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戸惑う夕焼け色の髪をした少女の手を取って、微かに笑いながらブロンズ像の如き冴えざえとした美貌の青年アルジュナは言った。
「今でも貴女と出逢った日のことは鮮明に思い出せるのです。陰惨な血に濡れた轍によって隔てられていた私たち兄弟にとって穢れを知らない貴女という少女は光そのものでした。」
眩しくて眩しくて、目が潰れてしまいそうなのに何故だか目を逸らすことが出来ない太陽のような。命の輝きに満ちていた貴女。ようやくこの国で愛しい貴女を見つけた。
「私のことはどうかアルジュナと。貴女に名を呼ばれることは私にとって非常に喜ばしい。ですが貴女が望むというのであれば昔のようにブリハンナラと呼ばれることも吝かではありませんよ。」
弟の言葉に促されるように少女の肩を掴んだ大理石の彫像の如き青年カルナは頷いた。
「例えるなら闇夜に浮かぶ月のようだと思った。未だに身分の差が処遇を決めるあの国で。亡くなった俺の母は身分が低かったと言う。」
だから数多い兄弟のなかで俺はもっとも身分が低く。無きものとして扱われることには慣れていたつもりだったんだ。だが当たり前のようにお前が差し出した手が痛みに麻痺した心を慰めてくれた。
それは暗がりに惑う者を導く月のような。そんな優しさに俺は確かに惹かれたのだ。
「叶うのならばお前の側に居たいと。そう願うことは分不相応なのかもしれないが。それが俺の偽らざる本音なんだ。」
友である二人に先を越されたと焔が人の形になった如き青年アシュヴァッターマンは何処かバツが悪そうに頭を乱雑に掻き、少女の腕を掴んで引き寄せた。
「アンタは海原を行く船乗りが道標にすると言う星みたいな奴だった。俺には幼い頃から二人の気のおけない友が居た。」
互いに反目しあう親族に挟まれ。望まない争いを強いられる。そんな二人の境遇を憂いながらも子供だった俺にはただ怒ることしか出来なかった。
そんなときにアンタに出逢った。アンタは大人たちが作ったやけに深い溝を乗り越えて二人の友を連れ出してくれた。本当は俺がすべきことを、俺たちが咎められないように肩代わりするように。
君が二人のことを本気で案じて怒っていたから力を貸したいって思ったんだよと笑いながら。
アンタがなしたことは人に言わせれば小さなことなのかもしれない。だがアンタが居たから俺は自分がすべきことが分かったような気がした。
それはさながら空に輝く星のように俺はアンタにこれから自分が行くべき道を示されたのだから。
「俺に出来ることは怒ることだ。あらゆる理不尽に俺は怒り。声なき者の代弁者となろう。それで良いのだとアンタが俺に教えてくれたことだ。」
もっとも今のは『本物の藤丸立夏』に言いたかったことなんだけれどな。そう言って目の奥に底冷えする怒りを湛えて笑った彼らは『愛しい少女の姿を模した青年』を逃がす気はないと言うように。掴んだ手に、腕に、肩に力を込めたのだ。
その『青年』は内心冷や汗を流し出す。俺ってばもしかして地雷を踏み抜いたか。目の端に乾いた笑いを浮かべるコナンに『青年』はあの姉ちゃんに化けたら不味いって先に言っててくれよな名探偵と嘆いた。
何故この『青年』が立夏と言う少女の姿に成り済ましアルジュナたちに包囲されているのか話すには先ず数週間前に遡って警備会社であるシャドウボーダー・セキュリティ社に鈴木治郎吉氏が出した依頼から話す必要があるだろう。
園子ちゃんを連れてシャドウボーダー・セキュリティ本社を訪れたその人が鈴木治郎吉と名乗ったことで、私とジェームズ教授は顔を見合わせた。
鈴木治郎吉と言う人は園子ちゃんのお父さん。鈴木史郎さんと従兄弟で鈴木財閥の相談役を勤めている人だ。だが世間的に言えば鈴木財閥の相談役と言うよりも怪盗キッドに対する挑戦者として見られている節がある。
園子ちゃんが言うところによれば鈴木治郎吉氏は人力飛行機世界一周を成し遂げた際に怪盗キッドが起こした事件の記事に新聞の一面と二面を奪われて以来から怪盗キッドを捕まえることに執念を燃やしていて。
ビッグ・ジュエルと呼ばれる宝石を手に入れては怪盗キッドに挑戦状を叩きつけている。
今のところおじ様ってばキッド様に負け越してるんだけれどねと園子ちゃんは肩を竦めた。そんな治郎吉氏がシャドウボーダー・セキュリティに出したい依頼。しかも私とジェームズ教授を名指しで指命した訳とはなんなのか。
なにか厄介なことになりそうだネと予感めいたものを感じながら、ジェームズ教授は治郎吉氏に我々に依頼したいことはなにカナと問いかけた。
治郎吉氏は徐にお主たちは『ホープ・ダイヤモンド』と呼ばれている宝石を知っておるかねと懐から一枚の写真を取り出した。
写真に写された青いダイヤモンドにジェームズ教授はスミソニアン博物館にあるダイヤモンドのことであれば私も少なからず知っているヨと頷いた。
ジェームズ教授に目線で私が問い掛けると彼はホープ・ダイヤモンドについて。それでは講義の時間と行こうじゃないかと詳しく話し始めた。
「一般的に『ホープ・ダイヤモンド』と呼ばれるのは45. 52カラットのブルー・ダイヤモンドで。現在はスミソニアン自然史博物館が所有しているものだ。」
非常に美しいダイヤモンドだが世間的に見て、その美しさからではなく持ち主に死と不幸を振り撒く呪いの宝石と言う逸話が良く語られる代物だ。
そのダイヤモンドはインド南部のデカン高原にあるコーラルと言う街に住む農夫が。川の中から見つけたとされている。ダイヤモンドはヒンドゥー教の寺院で女神シータの彫像の目に嵌め込まれていた。
ところがフランス人のジャン=バティスト・タヴェルニエがこのダイヤモンドを購入したことから。ダイヤモンドの呪いは始まったと言われている。
タヴェルニエからダイヤはフランス王ルイ14世に渡り、後に孫のルイ15世の手元に渡るがフランス革命が起こると同時にルイ15世は天然痘で亡くなり。
次の持ち主であるルイ16世とマリー・アントワネットは処刑されることになる。
ダイヤは窃盗団に盗まれた後。行方知れずだったダイヤはアムステルダムの宝石店に持ち込まれたと言う。宝石商はカッティングを依頼されてダイヤを三つに割った。
だがカットした欠片を宝石商の息子が盗み出したことで父親である宝石商は自殺。盗みを働いた息子も父親の後を追ったと言われている。それから時が過ぎて1830年になった頃に宝石コレクターのヘンリー・フィリップ・ホープがダイヤを所有。
これを機にホープ・ダイヤモンドと名付けられることになるがダイヤを所有してから裕福な銀行家だったホープ家は没落。ダイヤは幾人かの手に渡るが。
とある宝石商は自動車事故で亡くなり、とあるトルコの王は革命により廃位し、とあるアメリカの資産家夫人は夫がアルコール依存症になり、息子は自動車に跳ねられ娘は睡眠薬の過剰摂取で亡くなるなどいずれも不自然な死と没落を遂げているが。
「最終的にハリー・ウィストンと言う人物がスミソニアン自然史博物館に寄贈した。そんな曰く付きの宝石だと言われているネ。」
実際のところは持ち主の一人だったと言うヘンリー・フィリップ・ホープの孫に当たるフランシス・ホープの離婚した妻メイ・ヘイヨーと言う人物がダイヤモンドの謎と言う本を執筆してダイヤの逸話を誇張して広めたらしい。
「ホープ・ダイヤモンドの最後の持ち主であるハリー・ウィストンに至っては常々仲間内でのジョークのネタにして笑っていたと言うくらいだったそうだヨ。」
「やはり儂の目に狂いはなかった!そこまで知っていると言うことは当然ホープ・ダイヤモンドがもうひとつ存在していると言う噂もお主は知っているのではないかな。」
「ルイ14世の手に渡ったときに二つにカットされたと言う話ならば聞いてはいるとも。しかしあくまでも噂でしかない筈ではなかったカネ?」
治郎吉氏はニヤリと笑いながら頷いた。左様。ダイヤがルイ14世の手元にあったときにカットされたと言う話は些か信憑性は低い。
だがフランス王家に渡る以前から二つにカットされていたとしたらどうかと腕を組んだ。
「ホープ・ダイヤモンドはヒンドゥー教の寺院で女神シータの瞳に嵌め込まれていたと言う。ならば当然ダイヤモンドも二つあって然るべき。」
「そうか。女神像の瞳は二つだったのか。だからダイヤモンドは二つあった可能性が高いってことですね。」
私が気づいたことに治郎吉氏は満足げにひとつ頷いてジェームズ教授に二枚目の写真を渡した。黄金の蓮の花を象った台に嵌め込まれた青みを帯びた美しいダイヤモンドこそがあのホープ・ダイヤモンドの片割れだと告げたのだ。
胸飾りだというそれを立夏は見たことがある気がした。立夏が記憶を呼び起こす前に治郎吉氏が話し出す。それはインドにおいて王族の血を引いているとも言われている大富豪の一族において跡継ぎが代々継承してきた宝。
「調べたところによればとあるヒンドゥー教の寺院が作り直された際に片目にだけダイヤモンドが嵌め込まれた女神シータ像もまたラクシュミー像に作り直され。」
ダイヤモンドは新たにラクシュミーの彫像の胸飾りにされた。だがあるとき寺院に盗賊が押し掛け、胸飾りに嵌め込まれていたダイヤが盗み出されたと言う。
「そんな最中に寺院を参詣に訪れた三人の青年の夢の中に涙する美しい女性の姿をしたラクシュミーが現れたと言う。」
三人の青年に夢枕に立ったラクシュミーは泣きながら言った。我が胸飾りを取り戻してくれたならば如何なる願いも叶えようと。
一人目の青年は尽きることなき幸運を望み、二人目の青年は一族の繁栄を望み、三人目の青年は心清らかなる乙女を妻にしたいと望んだ。
ラクシュミーは青年たちに願いを叶えようと確約したと言う。強盗は近隣で名を轟かせる悪名高き強盗団。手下は三百を越えるとされていた。そこで三人の青年は義兄弟の契りを交わし、協力して強盗団を退治することにしたと言う。
義兄弟として長兄になった青年は武勇に優れ、次兄となった青年は知恵が優れ、三男は民に慕われていた。それぞれの得手を利用して不得手を補い。
次兄が考えた作戦を長兄が実行し、三男が全体のサポートに回り見事三兄弟は強盗団を退治した。その日の夜に三人の夢の中に笑みを浮かべたラクシュミーが現れて三人が望んだ願いを叶えること。
「その証として三人には自分の胸飾りを預けると告げた。」
この日を境に長兄は常に幸運が付いて回るようになり次兄の一族は栄え、三男は夢で見たラクシュミーのように美しい乙女を嫁に迎えた。此処で終わればありきたりな英雄譚で終わったことだろう。
だが物語には続きがあった。長兄と次兄が手を結び三男から花嫁を奪ったのだ。三男が妻を得た直後に彼の父母が病を患った。父母の病を治すには多額の金がいる。
方々に金を借りて治療に手を尽くすが病は治らず思い悩む三男に声をかけたのは次兄。彼は義兄弟なのだから手を貸そうと親切を装い多額の金を貸し付けた。
そして噂を聞き付けて長兄が見舞いに来た翌日、三男の父母は急死したと言う。三男は突然の父母の死を嘆き悲しんだが三男を更なる悲劇が襲った。
次兄が借金の取り立てと称して三男の妻を強奪したのだ。騙したなと怒りを露にした三男に次兄は悪びれることなく騙される方が悪いのだと告げた。
三男の嘆きは怒りに代わり連れ拐われた妻を取り戻すべく長兄の屋敷に忍び込んだと言う。そこで三男は使用人が三男父母に長兄が毒を盛って殺したと耳にした。
高潔な長兄だけは味方だと信じていたが故に三男は激しく怒り狂い、宴の席に居た長兄と次兄を襲った。
だがこのとき三男の妻は二人を庇った。どうか彼らの話をお聞き下さいと諌める妻に三男は裏切られたと思い込み切りつけてしまう。
妻は倒れながらあんなものさえなければ或いはこのような悲劇はなかったのにと宴の席で上座に据えられたラクシュミーの胸飾りに触れて絶命した。次兄は倒れた三男の妻に叫んだと言う。死ぬな妹よと。
そこで三男は自分の妻が次兄の腹違いの妹であることを知った。呆然とする三男に長兄は言った。
お前の父母は病などではなくお前に多額の金を集めさせ、陰では豪遊三昧だったのだと。だが遊ぶ金が尽きるとラクシュミーの胸飾りを売却しようとしていたと語った。
人を疑うことがない三男に人を疑うことも必要だと教えるため次兄が一計を案じ、きっと怒りながらも屋敷を訪ねて来るだろう三男にことの次第を告げる筈だったと。
真実を知った三男は深い後悔に苛まれた。怒りに我を忘れ義兄弟を信じることも出来ず、挙げ句に妻を殺してしまった己を恥じ。三男は自ら命を絶とうとした。それを長兄が必死に諌めた。
三男はこれを機に出家することになり残された長兄と後に自分の子供を、次兄は自分の孫を三男の子供と孫に添わせて新たな一族を興すことになり。
ラクシュミーの胸飾りは代々跡継ぎが継承することになったと。また三男の故郷がある海辺の街に寺院を移して。一族で代々寺院を手厚く保護することを決めたと言う。
そして不思議なことに正統な持ち主である跡継ぎには幸せをもたらすが跡継ぎ以外の者が胸飾りを手にすると胸飾りに宿る三男の妻の恨みが目覚め出し、不当に胸飾りを手にした人間に不幸をもたらすと言い伝えられている。
また跡継ぎになる人間には生まれつき身体の何処かに赤い痣があるとされている。この痣は女神ラクシュミーからの祝福だとされている。
治郎吉氏はなおも話を続ける。現在胸飾りを保有している一族の本家は女神の名を取ってラクシュミー家と呼ばれているが不幸な事故で血が絶えてしまった。
それ故に現在は分家筋に当たるアラクシュミー家に受け継がれていると。アラクシュミーはラクシュミーの姉に当たる神の名だ。幸運を司ると言う妹ラクシュミーに対して。アラクシュミーは不幸を司るとされている女神。
本家と対になるように名付けられたんだろうけれど。少しばかり家名にするには不吉な名前な気がする。
それになんだか聞き覚えがあるなと私は記憶を辿る。昔そう言う名前の男の子たちと一緒に過ごした気がする。
「なるほどね。『不幸を司るアラクシュミー』とは上手い名を付けたものだ。ようはその分家筋の一族とやらは本家に当たると言うラクシュミー家の暗部を担ってきた一族である可能性が高い。」
「お主なかなかの慧眼の持ち主のようじゃな。流石は犯罪心理学において比類無き才能を持つと噂されるだけはあるか。」
「なに私は少しばかり人より悪どいだけさ。お陰で物事の裏の裏まで勘繰ってしまうと言う悪癖があるのだけれどネ。」
腹の探り合いをする教授たちに。おじ様たちってば笑顔が悪どすぎるわよと園子ちゃんが顔をひきつらせた。治郎吉氏はとにもかくにもと話を戻すことにしたらしく空咳をひとつ溢して語り出す。
「お主が言うようにアラクシュミー家は本家の暗部を代々担ってきた。時に貿易を行い莫大な財を成すラクシュミー家が版図拡大のために敵となりうる商敵を密かに暗殺したりと言うようにな。」
故に本家に起きた不幸な事故。海外旅行に出掛けた次期ラクシュミー家当主夫妻が乗った豪華客船がエンジントラブルで沈没し生まれたばかりの幼い我が子諸ともに夫妻が帰らぬに人になったとき。
本家に不当な扱いをされていると常々不満を募らせていたと言うアラクシュミー家が密かに豪華客船のエンジンに細工を施して次期当主夫妻を亡きものにしたと言う噂が流れた。
「勿論真偽は不明ではあるが地元ではこの噂を信じる者は存外に多いと儂は耳にしておる。」
と言うのも次期当主夫妻に海外旅行を勧めて豪華客船のチケットを手配したのもアラクシュミー家当主であったという。
「その時の当主は既に死亡しておるから真実は分からん。キナ臭い話だが此処からが本題じゃ。」
今回儂らがお主らにを訪ねて来たのはアラクシュミー家が保有するラクシュミーの胸飾りが絡んでおるのだ。
「と言うのもアラクシュミー家が保有しておる胸飾りに嵌め込まれているブルー・ダイヤモンドはビッグ・ジュエルだったのだ。アラクシュミー家の現当主パーンドゥ氏は儂とヨット仲間でな。」
その縁からラクシュミーの胸飾りを含む多数の宝飾品を貸し出して貰えることになったのだ。そこで儂が所有する博物館で大規模な展覧会をすることにしたのだ。
ビッグ・ジュエルが来るとなれば当然憎き盗人小僧。怪盗キッドが現れる筈じゃ。
「その治郎吉おじ様の勘は当たってね。今朝おじ様の博物館にキッド様からの挑戦状が届いたってワケよ。」
園子が鞄から取り出した怪盗キッドからの挑戦状をジェームズ教授と一緒に見る。内容はこうだ。
末法の悪魔が蔓延るカリ・ユガが終わりを告げるとき。 神の乗り物たる獣たちの間から新たな始まりが告げられ。 異なる神の仔は囚われの身にある女神ラクシュミーの流す涙を拭い去る為に馳せ参じる。 来たる葉月の頃にシヴァの腕が振り上げられしときに会いましょうか。by 怪盗キッド。
ジェームズ教授はなるほどねと笑いながら頷いてみせた。末法の悪魔が蔓延るカリ・ユガが終わるときは。恐らく時計のことを現している。
肝心なのは文章の前半ではなく後半の『終わるとき』という一文。これは一日が終わる十二時のことだ。
次に『神の乗り物たる獣たち』と言うのはガネーシャ神を乗せている鼠とシヴァ神を乗せている牛のこと。時計を暦に置き換えると深夜十二時と十三時に子と丑が振り分けられる。
『獣たちの間から』と言うことは十二時と十三時の間。つまり十二時半に。『異なる神の仔』。怪盗キッドが『囚われの女神ラクシュミーの涙』。
「ようは博物館の硝子の展示ケースに飾られているラクシュミーの胸飾りを盗みに来ると言いたいのさ。葉月はそのまま八月のこと。『シヴァの腕が振り上げられしとき』と言うのは四日のことだ。基本的にシヴァは四本の腕を持った姿で語られているからネ。」
「つまり怪盗キッドは八月四日の深夜十二時半に現れると言うこと。今は七月三十一日。犯行期日まで四日しかないってことになりますけれど。」
「勿論治郎吉おじ様の博物館は最新鋭の設備で警備が敷かれてるわ。細かな設備内容は言えないけれど。』
ラクシュミーの胸飾りが安置されている展示ケースは網膜認証システムが使われていて今回胸飾りを日本に持ってきているアラクシュミー家の人間。
「三人の青年が同時に認証しないと開けられないようになっているんだから。他にも赤外線トラップやらなんやら仕掛けまくってるのよ。」
「博物館の防備は万全と言うワケだ。我々に此処まで内部情報を明かしたと言うことは犯行当日博物館に集められた人間に問題があると見て良いかネ?」
「博物館の設備はあらゆる限りを尽くした。残る懸念は一つ。怪盗キッドに関係者が成り済まされることにある。関係者に成り済ますのはキッドお得意の手じゃからな。」
「キッド様は変装の達人だからね。今回博物館に集められているのはアラクシュミー家の人間であるアルジュナさんにカルナさん。二人のご友人で今回限りの護衛として着いてきた アシュヴァッターマンさん。」
毛利のおじ様と蘭におじ様の弟子である安室さん、キッドキラーであるガキンチョことコナン君。それからキッド専任捜査官の中森警部率いる警官隊の人たち。
「胸飾りの展示ケースで使用した認証システムを作ってくださった阿笠博士なんかも当日システムのメンテナンスの為に呼ばれていたかしら。」
「勿論犯行当日は入念な身体検査を施す。だが大所帯なれば見落としも出てこよう。まして顔見知り同士とあって互いを疑い合うにしても手心が加わることもあると思われる。」
「相互監視が働かないと言うことか。となると我がシャドウボーダー・セキュリティ社に依頼したいと言うのは博物館の警備の穴を埋めることだネ。」
「お主らには犯行当日博物館に集められた者たちの警護を行い。同時に不審な人物が居ないか第三者として公平な立場で見張って貰いたいのだ。」
ジェームズ教授と顔を見合わせて私は頷いた。良いでしょう。その依頼は我がシャドウボーダー・セキュリティが全力を賭して預からせて頂きますと。
かくして私たちシャドウボーダー・セキュリティは大泥棒月下の奇術師こと怪盗キッドと対峙することになったのである。
八月四日。深夜十二時を前に入念な打ち合わせの下。博物館内の関係者はそれぞれバックヤードの控え室にそれぞれ割り振られて時間まで待機することになり。
私はイヤーカフスの調子を指先で確認し気を引き締めるようにネクタイを絞め直す。
今回少数の事情を知る者だけで警護チームを組むことになった。チームの要で作戦立案を任せられたジェームズ教授を筆頭に。
人の機微を読むこと魔術の如くして『キャスター』のクラスに割り振られたキルケー。人体を知り尽くすが故に如何に変装しようとも別人であると看破するアスクレピオス。
変装術に関しては随一の技術を持つ『アサシン』の燕青。編成に困った時の頼れる味方。特技はルチャリブレとサンバなお姉さん『ルーラー』のケツァルコアトル。
以下四名が関係者の警護に当たることなった。そこに自分が加わるのは気が引けると言うか。少しばかり場違いな気がするのだけれど。なんでも胸飾りの所有者である三人の青年が私の名前を聞いて警護人に指名してきたらしいのだ。
その時点でアラクシュミー家の三人が自分の知っている人たちである予感がするのだけれども。博物館のスタッフに呼び止められ幾つか話をしたあと。
なにはともあれ。蛇が出るか鬼が出るかは会ってみなければ分からないよなと俺は控え室の扉を開けたのだった。
「シャドウボーダー・セキュリティ警備会社の藤丸立夏です。今夜皆さんの警護に当たらせて頂くことになりました。」
例えるなら灼熱の焔が肌を舐めたような。そんな眼差しに喉をひきつらせて。思わず後ずさったけれど。一早く気づいた彼が扉に手を突き俺の退路を断った。
さながらブロンズ像のように冴えざえとした美貌の青年がようやく会えたのに逃がしませんよと微笑んだ。
「ええっと、貴方は。」
「まさかこの私をお忘れですか。あんなにも熱烈に求めあった仲だと言うのに?」
「それは誇張が過ぎるのではないかアルジュナ。」
狼狽える俺に名探偵が顔を赤くして咳払いを溢して。立夏お姉さんと知り合いだったのアルジュナさんと訊ねた。白髪の青年に肩を捕まれた黒髪の青年アルジュナは私と彼女は将来を約束した仲ですからと私の肩を抱いた。
待ってくれないか。そんな情報は聞いてなかったぞ。驚きに固まる俺からアルジュナを引き剥がし白髪の青年カルナは言う。久し振りに彼女に会えたことを喜ぶのは分かるが。
「記憶を改竄するのは如何なものかと思うぞ。」
「チッ。こう言うのは外堀から埋めるのが定石でしょうが。」
向かい合って睨みあう兄弟に額を手で覆い、燃え盛る焔のような赤い髪をした褐色の肌をした青年アシュヴァッターマンが間に割って入った。
「俺たちは五年前にコイツと会ってンだよ。あれ以来またコイツに会える日を楽しみにしていたんだ。もっとも名前と所属していた劇団しか手懸かりがなかったもんだから五年間探し回っていたんだけどよォ!!!」
「なんか色々とごめんね!!」
本当すまない。そこまで関わりがあるって分かっていたら流石にこの子は選ばなかったんだけど。
そこで控え室に居るのが名探偵と女子高校生二人に。アラクシュミー家の三人だけだと確信した。
控え室にはテーブル、三人掛けのソファが二脚にそれと用具入れが一つ。可笑しな仕掛けはなさそうだ。そう算段をつけたところで彼らから話を聞く。
なんでも女子高校生二人と名探偵が挨拶に来た直後に俺が来たようだ。上手いこと他の警護人と変わろうと控え室を出ようとしたところで、名探偵が無邪気にアルジュナさんたちが立夏お姉さんと出会ったときの話が聞きたいなと笑った。
それに恋バナかしらと目を輝かせた園子嬢たちに俺は逃げ遅れたかと肩を落とした。アルジュナは長くなりますがと断りを入れて。あれはちょうど今頃の季節でしたねと笑みを溢した。
「私たち兄弟は血に濡れた轍で隔てられていました。」
私はアラクシュミー家の六男として生まれましたが、跡継ぎとして育てられていました。上に六人いるいずれの兄も腹違いで身分差が未だに罷り通る国において生母の身分が高かったこと、正室であることから私が跡継ぎとなったのです。
そんな私は生来病弱な質であったことから病魔に魅入られないようにと魔除けとして少女の格好でいることが義務付けられていました。名前も少女の姿のときはブリハンナラと言うように呼び分けることが徹底されていたほどです。
そんな私が生まれたアラクシュミー家は常に血の臭いが付いて回るような、陰惨な歴史が横たわる家でした。本家である栄光のラクシュミー家に対して影なるアラクシュミー家。
我が家は代々ラクシュミー家の暗部を担って来た一族なのです。時に商敵を、時に逆らう人間を、時に不都合な事実を闇に葬り去る。如何なる手段を用いたとしても。そうしてラクシュミー本家を支えて来たのです。
しかし本家の時期当主が海外旅行に赴き、乗っていた豪華客船が不慮の事故で沈没し、生まれたばかりだった本家の唯一の跡継ぎである幼い女児共々亡くなり。
先代の女当主であるバーイ殿を残して本家は断絶し、その結果分家であったアラクシュミー家が本家の莫大な財を相続することになりました。
世間は我がアラクシュミー家が本家の時期当主夫妻を亡きものにしたと噂しました。私は。私はそれを否定することは出来ません。それほどまでラクシュミー家とアラクシュミー家の間には深い蟠りがあったのです。
アラクシュミー家の人間ならやりかねないと。それは幼い私でさえも分かる程でした。
それでも私はそれを確かめる手段は無く、なにより気にしていられる程の余裕はなかったのです。
当時の私は妾腹ながらも長兄であるカルナこそ跡継ぎとすべきと主張する親族と、生母が正室である私を跡継ぎと主張する親族が常に互いを反目しあっていて私たちは望もうと望むまいと争いの中心に据えられていました。
互いに言葉を交わした回数など数えるほどしかなかった。それにも関わらず親族たちは唾を飛ばして罵りあう姿は幼心にも恐ろしいものがありました。
それでいて私たちは一種のシンパシーを感じていたのです。親族の欲望に振り回される仲間だと。しかし私たちがそのように感じていることはおくびにも出せません。口にしたら最後。担ぎ甲斐のない御輿と見て親族たちは私たちを殺すでしょう。
けれど、けれど親族たちに振り回される日々に私たちは鬱憤を溜め続けていたのです。親族たちに対する強い憎しみと共に。
そんなあるとき本家が代々跡継ぎに継承してきたラクシュミーの胸飾りを正式に譲渡されたことを祝う宴が開かれました。胸飾りは言わば権威の象徴です。それを譲渡されたことの意味は深く、宴は一月に渡って開かれると言う話でした。
宴のために世界各地から著名な俳優や女優、マジシャンや劇団が多数集められると使用人たちが興奮も露に話ている姿を見かけたときは自分には関わりが薄い話だと思っていました。
ただ宴に託つけて親族たちが互いを貶しあう姿を見ることになるのかと辟易していたほどで。ですが、ええ。この祝いの宴の席で私たちは彼女に出会ったのです。所属する劇団の一員として来ていた立夏と。
貿易の仕事で立ち寄った日本で知り合いになった脚本家が率いると言う劇団をわざわざ宴の為に父が招いたのです。披露する演目はラクシュミー家勃興の切っ掛け。
女神ラクシュミーの化身たるシータとその夫にしてヴィシュヌ神の化身であるラーマの物語。叙事詩『ラーマーヤナ』を題材としたもので。
タイトルは『太陽に焦がれた月のように。或いは手の届かない星に手を伸ばした誰かの物語』だったかと。
物語は叙事詩における終盤、民に貞潔を疑われたシータが貞潔であれば我が身を大地に受け入れよと願い大地を司る神によって穿たれた亀裂に消えた後から始まります。
宴の最中父が呼び寄せた劇団と言う興味はあれども酒精によって酔いの回った者達は劇が幕を開けると知りながらも然程関心を持っていませんでした。
幕が上がり主役を演じる少女が声を発するその時までは。腰まである赤い髪を複雑に編み込み、柘榴石で作られた髪飾りティッカを着けた、白い肌に曼珠沙華が刺繍が施されているレヘンガ・チョーリを着た少女。
その顔が誰かに似ている気がして首を傾げた。少女は鏡を背に愛しげに伸びやかに己が恋を軽やかに歌う。
『幸福を共有すること能わず。それは呪い。未来永劫に私たちに横たわる別離の定め。けれど、それでも願うことが許されるのであれば私はもう一度ラーマ貴方に会いたい。』
少女が背にしていた等身大の鏡が動き、鏡に隠された少女の姿が一瞬にして早変わりする。赤い髪を高く結い上げて。
戦士のように飾り気のない衣服に身を包んだ少年が挑むように果敢な笑みを浮かべる。
『余は必ずシータを取り戻す。未来永劫に続く呪いにも。決して奪えないものがこの世にあるのだと此処に証明しよう。』
勇猛に笑った少年は、目蓋を伏せて額を覆いながら痛みを滲ませるように声を震わせて涙した。
『迷いはない。君を取り戻すことに迷いなどあるはずがない。けれど、けれど僕は、僕は何処まで行けば君に会えるんだ?会いたい、会いたいんだ。君に会いたいよシータ!!』
空気が彼女を中心に変わる様を私は今でも良く覚えています。その物語はシータとラーマが再び巡りあうために数々の試練を与えられながら互いの姿を求めあうものでした。
シータとラーマの二役を演じる立夏は時に傷つき、時に怒りを滲ませ、時に互いの愛を何があっても信じる二人を生き生きと演じました。
『失うことを恐れない者は。誰かを愛し、慈しみ、大切にすることなど出来やしない。余はシータを失うことを恐れている。心からそれだけを。だからこそ余は十四年戦い続けられたのだと胸を張ろう!』
見損なわないで貰おうか!我が妻への想さの深さを!あと百年戦えと言われても僕は喜んで戦いに身を投じる!
『そんなことで最愛のシータを取り戻せるというのであればな!』
立ち塞がる魔物に苦しめられながら、それでも妻に対する想いに揺らぐことのないラーマに誰もが心を打たれて涙した。
あれほど酒精に酔うか互いを貶しあうことに熱心だった親族たちさえ劇に心を奪われ。夢中になって物語を追い掛けていました。そして劇の幕が降りたあと詰めていた息を吐き出し誰くれとなく始めた拍手は万雷のものとなり屋敷中に響き渡りました。
思わず控え室に戻った劇団の人々を追い掛けて興奮ぎみに立夏に知り得る限りの語彙で感想を伝えると照れたようにはにかみながら笑う彼女に、なにか胸の奥を掴まれたような衝撃を覚えました。
宴はあと一月ほど続くと言うこともあって劇団の人々は我が屋敷に逗留します。その間は同い年と言うこともあり彼女は私の遊び相手になってくれると言います。
その時の私の喜びようはいまでも思い出すと少しばかり気恥ずかしいものがありますね。
もっとも彼女には格好のせいで女の子と勘違いされていて後になってそれが一騒動を起こすことになりますが。その話は追々に致しましょうか。
アルジュナが一息着いたところで。此処からは俺が話した方が分かりやすいだろうとカルナが後を継ぐように話し出した。
「アルジュナと俺は親族にはなにかと担ぎ出され争いの中心に据えられていた。だが兄弟間においての俺の立ち位置は決して高いものではなかったんだ。どちらかと言うとアルジュナ以外の兄弟には疎まれていたかな。」
生母の身分の低さから他の兄弟からは無きものとして扱われていた。俺を跡継ぎに擁立しようとする親族さえも実のところを言えば俺を疎んでいた。
それにも関わらず俺を跡継ぎにと望むのは一重に母を無くして頼れる身寄りがなく、俺が幼い子供だったからだ。ようは自分達の言い様に操れる傀儡として俺を望んでいた。
それが分かるから親族が集まる宴には出ることはなかった。だが常に誰かの足を引っ張りあうことに余念がない親族たちが、声を揃えて見事だと語る劇団には少なからず興味があった。
最初の宴から一週間が過ぎた頃熱帯夜とあって寝苦しさから水でも浴びようと井戸に行き、劇の稽古をしている少女に出会った。腰まである赤い髪をした、乳香の煙のように白い肌。蜜を固めた琥珀の瞳をした少女は。
たおやかな乙女を演じたかと思えば勇猛な戦士を演じ分ける。思わず井戸端の外れの繁みに隠れたまま彼女の稽古を見続けた。
稽古が終わったのだろうか。顎に伝う汗を拭う彼女に手拭いを渡すべきか悩み、足下に落ちていた枯れた小枝を踏むと驚いたように目を見開き彼女は猫のように跳ねた。
『驚かせてすまない。お前は父が呼び寄せたと言う劇団の者だろうか。』
実に見事だったと伝えると。彼女、立夏は恥ずかしそうに人に見せれるような出来じゃなかったよと唸った。演出を変えることになったから稽古してたんだと頬を掻いて。
『半端なものを見せたとあればファーストフォリオ劇団の沽券に関わってくるからね。最初から最後まで通しで演じるから見ていって。ブリハンナラから聞いた話しによれば六人兄弟なのに君だけ何時も宴の席に居なくて気になってたんだよ。』
そう言って繁みに居た俺の手を取り月明かりが照らす場所に彼女は俺を連れ出した。
『アルジュナ、もといブリハンナラの遊び相手もしているんだったな。ブリハンナラが俺の話をお前にしていたのか?』
『貴方も劇を気に入る筈だから見せたいって言ってくれたんだよ。人伝だけれど貴方が英雄譚を好のんでいるって聞いたことがあるからってさ。』
俺たち兄弟は顔を会わせたとしても口を聞くことはなかった。話をしたくとも互いの親族の争いを目の当たりにしては口をつぐむしかなかったからだ。
だが弟は俺を気にかけていてくれたのかと思わず口元が綻んだ。
『友からブリハンナラが英雄譚を好むと聞いたんだ。だから話を交わせたならば話題に出せるようにと嗜むようになった。』
『やっぱり貴方たちは仲が良い兄弟なんだね。』
『仲が良いのだろうか?』
『だって共通の話題を持とうとしたり。お互いのことを思いあっているんだから。私には貴方たちがとても仲が良い兄弟に見える。』
それに貴方たちはお互いのことを話すとき優しい顔で笑っているから。だから自分の兄弟のことが大好きだってことは私でも分かる。
『お前にはそう見えているのか。そうか、そうであるならば俺たちも少しは血の通った兄弟らしいくあれたのだな。俺にはそれがなによりも喜ばしいことのように思う。』
俺はブリハンナラ。アルジュナには嫌われているとばかり思っていたからな。そう感慨深く話すと立夏は嫌ってなんかいないみたいだよと笑い後ろを見るように告げた。
大人しく後ろを振り向くと顔を真っ赤にしたアルジュナ。いやブリハンナラが居た。この国の暑さに慣れていない立夏を案じて。
気が紛れるように香を焚く香炉を手に部屋を訪ねて姿がないことから探していたらしい。
横には弟の共通の友である赤い髪の年上の少年。父親がバラモンであり親子共々今回の宴に招かれていたアシュヴァッターマンが気まずげに肩を戦慄かせるアルジュナを見やる。
『通し稽古を生で見られるとか羨まし、もとい!別に私は兄である貴方のことを嫌った覚えはありません!!確かに武術の稽古で私より早く師に奥義を教えられたり座学で褒めれた回数は貴方の方が上で腹立たしくは思っていますがね!?』
『俺は嫌われていなかったのか。武術のことは気にすることはない。先に始めたか後に始めたかの誤差だ。直ぐにでも奥義を納められるだろう。座学に関してもいまやブリハンナラの方が出来が良いと教師たちも言っていたくらいだし。お前はいずれ俺を追い越すさ。』
『貴方のそういうところが腹が立つのですよ!私の目標である癖に貴方は自分のことを簡単に卑下する!このアルジュナ!容易に越せる人間を目標にした覚えはない!!』
『物凄い勢いでカルナの野郎を褒めてることに自覚はあるかお前?』
アシュヴァッターマンの突っ込みにアルジュナはバツが悪そうに顔を反らした。柔らかな笑い声が耳朶を打つ。やっぱり仲が良い兄弟だと笑う立夏の言葉を俺はもう否定はしなかった。
存外俺たち兄弟は仲が良いと彼女が教えてくれたからだった。
その夜を境に俺たち兄弟と友である アシュヴァッターマンの三人。そして立夏は親族たちの目を掻い潜って遊ぶようになった。
それは短くも心踊る日々だった。俺はあの輝かしい数日間をきっと忘れることはないだろう。
言葉を切ったカルナにお前らが話したとあれば俺だけ黙りを決め込んでる訳にもいかねぇかとアシュヴァッターマンは頭を掻いた。
「最初は腹立たしいもんを感じてたな。一応言っとくが立夏にじゃない。不甲斐ない自分が俺は腹立たしかったんだよ。」
カルナとアルジュナが歩み寄れたことを素直に祝いながらも、何年も二人の側に居た癖に何一つ出来なかった自分に対して情けなさを感じていた。
俺の親父はバラモン。ようは僧侶でな。遠い親戚の子供で事故で二親を亡くして以来、実の子同然に面倒を見てくれた。そんな親父がカルナたちの一族が保護する寺を預かる関係上物心が着く頃からなにかとカルナたちとは顔をあわせ。
才を見込まれてアルジュナの学友になり、同時にカルナの武術の師が親父だったこともあって奴とも友人になったんだ。友になったあとにカルナとアルジュナが親族連中の板挟みになってることを知った。
僧侶である親父が宥めたり諌めたり、時に説法を説いても親族連中は変わらない。カルナたちが親族連中の争いに擂り潰される姿を子供だった俺はただ見ているしか出来なかった。
だからせめて言いたいことすら言えずに腹に溜め込む二人の代わりに俺は怒ろうと決めていた。それぐらいしか俺には出来なかったからな。
そんな自分に不甲斐なさを感じて、カルナとアルジュナに遊びに誘われてもなんとなく顔をあわせられずにいたときに宴に呼ばれて。
頭が大人より切れるから大抵のことに動じないアルジュナが。そんときはブリハンナラだったがな。興奮を隠すことなく熱中する劇に驚いたし、自分から感想を伝えに動いたことも驚いた。
一番驚いたのはアルジュナが兄であるカルナを存外に好きでいたことだが。なにせアルジュナは本心を隠すのがことのほか上手かったからな。知っていればもっと早くに二人を引き合わせられたんだが。
二人は俺の言うことは素直に聞いた試しがねぇから無理な話しか。だからあのとき偶然に鉢合わせたとき二人が互いの胸の内を打ち明ける切っ掛けをくれた劇団の子供。立夏に少なからず感謝していた。
なにより長年の気掛かりを張らされて年相応の子供らしく競うように馬鹿なことをし始めた二人を止める仲間として一目を置いていた。
何処にでも居る悪ガキみたいに、傷をこさえながら声を弾ませて些細な遊びにもはしゃぐカルナたちは何処の誰が見ても仲の良い兄弟だと言っただろう。
『おー、今日もアイツらは仲良く喧嘩してんな。ちなみに今日の原因はなんだ?』
『確かドーナッツの穴は有ると見るか無いと見るかで喧嘩になったかな。』
『なるほど。さてはアイツら暇だな?』
本当なら一番近くに居た俺がすべきことを立夏がした。カルナたちを見ながら不甲斐ないなと溢すと立夏は不甲斐ないなんてことはないと思うけれどなと苦笑した。
『カルナたちから聞いてる。最近君がなにか悩んでること。それがカルナたちを思ってのことだってことも。』
二人は言ってたよ。どんなときでも君が側に居てカルナにはブリハンナラ、ブリハンナラにはカルナのことをそれとなく話してくれていたからお互いの近況を知ることが出来たし。
『君が、アシュヴァッターマンが自分たちの代わりに親族たちのことを怒ってくれていたんだって。』
『俺にはそれしか出来なかったからな。アイツらの現状をどうあっても俺一人の力では変えることは出来なかった。だから俺はせめてアイツらの代わりに怒ることにしたんだ。』
それしか俺には出来なかったから。ダチの癖にそれしか出来なかったんだから不甲斐ないにも程があんだろうがよ。
『人間の感情って幾らかのエネルギーを消費するもんなんだって。』
特に怒りって感情ほど膨大なエネルギーを消費するものはない。怒りって生存本能的に必要なもので敵に襲われたとき反撃するにも、逃げるにも身体を動かす為に効率が良いのが怒りと言う感情なんだってさ。
でも自分のことに関係しない怒りはあまり長続きしないもんなんだ。だから友人の為に何日も何ヵ月も、何年も、出会ってから彼らの為に怒り続けられる君は。
『君が思うよりも凄いんだよ。自分より背丈も力の強い大人相手に、それでも逃げずに声を上げ続けた。そんな君が不甲斐ない訳がない、情けない筈がない。』
私から見たら君は格好良いヒーローみたいだよアシュヴァッターマン。ようは他人の為に声を上げられる君のことが好きだってことさと笑う立夏に俺は気恥ずかしいことをさらっと良く言えるなと顔を覆う。
ずっと迷っていた。俺には怒ることしか出来ないことに。それで良いの常に自分に問い続けていたんだ。誰にも相談など出来やしない。親父にさえも言えなかった。
だが俺はそれで良いのだと、誰かの為に怒り続けることを初めて認められて柄にもなく涙が滲んだ。そして道を示された気がしたんだ。俺はこれから行くべき道を見つけたと思った。
俺に出来ることは怒ることだ。ならば声無き全ての者の代わりに俺は怒ろうと。このときに決めた。
『それに何時までもくよくよしても居られねぇからな。あんがとよ。お陰でやるべきことにも気づけた。』
『気づくべきことに気づけたのは単純に君が気づき始めていたんだよ。』
『だから私はなんにもしてないし、むしろ余計なお節介をしただけかもよ。でも君の力になれたみたいで嬉しい。』
笑ってなにかを見つけて手招くカルナとアルジュナの方に走り出し、早く君もおいでよと声を弾ませた立夏に釣られて俺も笑って駆け出す。
立夏に惹かれたとすればこのときからだったな。コイツが居れば俺は道を誤ることなく走り続けられると感じて、欲しくなった。
そんな最中のことだったな。ラクシュミー家の財宝が絡む事件が起きたのは。 アシュヴァッターマンはそこで言葉を切る。
此処からはまた私が語りましょう。アルジュナは アシュヴァッターマン に頷き自分たちが巻き込まれた事件について語りだす。
「切っ掛けは話の弾みでアシュヴァッターマンが話した海辺の街の話。」
海辺の街に住むアシュヴァッターマンの話を目を輝かせて聞く立夏に特に珍しい話でもないだろうにと。照れながら疑問を口にしたアシュヴァッターマンに立夏は実は海を見たことがないからさと苦笑しながら答えた。
『勿論書籍や映像で海を見たことはある。でも私のお母さんは海が苦手と言うか。怖いらしくてね。父さんや私にも海に行かせたくなくて。学校の課外授業で海に行くって時も私を休ませたぐらいなんだ。』
『海が怖いと言うことは溺れた経験があるのでしょうか?』
私の問いに立夏は考え込んだあと首を振った。理由は母さん本人にも良く分かって居ないんだ。母さんは事情があって五歳までの記憶がない。だから記憶を無くす前に海を怖がる原因になった出来事があったのかもしれない。
でも母さんが言うには記憶が無くなる前から怖かった気がするらしいんだ。それに海だけでなく母さんは船が、特に大きな船が苦手とも言ってたかな。
船に乗っただけでパニックになってしまうみたいでバビロニア商事でCEOの秘書をしていたとき取引相手の接待でどうしても船に乗らなくちゃいけないことになって、かなり苦労したと言ってたよ。
そんな訳だから海を見たことがないんだ。一度は実際に見てみたいけれどねと話した彼女に、なら明日にでも海を見に行くかとカルナが提案した。
『この街から アシュヴァッターマンの故郷の海辺の街までバスと電車を乗り継げば四時間程。朝早くに行けば昼前に着ける。』
それなら宴がある夜までに帰って来れる筈だ。カルナの言葉にそれなら支障はない筈だとアシュヴァッターマンが頷いた。そのときに私は思い出したことがある。
『見たことがないと言えばラクシュミーの胸飾りも見たことがありませんね。』
『代々本家の跡継ぎにのみ伝えられる関係上から胸飾りの話を聞いたことはあっても実物を見たことはまだなかったな。』
宴の最後に集めた客たちの前で現当主であるお祖父様が披露なされると使用人たちが話しているのを聞いたが。
『父上は胸飾りを客人たちに披露することには懐疑的な様子だったな。』
君たちが言う胸飾りとはどういうものなのかなと首を傾げた立夏に掻い摘まんで本家であるラクシュミー家の跡継ぎに伝わるものであること。
当主夫妻が跡継ぎの子供と共に事故で亡くなり本家が先代の女当主を残して絶えることになり、分家であるアラクシュミー家が胸飾りを受け継ぐことになったと話し。
胸飾りに絡む伝説も語ると立夏は眉を寄せ少し待って欲しいと考え込んだ。
『アラクシュミー家の人間が胸飾りを受け継ぐのは少し不味いんじゃないかな。だって君達の話を聞いた限りではラクシュミー家の人間以外が胸飾りに触れてしまうと祟りが起きる訳だからさ。』
『確かに可笑しな話ではあるんだよな。先代の当主である女性は当然胸飾りに関する呪いを知っている筈なんだ。それにも関わらず胸飾りをアラクシュミー家に明け渡すことにしたのは何故なのか。』
アシュヴァッターマンが腕を組む。大人たちは本家の持っている権限を胸飾りと共に譲渡されることにばかり目を取られて深くは考えていないが。
『裏があると見た方が自然ではあるか。』
カルナの言葉に同意をしながらも私はラクシュミー家の先代の女当主を思い浮かべた。美しい銀髪に赤い瞳を持ち、この国の人間らしい褐色の肌をした老婦人バーイー殿。
数年前に突然僅かな使用人だけを連れてラクシュミー家の別荘がある海辺の街、アシュヴァッターマンの故郷に居を移してしまった人の面影が。
『私の顔になにかついてるかなブリハンナラ?』
何故だか立夏に重なって見えた気がした。髪も、目も、肌も異なると言うのに似ている気がしたのだ。そのことを思わず三人に伝えると実際にバーイー殿と顔を合わせたことのあるカルナも似ていると頷く。
このとき立夏が役のために髪を赤く染めていたことを知った。銀髪ならともかく黒髪だからとバーイー殿に似ていることに半信半疑な立夏に。ならば当主の執務室にバーイー殿の写真が飾られて居るから確かめて見ようと言う話になり。
『ついでに明日外出する許可を取りに行きましょうか。』
使用人。そして親族の目を避けながら事実を確かめるために執務室に向かい荒らされた執務室に気づいたのです。
一体なにがと辺りを見渡し痛みに呻く声に振り向くと立夏の髪を乱雑に掴んだ親族。数いる兄弟のうち五男の取り巻きである男たちが数名胸飾りを手に私たちを睨んでいたのです。
『見られたからには始末するしかないな。』
まさか不仲である筈の貴方たちが雁首揃えて来るとは。元より貴方たちは邪魔な存在だった。五男である我が主殿は貴方たちが居る限り跡継ぎ足り得ない。
だから胸飾りの呪いを利用して食中毒にでもして貴方たちを始末する気だったが。胸飾りを手に入れようとして取り合いになり相討ちになって死んだことにしようか。
『この役者の小娘は巻き添えになって死んだことにすれば問題はない。』
『そんなことが許されるとでも!?』
『勿論だとも。何せこれは貴殿方の祖父である御当主様も賛同なされたこと。勝ち抜いた者にこそ跡継ぎの座は相応しいとおっしゃられたのだから!』
寸の間激しい怒りが私たちの背中を震わせた。奴等の言う通りになどなるものか。血が滲むほどに手を握りこんだ。下卑た笑みを浮かべて立夏の髪を掴み上げ。
それともこの娘は好事家に売り飛ばそうかと笑った奴等に足元に落ちていた鑑賞用に壁に掛けられていたナイフを手に駆け出した。白状しましょう。私はこのとき奴等を殺す気でした。奴等を到底許してはおけなかったと。
けれど結果的に私は奴等を殺さなかった。殺せなかった。何故ならば。
『ダメだ!殺してはいけないブリハンナラ!!』
立夏が無理矢理に掴まれた髪を引いて自分を拘束する男の体勢を崩させたことで目測が変わって。私が持っていたナイフが引き裂いたのは立夏の腰まであった髪だったのです。
そして立夏の首筋が露になったとき五男の取り巻きである親族たちは驚愕を隠すことなく彼女を見て叫んだ。
『何故お前のような小娘が!役者風情がアレを持っているんだ!?』
拘束の手が緩んだのを見逃さずカルナが親族たちに攻撃を仕掛け、取り落とした胸飾りを掴んだ立夏をアシュヴァッターマンが小脇に抱えて、私は先導するように窓際に走り勢いそのままに窓から外に脱出しました。
『取り合えず逃げるぞ!!』
『逃げるたって何処に!?』
後ろから追い掛けてくる五男の取り巻き達にカルナはアシュヴァッターマンの故郷である海辺の街まで逃げて、ラクシュミー家の先代の女当主であるバーイー殿を頼ろうと提案して。私は頷きました。
『バーイー殿が胸飾りをアラクシュミー家に譲渡した真意も確かめたいですからね。』
『一先ずこれからの目的が決まったところで問題はどうやって親族連中を振り切るかだな。』
『逃走手段になり得るものは直ぐにでも見張られるだろうし。』
立夏の言葉に頷き。どうしたものかと考え込んでいると前方に巨大な川が目に入る。それは大いなるガンジス川。私たち四人は顔を見合わせて親族連中を一気に引き離したあと躊躇うことなく川に身を投げ出した。
川を行き交う船の一つに五男の取り巻きである親族の一人である男が声を掛ける。年の頃は十二歳ほどの少年が三人少女が一人来なかったかと。野菜の行商である老人は見掛けてないねと答えた。
男が十分に離れたのを確認して、船縁を櫂で五回叩く。それを合図に船底で息を潜ませていた私たちは息を切らして浮上しました。
川に飛び込んだあとに私たちはこの行商の老人に人拐いに追われていると話したのです。
『すみません。危ないところを助けて頂き感謝しますご老人。』
『なんのなんの。最近はとかく物騒だからね。』
行商の老人はガンジス川下流の街まで船で行くらしく、そのまま下流の街まで一緒に乗せて貰うことになりました。途中で老人の家によって、老人の孫である方の衣服を自分たちが着ているものと交換し、追手の目を誤魔化すことになり。
着替えのために私は立夏と同じ部屋に通されました。それは私がブリハンナラの姿をしていたからでしょう。額を押さえたあと自分が男であると伝えようと振り返ると。
既に私が同性であると思っていたこともあって警戒することなく着替えている立夏が居たのです。私の慌てぶりに立夏は不思議そうに首を傾げました。
『どうかしたのブリハンナラ?まさか逃げるときに何処か怪我でもしたんじゃ!?』
彼女が着ていたのは薄手のシャツとジーンズ。水に濡れて肌に張り付いついたシャツからなんとか目を反らし。それでも赤くなった顔を隠せないまま、私は男であると伝えました。
立夏は俄に顔を染めてなんかごめんと飛び退くと胸元を抱えて後ろを向きました。耳を赤くした立夏に申し訳ないと思うと同時に。
今まで同性であると思われていたのかと落ち込んで。このとき立夏の項にあった赤い痣に気づきました。
『立夏。その項にある赤い痣は何時から?』
『痣?』
項に手を当て、立夏は小さい頃からあるんだよと苦笑した。自分では見えない場所にあるから忘れがちだけど母さんの身体にも同じ形の痣があるんだ。
『この痣がどうかした?』
脳裏に立夏の首筋を見て何故お前がアレを持っているんだと叫んだ親族の声が甦る。例えるならば剣と盾を重ねた、或いは杯にも見える赤い痣。
その形は代々ラクシュミー家の跡継ぎに現れる痣に酷似していたのです。良く見ようと近づいたときでした。服から滴る水が足下を濡らし勢い良く立夏を巻き込んで私が転倒したのは。
『ッ何事だアルジュナ!?』
『まさか親族連中でも来やがったか!?』
部屋に駆け込んで来たカルナとアシュヴァッターマンが転倒した勢いで立夏を押し倒してしまった私を見てスンと真顔になり。小一時間ほど説教されたことは今でも腑に落ちませんね。
なにはともあれ立夏の痣を二人に見せて。いよいよ持って事態が可笑しな方向に転がっていることを私たちは自覚しました。
ラクシュミーの胸飾りを中心になにか大きな渦に自分たちが巻き込まれているような、そんな予感を私たち三人は感じていました。
『立夏ラクシュミーの胸飾りは?』
『胸飾りならズボンのポケットに入れてるよ。』
そう言ってラクシュミーの胸飾りをジーンズの後ろポケットから取り出した立夏にカルナは胸飾りはお前が持つべきなのかもしれないと告げた。
『そうだね。カルナやアルジュナ、アシュヴァッターマンたちが胸飾りに触ったらなにか支障があるかもしれないし。それなら部外者である私が持っていた方が良いか。』
部外者どころか彼女こそが胸飾りを所有する正統な権利を持っているのかもしれない。それを確かめる為にもバーイー殿に会わなければならない。
私たちはヒッチハイクを繰り返し海辺の街に向かいました。街に辿り着いた私たちは記憶を頼りにラクシュミー家の別荘に行くと年の頃は十八歳程の見目よい使用人の少女が応対に出ました。
ですがラクシュミー家の使用人はアラクシュミー家が手配することが多いため。
『ラクシュミー家の使用人の顔は大抵覚えているんですが貴女には見覚えがありませんね?』
『お前はアルジュナではないか!?い、いや私はバーイー殿が別荘に来てから雇われたんだ。』
妙に慌てる少女から入れ違いでバーイー殿が寺院に出掛けたと聞き、徒労に終わったと疲労困憊の私たちが玄関先で動けなくなっていると一旦屋敷の中に姿を消していた使用人の少女が戻ってきました。
『我が主からお前たちを屋敷で休ませるように告げられた。お前たちはアラクシュミー家のアルジュナとカルナ。それと学友のアシュヴァッターマンだそうだな。随分と遠いところから来たのだし茶を持てなそう。そこな少女のことも聞いておきたい。』
銀髪に赤い瞳、滑らかな褐色の肌をした使用人であるはずの少女は立夏を穴が空くのではないかと言うほど見詰めた後になにか一縷の希望を見いだすかのように告げたのです。
通された応接室で茶を持てなされた私たちはラクシュミーの胸飾りが原因で追われることになったと語り、呪われた胸飾りを何故バーイー殿はアラクシュミー家に譲渡したのだろうと私たちが疑問を溢すと途端流れるように腰を曲げ頭を下げ出したのです。
『す、すまない!あの胸飾りが呪われていることを私はすっかり忘れていた!!と言うか適当に処分した宝飾品の中に胸飾りがあったなど今の今まで気づかなかった!!』
『お待ちなさい。何故使用人である貴女が謝るのですか?それに貴女は市井の民の服装をしていたのに一目見ただけで私がアルジュナであると直ぐに気づきましたよね。』
『それは予めアルジュナを見たことがあるからではないか?』
『バーイー殿が別荘に来てから雇ったんたらアルジュナたちのことを見たことがない筈だしな。』
あわあわと狼狽える少女に助け船を出したのは立夏でした。そう詰め寄られたら話せることも話せないし、バーイーと言う人から君たちのことを教えられたのかもしれないじゃないか。
そう言って急に詰めよってごめんねと背に庇った少女に振り返ると我が曾孫がこんなに優しいと少女は大きな赤い目を潤ませました。
『曾孫っていったか?』
口を滑らせたと少女は気づくと項垂れながら自分がラクシュミー家当主バーイーであることを漸く認めたのです。何故か幼い姿になってしまわれたバーイー殿が言うには胸飾りの呪いだとおっしゃってましたね。
ピクリと反応を示した眼鏡の少年にアルジュナはバーイー殿が幼くなられた実際の理由は話せませんからねに肩を竦めた。
(バーイー殿はとある組織に献金を求められて、それを断った翌日に何者かに襲われ、毒薬を飲まされたと思ったら十八歳の少女の姿まで縮んでしまわれたのだ。バーイー殿を襲った組織は通称黒の組織。君が追いかけている組織のことですよ。)
アルジュナはそんな訳でと再び語り出す。少女の姿になってしまわれたバーイー殿。彼女は立夏を抱き締めて離しませんでした。今度は私たちが彼女に問う番です。
『ではやはり立夏が持つ痣は。』
『我がラクシュミー家の跡継ぎに浮かび上がるもので間違いないさ。』
時に立夏。我が愛しき曾孫よ。お前の母御にも同じ痣がある筈だが。それは何処の位置にあるかな。
立夏は戸惑いながら左胸の下に痣があると答えました。バーイー殿は何度も頷き、決まりだなと胸から数枚の写真を取り出しました。
一枚目は生まれたばかりの乳幼児を抱く若い夫婦の写真。バーイー殿の顔立ちに似た銀髪に赤い瞳をした美しい女性と黒髪に青い瞳をした男性。男性の顔に立夏は反応を見せました。
『この人母さんに似てる。』
『孫の顔立ちは父親に似ていたのだ。曾孫であるお前は祖母である私に似たようだな。それは今日こうして汝に会わねば分からなかったことだ。』
ずっと孫が生きていたならばどんな大人になったのだろうと考えていた。想像することしか私には出来なかったのだ。
『だがお前の姿を見ればありありと分かる。きっと娘たちに似て愛情深い優しい人間になったと言うことが。』
そう言って二枚目の写真を取り出しました。そこには左胸の下に立夏と同じ痣が浮き上がった乳幼児の写真。生えた始めたばかりの髪は黒く青い瞳が特徴的のこの子こそがバーイー殿の亡くなった孫であり、情報が正しいのであれば立夏の母親と言うことになります。
『聞かせて欲しい。お前の母御の、我が孫の話を。あの子はいま幸せか?笑っているか?』
それは言うなれば立夏がラクシュミー家の跡継ぎであり胸飾りの正統な保有者であることを意味します。それを立夏を膝に抱えて上機嫌に頬を寄せるバーイー殿は確信しているようでした。
『母さんは、私の母さんは大手企業のCEOの秘書をしているぐらいバリバリのキャリアウーマンだよ。何気ないことや人からしたら些細で平凡な日常がとても幸せだって笑える人で。私にとって自慢のお母さんだよ。』
当の立夏は役者見習いの子供には少しばかり話のスケールが大きすぎてついていけないかなと頭を抱えていましたが。立夏がラクシュミー家の跡継ぎであること。それは。
『そこら辺の真偽は今の俺たちには手に余る。だから今は一先ず解決しなくちゃならねぇことに目を向けるべきだろう。』
ラクシュミーの胸飾りに絡む騒動の解決だ。五男の取り巻きである親族たちが、胸飾りの呪いにこじつけて次期アラクシュミー家の跡継ぎであるアルジュナとカルナを亡きものにしようとした。
『そしてそのことに関してアラクシュミー家の現当主であるアルジュナたちの祖父は半ば承諾している可能性が高い。このことを解決しない限りアルジュナたちはアラクシュミー家に戻れやしない。』
アシュヴァッターマンの言葉にバーイー殿は苦虫を噛み潰したような顔をみせた。あの男は実の孫を殺し合わせるぐらいのことは平気でやりかねないからな。
そう吐き捨てたバーイー殿は、それなら私たちの父親であるパーンドゥに頼れば良いと思い付かれたのです。
『パーンドゥは私が子供の姿になったときに居合わせて以来密かに便宜を計ってくれているのだ。別荘の手配と口が固い信用のおける使用人を雇ってくれたのは彼なんだ。』
それにこれは先程思い出したことなんだが彼が言っていたのだ。我が家に伝わる胸飾りを餌に我が娘たちを殺害した人間を炙り出せるかもしれないと。
そしてパーンドゥはこうも言っていたのだ。アラクシュミー家に溜まり続けた膿を掻き出す時が来たとな。
応接室の扉から煙が立ち上ったのこの時です。既に廊下は火の海に飲まれ、私たちは咳き込みながら窓から外に出ました。このとき立夏がバーイー殿から渡された胸飾りを胸ポケットに入れていたことを知らず。
外に出ると何事かと辺りを見渡した私の腕をカルナが掴み繁みに隠れた直後。アラクシュミー家現当主である祖父が五男の取り巻きの親族たちを引き連れて通り過ぎました。
『噂をすれば影だな。』
『お前たちの口封じのために。そしてラクシュミー家の正統な跡継ぎを亡きものにするために来たのだろう。跡継ぎが現れると都合が悪いことがあるのだ。』
我がラクシュミー家の莫大な資産は当然正統な跡継ぎのもの。まだラクシュミー家の権利を譲渡する為の法的な手続きは済んでいない。奴には我が曾孫の出現は致命的な痛手となりうる。
『ッバーイーさん不味いよ!気づかれた!!』
祖父たちが気づいたことを立夏が知らせ私たちは祖父たちとは反対方向に駆け出しました。逃げるにしても何処に逃げれば良いんだ。焦りを滲ませたアシュヴァッターマンにバーイー殿はならばお前の父が居る寺院に逃げ込もうではないかと告げました。
国が敷く階級のなかで僧侶は頂点に位置する。流石にバラモンの居る寺院で刃傷沙汰には及びはすまいよ。
『だと良いんだがな!』
辿り着いた寺院は建築時の古い建築様式が未だに残されていた。何処か郷愁さえ感じさせる古びた佇まいの寺院に足を踏み入れた私たちを待っていたのは先回りした祖父たちでした。
『バーイー殿が見当たらないが。彼女は追々片付けるとしよう。今更ラクシュミー家の正統な跡継ぎが出てこられては困るのだ。だからお嬢さん。君には此処で死んで貰おう。ラクシュミー家の次期当主夫妻のようにね。』
その言葉で私たちは祖父がラクシュミー家の次期当主夫妻を殺したことを悟りました。あの噂は真実だったのです。恐らくラクシュミー家の持つ莫大な資産と権威を奪うために。
バーイー殿は奥歯を噛み締め、それでも立夏に拳銃を向ける祖父から庇うように彼女を抱き締めて叫びました。
『この娘は我が曾孫にあらず!この子は、この子は平和な国の、何処にでもある平凡な幸福を謳歌する子供だ!!我らの身体に流れる陰惨な血など引いてなどいない!!』
漸く会えた愛しい曾孫の為にバーイー殿は血を吐く思いで血の繋がりを否定する。身体を震わせながら叫ぶ彼女の腕のなか。
立夏はそっと伏せていた目蓋を開き、覚悟を決めたかのように琥珀の瞳を見開いたのです。
『では約束して欲しい。私以外を殺すことはないと。』
『良かろう。』
『ッ立夏!!』
バーイー殿の腕から抜け出した立夏が目を見開いた私たちに笑い近くに居た私を抱き締めたのです。きっとあの人は約束を守ったりしない。
『だから私が注意を引き付けているうちに君たちは逃げるんだ。』
大丈夫。ただで死でやるつもりはないから。そう言って胸を叩いて立夏は祖父の方へ歩き出しました。
『私は貴女の犠牲など望んでなどいない!行ってはダメだ!行くな立夏!!』
振り返って笑った立夏の胸を。祖父の放った銃弾が抉った。
絶望に濡れたバーイー殿の叫びが辺りに響く。強く噛み締めた唇から血を流し、カルナが私の腕を掴んで。膝から崩れ落ちたバーイー殿をアシュヴァッターマンが抱えて後ずさった。
『残るはお前たちだけだな。』
倒れた立夏を足蹴にして酷薄な笑みを浮かべた祖父に例え相討ちになろうとも必ず殺すと睨んだとき。軽やかな声が耳を打ちました。
『はーい。そこまでよアラクシュミー当主様。いいえ元当主様とでも呼ぶべきかしらね。女と交わした約束を破るなんて男の風上にもおけないわよ?』
『お、親父!?』
『やーねー。アタシのことはペペって呼びなさいアシュヴァッターマン。』
鮮やかな頭髪に鍛え上げられた身体、柔かな女言葉、化粧をバッチリと決めたアシュヴァッターマンの義父。元フリーランスの傭兵である自称ペペロンチーノ・スカンジナビアが。
私たちの祖父の手を持っていた銃で撃ち抜きウィンクを決めて横に居た人物に後は任せたわと笑う。ペペに頷き私たちの父が控えていた警官隊に祖父たちを捕縛するように指示を出す。
『どういうことだこれは!!』
『これまで貴方がなしてきた数々の悪事の証拠は揃った。本日を持ってアラクシュミー家の当主の座から退いて頂く。貴方は償わなければならないのです。忠誠を誓い仕えるべきラクシュミー家の次期当主夫妻を殺した罪を!!』
『くそっ!!』
咄嗟に逃げようとした祖父の足を息絶えた筈の立夏が掴み。咳き込みながら往生際が悪いよと笑う。その一瞬の隙間を見逃さずペペが祖父の首筋に手刀を落として意識を刈り取った。
『立夏!!』
私たちは立夏に駆け寄り彼女の無事を確かめ、泣きながらなんて無茶をするんだと揉みくちゃにすると。そのことで君たちには謝らなくちゃいけないんだと胸ポケットに入れていた胸飾りを取り出しました。胸飾りは祖父が撃った銃弾を受けて粉々に砕けていました。
『胸飾りが銃弾を受け止めてくれたんだ。これがなかったら死んでいたかもしれない。』
『正統な持ち主には幸運をもたらす。その言い伝えは本当だったのだな。』
バーイー殿は立夏を抱き締めてお前まで失わずに済んで良かったと笑いました。この日を境にアラクシュミー家に澱む膿は一掃され本家と分家の間にあった溝が消えていくことになります。
事件後ラクシュミー家は若返ったバーイー殿が自分は亡くなった当主バーイーの隠し子であると公表して再び切り盛りすることになりました。
『立夏には健やかに育って欲しいのだ。平凡な毎日が幸せなことだとあの子は知っている。そんな子を我らの陰惨な血に巻き込みたくはない。』
どうあっても流された血は消えない。それに膿を出す真っ最中とあれば。それにラクシュミー家の跡継ぎだと知れば立夏に危害を加える輩が居るかもしれない。だから我らは他人のままで良い。そう笑うバーイー殿に立夏は他人じゃないよと告げた。
『他人のままでは顔を合わせる理由がない。だから友達になろうバーイー殿。友達なら何時でも貴女に会いに行けるから。』
バーイー殿は目を見開いて心からの笑みを浮かべて立夏を抱き締めた。
『我らの陰惨な血の宿業にあの子を巻き込むつもりはない。だがそれは我らの世代のこと。次代を担うお前たちは我らのように血が染み着いてはいない。だからお前たちのいずれかがあの子に添うことになっても我らはそれを咎めはしないぞ。』
バーイー殿が楽しげに告げた言葉にお墨付きを頂いてしまいましたし、頑張るとしましょうかと私たち三人は顔を見合わせた。その後のことでしたね。私たちが後始末に追われるうちに立夏が帰国してしまい。
自分たちで見つけなさいと言われて探し回り、こうして漸く再会したわけです。
話終えたアルジュナたちにすっかり聞き入っていた彼は。と言うことはラクシュミーの胸飾りって壊れた筈だよなと気づく。ならば今回展示される胸飾りはまさか。
話を聞いていた女子高校生が立ち上がり扉を施錠してフェイスマスクを剥ぎ取った。そこから現れたのは桃色の髪をした勝ち気な笑みをした若い娘キルケーと腰まである黒髪に鍛え上げられた体躯をした青年燕青。
「よー。もう出てきても良いぜ先生!」
「やっとか。」
用具入れから細身の冷たい印象を持たせるほどに顔立ちの整った青年が出てくる。
「んで。どうだ?」
「どうもなにも真っ赤な偽者だ。足音から推定される身長及び体重を鑑みても僕の患者ではないな。」
と言う訳でお前が立夏さんじゃないことは分かってんだよキッド。そう眼鏡を反射させながら笑うコナンに。彼、立夏に変装した怪盗キッドはなにを言ってるのとしらを切ろうとしたがコナンはネタは上がってるんだよと言う。
「展示当日までお前が誰に変装するか分からなかった。だから予め関係者にはカフスイヤリングに偽装した発信器を身に付けて貰っていた。」
この控え室に来る予定だった立夏さんが何故か離れた部屋に移動したまま動かず、代わりにお前が現れた時点でお前が怪盗キッドであることは分かっているんだよ。
「違うと言うのならお前にはあるはずだ。首の後ろにある赤い痣がな!」
(参ったな。分が悪いにも程がある。此処は出直した方が良さそうだなっと。)
身を翻そうとしたキッドだが一瞬で間合いを詰めたアルジュナが彼の手を掴み、カルナが肩を、アシュヴァッターマンが腕を掴む。生憎と貴方を逃がす気は我々にはないのです。
「もっとも立夏に手を出した時点で貴方をただで返す気はなかったんですが。」
「お前の敗因はたった一つ。立夏に変装したことだ怪盗キッド。」
「そんな訳で俺らを相手にする覚悟はできてんだろうな?」
ひくりと顔をひきつらせた怪盗キッドが声にならない叫びを上げていたそのとき。
ケツァル・コアトルに助け出されていた立夏の耳を塞ぎつつジェームズは惜しい人を無くしたカナと合掌していたとか。居ないとか。
かくして初の怪盗キッドの遭遇は波乱のうちに幕を閉じたそうな。怪盗キッドが無事だったかはインドの三人のみぞ知る。
人類最後のマスター似の彼女 今回怪盗キッドに変装された人。事件後ポアロに妙にげっそりとした男子高校生が来たのでチョコレートパフェを奢った。
首の後ろに普段は髪に隠れているが令呪に似た痣がある。親から子に受け継がれる痣に珍しい疾患かと医神に嬉々として調べられたそうな。
弓を使うインドの大英雄似の彼 陰惨な歴史がある家に生まれ。望まない対立をさせられていたなかで。自分の友となって兄と分かりあう切っ掛けをくれた彼女に惹かれ目の前で失い掛けたことで恋心を自覚した。
割りと乗りが良くマスター似の彼女をマスターと呼び。私は貴女の最優のサーヴァントなのでと笑う。その結果周囲の勘違いを深めてしまったことに気づいてはいない。
なおシャドウボーダー・セキュリティのスポンサーになった。バックアップなら任せて下さい。
槍を使うインドの大英雄似の彼 弟と擦れ違っていたが和解して。以降は弟と切磋琢磨しつつ。何処にでもいる兄弟のように馬鹿なことをして笑い。些細なことで喧嘩したり憧れていた兄弟らしいことをしている。
弟と壮絶なじゃんけん勝ち抜き戦を行って勝利してシャドウボーダー・セキュリティの社員となった。
怒れるインドの大英雄似の彼 難儀な兄弟の年上の幼馴染み。兄弟たちを側で見てきたこともあり。彼らの代わりに怒り続けた。それしか出来ないことを気にしていたが自分はそれで良いのだと肯定されてからは声を上げたくても上げられない者の代わりに怒ることを決めた。
そんな彼は現在国際資格を持つ弁護士さんです。
シャドウボーダー・セキュリティの顧問弁護士としてバリバリ働く予定。
インドの王妃様似の彼女 割りと洒落にならない不運に見舞われてる人。五年前の事件後マスター似の彼女を通して藤丸家と交流していた。今回の怪盗キッドの事件後に日本に来日。曾孫を巡ってダディことジェームズ教授と対立して曾孫が可愛いと言う結論で和解した。
シャドウボーダーの黒澤さん 休み明けにインド鯖が増えていて二度見したあとガッツポーズした。取り合えず近場の大豆ミートを使用していて。インド兄弟の教義的に食べられない食材を使用してないレストランのピックアップを始めたそうな。結果インド勢になつかれた。