深く考えてはいけない
- 2007/02/15 16:51
- Category: 語ってみる・考えてみる
と思いつつ、作中世界の人間関係はいったいどうなってるんだろうか……という話。
『パロサイ・ホテル』の舞台である飛島、島田作品で「飛島」と云えばまず思い浮かぶのが〈吉敷シリーズ〉の『飛鳥のガラスの靴』です。
石岡さんのいう「本」は、おそらく『ガラスの靴』のことだと思うんですけど、ということは作中でも〈吉敷シリーズ〉が(島田荘司・著として?)出版されてるということになります。しかしそうすると『龍臥亭幻想』のあの会話はいやにあっさりしすぎだぞという話になっちゃうのですが(そして私は――もし初対面だとしたら――吉敷さんを見て「御手洗さんに似てるなー」と思う石岡さんが見られなくて大層がっかりしました……)、それとも、現職の警察官だから名前を変えて発表されてるって可能性もあるかな……。だとすれば、石岡さんが吉敷さんに気付かなくてもおかしくはないんですが、もうひとつ、彼らの接点として、やはり〈吉敷シリーズ〉の一篇である「発狂する重役」の「私」が石岡和己か否か、という問題があります。
この問題については、村川真一さんが「二人の石岡」問題として、「《発狂する重役》の「私」は石岡和己である」という前提のもとに、新作が発表されるたびに新しい情報を取り入れつつずっと考察しておられてとても面白いんですが(*1)、結論から先に云うと、ある同人作家さんからこの件について問われ、原作者ご本人が「発狂する重役」の「私」は石岡和己本人です、と明言されたそうで(*2)、それを受けてこの同人誌の発表後に書かれた「近況報告」では
*1 手元にある資料によると、一番旧い稿は1990年の発表。ちなみに同年、評論家の新保博久さんも『世紀末日本推理小説事情』(ちくまライブラリー)の中で同じくこの謎に触れています(「心やさしき人命軽視派 島田荘司/岡嶋二人」)
*2 甲影会・発行「別冊シャレード・島田荘司特集号2」(2005)。
『パロサイ・ホテル』の舞台である飛島、島田作品で「飛島」と云えばまず思い浮かぶのが〈吉敷シリーズ〉の『飛鳥のガラスの靴』です。
「……あの山はなんという山ですか?」……前者の会話は吉敷さんと地元のひと、後者は石岡さんと里美ちゃんです。
「鳥海山」……
「ひょっとして、島の方言で、あの鳥海山を『しもやま』と言いませんか?」
▽光文社文庫/pp.373-374抜粋
「鳥海山、土地の人は『しもやま』とも言うんだよ」……
「あっ、そうですそうです先生、よく知っているんですねー。なんで?」
「え? 本で読んで」
▽『パロサイ・ホテル』(上) p.31抜粋
石岡さんのいう「本」は、おそらく『ガラスの靴』のことだと思うんですけど、ということは作中でも〈吉敷シリーズ〉が(島田荘司・著として?)出版されてるということになります。しかしそうすると『龍臥亭幻想』のあの会話はいやにあっさりしすぎだぞという話になっちゃうのですが(そして私は――もし初対面だとしたら――吉敷さんを見て「御手洗さんに似てるなー」と思う石岡さんが見られなくて大層がっかりしました……)、それとも、現職の警察官だから名前を変えて発表されてるって可能性もあるかな……。だとすれば、石岡さんが吉敷さんに気付かなくてもおかしくはないんですが、もうひとつ、彼らの接点として、やはり〈吉敷シリーズ〉の一篇である「発狂する重役」の「私」が石岡和己か否か、という問題があります。
この問題については、村川真一さんが「二人の石岡」問題として、「《発狂する重役》の「私」は石岡和己である」という前提のもとに、新作が発表されるたびに新しい情報を取り入れつつずっと考察しておられてとても面白いんですが(*1)、結論から先に云うと、ある同人作家さんからこの件について問われ、原作者ご本人が「発狂する重役」の「私」は石岡和己本人です、と明言されたそうで(*2)、それを受けてこの同人誌の発表後に書かれた「近況報告」では
しかし私は西荻窪のアパートをしばらく解約せずに残しておき、……という設定になったらしいです。そうすると、『幻想』での対面が石岡さんが特に感慨を覚えていないこともしっくりきます。でも、通子さんの前で敢えて初対面を装わなければならなかった理由はなんなのかしら……という新たな謎も、生まれてしまうのですけど。
▽『御手洗潔のダンス』/p.390
*1 手元にある資料によると、一番旧い稿は1990年の発表。ちなみに同年、評論家の新保博久さんも『世紀末日本推理小説事情』(ちくまライブラリー)の中で同じくこの謎に触れています(「心やさしき人命軽視派 島田荘司/岡嶋二人」)
*2 甲影会・発行「別冊シャレード・島田荘司特集号2」(2005)。