だけでなく大映や松竹、東映などの特撮美術に携わり、60年、東映の特撮美術監督に就任。65年に、円谷英二に誘われて「ウルトラQ」に参加する。続く『ウルトラマン』『ウルトラセブン』では、実質的な美術総監督として企画段階から関わり、ウルトラマンをはじめとするキャラクターや怪獣、メカ、防衛隊のコスチュームや基地のセットにいたるまでをデザイン。後の特撮作品に多大なる影響を残した。

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成田 亨●1929年、兵庫県神戸市に生まれ、年末に青森市へ転居。54年、武蔵野美術学校(現:武蔵野美術大学)卒業。彫刻家、画家として活躍する一方、ウルトラシリーズをはじめ特撮美術の分野でも大きな功績を残した。2002年、東京にて死去(享年72)。

庵野秀明が、「成田亨氏が描いた『真実と正義と美の化身』を観た瞬間に感じた『この美しさを何とか映像に出来ないか』という想いが、今作のデザインコンセプトの原点でした」と表明したように、映画『シン・ウルトラマン』に登場するウルトラマンは、成田が目指した理想を具現化したものと言える。息子である成田浬さんにとっても『シン・ウルトラマン』は感慨深いものがあるようだ。

「父は、『真実と正義と美の化身』という絵を描いていますが、この絵画を映画にしたいと、企画の庵野秀明さんに仰っていただいたんです。あの絵には、父のいろんな思いがこもっているので、そこから庵野さんがインスピレーションを得られたのは、すごく嬉しかったですね」

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せびれがなくシームレスな『シン・ウルトラマン』におけるウルトラマンの姿。目の覗き穴もない。©2022「シン・ウルトラマン」製作委員会 ©円谷プロ

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カラータイマーのない、成田亨が描いたウルトラマンの原点。子息が明かす、マスク創作秘話と父親としての顔

  • 写真:宇田川 淳
  • 文:幕田けいた(インタビュー)、工藤健志(青森県立美術館・作品解説)
  • 協力:青森県立美術館

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