pixivは2021年5月31日付けでプライバシーポリシーを改定しました。
青年、共に闘う。
※義勇さんの逆行、かつ鬼化設定。 ※原作登場人物の性格、設定の過度な捏造あり。 ※原作で死亡したキャラが生存。 ※錆義は心で繋がっている。 ※単行本17巻+ファンブックの内容のみ。本誌未読。
それでも良い方はどうぞ。
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錆兎が出立して一週間以上。宵闇の中で、日付に間違いがないか、何度も指折り数えた。朝と夜の入れ替わりを、これほど長く感じたこともなかっただろう。
今日が、来たる選別最終日である。
前回の錆兎が死んだ日を、俺は正確に把握していない。俺が最後に見たのは、誰かの助けを求める声を聞き、遠くへ駆けていく彼の背中だった。俺は、自分の弱さ故に、彼奴の最期の勇姿を見届けることすら叶わなかった。そしてそれは今回も同様である。
自分だけが狭霧山に残りのうのうと息をしている。錆兎とともに闘えない。それが己には我慢ならなかった。
(どうして、俺は鬼なのだろう。)
出立の日が迫るにつれ、俺の心の不安は増長していった。今の錆兎ならばと思う一方で、そう容易く運命に抗いうるものなのか。彼奴はまたぞろ無茶をするのではないか。他に手立てはないのか。無意味な自問自答は止むことなく、彼が狭霧山を発つ直前は、顔を見るのすら憚られた。
(大丈夫だ……姉さんのときを思い出せ……彼女が助かったのだから、きっと錆兎も………。)
必ず面を返しに来る。錆兎は俺に誓ったのだ。 彼奴は約束を違えるような男ではない。そう自分に言い聞かせ、鍛錬場の大岩の頂上に寝そべった俺は丁度、顔を覆う錆兎の面をゆっくりと撫でた――――。
次の刹那、疲弊した俺の背中を襲ったのは、怖気のような予感だった。
「……………っ!!」
頭を食い破らんばかりの寒気に肌が泡立ち、俺はがばりと身体を起こす。誰がもたらした記憶なのか、突如、正面から身の丈を覆うほどの巨大な鬼の姿が、網膜の隅々まで流れ込む。
妖しく嗤う鬼の目。引き攣れた皮膚。その手はやがて伸び切り、俺の頭を握り潰さんと、指の節がぎりぎり折り曲げられ………。
………光景はそこで忽然と途切れた。
(何だ、今のは。)
呆然と目を見開いた束の間、畳み掛けるように俺の後頭部の紐が切れ――――狐面が、顔から剥がれ落ちた。
何故だろう。確かに掴もうとした筈なのに、それはまるで俺を嫌うように指の間をすり抜け、ゆっくり、ゆっくり、大岩の下の暗闇へ吸い込まれていく。
鱗滝さんの手で拵えられ、頑強な筈の面は、地べたの方でぱきん、と陶器が弾けるような音を立てた。
「………っ」
このときばかりは、夜目の効く身体に感謝した。俺は岩を滑り降りると、つぶさに目を凝らしそれを見つけ、どうにか傷かぬよう、慎重に拾い上げた。
良かった。割れてはいない。
しかしこれはあくまで、未だ、割れていないというだけだ。面は表全体に不自然なひびが広がっており、後少しでも力を加えれば、粉々に砕けてしまいそうだった。
(先ほどの鬼の姿と言い、これは………。)
俺は妙な胸騒ぎに立ち上がった。
++++++++++
先生……先生!
がんがんと夜分に関わらずけたたましく戸口を叩いた俺に、先生はかなり驚いていた。只事ではない空気を察してか、すぐに戸が開かれ、招き入れられる。板の間に転がり込んだ俺に、何があった、と先生が尋ねた。
「先生、大変なのです。錆兎が………!」
俺は縋り付くように壊れかけの面を差し出した。右頬に傷のある面の柄が灯りの下に浮かび上がり、それを見るなり先生は息を飲んだ。
「………!これは、儂が錆兎に与えた厄除の面ではないか、何故お前が持っている。」
「………戯れに取り替えたのです………先生、どうしたら良いのでしょう…………俺にはこの面が、錆兎を危険を報せているようで………けど俺にはもう………何も……!」
面は、何か大きな力でも働いたように、歪な形に変形していた。ただの偶然と頭では分かっている。しかし、この面が割れたとき、錆兎の命がどうなってしまうのか、俺には分からなかった。 こんなことで先生に縋って何になるというのか。今から選別会場に行って助けに行けるのでもない。だが鬼である俺はもっと無力だ。いくら努力しても錆兎の下にたどり着けない。彼奴の側で守ってやれない。俺は結局何も、何も、何も…………!
「―――義勇、息をしろ……!」
「…………っ」
肩を掴まれ、無理矢理前を向かされる。
ですが、と言い返そうとして、肩をさらに強く掴まれる。俺は促されるまま、震える唇で細く息を吸って、吐き出した。
俺は、そのときやっと、自分が普段の口調すら忘れていることに気がついた。特に、師をかつてのように「先生」と呼んでしまったのは、完全に失態だった。
「………………申し訳ありません……………鱗滝さん」
「…………先生で良い、其方のほうが呼びやすいのなら」
先生は続けて、俺を宥めるためか、あえて不思議そうな声音で尋ねる。
「………義勇、気が急くのは分かるが、錆兎はお前の修行でさらに強くなった。もう、実力は、最終選別を受けるに充分すぎるほど相応しいものに育っているだろう。先日からの態度と言い、何がそんなに恐ろしいのだ」
「………それは」
先生の言葉はもっともである。しかし残念ながら、その認識は甘い。前提が違うのだ。今の先生は、自分がかつて捕らえた鬼が途方も無い時間を生き残り、愛弟子を皆食い荒らしているなど露ばかりも知らない。それを語る人間は、一人とて帰って来なかったのだから、無理からぬ話である。当の俺ですら、八年越しに炭治郎に告げられ真実を知ったほどだ。
(だが、だからこそ言えない。)
錆兎はもうとっくに、あの鬼に喰われてしまったかもしれないのだと。
他でもない俺自身が、それを認められなかった。
ひしゃげるような胸の痛みに、俺は喉の奥で声を潰した。先生はそんな俺の尋常でない素ぶりが気にかかったのか、俺に、面を貸してみるように言った。
俺が渡した面のひびを眺め、彼はふむ、と息を吐く。
「………………そうだな。義勇、その奥に置いてある日輪刀を取ってきてくれるか」
そう呟くと、唐突に先生は部屋の向こうに目を遣った。奇妙な命令だ。不思議に思いつつ、俺は、他にできることもないので素直に従う。先生は面をじっと見下ろしながら俺を待っていた。
「………先生……持ってきましたが……」
俺が声を掛けると、先生は此方を向き、納得したように頷く。
そして次に彼の口から発せられた言葉に、俺は耳を疑った。
「義勇、お前が構わなければ………それで錆兎の面を斬りなさい」
++++++++++
「錆兎の面を斬りなさい。お前の剣なら、亀裂が面を割るより先んじて、面を断つことができる筈だ」
そう言って先生は床に面を伏せて置いた。
「……な、何故……」
師の言葉に俺は絶句した。
そんなことをして何になる。それではむしろ、死に瀕した錆兎を、自ら斬り殺すようなものではないか。
動揺し前のめりになる俺を、先生はやんわり制す。落ち着けということなのだろうが、俺にしてみれば、先生のほうが正気を失っているように思えた。始まったのは、荒唐無稽な、まさに夢物語のような話だった。
先生は、何かを区切るように姿勢を正す。
「お前の懸念が正しいとすれば、これは、恐らく藤襲山から持ち込まれた傷だ。錆兎の身に、何か良くないことが起きていると見て間違いない」
面の瞳が灯りの下で不気味に揺らめく。滔々と語る先生の言葉に、俺は茫漠と囚われた。
「藤襲山、彼処は言うなれば〈隠り世〉だ。本来は禁足地とされ、人は立ち入るべき場所ですらない。だが、それ故に、彼処は現実である〈現世〉とは全く異なる作りによって動いている」
「異なる作り……?」
「隠り世ではな、義勇。あらゆる事象が〈逆さごと〉になるのだ」
先生は割れかけの面をすっと指差し、崇高な祓い屋か、はたまた怪しげな占い師のように告げた。動けぬ俺に彼は続ける。
―――師曰く、彼岸と此岸は鏡合わせの存在である。
隠り世では生と死のみならず、あらゆる物事が逆転する。一つには、葬送の際、現世で故人の使っていた陶器椀をあえて割ることで、隠り世に渡ったとき、欠けのない器を使ってもらうことを願う儀礼がある。
これは、此方で完全なものは、彼方で不完全に、逆に、此方で不完全なものは、彼方のほうでは完全なものに変わるという伝えに倣った作法だ。
そして、件の狐面は、逆さごとにおける此岸のモノ、錆兎は彼岸のモノに当たり、此方で面が割れることは、それ即ち、向こう側の錆兎の死を意味する。
「それは、裏を返せば、仮にこの現世にある面を先に壊して不完全にして仕舞えば、隠り世の錆兎は恙無く命を繋ぐということだ」
先生は臆面なくのたまった。
……何だそれは。そんなものは単なる迷信の類である。現実の錆兎には何の関わりもない。何かを期待していた訳ではないが、煙に巻くような先生の説明に、俺は思わず口を閉ざした。
そんな俺の顔を見て、先生は存外穏やかに尋ねた。
「斬れるか、義勇」
「……………」
改めて問われ、俺は黙考する。
彼岸と此岸。現世と隠り世。水面の向こう側。鏡。逆さごと。
先生の言葉の一つ一つが、俺の心のなかに雨垂れを落とす。
斬れない、と断れば、それまで。この話は終いだ。俺はただ、この狂いそうな不安に駆られたまま、虚しく朝を迎えるだけである。何も起こらない、起こりようがない。案外、これだけ気を揉んでいても、錆兎はけろりと生きて帰ってくるかもしれない。とんだ笑い話だ。それを俺は、指を咥えて待っていれば良い。
(前回と、何も変わらないで………?)
胸の内に問えば、心臓が急かすように強く鳴った。
否、俺はもう、悲しみに蹲るのは御免だった。半年前のあの夜、かつての錆兎を殺したように、例えどんな結果が訪れようと、最後まで己の力で立っていたい。恐ろしくても立ち止まりたくない。守りたいと思ったなら、他人に委ねることなく、自ずから刀を取り、進みたい。
俺の憧れた錆兎という男は、いつだってそういう風に生きていた。
「…………斬ります、先生」
俺が即答すると、よろしい、と先生は静かに呟いて、面から少し引いたところに立った。
先生の手から離れ、厄除の面がさらに歪みを強くした。もう一度触れれば、間違いなく砕ける。機会は一度きり。失敗は許されない。俺が斬るより先に、亀裂が面を割れば終わり。俺は薄明かりに目を凝らし、刀の柄に手を添える。
心臓が早鐘を打つ。四方に伸びた掌のようなひびは、錆兎を喰らうであろう鬼の姿を暗示しているようだった。
(駄目だ錆兎……〈其方〉へ逝ってはならない…)
俺は刃先を下に向け、かちりと刀を握る。
『義勇、離れても共に闘おう』
あの日、狭霧山で錆兎は俺に言った。
ああそうだ。どうして忘れることができようか。どんなに離れても、俺はお前と共に闘うんだ。これまでもこれからも変わらない。例え死のうと、世界が違おうと、鬼に成ろうと、俺が何者であろうと変わらない。当たり前のことだ。お前が俺にしてくれたように、お前が倒れそうになったときは、何度でもその背を支えてやろう。お前が生きるのを諦めるなら、俺は何処まででも飛んでいって、その頬を張り飛ばしてやろう。
何故なら俺たちは、友達だから。
俺は徐に自らの腕を薄く切り、そこから溢れた血で刃先を撫でた。やがて全身の血管がどくりと脈打つと、鬼の力が肉の細部まで満ちるとともに、左頬の痣が渦を巻き濃く広がった。
己の足元が、久遠まで広がる紺碧の海原に転変する。その水面へ、藤襲山と、面を被った錆兎の顔が映り込んだ。
これは現時点では、鏡花水月が如き幻。だが、〈鬼〉という、生と死、どっちつかずの存在である俺と合わされば、その刀は、容易にこの隔たりを飛び越え、彼岸と此岸を繋ぎ得る。何となくではあるが、そう直感した。
水面に血の雫が一滴注ぎ、錆兎の面に垂れる。それはやがて大きな波紋を呼び、水面は見るみるうちに赤い花を散らしたような血溜まりへと変わった。
俺は、面の斬るべき箇所に寸分の狂いなく刀を合わせ、力を込めず、刃先を振るった。錆兎を脅かす全ての憂いが晴れるように、彼奴に穏やかな波が訪れるように、願いを込めて。
〈全集中 水の呼吸 拾壱ノ型 凪〉
かつての世界の、俺だけが知る技だった。
「―――――――」
打ち込んだ斬撃により水面の中で無数に波紋が生まれ、錆兎の像が霞んでいく。
気がつくと、水面を斬った筈の俺の刀は、床の錆兎の面を斬っていた。面は丁度半々に分断され、歪んだようなひびは嘘のように消えている。
(成る程、これが………鬼の……)
〈血鬼術〉なるものか。
俺は、妙に納得しながら、力を根こそぎ使い果たした疲労から、刀を握ったまま、その場に膝から崩れ落ちた。全てを見届けたいが、もう、指の先一本たりとも動かせない。
だが、やれることはやった。後のことは、錆兎に託す。
倒れ伏した俺と分かたれた面と見下ろして、先生は、一言、感嘆の声を漏らした。
「…………見事なり、義勇」
俺はその言葉を最後に、眠気のような感覚に襲われ、緩やかに瞼を下ろした。
++++++++++
錆兎は俄かに瞼を下ろした。
何とも呆気ない幕切れだった。何かが終わる瞬間は、劇的でもなければ、悲劇的でもない。これは御伽噺でも都合の良い夢ではないのだから、当然の帰結だった。
振り下ろした日輪刀が、一番酷使した中央のあたりから折れ、ばらばらに砕けた。鉄片が飛び散り宙を舞い、刃先の半分が鬼の頭上を虚しく通り過ぎていく。
絶望、それ以外には何もなかった。
唐突に己の死期を悟った。正面から俺を握り潰さんと鬼の手が迫っているが、避けられない。駄目だと分かっているのに、全身から力が抜け、刀を持つ手が緩む。
そして走馬灯なのか、愛しい彼らの顔が順々に浮かんだ。
鱗滝さん、ごめんなさい。また貴方の下から不帰の客を出してしまいました。俺はどうやらここまでのようです。どうか悲しまないでください。貴方は師としての努めを果たしました。ただ、俺が未熟だったというだけなのです。
真菰。すまない。お前は俺なんかよりずっと優しいから、鱗滝さんの弟子が殺されたと知って酷く怒ったのだろう。こんな鬼に殺され悔しかっただろう、痛かっただろう、辛かっただろう。叶うならお前の仇を取ってやりたかった。
…………義勇。
あんなにきつく言われたのに、結局俺は変わることができなかった。姉弟子のことを出され頭に血が上り、無謀な行動に出た。鬼狩りになるまでもなく、俺は死ぬ。約束したのに。生きていなければ、鬼狩りにならねば意味がないのに。生きて、帰って。
…………。
『ありがとう。』
最後の最後に脳裏にちらついたのは、彼奴の寂しげな顔だった。
今になって分かった。彼奴は、何となく俺がこうなることを予見していたのだ。この山に、途方も無く強い鬼がいて、そいでいて、馬鹿な俺が、其奴に殺されてしまうことを知っていたのだ。それでも、俺が帰ると誓ったから、共に闘おうと言ったから、少しだけ手を伸ばして、あの面を渡してくれた。
彼の僅かな信頼まで、俺は裏切ってしまった。
俺の頭蓋を握り潰さんと、巨大な鬼の手が畝りながら伸びる。その瞬間、身体が鉛のように重くなり、腕や足、顔に至るまで、赤ん坊のような小さな手がべたべたとへばりつくような錯覚を覚えた。これは鬼の手ではない。これは恐らく、此奴に殺された亡者たちの思念。彼らが、お前も早く此方へ来いと手招いているのだ。
やがて彼岸と此岸を隔てていた筈の狐面の境が曖昧になり、己自身も彼岸に引き摺られ、暗闇に飲み込まれていく心地がした。
…………嗚呼、俺は此処でも何もできず死ぬだけなのか。そう思い唇を噛んだときだった。
〈駄目だ錆兎―――其方へ逝ってはならない……ッ!!〉
諦めかけた俺の頭に飛び込んできたのは、此処にいる筈のない奴の声だった。
++++++++++
「まただ。また攻撃が一本調子になっているぞ」
鬼は俺を地面に転がした後、静かに呟いた。修行を初めて二月ほどだっただろうか、月の出ている晩、鍛錬場での出来事である。
「相手の動きをよく見ろ。矢鱈めったら打ち込むだけでは勝てない」
義勇は癖なのか、血振りでもするように握った木刀を振った。
鬼は、こと修行となると普段に比べ饒舌になった。その小柄な身体で俺を殴る傍ら、彼は真菰がよくしてくれたように、俺の剣の悪いところを、事細か分析し、正してくれた。奴はおかしなことに、出会って間もない俺のことを、俺より知っているみたいだった。
「特にお前の剣は速さに乏しい。故に他の者より、腰を据えて闘わねばならないんだ」
確かに、素早さと言うなら、真菰のほうが飛び抜けていた。彼女の〈雫波紋突き〉は、目で追うのがやっとなくらいだった。力こそなかったものの、彼女の刃は鋭く、速く、誰より先に鬼の首に届くのだと思った。
「だが義勇、その代わり俺の水の呼吸を纏った刀は重く強い。鱗滝さんの最後の試練で、此処で一番大きな岩も斬れたんだ」
身の丈ほどある大きな岩だ。それでも駄目なのか。俺が言うと、義勇は呆れたように黙った。
「………ならお前は、この岩が斬れるか」
少ししてから義勇は、彼がいつも座っている、鍛錬場の大岩に手を当てた。
太いしめ縄と紙垂が巡らされた岩は俺が鱗滝さんに言われ斬ったものより遥かに大きく、俺の荒っぽい力で刀を振れば、刀のほうが先に折れてしまいそうだった。
「…………」
「そういうことだ。今のお前はまだ、水の呼吸を極められていない。加えて、鬼は知恵者も多い。お前のように、考えなしに突っ込めば、まんまと相手の策略に嵌ってしまうことになるぞ」
「小細工を弄するのは男らしくなくて好きじゃない」
俺が口を尖らせると、木刀で頭を軽く小突かれた。
「いてっ」
「言い訳無用。そういう偉そうなことは、せめて俺を倒せるようになってから言え」
「…………」
俺は痛む額を押さえながら、鬼を睨みつける。
「お前はどうなんだ」
「何がだ」
「お前にも勝てない、倒せない相手はいるのか」
「………さあな。が、そもそも、俺は、必要ないなら、極力誰とも闘いたくない」
「そんなに強いのにか」
「強くない」
「強いだろう」
俺は、此奴ほど強いと思う鬼を見たことがない。そんなに鬼のことを知っている訳ではないが、そのなかでも、此奴は遥かに強いのだろうと、肌で感じていた。
俺が改めて問うと、義勇は暫く沈黙してから、力無く刀を下ろした。
「弱いんだよ、俺は。弱いから、何も守れなかった」
「………」
砕けた口調の義勇が、俺は少し苦手だった。そう言うとき決まって、彼奴は悲しいことを言うから。
彼奴は、何を守れなかったのだろう。其奴は義勇の大切な人だったのだろうか。其奴のことがあるから、俺にこんなに厳しくするのだろうか。
そのことを考えると、自然と心に靄がかかる気がした。義勇は、俺と熱心に向き合って修行をつけてくれているが、一方で、何処か浮ついた気持ちで俺に接している感じがするのだ。何というか、此方が現実だと思っていないような。夢のなかの人間にでも話しかけているような、他人事みたいな素振りをするときが度々あった。此処にいる俺と話しているようで、俺ではない、何処か遠くの誰かを見ているような。
俺は、それがずっと気に食わなかった。
そのときも、やや機嫌を損ねた俺に対し、義勇はいつのまにか伏せていた顔を上げ、何故かいつもより上機嫌に喋った。
「…………もっと強くなれ。鬼殺隊に入るだけでなく、柱に成れるくらい。そうすれば、この世界がずっと広いのが分かる」
この大岩だって、今に斬れる奴が現れるんだ。お前はせいぜい、そんな奴に追い抜かされぬよう、死ぬ気で修行しろ。
目を閉じたまま、俺は思い出す。
もしかしたら、あのときの義勇は、少しだけ笑っていたのかもしれない。
「……………」
俺は、閉じていた瞼を開いた。
そして、なんだか思い出したようにむかついてー――いつか何処かの誰かによって斬られるかも知れないという大岩に向け、持っていた木刀を思い切り振り下ろした。
+++++++++
俺の頭上から顎にかけて、鋭い斬撃が縦一直線に走った。途端、俺の被っていた義勇の面が、眉間を境に半月状に割れる。
「―――――!!!」
闇の中で、視界が明るく開けた。身体を縛る重苦しい思念が水飛沫を上げて吹き飛び、ぼやけていた意識が覚醒する。瞬間、俺は弾かれたように身を翻し、すんでのところで鬼の手から逃れ出た。
しかし、回避が遅れたせいだろう。豪速の腕が頬をかすり、後僅かのところで、義勇の面は、鬼の手によって千切り取られてしまう。
「…………っ!!」
面が、鬼の手の中で粉々に砕けるのを見て、俺は顔を歪めた。
残念ながら取り戻す余裕はない。俺は息を詰め、何とか鬼の手を踏み台に再び飛び上がると、鬼の手が届かぬ範囲まで大きく距離を取った。
「はあ………っはあ………」
鬼の手が掠った部分から、だくだくと血が垂れた。掠っただけでこれなら、頭を掴まれていたらどうなっていたことか。
信じ難い事実だが、俺は未だに生きていた。義勇の面が割れたかと思ったら、突然不思議な力に突き動かされるように全身がしなったのだ。
しかし地面に足を着くと、村田に手拭いで縛ってもらった後脛が尋常でなく痛んだ。布の上からでも分かるほど血が滲んでいる。先ほどの戦闘で状態が悪化したらしい。あまり長くは闘えない、だろう。
(………せめて、夜明けまで、保ってくれれば……)
今の折れた刀では、此奴は倒せない。だが、だからと言って、この状態から、中途半端に逃げ出すのも不可能だ。だから俺は、どうにか、村田や他の受験者のところへ行かぬよう、足留めの役割を果たそうと、其方に気持ちを切り替えた。
(まだ、俺は生きている。)
血を流したことで、むしろ頭は冷えていた。
状況をよく見極めろ。義勇との闘いでも、俺は刀を失ったが、それでもやり様はあった。義勇が教えてくれた。鬼の動きをよく観察して、まずは攻撃を受け流すことに徹するのだ。朝まで逃げ、他の者に手を出させなければ俺の勝ちだ。
………行こう。
俺は折れた刀を、気つけ代わりに構えた。
「あああ鬱陶しい!!!早く潰れろ狐小僧!!!!」
俺は鬼の攻撃をひたすら避け続けた。鬼は、俺がなかなか捕まらないことに焦れて、他のことを考えられなくなっているようだった。攻撃が単調になっているのが良い証拠だ。俺自身も、奴の動きに徐々に順応し、少ない動作で攻撃を回避する術を身につけつつあった。これは一重に、義勇との修行の成果である。
その攻防が終わりを告げたのは、どれほど経った頃だっただろうか。あるとき、鬼が大きく地面に手を打ち付けて、俺はその一撃を避けるため、かなり体勢を崩してしまった。
ぎり、と足に痛みが走り、一瞬だけ動きが止まる。
「…………ッ」
不味い、そう血の気が引いたときには、鬼の手が反対側から迫っていた。先の攻撃を鑑みれば、当たれば相当の痛手なのは必定。だがまだ、諦める訳にはいかない。
せめても衝撃に耐えられるよう、俺は歯を食いしばった。
そのとき背後から、俺を呼ぶ声がした。
「――――――鱗滝ッッ!!」
+++++++++++
待て、行くなと制止する声は、彼には少しも届かなかった。
鱗滝が行って暫く、俺は、彼を助けに行く踏ん切りがどうしてもつかず、かと言って逃げる訳でもなく、しとどに汗を垂らしながら木の陰で蹲り、震えていた。
怖い。怖くて堪らない。あんな鬼、行ったら確実に死んでしまう。俺はまだ、こんなところで死にたくない。どうして行ってしまったんだ。此処で待っていれば、もう朝だっただろう。黙っていれば、俺たちは鬼殺隊になれたのに。どうしてお前は、そんな風に迷わず立ち向かっていけるのだ。
(………どうして俺は動けないんだ。)
悔しさめいた、何かよく分からぬ感情に俯いた俺の向こうから、少しずつ近づくものがあった。
それは、引っ切り無しに悲鳴をあげる、息も絶え絶えな受験者の少年だった。俺が木の陰から出ると、其奴は慌てたように手を広げた。
「ああ!!お前!に、逃げろ!やばいんだ!」
其奴は、そのまま叫びながら、凄い速度で通り過ぎて行こうとした。そこで俺は震える足を叱咤して振り返り、すれ違おうとした其奴の襟首をむんずと掴む。其奴は走っていた勢いと相まって後ろ倒しになり、俺自身も其奴に引っ張られて無様にすっ転んだ。
彼はなりふり構わず自分を引き留めた俺にかなりギョッとしているようだった。知ったことか。俺は転んだ其奴に向け声を張り上げた。
「おいお前!向こうから来たな!あのでかい鬼と会ったのか!」
「な、何だよ、そうだよ!」
「なら彼奴はどうした、狐面の奴!」
どうか違っていてくれ。そう祈りながら尋ねた。
「あ………」
彼は途端に蒼ざめて目を見開いた。それから、苦しげに目を逸らす。
「彼奴は………俺を助けて……そのまま鬼と」
「…………!!」
驚愕に目を見開く。俺と鱗滝が知り合いだということを察した其奴は、ますます罰が悪そうに顔を伏せた。
やはり、そうなのか。
ああそうか。そうだよな。お前はきっと、逃げたりしないんだろう。お前は俺と違って強いからな。
けど、今回の鬼は、話が別だ。あれは、俺たちが倒せるような類の輩じゃない。努力ではどうにもならないときというのが、世の中にあるだろうに。
本当に死んでしまうぞ、鱗滝。
感情が爆発する感じがした。気がついたら俺は、受験者の奴を押しのけて、もつれる足で地面を蹴っていた。
++++++++++
(くそう……こんな筈じゃなかったのに……っ)
夢中で走りながら村田は思考する。
俺は、自分で言うのも何だが、この年にしては、比較的己の分を弁えた性格をしていると思う。無茶はしない。自分にできることだけをやる。平凡上等。この生き方を、誰に褒められる訳でもないけど、少なくとも十数年前、俺はそうやって生きてきた。
俺は俺を客観的に見ることができる。だから俺は、鱗滝という男が、自分とは違う人種なのだと理解していた。
俺は理解していた。
真に強い剣士とは、彼のことを言うのだと。
彼は、三匹の鬼に囲まれて、万事休すだった俺を、もう死ぬかも、と半泣きだった俺を、何処からともなく颯爽と現れて、まるで御伽噺の英雄のように救ってくれた。二匹の鬼を相手取って、少しも怯むことなく技を放っていった。あのときの感動を、誰が分かるだろうか。
少なくともそのときの俺には、あの宍色の髪と、特徴的な狐面が、何かの希望みたいにきらきら光って見えた。彼奴を見ていると、猛烈に己が奮い立つ気がした。
師匠から聞いた〈柱〉に成るのは、きっとこんな奴なんだろう。自分より少し小柄な少年の傷の手当てをしたとき、たった一刻にも満たぬ短い付き合いだったが、俺はそう確信した。
俺は恐らく、鬼殺隊に入っても、一角の人物にはなれない。分かるのだ。この最終選別で、満足に鬼が狩れない現実を知ったとき、嫌というほど自覚した。俺の技では、どれだけ鍛えようと、一定の実力以上の鬼に勝てない。
そして、俺ができるのは精々、ああいう皆の上に立つ奴を、後ろから支えてやることだと思った。彼奴のような奴が柱になったとき、一番強い鬼と闘えるように、露払いをする役割。「此処は俺に任せて先に行け!」そんな格好良いことを言える剣士。俺の呼吸は、そのために使いたい。
でもそのためには、肝心の柱がいなくちゃ始まらない。そうだろう。だから俺は、今走っている。本当は、死ぬほど逃げたいけど、でも。
俺は、刀を構え、力の限り叫んだ。
この声がどうか、今も誰かのために闘う、勇敢な一人の少年に届くように。
弱い俺にできるのは、それぐらいだと思った。
「………――――鱗滝ッッ!!」
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後ろから駆けてきた村田の刀が、鬼の腕を切り裂いた。鬼の手は千切れず、少しばかり血が吹き出る程度だったが、その僅かにずれた軌道から身を逸らし、ぎりぎり首の皮一枚のところで攻撃を躱すことができた。
「何だァ、またガキが増えたのか……?」
現れた村田に、鬼はかなり気をとられているようだった。
…………今しかない。
その隙に俺は、鬼の背面に回り込み、だっと鬼の腕を駆け上がる。
そして、ひるり、と息を吸った。
よく見ろ。そして思考しろ。相手の視線、呼吸、皮膚の蠢き、全てに集中するのだ。焦るな。機会を伺え。俺の一撃は、外しさえしなければ重く相手に傷を与えることができる。義勇の言葉を思い出せ。愚直に闘うな。力で押さず、腰を据えて闘うことに徹しろ。
鱗滝さんの教えを胸に刻め。水は一粒一粒は硬質さを持たない。無理に力で跳ね返すのではなく、流るるまま――――そして時にはその柔らかさで持って、岩をも穿つ―――。
此処だ、と見極め、首の後ろから鬼の頭を飛び越え、鬼の正面へ、頭を逆さに飛び込んだ。
死角から飛び出した俺を見て、鬼の目が、驚愕に見開かれる。俺は、そんな間抜けな鬼の顔を眺めながら、携えていた刀を弓の弦を引くように構えた。
――――すまない真菰、俺に力を貸してくれ――――。
〈水の呼吸 漆ノ型 雫波紋突き〉
俺は〈手〉に覆われていない、無防備な鬼の額の中心を、折れた刀で、真っ直ぐ突いた。
姉弟子ほどの速さはない。だが、この技は、彼女が使う技の中で最も強く、美しく、何度も見て、完璧に形も覚えていた。
ざくり―――と刀が眉間に刺さる。
「――――――ッ」
俺の荒々しい波紋突きの衝撃波で、鬼の目が瞬く間に潰れる。直後、視界を失った鬼が声のあらん限り絶叫した。
「あ゛ああ゛あああ!!!」
俺は鬼の皮膚にめり込んだ刀を捨て、次いでとばかりに鬼の顔面を蹴りつけると、その反動で村田のところへ着地する。
(何故今こんなところに。逃げたのじゃないのか。)
「村田……お前どうして………!」
「話は後だ!いいから逃げるぞ!」
慌てて問い掛けた俺に、村田はそう言うと、信じられぬくらい強い力で俺の腕を引っ張った。それにつられて足を踏み出す。走り出した途端、頭上から、鬼が俺たちを探す声が聞こえた。
「何処へ行った、あ、あ、あ、あ!!!!」
指の先までがびりびりと振動した。あんなに大きな鬼なのに、子どもが癇癪を起こしたような慟哭で、それが一層恐ろしかった。ばきばきと木がなぎ倒される音がする。目が見えないから、闇雲に手を振るっているのだ。
俺は村田に引かれる形で、ぐんぐん鬼から遠ざかっていく。鬼の声だけが、ずっと後ろで責め立てるように聞こえていた。
「………ッ待ってくれ村田」
俺は走る間にだんだん落ち着いてきて、そうなると当初の目論見が達成されていないことを思い出し、彼の腕を振り払った。
立ち止まった俺に村田は焦ったように息を吐いた。
「何だよ鱗滝。早く逃げなきゃ」
「あの鬼は危ない。怒り狂った彼奴が行った先で、他の誰かが殺されるかもしれない。倒せなくとも、せめて朝まで足留めしなくては」
掻い摘んで事情を話すと、村田は何とも言えぬ悔しそうな顔をした。
「けど………駄目だろ、お前、血を流し過ぎてる。刀は彼奴に刺さったままだし、足だって、限界の筈だ」
「……………」
確かに、刀がなければ、できることはごく限られてくる。既に俺の足はこれ以上の闘いに耐え切れない。先ほども、足が動いていれば、あんな攻撃容易く避けることができた。それができないなら……もう……。
「もう充分だろう。さっきの奴は助かった。それじゃあ、足りないのか」
………無茶なのは分かっている。でも俺はこれ以上、此処にいる誰一人も死なせたくない。そこを譲ってしまっては、俺は人として死ぬ。醜い鬼と変わらなくなってしまう。そしてこの藤襲山で、彼奴に対抗し得るのは、恐らく俺が唯一だ。
口を噤んだ俺を見て、村田は、俺の手をもう一度強く掴んだ。
「行かせないぞ」
「……!……どうして」
「………行ったら死ぬからだ」
お前は強い。お前はもっとこれから、沢山の人間を救えるのだろう。そんな奴が、こんなつまらないところで死んではいけない。村田は言った。
「そんなことはない。俺は弱い。だから彼奴も倒せなかった…………それに、強さで人の価値は図れない。俺は、皆に生きていてほしい」
死にたいのではない。ただ、同時に、まだそこに生きている誰かの命を捨てることも、俺にはできない。選べないのだ。
俺が返すと、村田は目を見開いた後、どういう訳は、射殺すように俺を睨みつけた。
「……お前……ッこの……ッ…」
村田は、怒ってるのか泣いているのか分からない声で叫んだ。掴まれた腕は、強く握られすぎて震えている。
村田は、少し躊躇って、でも堪え兼ねたようにやがて口を開いた。
「鱗滝………俺だってなあ………本当は、強いとか、弱いとかそんなのどうでもいいんだよ………!!」
村田の声が、苦しげなものに変わっていく。酷く辛そうだった。心を砕いて、砕いて、それでやっと漏れ出た言葉のようだった。
どうして此奴は、そこまで言ってくれるのだろう。こんな、無力なだけの俺に。何が彼をそこまで動かすのだろう。
何が…………。
「俺だって、選べないよ。でも俺は、他でもない、お前に生きていてほしい。お前と一緒に鬼殺隊になりたいんだ」
「……………」
共に鬼殺隊になりたい。自分も願ったことの筈なのに、俺は息を飲んだ。
どうして忘れることができようか。
人が死ぬのは悲しい。
同時に、自分が死ぬと誰かが悲しむ。
死んで良い人間などいない。
どちらが死ぬかなど選べない。
だから俺たちは、共に闘い、共に生きることを選んだ。
思えば人はいつでも無力だ。一人では運命を変えられない。鬼狩りは鬼のような凄まじい力を持たない。だが、それ故に人は、徒党を組み、集団を作った。無力な人間同士がそれでも力を合わせて、鬼を倒せるように、強大な力に淘汰されず、抗えるように。
そうしてできたのが、〈鬼殺隊〉という道だ。
鱗滝さんが導き、真菰が前に立ち、義勇が後押ししてくれた道。
そしてそれは、俺たちがこれから歩いていく道なのだろう。
一人では難しくとも、二人なら。二人では難しくとも三人なら。
(嗚呼、そうか。俺はもう、一人で闘うことを選ばなくとも良いのか。)
俺はあまりの眩さに、ゆっくりと瞬きをした。視界が開けて、光が差し込んだ気がした。なるほど、これが義勇の言っていた、広い世界、なのかもしれない。
俺がしばし言葉を失っていると、村田は自分で言っていて恥ずかしくなったのか、顔をくしゃりと歪める。
「………だからっ」
「いや、もういい、村田」
「何がいいんだよ!!この分からず屋!!」
村田はとうとうわっと泣き出してしまった。感極まったのか、鼻から鼻水が垂れている。
「違う、分かった。もう、闘うのは無しだ」
「………!」
俺は、少し力の緩んだ村田の腕を握り返した。
「だが、手分けして山を回って、他の受験者が彼奴に会わないようにしたい」
俺が提案すると、村田はぽかんと口を開けた。それから、俺の頼みの事の重要さに気づき、再度顔を引き締める。その目には僅かに不安と恐怖を顔に滲んでいた。そうだ。俺たちの仕事は、まだ終わっていない。
「協力してくれるか、村田」
俺が尋ねると、村田は、一も二もなく頷いた。
「……そんなことなら、お安い御用だ」
俺たちなら、きっとやれる。
彼は締まりはないが、覚悟の決まった顔で、すん、と鼻水を啜った。
++++++++++
そこから後は早かった。俺たちは方々を回り、受験者にあの巨大な鬼のことを周知した。鬼の気配を知る俺たちが先導し、一人、二人と人間を増やした。途中で会った奴の一人は、俺が怒鳴って逃した受験者だったようで、会うなりこれまた泣き出されて困った。
「夜明けだ……!」
受験者の誰かが声を上げた。東の空を見ると、眩ゆい日の光が山肌から差している。長い夢は終わった。鬼は消え、全ての人が目覚める時間だ。
必死に奔走したが、全員に声を掛けられたかは分からない。死んでしまった者もいたかもしれない。俺は結局、自分の力では何も為すことができなかった。真菰たちの仇が打てなかったし、あの鬼は、来年以降も鬼狩りを目指す人間を喰い続けるのだろう。
朝日が砂だらけの頬を焼く。半年前、彼奴に張り飛ばされた頬が、またぞろ熱く痛んだ気がした。
(分かってるよ。今できることは、全てを受け入れることだけだ。)
帰ろう。俺を生かしてくれた狭霧山の彼らにも、話したり、謝らねばならない事が山のようにある。今回のことを話せば、義勇なんかにはもう一回殺されかねないけど。兎も角、叱られに行くんだ。
そして、これからのことを考えよう。
「鱗滝、集合だ。合格者は皆最初の場所に集まれって」
「ああ、今行く」
村田に呼びかけられ、俺は返事をする。今はそれだけのことが、酷く特別に思えた。
息を吸い、吐く。いつものように。普段通り。
その日、確かに俺は、この夢のような現実で生きていた。
続く
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後書きと言う名の懺悔
鬼義勇さん 前半、なんのこっちゃと思われた方は申し訳ありません。あれは、遠く離れた錆兎に追いつきたい、繋がりたいと思った義勇さんが、鱗滝さんの言葉に着想を得て、土壇場で発現した彼自身の血鬼術です。現時点では、自らの血液を媒介として、A地点とB地点を物理的に繋いで攻撃などを飛ばすことができます。今回のA地点は錆兎の面、B地点は、錆兎が被っていた義勇の面です。義勇の面に関しては、一応4話の錆兎の戦闘で本人の血が付着するシーンがあります。
鬼であることを呪った義勇さんは、鬼であるがゆえに錆兎を救えました。
鱗滝さん 彼の面は悉く破壊される運命にあるようです。〈逆さごと〉や、「面を斬れば錆兎が助かる」云々は、義勇さんの血鬼術がそういうものでなかったことから分かるように、彼が義勇を安心させるためについた方便です。というかまあ、鱗滝さんは鱗滝さんでそれなりに本気で言ったのでしょうが、彼の言う通りにただ錆兎の面を斬っただけなら、当然ですが錆兎は助かりませんでした。
錆兎 回想、及び彼の面が割れる場面は、原作一巻で炭治郎と修行したシーンとモロにオーバーラップさせています。彼は岩を斬りましたが、協議の結果、それはあの鍛錬場の岩ではなく、もう少し小さな別の岩だった、という解釈になりました。最後には姉弟子の技を用いて鬼に一矢報いました。皆から口々に柱っぽいと言われる。成れると良いですね。
村田さん 今回のMVP。というか裏主人公。彼が原作で義勇さんと同期でいられたのは、彼があまり自分の実力を超えた行動を取らぬようにしていたからだと思います。ただ、彼は、錆兎が義勇に対してそうであったように、自分を救ってくれた錆兎に憧れを抱きました。原作の村田さんが、炭治郎たちの姿を見て奮起したのも、過去に錆兎が鬼相手に闘っていた事実を知っていたからだったらよいなと妄想しています。
17巻を読んで死にかけております。
逆行義勇さんの7話です。藤襲山の決着がつきます。
いつもの倍くらい長いです。また前半三千字くらいが訳の分からない展開になっていますが、投げ出さずに読んでもらえると嬉しいです。
2019/10/08の[小説] 女子に人気ランキング 9位
2019/10/08の[小説] デイリーランキング 18位
ありがとうございます。