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院長時代の年収は2000万円弱

 通産省時代の同期で田中角栄元首相の秘書官でもあった、小長啓一元通産事務次官が振り返る。

「工業技術院長は技術職としては最高のポスト。飯塚さんは傑出した能力、調整力、リーダーシップを発揮していました。第一次石油危機の際には、再生エネルギーなどの議論を進める『サンシャイン計画』に関わっていたと思います」

 院長時代の給与は、年収2000万円弱。当時の退職金は3000~4000万円程度だったという。元工業技術院総務部長、大野隆夫氏が証言する。

「飯塚氏は、工業技術院などのOB組織『産工会』の会長も務めていた。毎春、如水会館でパーティを開くのですが、その会を取り仕切っていたのが、博士号も持つドクター飯塚です」

 いわば“通産省技系官僚のドン”だった飯塚氏。89年6月の退官後は一般社団法人機械振興協会副会長を経て、92年、農具最大手のクボタに専務として三顧の礼で迎え入れられた。

「00年、代表取締役副社長を最後に退任するまで研究開発を舵取りしていました」(クボタ関係者)

プリウスのフロントが大破

 71歳になった飯塚氏は02年3月、板橋区の新築分譲マンションへと引っ越し。価格は約4500万円だったが、通産省やクボタ時代の退職金などを元にキャッシュで購入したと見られる。この地で飯塚氏は同い年で誕生日も9日違いの妻と2人、“セカンドライフ”をスタートさせた。

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