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2022年4月 |
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立命館大学衣笠総合研究機構専門研究員着任。 |
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2021年6月 |
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「一般社団法人脳損傷者ケアリング・コミュニティ学会」理事退任。 |
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2020年3月 |
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「一般社団法人わをん」を立ち上げ、代表理事に就任。 |
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2019年5月 |
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立命館大学生存学研究所客員研究員としても、研究に携わる。 |
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2019年4月 |
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日本学術振興会特別研究員(PD)として、中央大学にて研究開始。
「特定非営利活動法人境を越えて」理事就任。 |
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2019年3月 |
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立命館大学大学院先端総合学術研究科先端総合学術専攻一貫制博士課程修了。博士論文「『発話困難な重度身体障がい者』の新たな自己決定概念について――天畠大輔が『情報生産者』になる過程を通して」。
「㈱Dai-job high」代表取締役辞任。 |
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2017年10月
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指定障害福祉サービス事業所「㈱Dai-job high」 を立ち上げ、代表取締役に就任。 |
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2015年10月 |
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「一般社団法人脳損傷者ケアリング・コミュニティ学会」理事に就任。 |
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2015年9月 |
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東京都武蔵野市にて一人暮らし開始。 |
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2012年5月 |
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「NPOダイジョブ+」代表として、東京都立光明特別支援学校の連絡協議会の委員に就任。 |
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2012年4月 |
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日本学術振興会特別研究員(DC1)として、研究開始。 |
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2011年8月 |
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2011年6月 |
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認定心理士資格を取得。 |
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2010年8月 |
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HK障害福祉賞45年を記念して出版された『雨のち曇り、そして晴れ〜障害を生きる13の物語』(NHK厚生文化事業団出版)において、自身の作品『「あ・か・さ・た・な」で大学に行く』が収録される。
武蔵野市御殿山の事業所を兼ねた新居へ引っ越し。 |
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2010年6月 |
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公益財団法人 在宅医療助成 勇美記念財団より助成金を受け、研究を始める。
「インターネットテレビ電話を活用した在宅療養患者の社会参加について 〜高等教育における重度障害学生への支援の取り組みから〜」 |
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2010年4月 |
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立命館大学大学院先端総合学術研究科入学。
重度障がい者として初めての大学院入学ということで京都新聞の一面に載る。 |
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2010年3月 |
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立命館大学大学院自己推薦入学試験を受験し合格。ルーテル学院大学退学。 |
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2009年7月 |
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ヘルパー派遣事業所の運営を目指して、会社設立。 |
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2009年4月 |
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ルーテル学院大学総合人間学部臨床心理学科へ編入。認定心理士の資格取得を目指す。
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2008年9月 |
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卒論完成、ルーテル学院大学卒業。卒業論文「わが国の肢体不自由養護学校高等部における進路支援のあり方について――障害者の大学進学を進めるためには」。年末にNHK障がい福祉賞・優秀賞受賞。ルーテル学院大学第一回パイオニア学長賞受賞。 |
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2006年9月 |
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医療過誤裁判結審「勝訴」する。 |
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2006年4月 |
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大学3年。障がい学生の大学生活をサポートする団体、LSS(ルーテル・サポート・サービス)を設立。その後、大学の公認団体に成長。 |
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2005年4月 |
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大学2年。社会福祉学科に編入。社会福祉、介護等の勉強を本格的に始める。 |
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2004年9月 |
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千葉市から大学の近郊である武蔵野市に転居。 |
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2004年4月 |
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ルーテル学院大学総合人間学部神学科合格。念願の大学入学を果たす。 |
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2003年2月 |
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ルーテル学院大学を特別な配慮で受験したが不合格。しかし大学は、1年間の聴講を勧めてくれた。来年再受験することを期して、1年間の徹底的な受験モードに。 |
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2002年9月 |
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大学受験の勉強をやりながら、幾つかの私大にアプローチしたが悉く断られる。ただルーテル学院大学だけ受験許可をもらう。 |
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2002年5月 |
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ボトックス治療で、拘縮した腕の筋肉は緩和し、歩行器で歩けるようになる。だが、3ヵ月過ぎると薬の効果は減少し、元の状態に。この治療を断念し、約5ヶ月で帰国。 |
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2002年2月 |
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家族で再渡米。シカゴのリハビリ病院に入院し、ボトックス治療を受ける。その後、病院近くにアパートを借り、病院に通う日々。 |
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2001年4月 |
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シカゴのリハビリ病院でドクターからの診察を受ける。ボトックス治療で治癒する可能性があることを言われ、取りあえず帰国する。 |
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2000年4月 |
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一筆啓上賞(日本一短い手紙)佳作入選。NHKイメージ番組として放映される。 |
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2000年3月 |
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千葉市袖ヶ浦養護学校高等部卒業。平日は家庭教師による勉強、およびドーマン法による数人のリハビリ、日曜日もリハビリという生活。 |
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1999年7月 |
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医療過誤裁判スタート。全国高校生作文コンクール佳作入選。 |
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1999年3月 |
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リハビリテーションセンターを退院。自宅から通学する。 |
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1997年4月 |
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千葉市袖ヶ浦養護学校高等部に進学。 |
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1996年12月 |
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千葉県立リハビリテーションセンターに転院。併設の千葉市袖ヶ浦養護学校中等部に入学し、病院から学校に通う。 |
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1996年8月 |
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ICUを出て、一般病棟に移る。四肢麻痺、発語不能、嚥下障がい、視覚障がい等多くの障がいを抱える。
はじめて「あ、か、さ、た、なコミュニケーション」で、自身の意思を母に伝えることができた。この年、一種一級最重度の障がい者と認定され、常時車椅子生活で、24時間介助を必要とするようになる。 |
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1996年5月 |
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ICUにて約3週間の昏睡状態。気管切開。横隔膜麻痺の疑いあり。意識は戻らない日々。 |
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1996年4月 |
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ストレスによる精神疾患および過換気症候群と誤診される。
再度救急搬送後、若年性急性糖尿病と診断され、急遽インシュリン投与を受けるが、処置が悪く、心停止(約20分)を起こす。ICUに搬送され、生死の境を迷う。 |
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1996年2月 |
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イギリス留学中に体調不良(ドクターストップ)で帰国。 |
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1994年4月 |
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千葉大学教育学部付属小学校を卒業後、同中学校入学。春休みはオーストラリアでホームステイをする。 |
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1981年12月 |
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広島県呉市安芸津町にて生まれる。 |