「小狡い嫌な奴」が誰よりも似合った
「悪役ってのは、一面的じゃないから楽しいんだ。人には必ず、他人から見たら滑稽だったり変に見えるところがある。それを膨らませて演じなきゃならない」
金子信雄はかつて、自身の悪役論をそう語っている。
彼が俳優業をスタートさせたのは戦時中、文学座でだった。'50年代は主人公のいけ好かない恋敵や軽薄な男、'60年代は日活映画で石原裕次郎や小林旭ら銀幕スターの敵役と、若い頃から徹底して脇役、それも憎まれ役を演じてきた。
そして俳優として脂の乗った'70年代。50代の金子の持ち役といえば、狡くてセコくてスケベな上役がお決まりになった。それを決定づけたのが、『仁義なき戦い』('73年)の山守親分役だ。
ときには子分を泣き落とし、しょげてみせる。そうかと思えば鋭く恫喝する。そして、ヤクザの抗争の中しぶとく最後まで生き残る。金子の発案で赤っ鼻に化粧して演じた山守親分は、『仁義』の「陰の主役」と呼ばれるほどの人気となった。