璇璣図 | 芚曞き

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同志瀟女子倧孊 総合文化研究所玀芁 第29巻 2012幎

 

 

蚊音無雁寄回遅  

 

 é›ãŒã„ないため旅の䟿りをおくるのも遅れおいる

 

孀燈倜守長寥寂   

 

孀぀灯を倜な倜な寂しく守り

 

倫憶劻兮父憶児   

 

倫は劻を憶うよ、父は児を憶う

 

普通に読めば、旅先で劻子を思う詩だが、逆さたに読むず、たちたち劻が旅先の倫を思う詩に倉身する。

 

児憶父兮劻憶倫   児が父を憶うよ、劻は倫を憶う

寂寥長守倜燈孀   倜な倜な寂しく灯を守るのはわたし孀り

遅回寄雁無音蚊   䟿りをもたらす雁が遅々ずしお垰らず音信がずだえ

久別離人阻路途   別れお久しいあの人が旅路に阻たれおいる

詩韻和成難䞋筆   詩の韻ができおいおも筆は䞋ろし難く

酒杯䞀酌怕空壺   酒杯に酌すれば壺を空にするのをおそれる

知心幟芋曟来埀   心を通わす人はずかく離別しがち

氎隔山遙望県枯   山氎に隔絶された圌方を遙かに望む県は泣き枯れる

 

 

 

さきほどの䟋はどちらから読んでも劻が倫の身の䞊を案ずる意味が倉わらないのに察しお、こちらのほうは、䞊から読めば倫が劻を思う、䞋から読めば劻が倫を思う詩になっおいる。たるで倫ず劻がそれぞれ同じ詩の䞡端の片方を手にずっお語り合っおいるような、心憎いほどうたく線たれおいる回文詩である。音楜に喩えおいえば、テノヌルず゜プラノの競挔ずいったずころであろう。

 

 

挢字の回文は、個々の音笊で違いを奏でるこずができるのみならず、䞻旋埋たで組み替える

こずができる可胜性を秘めおいる、ずこの䟋が瀺唆しおくれおいる。

 

璇璣図の宇宙

ずころで䞭囜の回文史における空前絶埌の傑䜜は、はやくも 4 䞖玀頃に女性の手によっおな

しずげられおいた。ここに掲げおいる璇璣図がそれである。䜜者は蘇蕙、4 䞖玀䞭頃の人で、『晋曞』巻九十六に圌女の䌝が茉っおいる。それによるず、蘇蕙は始平珟圚の陝西省興平の人で、字は若蘭ずいう。倫竇滔が秊州刺史ずしお前秊の皇垝苻堅に仕えおいたが、巊遷される憂き目に遭う。蘇蕙は倫を慕い、廻回文詩を錊に織り蟌み、倫に莈った。八癟四十字 8 からなるその詩は瞊暪埪環しお読めるもので、甚だ悲しい内容になっおいる、ずいう。

 

84129 × 29字からなる、たるで迷路のような挢字魔方陣から、瞊暪無尜にしかも埪環し

おどのように詩が読み取れるのか、ちょっず芗いおみよう。

 

もずもずの璇璣図は錊に五色の糞で織り蟌たれおおり、五色の糞が五぀の詩䜓の区分けを蚘

しおいたず䌝わる。オリゞナルの錊がすでに珟存しおいないため、もずもず五色がどのよう

に斜されおいたかは確かめようがない。いたでは色づけのバヌゞョンが耇数に詊みられ、ここ

に掲げたのはそのひず぀である。これに埓えば、黒が䞉蚀、黄は四蚀、ピンクは五蚀、青が六

蚀、赀が䞃蚀、ずそれぞれ異なる詩䜓をあらわす。ずいっおもこれはあくたでもごくおおざっ

ぱな区分けで、実際は詩䜓が色の枠に限られおおらず、同じ枠の䞭に違う詩䜓が共圚しおいた

り、詩が枠をはみ出しお瞊暪に䌞匵しおいたりしおいるのである。玙幅の関係で党郚は挙げられないが、䞉蚀、四蚀、䞃蚀の䟋をいく぀か瀺しおおく。それぞれの詩がいずれも逆さたにも読むこずができる回文詩になっおいるこずに泚意されたい。ただし、ここで逆読みは省いおいる。

 

 

「璇璣図」の画像怜玢結果

 

たず倖枠、赀の䞃蚀。

 

倖枠右

 

仁智懐埳聖虞唐

貞劙顕華重抮章

臣賢惟聖配英皇

倫匹離挂浮江湘

 

倖枠䞋

 

接河隔塞殊山梁

民生感曠悲路長

身埮憫己處幜房

人賀為女有柔剛

 

倖枠巊

 

芪所懐想思誰望

玔枅志朔霊氷霜

新故感意殊面牆

春陜煕茂凋蘭芳

 

倖枠䞊

 

琎枅流楚激匊商

秊曲癌聲悲摧藏

音和詠思惟空堂

心憂増慕懐惚傷

 

次に黒枠の䞉蚀。

 

右䞊黒枠千鳥読み

嗟嘆懐 所離経

遐曠路 傷䞭情

家無君 房幃枅

華食容 朗鏡明

葩粉光 珠曜英

倚思感 誰為栄

 

最埌に黄枠の四蚀。

 

真ん䞭黄枠

詩情明顕 怚矩興理

蟞麗䜜比 端無終始

 

このように読んでいくず、たさに汲めども尜きないように詩が湧いおくる。その無尜蔵ぶり

を䜜者は自ら璇璣図の䞭心で瀺唆しおいる

 

詩情明顕  詩情が明顕、

怚矩興理  怚矩が理を興す、

蟞麗䜜比  蟞麗が比びを䜜し

 

端無終始  端に終始無い

 

841 字の魔方陣のようなこの䜜品が織りなそうずしおいるのは、埪環埀埩しお端に始たりも終わりもない詩の䞖界である。『党唐文』巻九十䞃に、璇璣図のために曞かれた則倩歊后の「織錊廻文蚘」が䌝えられおいる。それによれば、則倩歊后の頃にすでに 200 銖以䞊の詩が璇璣図

から読み取れおいたのである。その埌、数字が぀ぎ぀ぎず曎新されおいく。宋には 3752 銖読

み取れるずいう説があり、さらには 7958 銖ずいう説たであった 9 。こうなれば数字はもはや

問題ではない。この挢字魔方陣から自由に詩を汲み取るこずができるずいう事実が重芁である。䜜者はさらに䜜品のど真ん䞭に、小さな魔方陣を織り蟌んでいる。

 

平始璇

蘇心璣

氏詩図

 

「始」から逆時蚈回りに、璇から時蚈回りに読むず

 

始平蘇氏

璇璣図詩

 

ずのように、ちょうど 841 字の䞭心ずなる「心」を包み蟌むような二句が珟れおくる。韻も螏ん

でいる。「始平」は前述のように䜜者蘇蕙の出身地。ここに䜜者はみずからの出自を名乗り、

䜜品名を「璇璣図」ず明かしおいる。「璇」ず「璣」は、それぞれ北斗䞃星の第二、䞉星の名で、「璇璣」はあわせお柄杓の圢をなす北斗䞃星の噚の郚分を指し、さらには䞭囜叀

代の倩文芳枬機の呌び名でもあった。

 

「璇璣図」ず名付けられたこのさながら挢字魔方陣のような錊織に映し出されおいるのはたさに、倜空に浮かぶ満倩の星であり、スケヌルの倧きい倩䜓図である。あるいは䞀枚の曌荌矅にもみえる

 

さきほど『邯鄲蚘』の回文詞を、同じ曲をピアノで挔奏するのずバむオリンで挔奏するのずの違いがあるず喩え、「双憶」の回文詩をテノヌルず゜プラノの競挔ず喩えたが、同じ音楜の喩えでいうなら、「璇璣図」はずお぀もなく倧きな構成による亀響曲ずいえよう。

 

挢字回文にみる挢文の文法的特城

 

挢字の回文はなぜこのように仮名の回文ず比范にならないくらい倧きな自由床をも぀のか。

これにはすでに述べた衚語文字を䜿甚しおいるこずず、同音の芏制を受けないこずのほかに、

挢文の文法的特城にも理由が求められる。「双憶」を䟋に芋おみよう

 

倫憶劻兮父憶児   倫が劻を憶い、父が児を憶う

 

この文字配列がひっくり返れば

 

児憶父兮劻憶倫   児が父を憶い、劻が倫を憶う

 

 

ずなる。「ながきよのずをのねぶりのみなめざめなみのりふねのおずのよきかな」がひっくり

返っおも「ながきよのずをのねぶりのみなめざめなみのりふねのおずのよきかな」、「たけやぶ

やけた」がひっくり返っおも「たけやぶやけた」であり、音韻構造や構文、文法関係に䜕ら倉化

が起きないのず異なり、「倫憶劻兮父憶児」を逆に読むず、音韻構造もさるこずながら、文法

構造たで倉わっおしたう。䞻語が述語、述語が䞻語になるのである。

 

挢文では、「テニヲハ」のような文法関係を瀺すステッカヌがないため、䞻語か述語かは

文脈の䞭、語順の䞭で刀断される。語順が逆になれば、文法関係もいずも簡単にひっくり返る。

のみならず、品詞も始めから決たっおおらず、文脈や語順の䞭で定たる。

 

壺空怕酌䞀杯酒   酒壺が空ずなり、酒を䞀杯酌するこずもたたならず

 

の堎合、「空」は、『珟代挢語詞兞』の品詞分類によれば圢容詞、空っぜ、空になるずいう意味。

ひっくり返しお、

 

の堎合、「空」は「空にする」を意味する動詞になる。文法関係や品詞が倉われば、意味にもおのずず、埮劙から真逆たでの幅があるが、倉化が生じる。鈎朚棠䞉が『こずば遊び』で、「八重襷」を玹介しおいる。

 

ここに掲げた「野菊廻文壱句ヲ十句」がそのひず぀ 10。「なかくきのはなのそのなは野菊か

な」ずいう回文を瞊暪、斜めに襷のように亀叉させお楜しんでいるものである。䞊五の第䞀字

ず䞭䞃の第二字ず第六字、䞋五の第五字を巧みに亀叉させお、出来䞊がった図は䞀芋「璇璣図」に䌌おいるようにみえる。しかし「なかくきのはなのそのなは野菊かな」以倖に、新しい句が

読み取れない。音声をはじめ文法関係、品詞がひっくり返っおも倉わらないからである。

 

阿刀田高が『こずば遊びの楜しみ』においお、「挢字は䞀぀䞀぀が意味を持っおいる。ひっく

り返しおも同じ文章ずいうのはおもしろ味があるたい。個々の挢字を圹者に譬えお蚀えば、初

めの舞台も、逆たわしの舞台も同じ圹者が同じ順序で同じ芝居を挔じお、なにがおもしろいも

のか 11」、ず述べおいるが、この指摘はそのたた仮名の回文に圓おはたりはするものの、挢字

の回文には的倖れず蚀わざるをえない。

 

挢字ずいう圹者が、舞台が逆たわしになったずき、同じ圹割をほずんど挔じないのはむしろ普通である。「倫憶劻兮父憶児」のように、圹者「憶う」䞻語がそっくり入れ替わるこずすらありうる

のだ。

 

鈎朚棠䞉は䞊蚘の本で、回文俳諧をはじめ回文連歌などから、手の蟌んだ回文を数倚く取り

あげおいるが、逆読みするず意味が倉わった䟋はひず぀も芋圓たらない。阿刀田高自身もその

ような䟋を挙げおいない。

 

むしろ珟代の回文䜜家犏田尚代の「転文」が泚目されたい。犏田はいう。「はじたりから読

んでも終わりから読んでも同じ蚀葉になるのが回文です。そしお転文は、ふた぀の文にわかれ

おいお、ひず぀の文を終わりから読むず、もうひず぀の文になりたす。぀たり、逆から読むず違った意味の別の文があらわれおくるものが転文なのです。12」以䞋はその実䟋のひず぀である。

 

(以䞋フルコピヌ分ながら重耇に぀き意味䞍明)

 

「䌺うこずなく聞き䌝え極みその茪・・・捻り凪 あの恋 魚の接波 ぀いぞ 痛感

 

うかがうこずなくきき぀たえきわみそのわうねりはあのこい぀いぞ぀うかん」

 

「倏の扇な぀せみな぀のおうき䜕故 神は昚日より うわの空なせかみわきのうよりうわのそら星くずず米ほしく぀ずこめ山茶花 空蝉ささんかう぀せみ終わるおわるしどけない」

 

 

P101

 

この転文の劙味は、埌ろの文を逆さたに読むず、前の文になり、前の文を逆さに読むず埌ろの文になる、ずいうずころにある。いいかえれば、それぞれの文をひっくり返せば、仮名回文のように同矩、同文にならずに、音韻も意味もちがう別の文に倉わるのである。

 

 これこそ、「初めの舞台も、逆たわしの舞台も同じ圹者が同じ順序で同じ芝居を挔じお」いる仮名回文の束瞛に察する挑戊であろう。この挑戊から生たれた転文の凄いわざに感心せずにはいられない。ただ、転文は反転しおも音韻構造が倉わらない点においお、他の仮名回文ず異ならない。転文のトリックは、音韻の分節を倉えたこずにあ

り、新たな分節に反転前ずは別の挢字を圓おはめお別の文を浮かび䞊がらせるのである。しかしこれはかなり難床の高いわざで、容易く䜜れるものではない。

これに比べお、語順、品詞などの制限を受けない挢字回文の自由床の倧きさがいよいよ際立぀。

 

二、回文にみる挢字文化的思考回文にみる察の思考、反蚓の考察から

 

぀ぎに挢字回文を支える思考法に぀いお考察しおみたい。こんな゚ピ゜ヌドがある。広東のある靎屋に次のような広告が匵り出されおいた。

 

包䞍開膠、廉䟡賣嗿

 

゜ヌルがはがれないこずを保蚌し、出血倧サヌビスの安売りをする、ずいう意味である。

それを買った客がしばらくしお゜ヌルのはがれた靎をもっお来お返品しようずするず、店員は

広告を逆さたに読んで聞かせる。逆さたに読むず、

 

嗿賣䟡廉、膠開䞍包

 

出血倧サヌビスの安売り、゜ヌルがはがれおも保蚌しない、ずなっおしたう 14。

 

客は唖然ずさせられただろうが、広告は芋事な回文である。前述のように挢字の回文はひっ

くり返れば意味のどんでん返しも起きうるのである。ここたで芋おきたように、ひず぀の文に

盞反する二぀の意味を含たせうるのは、䞭囜語の文法構造が柔軟であるこずによるずころが倚

いのだが、しかし、これは回文に限られたこずではない。

 

たずえば「乞」ずいう字に、「求める」ずの意味のほか「䞎える」ずいう意味もあるように、ひず぀の文字の䞭に盞反する意味を持ち合わせおいる挢字は少なくない。これを蚓詁孊では「反蚓」ず呌ぶ。反蚓に぀いお、倧濱晧の詳现な研究がある。『䞭囜的思惟の䌝統』においお、倧

濱は董璠ず癜川静などの先行研究を螏たえながら、反蚓を新たに定矩づけた。癜川が、「反蚓ずは、䞀字のうちに正反たったく盞反する、もしくは矛盟する二蚓を含むずいうこずである。しかもこのように盞反する、もしくは矛盟する蚓矩が、匕申比矩、反芆旁通の結果、同時的に共存するものをいう」ず定矩しおいるのに察しお、倧濱は「同時」を、「察立する䞡矩が盞互に察者を存圚の条件ずする意味での〈同時〉」ず芏定し盎した。15

 

このような定矩に合臎した反蚓の䟋をいく぀か挙げおみる。

 

乱乱れる / 治める

擟煩わしい / 埓順

埂死亡 / 存圚

苊苊しみ / 快楜

故いにしえ / いた

吉 / 凶

 

などなど、いずれも盞反する意味がひず぀の文字の䞭に同居しおいる。自然界にも人間䞖界

にも、生ず死や吉ず凶のように、盞反するものを自らの存圚根拠ずするものが倚い。ひず぀

の挢字に反察する意味を同居させるのはたさに、物事を盞反する䞡面から、察でずらえようずす

る思考法ずいえる。

 

このような思考法は、挢字の造語法にもみられる。挢語には

 

倧小・高䜎・長短・軜重・遠近・貎賀・公

私・有無・動静・興亡・抑揚・耒貶・屈䌞・

進退・埀埩・瞊暪・陰陜・男女・・・・・・

 

などのように、意味が反察の挢字を付け合わせお䞀぀の蚀葉にする䟋は、文字通り枚挙にいず

たがない。これらは反蚓ず呌ばないが、しかしこのような造語法の奥に朜む物事の考え方は、

反蚓ず同じず考えられる。さらに、「倧小」は英語に蚳すず、size になるが、size では「倧」ず「小」の絡み合いやグラデヌションがみえなくなる。挢語の「倧小」では、「倧」の䞭に「小」があり、「小」の䞭に「倧」があり、「倧」ず「小」が均衡を保ちながら互いに入り組んでいるので

ある。

 

倧小に぀いおは、荘子のよく知られおいる蚀葉がある。「倩䞋、秋豪毫の末より倧なるものは莫く、而しお倧泰山を小ず為す」荘子・斉物論。この䞖界で秋の動物の毛の先よ

り倧きいものはない。それに比べお䞭囜で聖なる山ずされる泰山は小さいものである、ずいう。

動物の毛先の立堎に立おば、自分より倧きいものはなく、自分ずかかわりのない泰山は目にも

入らない「小」でしかない。぀たり動物の毛先には無限に倧きいずいう可胜性、泰山には無限

に小さいずいう可胜性をそれぞれ孕んでいるずいうこずである。

 

動物の毛先ず泰山は別々に芋るずたしかに盞異なるが、しかし察でずらえたずきに盞通じる

ものがある。動物の毛先ず泰山ずのあいだに、意味の絡み合いやグラデヌションが生たれおく

る。倧濱はいう。「反蚓の原因は䞭囜の思惟や思想における、語意に察する厳密や分析がなさ

れおいなかったこずや論理性の欠劂にあるのではない。むしろ逆に、曖昧に芋える衚珟も透培

した論理で貫かれおいたこずを芋るべきであり、そしおそこに反蚓の原因や根拠があるず思う」。

 

「思惟・思想は文字の蚓みかたに先んずるずずもに、文字の蚓みかたのうちに反省される」16。

反蚓ずいう蚀語珟象の背埌にある思考的特質に照射をあおた重芁な指摘であり、その通りであ

る。ずころで、その思考的特質を、倧濱は察立ず統䞀ずいう匁蚌法的解釈に求めおいる。荘子・

斉物論にいう。「物は圌に非ざるはなく、物は是れに非ざるはなし。圌よりすれば則ち芋えず、

自ずから知れば則ち之を知る。故に曰わく、圌は是れより出で、是れも亊た圌に因る、ず。圌

ず是れず方びお生ずるの説なり。」これを匕いたうえ、倧濱は「ここに、䞀事物の䞭には察立

するものが統䞀されおいる、ずいう思想の基盀をみるこずができる 17」、ず述べる。

 

しかし、荘子がここで語っおいるのは、察立ではなく、察立の吊定である。䞊の蚀葉に぀

づいお荘子は、「是も亊た䞀無窮、非も亊た䞀無窮なり。故に曰わく、明を以うるに若くなし

ず」ずもいっおいる。物事はかれずこれ、是ず非にわかれ、かれがかれ、これがこれを、是が

是、非が非を䞻匵すればするほど、察立は広たる䞀方で、「無窮」、゚ンドレスになっおしたう。

そこで察立を無にし吊定する明智を甚いよ、ずいう。荘子にしたがえば、そもそも察立は人間の思い違いだ。

 

生を裏返せば死、死を裏返せば生、可を裏返せば䞍可、䞍可を裏返せば可、是のなかに非があり、非のなかに是があるのである「方び生じ方び死し、方び死し方び生ず。方び可にしお方び䞍可。方び䞍可にしお方び可なり。是に因り非に因り、非に因り是に因る」。そこにあるのは、盞異ず盞互䟝存である。察立を持ち蟌むのは人間の悪しき賢しさであり、聖人はそのようなずらえ方をせずに、物事をあるがたたに芳照する「是を以お聖人は由らずしおこれを倩に照らす」。

 

「倩に照ら」しおあるがたたに芳照するずは、察立を持ち蟌たない䞖界のずらえ方である。そ

こでは、これもかれであり、かれもこれであり、これのなかにも是非があり、かれのなかに

も是非がある。そうなればもはや、かれこれの区別が぀かなくなり、぀いにはかれもこれも盞

手偶を倱う。盞手を倱えば、そこは扉の戞臍枢が開にも閉にも倉化自圚に察応できる

ような、無碍自圚の䞖界である「是れも亊た圌なり、圌も亊た是れなり。圌も亊た䞀是非、

歀れも亊た䞀是非。果たしお圌ず是れず有るか、果たしお圌ず是れず無きか。圌ず是れず其の偶

を埗る無き、これを道枢ず謂う。枢にしお始めお其の環䞭を埗お、以お無窮に応ず」。

 

このように、荘子では察立ずいう考え方が吊定されおいる。察立が吊定されおいる以䞊、察

立による統䞀も存立しない。「圌ず是れず其の偶を埗る無き」̶̶かれもこれも盞手を倱うず

いうのは、察立によっお導かれた統䞀ではない。むしろかれのなかにこれがあり、これのなかに

かれがあり、かれずこれが互いに盞手を孕み぀぀絡み合うこずによっお生たれた融合である。

ずころで「圌ず是れず其の偶を埗る無き」䞖界は、絶察者や聖人の境地である。珟実の䞖界

ではかれずこれの盞異が存圚しおいる。

 

盞手を倱うほど完党に融合しない限りでは、かれずこれのあいだに、さたざたな盞互浞透や絡み合いの空間が暪たわる。その盞互浞透や絡み合いの暡様は譬えおいえば、グラデヌションである。真実は、是のなかにもなく非のなかにもなく、是ず非の察立のなかにさらになく、是ず非

のあいだのさたざたなグラデヌションにこそあるのである。そしお、是のなかに非があり、非のなかに是があり、是ず非のあいだのグラデヌションが極臎に達し、どれが是でどれが非かわからなくなったずきに、是ず非の盞異が乗り越えられ、荘子のいう「圌ず是れず其の偶を埗る

無き」境地があらわれおくる。ゆえにこの珟実の䞖界は、察立のない「道枢」的な目で芋るず、

さたざたな盞異のグラデヌションで満ちあふれおおり、じ぀に豊かな䞖界になる。

 

反蚓は䞀字に盞反するふた぀の読み方が含たれおいる蚀語珟象。しかし、盞反はむコヌル察

立ではない。反蚓を察立ず統䞀ずいう匁蚌法的タヌムで解釈するよりは、物事を盞異ず融合で

ずらえるこずに特質がある䞭囜の哲孊に「思想の基盀」を求めた方が適切であるように思われ

る。

 

回文にみる察の思考、半の考察から

ずころで、反蚓は、䞀字のなかに盞反する意味のグラデヌションがあるずもいえる。同じこ

ずは、「倧小」のように盞反する二文字を付け合わせる造語法にもあおはたる。しかし、グラ

デヌションの図像化がもっずも鮮やかになしずげられたのは、『易』の半においおである。

『易』では知られおいるように、陰ず陜の笊号爻を六本組み合わせお、党郚で六十四通りの半ずよぶ図像を぀くり、それを通しお䞖界を解釈しおいる。そしお、六十四半のどの半も自分ず陰陜の配列が反察になる半をもっおいる。いいかえれば、六十四半は、陰陜の配列が盞反する䞉十二組の半から構成しおいるのである。䞀䟋を瀺すず、たずえば「臚」半ず「芳」半」。

 

 

臚      芳   (地柀臚、颚地芳)

 

「臚」は䞊䞋逆さたにするず「芳」に倉わる。たさに回文、いや、回文の図像孊的衚珟である。

ただし䞉十二組のうち、

 

也   址   頀  倧過   (也為倩、址為地、山雷頀)  

 

坎   離   䞭孚 小過   (坎為氎、離為火、颚沢䞭孚、雷山小過)

 

この八半はひっくり返しおも陰陜の配列がたったく倉わらない。たるで仮名の回文のようであ

る。これではペアの組みようがない。そこで、他の二十八組ず違っお、半をひっくり返すので

はなく、爻の陰陜の逆配列によっお、「頀」ず「倧過」、「坎」ず「離」、「䞭孚」ず「小過」がそれぞれ組たれたのである。これは圢の䞊で぀ぎに述べる「察句」に䌌おいる。察句も回文の䞀皮ず考えられるので、この四組はいっおみれば察句型回文ずいえる。

 

 

『易』が劂䜕にこの回文的ペアを重んじるかは、六十四半の配列順序をみればわかる。「也」

から始たっお「未枈」で終わる六十四半はすべおペアごずに配列されおいるのである。そのうえ、各半の意味を簡朔に解説する「雑半䌝」を芋るず、ペアを組む半の意味はほずんど互いに反察になっおいる。たずえば

 

臚   芪   比  垫    損   益

 

「臚」は䞎える、「芳」は求める。「比」は楜しい、「垫」は憂う。「損」は盛んになる、「益」は衰える、

ずいう。各組の半の図像が回文になっおいるばかりでなく、意味も反察になっおいる。さらに、易では䞀本䞀本の爻に図像孊的な意味がある。「臚」がひっくり返れば「芳」になり、䞎えるから求めるに倉われば、それぞれの半を構成する六本の爻の意味にも圓然倉化が生じる。いた「比」ず「垫」を䟋に芋おみる。

 

「比」は䞋半の址  ず䞊半の坎  からなっおいる。址は地、坎は氎をあらわすから、䞊が氎、

䞋が地の図像である。ひっくり返した「垫」では、䞊が地、䞋が氎ずなる。同じ地ず氎でも、配列

が違えばもずの地ず氎ずは意味合いがちがっおくる。

 

すなわち、䞊が氎の堎合、「地䞊に氎を撒けば、氎は地ず比しみ密着しお、その間に隙がな

い。だから比ず名付けた。昔の聖王はこの半にのっずっお、䞇囜を建お、諞䟯を芪しんだ 18」

をあらわす。

 

ずころで、氎が䞋の堎合、「氎は地の倖に出るこずはない。同様に、兵は蟲のなかにあっお䞍

離である。そこでこの半は軍隊を象城する。君子はこの半にかたどっお民をやすんずるこずに

より、民のなかに朜圚する兵力を蓄積する 19」、を意味する。今床は爻ごずの意味の倉化を芋おみよう。六爻は䞋から、初・二・䞉・四・五・䞊ずよみ、順序はその爻の䜍䜍眮の芋立おを瀺す。陰爻は偶数の六、陜爻は奇数の九であらわすこずになっおおり、爻の陰陜は䜍の前に、たずえば六二、九䞉のように瀺される。ただ、初爻ず䞊爻にかぎっお、陰陜は初六、䞊九のように埌ろに蚘される。

 

さお「比」の初六・六二・六䞉・六四・九五・䞊六は、ひっくり返った「垫」の䞊六・六五・六四・六䞉・九二・初六にそれぞれあたる。それぞれの爻の図像孊的意味をならべお、比べおみる。

 

「比」の初六。たごころがあり、酒甕に酒が満ちあふれば、人々が぀いお来る。぀いには遠

くたで芪しみが広がるので、めでたい。察する「垫」の䞊六。垫のあず論功行賞が行われるが、小人は重甚しおはいけない。重甚すれば囜が乱れる。どちらも宎のむメヌゞが圷圿ずされるが、前者はたごころがあり人々に芪したれるのに察しお、埌者は、小人を譊戒せよ、ずたごころのな

い小人の顔がちら぀く。

 

「比」の六二。自らの䞻䜓性をもっお君䞻に仕えるから、吉。察する「垫」の六五。田に䟵略者があらわれたので、君䞻はやむを埗ずに戊う。勝぀だろう。しかし有胜な将軍に指揮を任せば戊さに勝぀が、無胜な人にかかわらせるず倧敗もある。䞀方は臣䞋、䞀方は君䞻。䞀方は䞻䜓性をもっおいるのに察しお、䞀方は受身である。䞀方がめでたいのに、䞀方は凶が朜んでいる。

「比」の六䞉。悪人ずばかり芪しみ、痛たしい。察する「垫」の六四。垫は撀退した。危うきなし。

 

 

䞀方は悪人に魂を売り危険に身をさらしおおり、䞀方は安党に撀退した。「比」の六四。君䞻に芪しみ、賢者に近づくから、吉。察する「垫」の六䞉。戊さに敗れお屍が車に乗っお垰っおくる。

䞀方は君䞻、賢者のもずで自らを䌞ばすが、䞀方は無残な敗戊。「比」の九五。君䞻は狩りをするずき、䞉方からだけ囲い蟌み、獲物に逃げ道を残す。このような君䞻は、民から譊戒心をもたれない。察する「垫」の九二。軍䞭にお王から䞉たび耒賞される。

 

䞀方は君䞻、䞀方は将軍。䞀方は民から芪したれおおり、䞀方は王から寵愛されおいる。

「比」の䞊六。人の䞊に立぀のにリヌダヌシップがない。凶。察する「垫」の初六。出陣に厳しい軍埋で統率しおいく。さもなければ凶。䞀方はリヌダヌシップがないのに察しお、䞀

方は匷力な指導力を発揮する。こうしお盞察する爻をならべおみるず、半が反転すれば、爻の衚象も異なっおくる。しかも五色の糞で織りなされた錊のように絡み合いながらも、互いに向かい合っおいる。六爻のおのおのがグラデヌションを玡ぎ出し、半ずしおの衚象に結晶されおいくが、それをひっくり返せば、別のグラデヌションがあらわれおくる。わずか六本の線によっお構成しおいる易の半はこうしおみるず、じ぀に奥の深い回文の䞖界でもあれば、グラデヌションの䞖界でもある。

 

 

䞀方、挢文でもっずも奜んで䜿われる衚珟のひず぀に察句がある。察句も広矩では回文のひ

ず぀に数えられる。『蟞海』の「回文」の解説を芋るず、

 

 

重重青山抱緑氎

匯匯緑氎繞青山

 

 

が䟋ずしおあげられおいる 20。逆さたに読むず文字配列が異なるので、狭矩の回文ずはいえない。しかし、「折り重なる青山が緑氎を抱く」ず、「くねくねずした緑氎が青山を繞る」ずのあい

だに、意味が埪環埀埩しおいるゆえに、䞭囜ではこのような察句も回文ず考えられる。こうし

た回文的察句は、はやくも老子に倚甚されおいた。

 

善人者䞍善人之垫、䞍善人者善人之資。

第二十䞃章

知者䞍蚀、蚀者䞍知。第五十六章

信蚀䞍矎、矎蚀䞍信。第八十䞀章

善者䞍蟯、蟯者䞍善。同䞊

知者䞍博、博者䞍知。同䞊

 

普通の察句はここたではっきりず埪環埀埩しおいなくおも、盞察する句のあいだに、濃淡の

差こそあれ、意味の重なり合いが必ずある。杜甫の詩を䟋にみるず、

 

江碧鳥愈癜  江は碧にしお鳥は愈よ癜く

山青花欲然   山は青くしお花は然えんず欲

す

杜甫「絶句」

 

ずのように、江ず山、碧ず青、鳥ず花、癜ず赀、が敎然ず盞察しおいる。江ず山、碧ず青などはたんに技術的に盞察しおいるわけではなく、そのあいだに江ず山や碧ず青のさたざたなグラデヌションが折り重なっおいるのである。それを芳照するのが、察句本来の神髄だず思われる。察句に぀いおはあらためお皿を起こす必芁があるが、ここでは察句ず回文ずの接点を指摘するのにずどめおおく。反蚓をはじめ、反察の蚀葉を付け合わせる造語法や易の半、察句を芋おきたが、これらはいずれも広矩での回文である。そしおそこに共通しおみられるのは、物事を察でずらえようずする思考法である。真実は、是のなかにもなく非のなかにもなく、是ず非の察立のなかにさらになく、是ず非のあいだのさたざたなグラデヌションにこそあるずする荘子の思想や易の半に朜む盞反ず融合の奥深い図像孊的思考は、挢字回文を支える哲孊的背景ずしお指摘できよう。

回文にみる埪環的思考

ずころで、物事を察でずらえ、盞反するもののあいだのグラデヌションにこそ真実があるず

いう思考法は、物事を埪環的にずらえる思考法でもある。「比」半が反転すれば「垫」半になり、「楜」が「憂」に裏返るのを䟋にいえば、そこには、盞反するものは、「楜」ず「憂」のように、埀

埩埪環するずいう哲孊が朜んでいるのである。回文はもずよりひず぀の埀埩埪環である。そ

のうえ挢字回文は、挢文の柔軟な文法構造ゆえに、より倚様な埪環を可胜にする。䞀䟋をあげ

おみる。

                 月

 

         冷               花

    

   霜                           方

 

         華               圱

 

                 朔

 

 

わずか 8 文字だが、どの字からどの方向に向かっお読んでも詩になる。たずえば、月を起点

に逆時蚈回りに読むず、぀ぎのような詩が埗られる。

 

月冷霜華 朔圱芳花

冷霜華朔 圱芳花月

霜華朔圱 芳花月冷

華朔圱芳 花月冷霜

 

 

さらに月を起点に時蚈回りに読んでも詩になる

 

月花芳圱 朔華霜冷

花芳圱朔 華霜冷月

芳圱朔華 霜冷月花

圱朔華霜 冷月花芳

 

四蚀ばかりでなく、五、六、䞃蚀の詩も同じように可胜で、あわせお 128 句もの詩が読み取

れるずいう 21。ひるがえっお易を芋るず、六十四半を䞉十二組の回文が連鎖するように配列しおいるのも、埀埩埪環を匷く意識しおいるずいえよう。易には、「既枈」ずいう半がある

 

易では陜爻が奇数䜍、陰爻が偶数䜍にあるのを「正」ずよぶが、この半では六本の爻がすべ

お「正」䜍眮に぀いおいる。吉のようにみえるが、しかしよくない半ずされる。なぜなら、敎いすぎお固定しおしたうず、物事が動かなくなるからである。これに察しお、「咞」ずいう半をみおみよう

 

䞊が少い女、䞋は少い男の衚象。若い男女が互いに感応するから吉の半ずされる。さらに、

「皋氏によれば、咞には皆の意味がある。感応ずいうこず、男女の間、こずに若い男女に斌お

鋭敏であるが、広く芋れば、䞇物みな感応しないものはない。で、皆ず感ずの䞡矩を含たせお、

咞の字を甚いたずいう 22」。䞇物みな感応しないものはなく、感応すればそこに動きが生じ、埪環が発生する。感応は融合のはじたり、融合は埪環を促す。これは易を貫く䞻旋埋ずもいえる。十二ヶ月の陰陜消長をあらわす十二消息半ずいうのがある。

 

 

十月  址為地   九月  山地剥    八月   颚地芳  

䞃月  倩地日  六月  倩山遁     五月   倩颚姀 

四月  也為倩  䞉月  柀倩倬     正月   地倩泰

十二月 地柀臚  十䞀月  地雷埩

 

十月は陰の極たりなので、六本の陰爻からなる址であらわす。぀づく十䞀月には、陜が䞋か

らわずかに芜生えおくる。四月に向かっお陜は増倧し続け、぀いには四月においお頂点に達す

る。頂点をきわめれば、陰ぞ反転する。五月から十月たで今床は陰が増長しおいく䞀方である。四季はこうしお巡り、埀埩埪環する。この十二消息半も芋事な回文である。氞遠の春もなければ終わらない冬もないように、盞反するものは排斥しあうより互いに埪環しおいる。

 

 

この埪環的思考は易のみならず、老子荘子など䞭囜哲孊に広く認められる。皋明道1032-1085には、「有無」ずいう蚀葉に぀いお、非垞に瀺唆に富んだ指摘がある。

 

蚀「有無」則倚「有」字蚀「無無」則

倚「無」字。有無與動静同。劂冬至之前倩

地閉可謂静矣而日月星蟰亊自運行而

䞍息謂之無動可乎 䜆人䞍識有無動静

爟 23。

 

 

「有無」ずいう蚀葉を発したずたん、すでに「有」が䜙蚈になる。「無無」ずいう蚀葉を発したずたん、すでに「無」が䜙蚈になる。有無は動静ず同じなのだ。冬至になれば倩地が閉塞し、静がきわたる。しかし、日月星蟰は絶えず運行しおおり、静がきわたるずいえども、動きがな

いずいうこずではない。ただ人が有無動静のこずわりを知らないだけである、ずいう。

 

 

有ず無のあいだは垞に流動があり、ずどたっお静止した有がないため、有ずいった瞬間に、

すでに無に向かっお動いおいる。冬がきわたれば春がやっおくるように、有ず無も入れ替わる

こずがある。い぀たでも有にずどたっおいる有はありえない。同じこずは動静にもいえる。ひるがえっお、有無も動静も、「倧小」ず同じように、盞反する二文字を付け合わせた蚀葉である。

 

有ず無、動ず静が埀埩埪環しお入れ替わるこずもあるように、有無、動静はひっくり返しおも読める回文である。このように、回文ず埪環的思考は互いに支え合っおいる。

 

むすび

璇璣図のような回文詩をはじめ、反蚓や盞反する蚀葉を付け合わせる造語法や察句などには、物事を察でずらえ、埀埩埪環をずうずぶ挢文の特質が遺憟なく瀺されおいる。のみならず、この特質は易の図像孊にたで認められ、六十四半の衚象はさながら図像孊的回文ずなっおいる。易の六十四半は、䞭囜コスモロゞヌの曌荌矅ずもいえる。

 

この䞭囜コスモロゞヌの曌荌矅に回文が朜んでいるずなれば、䞭囜コスモロゞヌ、あるいは挢字文化的思考そのものが回文的特質をもっおいるず考えられる。埀埩埪環をずうずぶ挢字文化的思考においおは、真実は盞反する物事のあいだのグラデヌションにあるず考え、察立が吊定される。そしお物事を盞異ず融合でずらえる。盞異があれば感応が生たれ、融合が芜生える。

 

融合はさらに埪環を促すのである。回文は挢文の特質を端的に瀺しおいるのみならず、挢文により織りなされた挢字文化的思考の特質をも映し出しおいる。

 

泚

1  鈎朚棠䞉『こずば遊び』 講談瀟孊術文庫 2009

 

                      

39 頁

小野恭靖『こずば遊びの文孊史』 新兞瀟 1999 

188 頁

2  小野恭靖 同䞊 192、228 ∌ 229 頁

3  鈎朚棠䞉 同䞊 40 ∌ 41 頁

4  同 3 37 頁

5  小野恭靖『こずば遊びぞの招埅』 新兞瀟 2008

幎 89 頁

6  銭南揚校点『湯顕祖戯曲集』䞋 䞊海叀籍出版瀟 

1978 幎 820 頁

7  䜙元掲線著『歎代回文詩詞曲䞉癟銖』 岳麓曞瀟 

2008 幎 45 頁

8  いたに䌝わる璇璣図は 841 字。真ん䞭の「心」

が埌に曞き加えられたずの説もある。

9  王其峰・孫安邊・孫䡟線著『䞭囜回文詩図倧芳』 

山西人民出版瀟 2006 幎 7 頁

10 同 1 48 頁

11 阿刀田高『こずば遊びの楜しみ』 岩波新曞 

2006 幎 121 頁

12 犏田尚代『初期回文集』 キャラバン曞籍郚 

2007 幎 「はじめに」

13 同䞊 98 ∌ 99 頁

14 匵暁・埐広掲『挢語回文䞎回文文化』 吉林倧孊

出版瀟 2008 幎 245 頁

15 倧濱晧『䞭囜的思惟の䌝統̶̶察立ず統䞀の論

理̶̶』勁草曞房 1969 幎 4 頁

ずころで、「蚓詁に斌ける思惟の圢匏に぀いお」『癜川静著䜜集』所収においお、癜川静は反蚓を匁蚌法的に解釈するのに異議を申し立お、「蚓詁䞊反蚓ずいうこずは存圚しないものである」ずしおいる。たしかに癜川の考察したずおり、反蚓のほずんどが、文字の本矩が自己吊定的に盎接その盞反矩を定立するこずによっお成立しおいるものではない。しかし、仮借や誀甚も含め、どんな経緯をたどったにせよ、「字矩の挞次的な掟生移転の結果」、「総数はおそらく数

癟字にも達するであろう」挢字に盞反する意味が含たれおいるのもたた事実である。癜川もいうように、「反蚓ずいわれる珟象が実際には存圚しないずいうこずず、郭璞以来珟圚に至るたで、反蚓の存圚が信ぜられおきおいたずいう事実ずは、区別しお考えられなければならない。反蚓ず信ぜられおいたものが厳密には反蚓でありえなかったずしおも、すでに反蚓ずいわれる蚓詁䞊の䞀範疇が立おられ、それが長い間に亙っお信ぜられ぀づけおきたずいうこずは、反蚓ずいう事実の有無に拘わらず、思惟ずしおは蚓詁䞊矛盟の統䞀ず考えられるかかるものが存圚しおい

た」のである。さらに、䞭囜で䌝統的に蚓詁孊の察象ずされおいた反蚓はもずより匁蚌法に立脚したものではなく、おそらく癜川が匁蚌法的解釈に異議を申し立おるためにさだめた定矩に基づいたものでもなかったろうずいう䞀面もある。本皿でいう反蚓は、䌝統的に蚓詁孊の䞀範疇ずしお考えられおいた反蚓である。

 

16 同䞊 14 頁、35 頁

17 同䞊 17 頁

18 本田枈『易』 朝日遞曞 1997 幎 113 頁

19 同䞊 105 ∌ 106 頁

20 『蟞海』 䞊海蟞曞出版瀟 1999 幎普及版 2156

頁

21 同 14 170 頁

22 同 18 271 頁

23 『二皋党曞』「河南皋氏遺曞第十䞀」 『儒藏』粟

華線二䞀二冊 北京倧孊出版瀟 2009 幎 143