知りたい 聞きたい キーパーソンに問う
東工大・上田紀行副学長「リベラルアーツ教育導入で何が変わったか」
2022.06.16
改革を後押しした執行部と同窓会
――東工大には、そうそうたる文化人が教えてきたリベラルアーツの伝統があります。
かつては伊藤整(小説家)、川喜田二郎(文化人類学)、宮城音弥(心理学)、江藤淳(評論家)らが教えてきました。その時代を知っている70代以上の人は「自分は鶴見俊輔(哲学)に教わって、世界がものすごく広がった」などと会話に出てきます。
東工大で学部、大学院を過ごしたノーベル賞受賞者の白川英樹さんも「専門だけ学んでいては了見が狭くなる」という趣旨のことを言っています。
――池上彰さん、伊藤亜紗さんとの共著『とがったリーダーを育てる』(中公新書ラクレ)の中で、リベラルアーツ教育を始めるまでの苦労話を書いています。当時、上田さんに改革を任せた副学長の「絶対にはしごははずさないから」という言葉が印象的です。
当時の三島良直学長、後任の益一哉学長が一貫して「リベラルアーツ教育が重要」と言い続け、全くぶれませんでした。私も一人の学部長(学院長)ではなく、全学の教育を担っているつもりでした。学内の会議で面罵されたこともあり、居酒屋で副学長の一人と悔し泣きしたこともあります(笑)。しかし、リベラルアーツ教育を始めるまでの議論は刺激的で、一番面白いところを担当させてもらいました。いわば社会起業家のようでした。
1学年約1千人を少人数クラスに分けるとか、学部3年で教養卒論を書かせるとか、荒唐無稽な構想が通りました。東工大の新しい歴史をつくるぞ、と思っていました。
執行部が全面的に支えてくれたことと並んで、同窓会が応援してくれたことも大きかったです。同窓会の会合に行くと、「川喜田先生はすばらしい人だった」とか、「近頃の卒業生は迫力がない。どんどん改革を進めてください」などと励まされました。東工大のリベラルアーツ教育は新しく出てきたように見えますが、教養教育の伝統が執行部にも同窓会にも残っていて、ある種のルネサンスだったのだと思います。
――上田さんはご自身でも書いているように、管理職への関心が最も遠い人だと思いますが、よく上田さんに大きな改革を任せましたね。この4月からは副学長です。
もともと学内会議も嫌いだったし、管理職から最も遠い人間です。「あの上田が学部長など務まるのか」と言われました。その後、文部科学省の中央教育審議会の委員も務め、自分でもびっくりです。
リベラルアーツ研究教育院の教員は、「あの上田がやっているのだから」と公募に応じてくれた人も多いです。
――前書の中で「東工大の改革は、1大学だけのことではなく、日本の大学が直面する大問題への提案だった」とあります。
当時は、人文系学部の廃止論が吹き荒れていました。大学でやっていることは役に立たない、即戦力が大事だという論調でした。しかし、いま役に立つことはすぐに役に立たなくなります。当時の風潮は大学を滅ぼす道につながると感じていました。
一方で、文系の学問は本当に時代に向き合っているのか、現代的な意義について説明責任を果たしているのかという疑問も持っていました。
東工大のような理工系の大学がリベラルアーツ教育をするというのは、世間的にはミスマッチ感があります。私は一度やってみるか、面白いじゃないかと思いました。理工系の大学で、これだけのスタッフが1年生のクラス担任もしているんだぞと、全国の大学に言いたかったのです。
それは旧帝大的なものへのアンチテーゼでもありました。旧帝大の教員は自分の学部を優先しがちで、文理融合がなかなか進みませんが、東工大はリベラルアーツ研究教育院をつくったことで、教員は「文理共創」が求められ、全学のことを考えるようになりました。